ツクモさんとわたしの生活と未来のこと
「いい加減にしろ。このような場所で寝食するとは堕落にもほどがある。美栄子も草葉の陰で泣いておるに違いない」
時刻は午後八時前。
仕事を終えて帰宅し、玄関を開けた途端にかけられた男の声に、わたしは立ち尽くした。
年のころは三十歳そこそこ。サラサラ直毛の短髪、理知的で整った顔をしているが、放たれた言葉は妙に時代がかっていて、ちぐはぐ感が否めない。
いや、そもそも誰。
美栄子って言ったな。
ってことは、おばあちゃんの知り合い?
亡くなったわたしの祖母は非常に顔が広いひとだった。
学校の先生をしていて、退職後も実績を乞われて地域の学童や塾でも先生をやっていたので、この付近には祖母の『生徒』が非常に多い。そのため、葬儀が終わったあとでも人伝に訃報をきいて弔問に訪れることも少なくなかった。
あれから半年以上経過して、その波も収まったように思っていたけれど、喪中ハガキを出したことで知って訪ねてきたパターンもあるかもしれない。
そこまで考えて気づく。
だからって、なんで鍵のかかった屋内に居るんだ、このひと。
肩にかけたカバンを抱きしめながら、おそるおそる問いかける。
「失礼ですが、どちらさまですか?」
こんなときでも妙に冷めた態度の自分に呆れながら相手を見つめていると、男は腕組みをして顎を反らせ、不遜そのものの態度でこう言った。
「私はこの屋敷に住まう付喪神である」
◇◆◇
冷蔵庫からペットボトルの緑茶を取り出す。すこし悩んだ末、お客様用の湯飲みに淹れて男の前にそれを置いた。
「茶を供するという素養があったことは褒めてやらんでもないが、いささか粗雑すぎやしないか朝子よ。いや、いまさらであるな」
「はあ。それはどうも」
ちっとも褒めているように聞こえない声色でお茶を呷るのを眺めながら、わたしはわたしでお茶を飲む。ペットボトルからの直飲みですがなにか。
「えーと、それで、ツクモさん。祖母はもう亡くなりましたが、わたしに御用があるんでしょうか」
「幼きころから胆の据わった子であったが、その度胸は健在か」
「いえ、驚いてはいますよ。ほんとに居たんだなーって」
「なら驚け。叫び轟け。私はヒトならざる者だぞ」
「だって、おばあちゃんから聞いてましたし」
そうなのだ。
見たことはないけれど、存在だけは聞かされていた。
なんでも、城崎家の長女にのみ視認可能らしい。
外見の性別は男。いつ姿が見えるようになるかはわからない。
しかし結婚すると見えなくなるのは確定事項。
既婚者となってもたまに声は聞こえるので、存在は感じられる。
悩んでいたり困っていたりすると助言をくれる守護神的なもの。
以上が、長女というポジションに生まれると、先代から教わるツクモさんの基本情報だ。
わたしはひとりっ子で、三十五歳独身彼氏なしだけど、これまで姿を見たことはない。「うちの女性には付喪神が味方しているんだよ、朝ちゃんもいずれ見えるようになるよ」と言われていたけれど、正直なところ、微妙だと思っていた。
いや、べつに信じてないわけじゃないんだよ。和風ファンタジー、あやかし系のお話は大好きだし。
ただわたしは城崎朝子ではあるけれど、祖母とは血が繋がっていないから、対象外なんじゃないかなーって思ってたんだ。
血が途切れているのは、わたしの母親が祖父母の知人夫婦の子どもだったから。
物心つくかつかないかぐらいのころに、母は城崎家に引き取られた。夫婦は事故死だったらしい。
どんな紆余曲折があったのかは知らないけれど、母は城崎京子になり、絵にかいたような転落人生を送ったあげく、実家にわたしを置いて行方知れずとなったようだ。置き去りにされた当時、わたしは小学校に上がる前だったので、すでに母の存在は薄ぼんやり。
城崎というのは祖母側の苗字。
婿入りして嫁家を継ぐって、結構なことだろう。城崎という名の示すとおり、大昔は城仕えをする大名の家柄だったというが、今は昔の話である。
ただ城崎家の良いところは、かつての威光を笠に着ず、謙虚に堅実に生きてきたところだろう。
