5-2
「エリカ、お願い!治癒を止めないで」
「レジーナ様。申し訳ありません、ですが……」
既に諦めてしまっているのか、動こうとしないエリカに焦れて、レジーナは彼女の手を掴んだ。一瞬、流れ込んだヴィジョンを無視して、その手をアロイスに触れさせる。
「お願い、あなたならできるわ。昨日までは散々、アロイスにも回復魔法をかけてきたでしょう?」
三年間の学生生活の間、エリカは問題なくアロイスを治療することが出来ていたのだ。「女性は治せない」というエリカの思い込み、縛りをなくせば、きっと出来る。
「エリカ、諦めないで。どうか、お願い!」
「……分かりました、もう一度やってみます」
そう言ってエリカが伸ばした手、アロイスに触れた箇所が淡い癒しの光を発する。が、それは一瞬のこと、直ぐに消失した光にエリカがため息をついた。
「やはり、無理です」
早々に諦めて手を離してしまったエリカに、レジーナはカッとした。アロイスを救える力を持っていながら、救おうとしない彼女の態度が歯痒い。彼女がもっとがむしゃらになってくれれば――
「止めないで!もっと真剣に!」
「何度やろうと、無理なものは無理なのです。私には……」
「っ!やりなさいよっ!」
レジーナは、再びエリカの手を掴んだ。無理矢理にアロイスへと引き戻せば、怒鳴るような反発の声が返ってきた。
――鬱陶しい女。
「っ!」
――無理だと言ってるじゃない、しつこいわね。
直接脳内に響くエリカの悪意の大きさに、レジーナは吐き気を覚えた。手を離したくなるのを必死に堪える。
――ハァ。でもまあ、もう一回くらいはやっておいた方がいいかしら?その方が、殿下の印象も良くなるだろうし。
印象のためだろうが何だろうが、それでアロイスが助かるならいい。エリカの手を逃がすまいとギュッと握ったレジーナに、また声が聞こえて来た。
――だけど、アロイスが女だなんて、完全に騙されたわ。馬鹿にしてるわよね?女相手じゃ、全然、やる気が出ない。触れるのさえ嫌。なんで私がことんなことを……
ぼやいてばかりで全く集中していない彼女の声に、レジーナの怒りが爆発した。
「真剣にやりなさいよっ!」
「キャァア!」
「レジーナ、止めろ!」
思わず叫んだレジーナに、それまで傍で見守るだけだったリオネルが近寄って来る。エリカの手を掴むレジーナの手を引きはがしたリオネルが、エリカをその背に庇った。
「……レジーナ、落ち着け。エリカに女性の治癒は無理だ。それは君も理解しているだろう?」
リオネルの言葉に、レジーナはイヤイヤと首を振る。そんなこと、認めたくなかった。このまま、アロイスの命を諦めてしまうなんて――
「昨日までは治せたでしょう!アロイスのことも、ちゃんと治せたのに!」
「それは……」
言いよどんだリオネルが、チラリと背後のエリカを振り返る。彼の視線に顔を伏せてしまったエリカの代わりに、リオネルが苦し気に言葉を口にした。
「魔法は繊細なものだ。心理面に大きく影響を受ける。アロイスが女性だとわかってエリカも動揺しているんだ。彼女に無理を強いるな……」
ならば、アロイスを見殺しにするというのか。女と分かった途端におざなりな治癒しかしなくなったエリカが、レジーナは信じられなかった。人の命が掛かっているというのに。
「そんな言い訳、許されないわ!」
そこまで言ってレジーナは気がついた。
ハッとして目の前のアロイスを見下ろす。呼吸の弱くなってきた彼女の姿に、レジーナはギュッと目を閉じた。
(言い訳、私だってしてるじゃない……!)
