3-7
「あの!」
弾むような声、華奢な身体にさほど汚れてはいないドレス姿。下ろした黒髪をなびかせてこちらへと近づいて来たエリカが、組んだ両手で祈りを捧げるような仕草でクロードの前へと立った。
「私、エリカと言います!私、以前にクロード様に助けて頂いたことがあって……!」
「エリカッ!」
キラキラと瞳を輝かせながらクロードに話しかけるエリカを、リオネルが止めに入った。
「エリカ、その男は危険だ。……本物の英雄クロードであるかも定かではない」
言いながら、エリカの肩に手をかけて連れ戻そうとするリオネルに、エリカがフルフルと首を横に振って答えた。
「まぁ、心配しないで、リオネル。大丈夫よ、彼は本物。本物の英雄クロードだわ。私、彼に助けてもらった日からずっと彼に憧れていたんだもの」
だから見間違えるはずがないというエリカの言葉に、リオネルは渋い表情を浮かべる。それに、エリカがクスリと笑って答えた。
「リオネルったら、ひょっとしてヤキモチを焼いているの?」
「なっ!?違う、私はただ……!」
「不安にさせたならごめんなさい。だけど、クロード様への思いはただの憧れだから、リオネルが気にすることないわ。……ただ、私、クロード様がお怪我をされていないかと心配だったものだから」
「怪我?」
エリカの言葉に対して訝し気にクロードを眺めたリオネルに、エリカが「ええ」と頷いて返す。
「さっきは気が動転していたから気が付かなかったけれど、クロード様は先程ドラゴンを倒してくださったでしょう?」
そう言ってクロードを見つめるエリカの眉尻が下がった。
「……私、みんなに助けてもらってばかり、足を引っ張ってばかりで、戦闘の役には立てないから」
エリカの言葉に、リオネルが「そんなことはない」と否定したが、エリカはそれに首を横に振った。
「いいえ、私が足手まといなのは事実よ。だから、せめて、私は私が出来ることをしたい。みんなの怪我は私が治したいって思っているの」
そう言って、エリカは両の手をクロードへと差し伸べた。
「ですから、どうか、クロード様のお怪我も私に治癒させてください。私たちを守って傷つかれたのですから……」
すがるような眼差し、伸ばされた手。エリカの姿に、レジーナは目を逸らしたくなった。例え治療目的であろうと、エリカにだけは、クロードに触れて欲しくない。
ドロドロとした感情を抱えたレジーナが見守る中で、クロードはエリカに向かって、静かに首を横に振った。
「……いや、必要ない」
「え……?」
クロードの反応に、エリカが困ったような笑みを浮かべる。宙に浮いた手をどうしていいのか分からぬまま固まっているのを、レジーナは黙って見つめていた。
「あの、でも、怪我をしていても、自分では気づかないこともあります。一度、見せて頂ければ……」
「必要ない」
「ですが……」
尚も食い下がろうとするエリカに、レジーナは横から口を挟んだ。
「本人が必要ないと言っているのだから、彼のことは放っておけばいいでしょう?」
実際、先程の戦闘のどこにもクロードが怪我をする要素はなかった。遠目にしていたレジーナにでさえそれが分かるのだから、クロードの戦いを目の当たりにした彼女達に分からないはずがない。
そう思ってのレジーナの発言に、けれど、なぜかエリカはますます困ったような顔をする。
「ですが、万が一ということがあります。それで、もし、クロード様の怪我が悪化するようなことばあれば……」
「しつこいわ」
そう切り捨てたレジーナの発言に、エリカが泣き出しそうになる。それを見たリオネルが「レジーナ」と鋭い声を発した。敵意に満ちた視線に、レジーナは過去を思い出す。
――レジーナ、もう少し言い方というものがあるだろう?
過去何度も、リオネルはそうやってレジーナを窘めたが、レジーナは最後まで、彼の言葉に素直に頷くことが出来なかった。穏やかに婚約者を窘めるリオネルは、その心の内でレジーナへの憎しみを滾らせていたから。
――最悪だ!エリカを泣かせるような女が、なぜ私の婚約者なのだ!?
レジーナにだけ聞こえる声。今のようにエリカが泣き出し、止めに入ったリオネルがレジーナを引き離す。掴まれた腕、窘める声に重なって聞こえたリオネルの怒りの声は、何度もレジーナを傷つけた。
「……好きにするといいわ。出発の準備が整ったら呼んで」
思い出した胸の痛みに、レジーナはエリカ達に背を向けた。今更リオネルに憎まれようとどうということはない。けれど、エリカの涙に、クロードがレジーナを責めるようなことがあれば耐えられそうになかった。
一人、その場を離れ、個室の一つに逃げ込んだところで、閉めようとした扉が閉まらない。クロードだった。
「……怪我、診てもらわなくて良かったの?」
レジーナの後に続いて部屋へ入ってきたクロードにそう尋ねれば、彼は黙って首を横に振る。代わりのように、両の手が伸ばされ、レジーナの右手を包み込んだ。
――必要ない。治癒はあなたに掛けてもらった
「……そうだけど。言ったでしょう?エリカの治癒の力は本物よ。私では見つけられない怪我だって治すことができるわ」
「だとしても……」
――必要ない
なぜ、彼がそこまで頑なにエリカを拒むのか。不思議に思ってクロードを見上げれば、見えやすくなった青空のような瞳がレジーナを真っすぐに見下ろしていた。
――泣かないで……
「な、泣いてないわ!」
――傷つかないで欲しい。守るから……
「クロード、あなた……」
――あなたを傷つけるもの、全てから守る。だから……
「泣かないで……」
――泣かないで
二重に聞こえるクロードの声。彼の言葉と心が重なる。
(……どうして、そんなことを言うのよ)
レジーナは別に泣いてなどいない。だけど、ずっと、リオネルの本心に傷つけられてきた。勝手に読んだ方が悪い、盗み見た自分が悪いのだと分かっていたが、それでも、苦しくて悲しかった。それこそ、いつだって泣き出したいくらいに――
レジーナは笑おうとして、失敗した顔でクロードを見上げる。
彼はレジーナとリオネル達の関係など、何も理解していない。レジーナが何に傷ついたのかも分かっていない。なのに、一方的にレジーナの味方であろうとしてくれる。心の中、「大丈夫だ」と繰り返し続ける彼の声に、レジーナは本当に泣きそうになった。