没落の一途を辿ったが、そのことで周囲から蔑まれることはなかったし、過度に同情されたりもしなかった。受け入れられて、下々に溶け込んでいった。家屋敷も手放し、所有していた土地に小さな家を建てて住むようになる。そこが、わたしがいま住んでいる場所であるらしい。
その都度、古くなったところはリフォームしているので不便は感じない。
古い家屋が『古民家』としてもてはやされて久しいけど、住んでいる身から言わせてもらえば、そこまでありがたがるものでもない。隣の芝生はなんとやらの理論でしかないと思う。
「はあ、まったく。脅しがいのない娘だ」
「脅すって、自称神さまのくせに」
「自称ではない、私は付喪神だ」
「でも付喪神って、古い物に宿る精霊みたいなものでしょう? 物に魂が宿ったーみたいな。個人の想いが生み出したものだし、一般的な信仰対象になるものじゃないのでは?」
「神は神であろうが! 大事に敬え!」
大事にしろと言われても、いったいなんの付喪神なのかがわからない。祖母もそこまでは言っていなかったし、特別なにかを大事に奉っているようすもなかった。
キョロキョロと見回していると、神が問う。
「なにをしている」
「ツクモさんは、なんの付喪神なのかな、と。こうして顕現しているということは、近くに現物があるんじゃないかなって思いまして、探してます」
「この状況でなにを呑気なことを。探す以前の問題であろうが。まずは立ち上がって、部屋を片づけよ!」
細長い指を突きつけた先には、無造作に重なった新聞紙が、絶妙なバランスでもって積まれている。
カラー広告が一枚はみ出しているのが気になるけど、あれを引き抜いたらたぶん山が崩れるので、できれば手を出したくないところだ。
床にはコンビニでもらった小さな袋がいくつか。
中身は空で、ごみ袋として使おうと思って仮置きしてあるやつ。
袋の外側に名前を書くための油性マジックも転がっている。ほら、近くにあったほうが便利でしょ。
蓋つきのごみ箱。その上に置いてあるのは、お徳用の45Lごみ袋。
そういえば今週の可燃ごみ、出し忘れてるや。でも、ひとり暮らしだから一回ぐらい飛ばしても平気平気。
壁際に見える白いものは、埃が固まってるのかな? あとでコロコロでもかけて取ろうかなって、そういや先週か先々週あたりに思ってたような気がしないでもない。
「とくに無駄なものは置いてないと思うけど」
「この惨状でよくそんなことが言えたものだな。収納しろ。棚はなんのために存在する。床に直接、物を置くでない、不衛生な」
たしかに、まあ、整理された部屋とは言い難いかもしれないけど、掃除って億劫でさ。仕事から帰ってきてからやる気にならないし、かといって土日にやるかっていうと、それもやってない。
動くのと寝るの、どっちがいいかって勝負は、ずっと『寝る』が勝利している。連戦連勝、継続中。
「べつにお客さんを通す部屋じゃないんだから、多少散らかってても迷惑かからないでしょ。住んでるのはわたしだけなんだし」
「そういう問題ではない! 病は気からという言葉を知らぬのか!」
「気の持ちようって言葉もありますよ」
「ええい、ああ言えばこう言う」
くちうるさいなあ。
こういうのを俗に『おかん』って称するのかもしれないけど、あいにくとわたしは『おかあさん』を知らないから比較できない。
祖母は忙しく家を空けていることが多かったし、インドア派のわたしは自室にこもって本ばかり読んでいた。いい意味で距離を保った関係だったんじゃないかなって思うけど、やっぱり一般的な親子を知らないから、なんともいえない。
「掃除しろって言うけどさ。どのみち、この家は手放すことになってるし、壊すんなら綺麗にしても意味なくない?」
「だとしても、だ。立つ鳥跡を濁さず! そもそも取り壊すと決めつけるものでもないだろう。どうするのかは、買い手が決めることだぞ」
「まあ、そうだけど」
言って、わたしは天井を見上げる。
飴色といえば艶やかで素敵だけど、焦げ茶色といえば、ただ古ぼけただけの色合いだろう。
雨戸は木製だし、窓ガラスは昭和を色濃く残す模様つきのすりガラス。全体的に『古い』わけで、このまま住み続ける奇特なひと、居ないでしょ。
