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『少しだけ、一人になりたい』
心配するクロードに、「遠くまでは行かない」と約束して、レジーナは宿を出た。人気の無い廃れた街並みを歩き、街の中心部にある広場にたどり着く。水の止まった噴水の縁に腰かけて、思うのは、エリカのことだった。
もっと上手く、対処できたのではないだろうか――
シリルの思考が読めた時点で、レジーナは指輪を外すことを優先させてしまった。指輪の危険性を先に伝えていれば、エリカやリオネルはもっと適切な行動をとれたのではないか。
(……いえ、やっぱり、無理ね)
レジーナは自分の考えを否定する。シリルは指輪の着脱に彼自身を指定していた。あの時点で既に、エリカの指輪を外す手段はなかった。だから、もっと早く、シリルがアシッドドラゴンの指輪を作ることを止める、或いは、そもそもエリカがシリルの指輪を受け取るのを止められていれば――
(……他の誰にできなくても、私だけはそれができた)
ずっと、「災い」なのだと思っていた。
他者も、自分自身も不幸にする読心という呪われた力。レジーナはスキルに目覚めてしまった不幸を嘆くばかりで、それを使いこなそうと考えたことがなかった。
(私が、力の使い方を間違った……?)
力に怯えず、シリルの企みを全て暴いていれば――
俯き、地面を見つめながら、レジーナがいくつもの「もしも」に没頭していると、不意に、視界に人の足が映る。顔を上げると、疲れた様子、緊張気味のリオネルが立っていた。
「……レジーナ」
名を呼ばれ、レジーナはリオネルを見つめる。何か話があるのだろう。恐らく、エリカのことで責められるのだろうなと予想して、レジーナは彼の言葉を続きを待った。
「……少し、話をしてもいいだろうか?」
「ええ……」
居住まいを正したレジーナに、リオネルが頭を下げる。
「すまなかった、レジーナ」
「え?」
彼の思いがけない言葉と行動に、レジーナは虚を衝かれる。慌てて頭を上げるように言うと、リオネルは素直に顔を上げた。が、その顔は強張ったまま、沈痛な面持ちでレジーナを見下ろす。
「リオネル、いったいどうしたの?何を謝る必要があるの?」
レジーナの問いに、リオネルが言葉に詰まる。言いあぐね、視線を宙に彷徨わせてから、漸く口を開いた。
「……エリカが階段から落ちた件だ。シリルが、偽証だと認めていた」
「ああ……」
言われて初めて、レジーナは「そう言えば」と思い出す。リオネルの態度に合点がいったが、正直、今更という思いが強い。
「もう気にしていないわ。謝罪は不要よ」
「っ!待ってくれ、レジーナ。それだけではないんだ!これまでの、君に対する私の行いについても謝らせてほしい!償いをさせてほしいんだ……!」
切羽詰まったようにそう口にする彼に、レジーナの心は冷めていく。本当に、今更どうでもいい。今問題にすべきは、もっと別のことだろうと、彼に対する苛立ちが募る。
「……エリカはどうしているの?」
口にした言葉には棘があった。それに気付いたかは不明だが、リオネルはレジーナから視線を逸らす。地面を見つめながら呟いた。
「……今は寝ている」
「そう……」
レジーナは、先程のエリカの姿を思い出す。自身に起きた異常に半狂乱になった彼女は、誰の言葉にも耳をかさず、暴れるだけ暴れた後に泣き出してしまった。リオネルに宥められて部屋に引き上げるところまで見守って、レジーナは宿を出たから、その後のことは知らない。
「……少しは落ち着いたの?」
「どう、だろうな……」
リオネルが歯切れの悪い答えを返す。
「部屋に引き揚げて直ぐに寝てしまったから。……目が覚めた時にどうなるかは分からない」
「そう……」
レジーナはやるせない思いで頷く。エリカのことは嫌いだ。けれど、彼女の状況を思うと、今は同情が勝る。自分の身体の中にもう一人の誰かが存在するのだ。そんな異常事態、レジーナとて平静でいられる自信がない。
「王都に戻れば、シリルを元に戻す方法が見つかるかもしれないわ」
希望的観測からレジーナが口にした言葉に、リオネルは俯いたまま呟く。
「難しいかもしれないな……」
「魂を移した魔術が解明できれば、希望はあるでしょう?シリルの研究室を調べれば……」
レジーナの言葉に、リオネルが首を横に振る。
「シリルの身体が消えた……」
「えっ!?」
どういうことかと問おうとして、此処がダンジョンだということをレジーナは思い出す。一定時間を過ぎた「命無き魔力」は、ダンジョンに吸収されてしまうのだ。
「……仮に元に戻す方法が分かったとしても、戻す先、彼の身体が失われてしまっていては、魔術が発動するかどうか」
リオネルの呟きに、レジーナは愕然とする。
(もしかして、シリルはそこまで考えていたの……?)
シリルに触れた時、レジーナはそこまで読めなかった。彼から読めたのは、ただ純粋に、エリカと一つになれることに対する狂喜。魂の抜けた身体のことなんて、彼の思考の中にはなかった。
だが、身体が失われた以上、彼の魂をエリカから引き離せば、それは彼の死を意味することになる。改めて、シリルの異常性に寒気を覚えながら、レジーナは口を開いた。
「……王国魔導師に協力してもらえるのじゃないかしら?」
エリカは王太子殿下の命を救った貴重な治癒魔法の使い手。シリルの命が奪われることになろうと、きっと、国は彼女のために動くだろう。そう考えてのレジーナの言葉に、リオネルは力なく頷く。
「そう、だな……」
彼の反応の薄さから、彼がそこに希望を見出だしていないことを、レジーナは悟る。愛する人を守り切れなかったという後悔があるのだろう。意気消沈するリオネルに、レジーナは口を噤んだ。
代わりに、顔を上げたリオネルがレジーナを見つめる。
「レジーナ、君に頼みがある」
「頼み?」
彼の言葉に首を傾げたレジーナは違和感を覚える。彼の表情が、つい先程までと全く違う。レジーナを見るリオネルの瞳に力が宿っていた。
やがて、何かを決意したかのように、リオネルが徐に口を開く――
「私と、やり直してほしい」
「え…?」
「君との婚約破棄を、無かったことにしたいんだ」




