第四章(一)
ジェシカはウイルコックスの馬車に揺られ、外の景色を眺めていた。街道に出て、どこを走っているのか、彼女にはわからなかった。
だが、不思議と不安はなかった。西の空は妖しい程紅く、東の空からは夜のとばりが広がる。ウイルコックスは馬車を止め、中の天井に取り付けられているランプをつけた。
そして、ジェシカを見下ろし、いすの端に置かれた皮の袋を指差した。
「夕食だ。腹減ってるだろ。食べるといい」
「あなたは?」
「俺はいい」
ウイルコックスは外に出て、再び馬車を走らせた。ジェシカは袋に手を伸ばした。中には、容器に入った温かいスープと弁当が、一人分だけあった。
ジェシカが食べやすいようにと、ウイルコックスがゆっくり馬車を走らせているのがわかった。西空に、宵の明星が輝いていた。
明くる日の未明、目的地に到着した。そこは、ホメルス地方イリアード村にある孤児院だった。
ウイルコックスが馬車を止めると、建物から40代半ばの女性が顔を出した。
「姉さん」
彼女はウイルコックスの実の姉のフローリアである。
「久しぶりね」
彼女は馬車の中で眠っているジェシカを見遣った。
「この子ね」
「ああ」
ウイルコックスは哀愁を帯びた顔をしていた。
「さあ。ベッドまで運びましょう」
フローリアは孤児院の扉を大きく開き、ジェシカを抱えた弟を招き入れた。
ウイルコックスはフローリアが用意したベッドにジェシカを下ろし、ふとんをかけてやった。
彼はベッドの端に腰を下ろし、しばらくジェシカのあどけない寝顔を見詰めていた。
「お茶が入ったわよ」
フローリアが小声で呼んだ。ウイルコックスは音を立てないように、そっとその場を離れた。
「訊いても無駄だと思うけど、すぐに出て行くのかしら」
「……ああ」
紅茶を持つ手を下ろし、ウイルコックスが下を向いたまま応える。
フローリアは呆れたように笑った。
「あなた、寝てないし食べてないでしょう。夜明けまではまだ時間があるわ。それまで休んでいきなさい」
ウイルコックスは首を横に振り、思い入れの深い目で、ジェシカの寝ている部屋へと続く扉を見た。
「姉さんが悪いわけじゃないけど、ここにいたくない。ごめん」
フローリアは嘆息した。
「わかったわ。でも、これだけは食べていきなさい」
フローリアは立ち上がり、棚からサンドイッチを取り出した。
「ありがとう」
ウイルコックスは受け取ると、黙々とそれを食べた。
ウイルコックスは馬車に乗り込み、姉を見遣った。
「道中、気を付けるのよ。あなた、疲れてるんだから」
弟は頷いた。そして、手綱を引こうとして思いとどまった。
「姉さん」
彼はとても辛そうな顔をしていた。
「すまない」
それだけ言うと、彼は勢いよく手綱を引き、行ってしまった。フローリアは闇に消えていくその姿を見送った。