文句ばかり言っているけど、愛着がないわけではない。
就職して家を出ていたが、祖母が九十を超えたあたりで一旦戻ってきた。けど、このままずっと住むのかっていうと、そんなつもりはなかった。
だって、この家はひとりで住むには広すぎる。
祖父が死んで、祖母はひとりで暮らしていたけれど、あのひとはここで生まれたひとだから。
城崎美栄子として生まれ、九十三歳で死ぬまで、この家で暮らしていた。地域の生き字引みたいになってたひとなのだ。地元で名士とされる賀川さんでさえ、祖母に対しては一目も二目も置いていた気がする。
祖父の影が薄いように思えるかもしれないけど、あのひとも人格者として知られていたようだ。役所に勤めていて、いいポジションにまで上がっていたらしい。
孫のわたしにとっては、「はあ、すごいねえ」で済む話だけど、子どもの立場だとそうもいかなかったんだろう。親が偉大だと、同じように育つ子どもがいる一方、押し負けて悪い方向へ堕ちていく子もいる。わたしの母は後者だったんだろうね。
逃げることで安らぎを得られるのであれば、もうそれでいい。
だから、足取りを深く追うようなことはしなかった。残された子ども(わたしだ)を大事に育てようと思ったのだと、祖父母の想いを語って聞かせてくれるツクモさんは、現在わたしの前で神妙な顔つきで正座している。
ちなみにわたしも正座させられている。三十歳を超えて正座で説教されるとか、勘弁してほしい。
お風呂にはついてこなかったし、私室にも入ってはこなかった。
そのあたりの礼儀は弁えているらしく、わたしはようやく肩の荷をおろした気分になって就寝したのであった。
翌朝、まだ暗いうちから家を出る。
この家から会社まで、車で一時間ほどかかるので、冬場の出勤時間は日の出前。帰るころにも日は暮れている。
近年のわたしは、すっかり闇の民と化していた。
「朝子よ、朝餉はどうした」
「うわ、居た」
昨日のあれは、やはり夢じゃなかったらしい。
「当然であろう。して、朝餉は取らぬのか」
「時間ないし。出勤してからなにか摘まむよ」
会社の机は飲食禁止というわけではない。お腹が空いたとき用にちょっとしたお菓子を引き出しに置いておくのは、社会人の嗜みってやつだ。
「朝子よ――」
「ごめんツクモさん。話は帰ってからね」
朝の一分は命取り。それだけで、信号の引っかかり具合が変わり、到着が数分遅れるのだ。
エンジンをかけて出発。ルームミラーに映る玄関口に立っているツクモさんを見ながら、わたしは車を走らせた。
非日常な存在が現れても、会社での日常は変わらない。この年齢になると、とくに大きな変化もないものだ。月日はあっという間に過ぎていく。
今日も今日とて仕事を終えて帰宅。庭に車を停めて玄関前に立ったとき、手をかけるより前にガラリと開いた。
「遅いぞ朝子」
「まだ七時になったばっかりだよ。今日は早いほう」
「朝子よ」
「なに」
次はなんの文句があるのか。うんざりして問い返すと、ツクモさんは言った。
「おかえり」
「……ただいま」
その言葉は、随分とひさしぶりにくちにした気がして、どことなくこそばゆい気持ちになった。
◇◆◇
それから一か月ほど。ツクモさんとの生活は続いている。
本日は土曜日。朝から小言だ。
付喪神という名称から古めかしいひとを想像しがちだけど、服装だけ見ればその辺を歩いている兄ちゃんと大差ない。
つまり同世代の男性が同じ屋根の下にいるという状況なんだけど、あまり緊張感がないのが不思議である。
付喪神の存在を知ったとき、祖母に訊ねたことがあった。
どんな顔をしているのかという質問に対して祖母は「出会ったころの正之さんに似ているかしらねえ」と嬉しそうに笑っていた。ノロケか。ちなみに正之とは祖父の名である。
ツクモさんが祖父に似ているのかどうか、わたしにはわからない。古いアルバムでも見れば、若いころの写真が出てくるのかもしれないけど、わざわざ発掘する気力もないし。
顔は似ていると仮定しても、性格は似てないと思う。祖父はこんなに小言をいうひとではなかったし、辛辣でもなかった。
