2-6
(静か過ぎる……)
目の前の腕に治癒魔法をかけながら、何も聞こえて来ない異常さに、レジーナはずっと落ち着かない気分だった。
治癒魔法は「手当て」が基本。相手に触れて、怪我や病の異常を見つけて魔力を注ぎ込む。その「異常」を感知するためにかなりの集中力が求められる治癒魔法が、レジーナは苦手だった。
レジーナの場合、目の前の怪我に集中してしまうと、『読心』のスキル制御に隙が出来る。そこから流れ込んでくるビジョンに集中を乱されるから、結果として治癒魔法も上手くいかない。だから、自分以外の人間を治癒させるのは、本当に苦手なのだけれど――
(……怖いくらい、上手くいっているわ)
クロードの治癒は順調に進んでいる。その分、読心のスキル制御は、レジーナが自覚出来るくらいに弛んでいるのだが、本当に、クロードからは何も聞こえて来ないのだ。
(確かに『何も考えるな』とは言ったけれど……)
まさか、そんなことがが出来るだなんて、しかもこんなに長時間続くだなんて、レジーナは思いもしなかった。自分で命じておきながら、レジーナは彼の中に感じる「虚無」が怖かった。先程見たばかり、コアに繋がれた彼の内側がまさにこんな感じだったと気づいたレジーナは、自分自身に腹が立った。彼なら、虚無に身を投じることも容易だと気づかなかった自分に。
「……背中、見せて」
腹が立っていたから、八つ当たり気味に、返事も待たずに彼の服をまくり上げた。思った以上に広い背中には、たくさんの小さな傷がある。無数の、血の流れた痕。
(……気づかなかった)
ビジョンに圧され混乱していたせいで。
庇ってもらっておいて冷静な判断が出来なかった自分の愚かさに、レジーナは怒りを通り越して情けなくなって来た。ただ、それを表に出すことはせず、淡々と背中の傷口を塞いでいく。全ての傷口を塞いだところで、命に関わりそうな傷が無かったことにホッとした。
(本当に、一応は『問題なかった』ということでいいのかしら……?)
あれだけの衝撃を生身で受けて、この程度の怪我で済んだのは、彼が持ついくつものスキルのどれかが働いたからだろう。そのことに内心、感謝して、レジーナは口を開く。
「……ごめんなさい、言いすぎたわ」
レジーナの呟くような声に、クロードの意識が浮上してくる。それを意識し過ぎないようにしながら、レジーナは彼の腕に残る小さな傷を塞いでいった。
「クロード、あなたが感知した『ヒトの反応』だけれど……」
レジーナは、視てしまったビジョンの中で気になったことを口にする。
「私の他にも反応があったのよね?」
「五人……」
クロードが端的に答えたのは、彼が知覚したレジーナ以外の人間の数。その一言を答える一瞬の内に、クロードの胸の内には様々な思いが去来していた。ダンジョンを支え切れなかったことに対する自責の念、彼らの無事を案じ、今すぐにでも彼らの救助に向かいたいという思い。何の疑問もなく、それを自身の役目だと認識しているクロードに、レジーナの心はまたささくれ立つ。
「その五人には心当たりがあるの。あなたが責任を感じる必要は無いわ」
「いや……」
――ダンジョンの崩落に巻き込んだ。俺の力が及ばなかったせいで。
「あなたが巻き込んだわけじゃないでしょう?元々、いつ崩落してもおかしくない場所に、私たちが勝手に突っ込んで来ただけよ」
――だが……
どうあろうと自責をやめないクロードに、レジーナはため息をつく。
「私たち、王都の魔法学園の敷地内に居たの。転移しようとしていて、それで、まぁ、何だか分からない内にここに跳ばされたのだけれど、それって、普通はあり得ないことでしょう?」
通常、固有の魔法結界が張られたダンジョンに転移で出入りすることはできない。それが例え枯れかけのダンジョンであろうと、ダンジョンが「生きている」限りは、外からの干渉は無効。そんな場所、しかも、最下層までレジーナが跳んで来たことが異常だということは、クロードも認めているようだった。
その異常の原因について思考するクロードに、レジーナは「もしかして」と告げる。
「転移陣が暴走したのかも。起動したのが王国魔導師だったから、魔法結界まで越えてしまったのかもしれないわ」
言いながらも、レジーナはその可能性は薄いだろうと思っていた。正直、転移魔法が失敗や不発に終わるのではなく、暴走するなどという話は聞いたことが無い。或いは、暴走に至る原因があったのだとしたら――
「……私が抵抗したせいかしら」
レジーナのつぶやきに、クロードの「どういうことか?」という疑問を感じて、レジーナはフイと視線を逸らした。
「……だって、仕方ないじゃない。嫌な感じがしたんだもの。転移しようとしていた魔導師が、何て言うか……、とにかく、嫌だったのよ!」
覗いてしまったシリルの心が怖くて暴れたとは言えなかったレジーナに、クロードは何となく察してしまったらしい。見透かされた居たたまれなさにレジーナは「とにかく!」と語気を強める。
「今回のこれは事故!この場所に跳ばされたのは本当に偶然で、少なくとも、あなたが防げるものではなかったわ。だから、気にするのはもうやめて」
レジーナの言葉に、クロードは素直に首肯して返した。けれど、その心の内ではまだ何か抵抗を続けている彼に、レジーナは若干の呆れを覚えて首を振る。