読心のスキルがあるから、ヴィジョンに動揺してしまうから、だから治癒に集中出来ない。治癒魔法は使えないと。そんなもの、苦しんでいるアロイスの前では、全部、ただの言い訳。レジーナにエリカを責める資格などなかった。
「どいて……っ!」
レジーナはエリカを押しのける。エリカがやれないと言うのなら、自分がやるしかない。
「レジーナ……?」
訝し気なリオネルの声に、レジーナは彼に鋭い視線を向ける。
「みんなどいて!アロイスから離れて!私の視界に入らないで!」
一方的に告げて、レジーナはアロイスの傷口を確かめた。血がまだ完全には止まっていない。血を止めること、そして、毒の治癒。レジーナの視界にフリッツが映った。未だアロイスの側を離れようとしない彼に、レジーナは短く言い捨てる。
「……殿下、離れていて下さい」
「だが……」
尚もアロイスにすがろうとするフリッツを、レジーナは首を振って追い払う。意識を逸らされたくない、誰も側にいて欲しくなかった。
ノロノロとアロイスから離れていくフリッツを視界の端で確かめて、レジーナはアロイスの身体に集中する。成すべきこと、それだけを意識して震える手をアロイスに伸ばした。毒の所在を見極めるため、レジーナはアロイスの体内に魔力を流す。途端、読心の制御が弛んだ。
「っ!」
流れ込んでくる情報の奔流。流されてしまいそうなそれに、レジーナは必死に抗う。
――アロイス、王都へは私が行くわ。
――姉さん?
レジーナの脳裏に、かつて見たことのあるヴィジョンが流れた。「アロイス」と呼ばれた少年が、寝台の中からこちらを見上げている。
――あなたの身体で王都は無理よ。幸い王都に私たちを知る人はいないし、私達はそっくりだから、入れ替わっても誰にも気づかれないはずよ?
――姉さん、ごめん……
泣きそうな顔の少年に大丈夫だと告げる人。私の知る「アロイス」は、弟に向ける笑みの下で誓いを立てていた。
――必ずこの秘密を守り抜き、家族を、故郷を守ってみせる。
(っ!ごめんなさい……!)
レジーナは動揺した。十六歳の少女の崇高なまでの誓い、彼女の一番大切な思いをまた覗いてしまった。その罪悪感に押しつぶされそうになる。見るまいとしても、治癒を発動しようとすると集中が途切れる。結果、治癒もなかなか発動しないまま、レジーナの中にはアロイスのヴィジョンが流れ続けていた。
――お前が、アロイス・クラッセンか?
――フリッツ殿下……
――剣が使えるらしいな。手合わせをしないか?
(駄目、見ては駄目……!)
――アロイス、お前、細いな。ちゃんと飯は食っているのか?
――筋肉がつきにくい体質なんだ……
止まらないヴィジョン。レジーナは、彼女の心に勝手に触れている自分の卑しさがたまらなく嫌だった。
――アロイス、お前、卒業したら故郷に帰るのか?
――そのつもりだ……
――残れよ。残って俺の下につけ。俺は、お前が居れば、大抵のことは出来そうな気がしている。
(ああ、嫌っ……!)
記憶だけでない、彼女の感情を読んでしまう。共鳴して、流されて、何より、罪悪感に心が軋み続けた。これ以上、触れてはいけない。だけど、アロイスの命を諦めることは出来ない。助けたい、絶対に助けたいのに――
(どうして!なんで、できないのっ!)
発動しない治癒魔法、レジーナは自分の無力が悔しかった。溢れ出す涙、それを拭うことも出来ずに、涙に滲む視界でアロイスの姿を見下ろす。
不意に、自身の手に重ねられる大きな手があった。
「クロード……?」
顔を上げれば、クロードの碧い瞳がレジーナに向かって頷いた。
――大丈夫だ。
重ねた手から、声が聞こえて来る。アロイスのヴィジョンをかき消すほどの大きな声。
――落ち着け、レジーナ。あなたなら出来る、大丈夫だ。
先程、レジーナがエリカに告げたのと同じような台詞。それを、心で伝えてくれるクロードに、レジーナの肩から力が抜けた。アロイスのヴィジョンが遠ざかっていく。
レジーナは、自身の手の内に魔力の温かさを感じた。
「っ!」
漸く発動した治癒魔法、アロイスの出血が徐々に止まり、傷口が塞がっていく。次いで、毒の影響で変色していた肌の色が、段々と元の色を取り戻し始めた。
レジーナは思わず顔を上げて、クロードを見つめる。
――ありがとう……!
音にしたら集中が途切れてしまいそうで。口の動きだけで伝えた感謝の気持ちは、ちゃんとクロードに伝わったらしい。クロードの口元が小さく、ゆっくりと弧を描いた。