血の繋がらない子を引き取って、その子どもが素行不良の果てに身ごもり、あげくに置き去りにして音信不通。
こんな話を聞いたら、たいていのひとが眉をひそめると思うんだけど、祖父はわたしに対してすこしも嫌な顔をしなかった。少なくともわたしには見せなかった。
この環境下でわたしがそれなりに育ったのは、祖父母の人柄があってこそだろう。
保育園に通いはじめたころ、親世代は母のことを知っているから、ヒソヒソ噂をして。親の態度を見て、子どもたちもわたしを『普通ではない子』として扱うようになった。
わたしも子どもなりに、母親がおかしいことはわかっていたし、祖父母もそのことを変に隠すような真似はしなかった。
朝子ちゃん。まわりのひとが、キミに対していろいろなことを言うだろう。
やられたら、やりかえせ。とは僕は言わない。
なにが正しいのかはわからないから、僕たちと一緒に考えてみよう。
祖父がそう言ったことは憶えている。
当時から、我が家にはルールがあった。
それが「その日あった良いことと悪いことを、ひとつずつ話そう」というもの。
なんでもいい。たとえば、赤信号にひとつも引っかからなかったとか、学校からの帰り道、蹴っていた石が無事に家まで到着したとか。
悪いことは、ちょっとイヤだなって思ったこと。他人にされたことだけじゃなく、自省もあり。
ずっと続けてきた夫婦円満の秘訣なのよと、祖母はニッコリ笑っていたけど、それは的を射ている気もする。
長々と話す必要はないけれど、ちょっとしたひとことだけでも相手に伝える。
喧嘩中であっても適用されるルールのため、そんなときでも「良いこと」をくちにすることで、ポジティブな気持ちが生まれるだろう。
家に来たばかりの幼児にも発言のしやすい場所をつくろうとしてくれていたのだと、ある程度大きくなってから気づいた。
このルールのおかげなのか、わたしは結構いろんなことを憶えている。
母に捨てられたような状態だったわたしを笑いものにしていた園児たちを諫めたのは、先生ではなく、同じ組に属していた男の子だったことは、とくに強く記憶している。
それは朝子ちゃんのせいじゃないし、朝子ちゃんになにができることでもない。
問題をかいけつするのは、おとなのしごとだとおもう。
五歳児とは思えない冷静な発言をしたのは、賀川深雪くんという男の子。
地元では有名な賀川さん。付近ではちょっと目立つぐらいに大きなお屋敷を構えているので、子どもだって「あそこん家はちょっと違う」と本能的に悟るぐらい、すごい家の子だ。
その発言に妙な説得力があったことにも理由があった。
家に帰って「今日の良いこと」として報告したとき、祖父母が教えてくれた。
深雪くんもわたしと似たような境遇で、賀川家の長男夫婦の子どもではあるけれど、本当の母親は賀川家の三女。留学先であれこれあったらしく、父親の素性ははっきりしないのだという。
このあたりは、役所勤めの祖父の本領発揮というやつで、手続きや根回し等、随分と尽力したそうだ。
そんな事情があるので賀川さんは祖父母に大変な恩義を感じており、わたしの事情も慮ってくれたというのが経緯だろう。深雪くんは、似たような立場にあるわたしのことを、子どもなりに庇ってくれたというわけだ。
年齢のわりにおとなびた深雪くんは、子どもたちにとっても「なんかすごいやつ」って存在だったので、彼が言うのならそうなのだろうと単純に右へ倣えとなり、わたしはほどなく地域に溶けこんだ。
進学以降はここを離れていたので、同級生たちがいまどうしているのかは定かではない。
「知りたくば教えてやらんこともないぞ」
「なんでうちから出られないのに、そんなこと知ってるのツクモさん」
「美栄子を訪ねる者は多かったからな。耳に入るというものだ」
壁に耳あり、我が家にツクモさん、である。
「私はなんでも知っておるのだ。朝子がまともに食事を取っていないこともな」
「食べてないわけじゃないよ。たしかにうちでは、あんまり食べてないかもしれないけど」
「美栄子が旅立ってから、米を炊いたか? 湯を沸かす以外に火を使って調理をしたか?」
ツクモさんの弁はわたしの胸を刺した。