「あのね、クロード。もし、あなたが今日この日までこの場所に踏み留まってくれていなければ、私たちは崩落したダンジョンの下に埋まっていたはずよ?」
そうなっていれば、良くて即死、最悪は生き埋めになっていたと告げるレジーナを、クロードはじっと見つめる。言葉を返さぬ彼に、レジーナはクロードの手を取り、その意識に集中した。この言葉の少ない男相手では、こうでもしなければ、本当に何を考えているのか分からない。
「ありがとう、クロード。今日まで、この地を守ってくれて……」
そう告げたレジーナの言葉に、クロードの感情が揺れた。それが誇らしさなのか安堵なのか、僅かな揺らぎの正体はレジーナには分からなかった。けれど、彼の胸の内に灯った明かり、温かさのようなものを感じて、それが自分の引き起こしたものだと思うと、レジーナは無性に気恥ずかしくなり、慌てて、彼の手を離す。
「その、他の五人がどこに居るかはわかるんでしょう?」
焦って逸らした話題に、クロードはゆっくりと一つ頷いた。
「助けに行く、のよね……?」
レジーナの問いに、クロードはもう一度頷く。既に分かっていた答えとはいえ、それがおもしろくないレジーナは、形ばかりの反対を口にした。
「放っておいてもいいんじゃないかしら。王国魔導師にプライセルの跡取りがいるんですもの」
建国以来、騎士団の長を数多く輩出しているプライセル家。その跡取りであるリオネルは、剣の成績だけで言えば、学園において常に首位だった。三年間その座を誰にも譲ることのなかった彼の努力をレジーナは知っている。誰よりも側で、リオネルのことを見てきたのだから。ずっと、彼がその名に恥じぬようにと、自身の剣技を磨き続けてきた姿を。
(もう、その隣に私が立つことはないけれど……)
物思いに沈みそうになったレジーナの耳に、クロードの声が聞こえた。
「……竜種が出る」
告げられた言葉に、レジーナは目を見開く。最強種とも言われる超大型の魔物。学園で教わることはあれど、実際、目にしたことのない伝説級の魔物が存在すると聞かされ、それでは流石に彼らも自力での脱出は不可能かと考えたところで、ハッとする。
「待って!それならクロード、あなただって魔法が使えないじゃない!それでどうやって竜種なんて……」
言いかけて、思い出したのは彼のヴィジョン。確か、その中で――
「問題無い……」
静かに断言するクロードの過去。壮絶な竜種討伐場面で、彼は大剣一本で、竜を屠っていた。今は丸腰に見える彼の剣が聖剣の一種で、彼が呼べば直ぐに顕現することも知ってしまった。
(本来なら、止めるべきなんでしょうけど……)
クロードなら本当に問題無さそうだと思ったレジーナは、それ以上の言葉を飲み込む。代わりに、クロードが口を開いた。
「出来るだけ、早く……」
「……あの人たちが移動する前に見つけたいってことね?」
クロードの言葉を引き継いでそう口にしたレジーナに、クロードが頷いて返す。
コアに繋がっていない今、クロードがダンジョン内の彼らを感知することは出来ない。出現した場所からリオネル達が離れてしまえば、それだけ発見が難しくなるということなのだろう。
「……」
「……レジーナ?」
レジーナは、黙ってクロードを見つめる。これだけ傷だらけになりながら、それでも他者のために動こうとする。それを当然とする彼の精神は一体どこから来るのか。クロード自身、分かっていなさそうなその思いの根源を、レジーナは彼の過去に見た気がした。
(彼が、強いから……)
他を圧倒する力があるクロードを、皆が頼ろうとする。クロードも、自身の力を自覚しているから、だから、それだけの理由で救おうとする。自分にはそのための力があるからと――
そこまで考えたレジーナは、首を振ってその先を考えるのを止める。それ以上を考えると、またクロードに理不尽な怒りをぶつけてしまいそうだった。
「……さっき言ったように、五人のうち一人は王国魔導師で、リオネル、……次代のプライセルは剣に秀でているわ」
それから、とレジーナは言葉を区切る。
「……多分、王族が一人。第二王子のフリッツ殿下がいるはずよ。彼とクラッセン辺境伯子息のアロイスも、それなりに剣は使えるわ。……そうね、彼らだけなら、竜種が出ても何とかなるかもしれない」
実際、学園で何度か行われたパーティを組んでのオリエンテーリングで、彼らは他の生徒とは隔絶した実力を見せつけていた。竜種討伐は無理だが、戦闘を避けて逃げ切るだけならば出来るはず。
「ただ……」
レジーナは、クロードから僅かに視線を外す。そこから先を口にするのが、なぜだかとても嫌だった。彼女の存在を彼に明かすのが。
「……残り一の人、女生徒がいるの。聖女の再来と言われるほど治癒魔法に長けている子だけれど、戦闘には向いていないわ」
だから、少なくとも、クロードは彼女を守らねばならない。そういう思いで告げた言葉に、クロードからは「分かった」と静かな声が返ってきた。
「行こう、レジーナ……」
そう言って伸ばされたクロードの手を、レジーナは取れなかった。
(だって、聞きたくない……)
いま彼の手を取れば、きっと聞こえてしまう。エリカを守ろうと誓う、クロードの声が。
クロードと距離をとったまま、レジーナは歩き出した。