2-3
「……私に触れないで」
レジーナは一方的にそう告げて、クロードから距離をとった。微動だにしないクロードの表情を確かめて――そもそも、伸びた前髪と髭のせいで顔もほとんど見えないけれど――、漸く、気持ちが落ち着いてきた。
落ち着いた頭で、レジーナはヴィジョンで目にした情報をさらう。結果、行きついた結論に、レジーナの声は知らず震えた。
「……ここは、カシビアのダンジョンなの?」
「そうだ……」
レジーナの問いにクロードは頷いて返したが、その声は酷くかすれている。どれだけの間、声を発していなかったのか。レジーナの追体験では、「ひどく長い間」としか認識できなかったその時間を考えてみる。
「カシビアダンジョンは何年も前に枯れてしまったはず……」
レジーナが学園に入る前の出来事、だから、少なくとも三年以上は前の話だ。三年以上、たった一人でダンジョンを支え続けるなど、常識ではあり得ない。魔力だけではない、クロードの強靭な胆力にレジーナは驚嘆した。
(ヴィジョンで見た限りでは、誰も、クロードがここまで持ちこたえるとは思っていなかったみたいだけど、そんなの当然よね……)
そもそもが死を望まれていたのだ。彼がまだこうして生きているなど、国の上層部も、騎士団でさえ把握していないのではないだろうか。逆に、クロードも、外の世界の三年間を全く知らない。この三年間で彼を取り巻く状況がどのように変わったのかも。
(ただ、それを本人に伝えるべきかどうか。……まずは、私の力を明かすべきなんでしょうね)
そう覚悟を決めたレジーナの胸にヒヤリと冷たいものがよぎる。そのことが、返ってレジーナを冷静にさせた。
「………助けてくれて、ありがとう」
未だ口にしていなかった感謝を伝えれば、クロードは僅かに頷いて返した。それに勇気を得て、謝罪の言葉を口にする。
「あなたが庇ってくれなければ、私、死んでいたわ。……失礼な態度をとってごめんなさい。本当に感謝してるの」
俯きがち、小さな声になってしまったレジーナの言葉に、クロードは「いや」と首を振って答える。
改めて、レジーナは目の前のクロードを見つめた。
「……ひどい格好」
人のことは言えないが、伸び晒しの髪や髭に加え、レジーナを庇ったせいで粉塵まみれになった男は、本当にひどい有様だった。以前の彼に、直接会ったことはなかったけれど、英雄譚なら嫌と言うほど知っている。街に出れば、店先に彼の絵姿が溢れかえり、吟遊詩人が彼の歌を歌う。そんな時代もあったのだ。それが今や――
「……あなた、『英雄クロード』なの?」
レジーナの確信に満ちた言葉に、クロードは僅かながらに反応を見せた。それまで僅かに伏せられていた瞳が、真っすぐにレジーナを見る。クロードが抱いたであろう疑問を彼が口にする前に、レジーナが答えを口にした。
「今まで、あなたと会ったことはないわ。これが初対面よ」
そう言って、レジーナは小さく嘆息する。
「仮に初対面じゃなかったとしても、今のあなたじゃ、誰も『英雄クロード』だとはわからないんじゃないかしら?」
けれど、レジーナには分かったのだ。何故わかったのか。レジーナは彼に伝えなければならない。
レジーナは、ずっと自らを戒めて来た禁を犯した。偶発的な事故、避けられなかったこととはいえ、罪は罪だ。レジーナなら許せない。だから、レジーナはクロードに許しを乞うつもりはなかった。
顔を上げたレジーナは胸を張る。初対面の相手への名乗りに、こんなにも震えそうになるのはいつ以来だろう。
「……初めまして、クロード。レジーナ・フォルストよ」
聞こえたはずの「フォルスト」の名に、クロードの反応はない。
「『剔抉のフォルスト』の一族、だと言えばわかってもらえるかしら?」
時に侮蔑を以ってそう呼ばれる一族の名を告げても、クロードの瞳は凪いだまま。彼がレジーナの正体に気が付いたかどうかはわからない。
――怖い
自分を救った男、自分を「守る」と誓った男に嫌悪されることが、レジーナは怖かった。彼の反応一つに怯えてしまう。だけど、ここまで来て怖じ気づく自分も嫌だった。
クロードにだけは告げると決めた。だって、レジーナは彼の人生、全てを視てしまったから。幸福も痛みも、決して人には晒したくなかったであろう彼の大切な部分を、レジーナは無遠慮にも侵してしまったのだ。
だから、クロードにはレジーナが最も知られたくない秘密、自身の弱みを晒す。家族にも、彼にだって明かしたことのなかった事実を、レジーナは初めて口にした。
「私、『読心』のスキルがあるの。……人の心が読めるわ」