いつもの小言ではなく、ただ淡々と事実を明確にするような言葉に、反論ができなくなる。
五合焚きの炊飯器はコンセントには差し込んであるものの、最後に触ったのがいつだったかわからない。フライパンはガスコンロ台の下に収納したままだし、活躍しているのはヤカンぐらい。
食器棚に並んだ皿はほぼ使うこともなく、せいぜい買ってきた割引の総菜をレンジで温めるために小皿を使う程度の生活。
台所に設置している大きなテーブルは、祖父母と暮らしていたころは普通だったけれど、わたしひとりでは妙に広々として寒々しい。孤独を増長させられる。
「朝子よ」
知らず俯いていたわたしにツクモさんが言う。うつろなまま顔を上げると、正面にツクモさんが座っているのが目に映る。
自分以外の誰かがいる、という状況に対し、不意に胸が熱くなった。
「しばし待たれよ」
そう宣言したツクモさんは立ち上がると、コンロの前に立つ。
ヤカンに水を入れて火にかける。食器棚から汁椀を取り出し、ついでに中皿も出す。
冷蔵庫へ向かうと卵を取り出し、続いて冷凍庫に入れっぱなしになっていたカット野菜の袋を取り出した。小さめのフライパンに油を引くと、野菜を炒めはじめる。
ジュウと音を立て、匂いが漂ってきた。
卵を割る音と、菜箸で軽くかき混ぜる音。
熱をもったフライパンへ卵液を流しこむと、一際大きくじゅわりと音が響き、掻き混ぜる音が続く。
ヤカンの笛が鳴り、お湯が沸騰したことを告げる。
ツクモさんは棚に保管してあったインスタントみそ汁を取り出し、お椀に味噌と具を投入して湯を注ぐ。ふわりと、みそ汁の香りがわたしの鼻に届いた。
「私は多くのことはこなせない。この程度が関の山だ」
言いながら炊飯器を開ける。いつのまに仕込んであったのか、ご飯が炊けていた。
炊き立ての匂いなんて、いつ以来だろう。茶碗にこんもり盛られた白米とみそ汁、冷凍野菜のたまご炒め。
湯気を立てるそれらがわたしの前に並べられた。
およそ料理とも言えないようなものかもしれないけれど、その程度のことすら、祖母がいなくなって以降、わたしは成していなかった。
目前の光景に体が震える。目頭が熱くなってくる。
わたしがまともに食事を取れなくなった理由は、祖母が亡くなったあと、不意に気づいたからだ。
この家で、このテーブルで。
自分以外の『誰か』がご飯を作って並べてくれることは、この先、もう二度とないのだと気づいてしまって、ご飯が美味しくなくなった。なにかを食べたいという欲求がなくなったのだ。
出来たばかりのご飯の匂いを吸い込んで、わたしはひさしぶりに思った。
ああ、お腹空いたなあ。
「いただきます」
「ふむ」
手を合わせて箸を取る。ありふれたインスタントのみそ汁でさえ、こんなにも美味しい。
塩で味付けしただけのシンプルな野菜炒め。
ああ、おうちのご飯って、こんな味がしたんだった。
総菜に慣れた舌が懐かしさに喜ぶ。
炊きたて艶やかな粒の白米は、なにもつけなくても甘くて美味しい。
美味しい。
ああ、美味しいなあ。
鼻水をすすりながら食べ終えたあとは、食器を洗って乾燥機へ。
朝起きてからスイッチを入れてあった洗濯機はとっくに脱水を終えていたので、取り出して干すことにする。
南側にあるベランダへの戸を開けると、晴れ渡った青空が目に飛び込んできた。
いつも夜のうちに洗って干して、日が暮れて帰ってきてから取り込む生活を送っていたから忘れていた。
昼間の空はこんなにも青く、清々しい。
「朝子、掃除機ぐらいかけるがよい。今日は来客があるのだろう」
「あー、不動産屋さん」
この家の処遇については、不動産屋に任せてある。
生前、祖母は賀川さんに相談を持ち掛けていたらしく、わたしも全面的にお任せしていた。地元の名士は不動産業にも顔が効く。金持ちすごい。
来客用の和室に掃除機をかける。
窓を開けて換気すると、冬の冷たい空気にピリリと満たされるが、なんだかそれすら気持ちがいい。
目の前が晴れたような感覚。我ながら単純だ。
失われていた気力が復活してくる。
ご飯を食べないと駄目って、本当なのかもしれない。
さて、お客さんを迎える準備をしよう。
飲み物は珈琲? 緑茶?
それ以前に茶菓子すらない我が家に呆れつつ、かといって今から気軽に買いに行ける店もない。車がないと生活できない地域あるあるだ。
「ねえ、ツクモさん。賀川さんにお出しするなら、どっちかな」
「訊ねればよかろう。知らぬ仲でもあるまいに」
「たしかに顔見知りではあるけど、そんな気軽な仲じゃないよ」
相手は父親世代。日常的に顔を合わせているわけでもないひとに対してフレンドリーに話ができるほど、コミュニケーション能力は高くない。
「来たか」
「え?」
ツクモさんが呟く声に重なるように、玄関チャイムが鳴る。次いで「ごめんください」という若い男の声。
え、誰?
急いで玄関に向かい、扉を開けた先に居たのは、眼鏡をかけた若い男性だった。あきらかに賀川さんではない。わたしと同世代に見える。
「あの……」
「父が来る予定だったんだけど、おまえに任せるから行ってこいって言われちゃって。突然ごめん。えーっと、僕のこと、わかる……?」
「――みゆ、くん?」
「うわ、その呼び方すっごい久しぶりに聞いた。だいたい『ゆき』のほうで呼ばれるからさ、昔っから、朝ちゃんぐらいしか言わないんだよ、それ」
口元を緩ませて穏やかに笑む。
大きく感情を表に出さないその笑い方を最後に見たのは、いつだっただろう。
別の高校に進学して、すっかり顔を合わす機会が減ってしまった賀川深雪くんは、幼いころの雰囲気をどこかに残しつつ、しっかりとした社会人に成長していた。
家族だし、父親の代理でやってくるのは、そうおかしなことではない。彼は同級生だし、縁もゆかりもない他人というわけではないのだから。
わたしがひどく驚いたのは、彼の顔である。
だって彼は――成長したみゆくんは、ツクモさんと同じ顔をしていたのだ。
黒いフレームの眼鏡を外してしまえば、ツクモさんそのものかもしれないってぐらい。いったいどういうことなんだ、これ。
「えっと、とりあえず中にどうぞ」
「お邪魔します」
◇◆◇
きちんと顔を見るのは中学校の卒業以来。懐かしいけど、変な緊張感もなくスムーズに会話が進んだのは、きっとツクモさんとの生活のおかげだろう。
古いだけの我が家だけど、文化財としてそれなりに価値があるらしい。
市の意向としても、できれば壊さず残してほしいということで、賀川さんを筆頭にした地域の皆様の援助も受けつつ、わたしはこれまでどおり住むことになった。本当にわたしは祖父母に守られていると感じる。
景観を損ねず、けれど住んでいるひとが不自由を感じないデザインにするため、協力してくれたのはみゆくんだ。建築デザイナーをしていると聞いて驚く。
それからのち、賀川深雪くんが城崎深雪になって、しばらく経ったある日。
結婚して以来、姿を見せなくなっていたツクモさんの声に誘導されて、かつて祖母が使っていた奥の部屋にある、古びた鏡台の引き出しから手紙を発見する。
懐かしい祖母の字で書かれた紙面には、ツクモさんの正体が記されていた。
その昔、奥ゆかしく恥ずかしがり屋だった城崎のお嬢さまは、嫁入り道具となる鏡台に向かって話しかける。
ねえ鏡さん、わたしの旦那さまはどんな方なのかしら。きちんと顔を見てお話する自信がないわ。
やがて鏡はひとりの男を映し出し、顕現する。
お見合い写真で見た男性と同じ顔をした不思議な誰かのおかげで、お嬢さまは緊張を強いられることもなく結婚生活を送ることができたそうな。
以来、城崎の娘は、未来の伴侶の姿を模した付喪神を見るようになったという。
だからねえ、朝ちゃん。これを読んでいるあなたは、もう大丈夫よ。元気でおやりなさい。
女の子が産まれたら、ちゃんとお手紙を残さないとダメよ。ツクモさんは恥ずかしがり屋だから、自分のことは決して話さないもの。
「あれが恥ずかしがり屋? 皮肉屋の間違いじゃないの?」
祖母の手紙に反論しつつ、鏡の表面を指で弾く。
――大事に敬え!
鏡のなかにツクモさんの姿が映った気がして、まだ膨らみのないお腹をゆっくり撫でながら、わたしは笑った。
お読みいただき、ありがとうございました。
ブックマーク、いいね! ★★★★★等で応援していただけると嬉しいです。
2024.05.22
エブリスタの超妄想コンテスト第217回「おなかが空いた」で、佳作をいただきました。
※あちらでは字数制限があるので8000字に改稿してます。