女王陛下の公認ですので
それは春の足音と共にやって来た麗らかな日の昼休みのことだった。
マキーヴニー魔法王国の貴族子息、令嬢たちが通う王立学園の食堂は、ほとんどの席が埋まるほどの生徒がいるというのに、しんと静まりかえっている。
「……シンシア? 今、何と言った?」
王立学園3年のバーナードは口元を引きつらせながら、そう尋ねた。バーナードは公爵家嫡男であり、金髪碧眼の美男子だ。いつどんな時だって優美な微笑みをくずすことのなかった彼が、めずらしく困惑した表情を浮かべている。
「ええ、ですから、女王陛下から新しい婚約者を積極的に探してよい、とお許しをいただきました。と申し上げたのです」
侯爵令嬢シンシアはそうこたえると、はしばみ色の瞳を細めてにっこりとほほ笑んだ。キャラメル色の髪は上品にゆるく巻かれ、ほっそりとした背中を豊かに覆っている。透き通るような白い肌に長いまつ毛。彼女は、学園で一二を争う美貌のバーナードにふさわしい美しい婚約者であった。
「新しい婚約者とは、どういうことだ。俺との婚約を破棄するつもりか」
「まあ、だってそのおつもりなのでしょう?」
シンシアはぱちりと瞬くと、バーナードの隣に座る可憐な少女をちらりと見た。鮮やかなオレンジ色の髪をした彼女は、男爵令嬢テリーサだ。ここ数ヶ月、バーナードは学園でのほとんどの時間をテリーサと共に過ごしている。始めは隠れるようにして会っていたものの、ここひと月ほどはこうして大っぴらに人前でいちゃついているのだ。今だって、バーナードの腕にしがみついて涙目で震えている。
「シンシア様、こわい……怒ってらっしゃるわ」
「テリーサ、大丈夫だ。すぐに終わらせる」
テリーサはバーナードの背に隠れ、肩越しにシンシアの顔色を窺っている。
食堂に居合わせてしまった生徒たちは、興味津々でこの会話の行方に耳を澄ませていた。誰かの手から落ちたスプーンがカチャリと音を立てる。それをきっかけに、シンシアが静かに口を開いた。
「女王陛下にわたくしとバーナード様の現在の状況を相談いたしましたの」
「へ、陛下にだって!?」
「ええ。でも、さすがは陛下ですわ。すでにご存知でした」
「なっ、……そんなこと……」
「ですので、わたくしたちの婚約解消は陛下がお認めになりましたわ」
後ろめたいことがあるのだろう、顔色を失くしたバーナードはぐっと口を引き結んだ。
このマキーヴニー魔法王国は、代々女性が治める女王国だ。その国名の通り、女王は魔法を使うことのできる魔女である。女王は国全体を結界で覆うことのできるほどの圧倒的な魔力を誇り、この国で彼女に逆らえるものは誰一人とていない。
人前で堂々と寄り添うバーナードとテリーサの噂は当然広まっていた。そして、ありもしない罪をなすりつけてシンシアを断罪し婚約破棄しようとしていることまで、千里眼の女王には全てお見通しだった。
第三王子と幼馴染であるシンシアは女王にも可愛がられており、今回もちょっと一緒にお茶するついでにお願いしてみたら、あっさり許可されたのだ。
「半年後の学園卒業と同時にわたくしたちの婚約は解消される予定です。しかし、わたくしも侯爵家の娘です。早急に婚約者を探さねばならなくなりました。期間はたった半年しかありません。ですので」
「で、ですので?」
話がつかめないままのバーナードがごくりと喉を鳴らす。
「本日より積極的にお見合いを開始することとなりました」
「は?」
くるりと振り返りバーナードに背を向けたシンシアは、周りで固唾を呑んで盗み聞きしている生徒たちに美しい礼をした。
「わたくしは婚約者のある身でございましたから、今まで男子生徒の皆様とはほとんど会話をしてまいりませんでした。しかし、皆様お聞きになりましたように、こういった状況となりましたので、まだご婚約者のいらっしゃらない方と積極的に交友を深めていきたいと思っております。もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、どうぞよろしくお願いいたします」
シンシアはスラスラとそう述べると、もう一度深く礼をした。チャンスがめぐってきた、と目を輝かせる男子生徒たちと、強力なライバルが増えたと顔をしかめる女子生徒たち。ひっそりとしていた食堂に、ざわめきが広がった。
「おっ、お前、まだ俺と婚約中の身でありながら、浮気をするつもりか!」
バーナードがそう叫び、バンと机を叩いた。その声に一瞬ざわめきが途絶えたものの、すぐにいっそう騒がしくなった。お前が言うな、という揶揄が聞こえ、バーナードは悔しそうに口を歪めた。
「それについても大丈夫です。婚約者候補としてならバーナード様以外の男性との交友はマナー違反とはしない、と女王陛下から特別にお許しをいただきました」
「お前が堂々と男漁りをするような、はしたない奴だったとはな」
「ご安心ください、バーナード様。これではわたくしばかりが特別扱いで不公平でございますわね。だから、バーナード様も同じくマナーに問われないことになりました」
「は? 何を言って」
バーナードに半分だけ体を向けていたシンシアは、再びくるりと生徒たちの方に振り返った。
「今までわたくしがいたせいで、バーナード様にお声がけできなかった方もたくさんおられますよね。どうぞ、わたくしのことも身分も何にもお気になさらずに、どんどんバーナード様に話しかけていただいてかまいません。女王陛下からお許しが出ております」
「は? え? お、俺も、だと?」
ざわめきはさらに広がり、ついに歓声になった。美貌の公爵令息に身分関係なく女王公認で近付くことができるのだ。さっきまでシンシアを睨んでいた女子生徒たちも、よくやった、と目を輝かせている。
「ちょ、ちょっとどういうことよっ」
さっきまでバーナードの影でほくそ笑んでいたテリーサが、あわてて飛びだしてきた。
「テリーサ様ももう何も気にせずバーナード様と一緒にお過ごしください。あっ、もともと何も気にされてませんでしたね。失礼いたしました」
「何よ、余計なことしないでよ!」
シンシアに掴みかかろうと伸ばしたテリーサの手を、がっしりと大きな手が受け止めた。
「そういうことならば、一番に俺が申し込もう!」
掴んでいたテリーサの手を傍らにポイと投げやり、チョコブラウンの髪をなびかせてロブが声を上げた。彼は伯爵家の長男で、父親は騎士団長だ。卒業後は騎士団に入団が決まっていて、次期騎士団長と将来を期待されている。背が高く、騎士らしく胸板の厚いがっしりとした体つきは見事なものだった。
シンシアはぱあっと明るい笑顔を浮かべた。
「まあ。ロブ卿。嬉しいですわ。誰にも声をかけていただけなかったらどうしようかと思っていましたの」
「あなたに限ってそんなわけがあるはずがない。さっそくですが、一緒にランチはいかがですか。中庭のガゼボに行きましょう」
「ええ。喜んで」
シンシアは輝くような笑顔を見せると、ロブにエスコートされて食堂を後にした。
「晴れて自由の身となったシンシア嬢を誰よりも早くつなぎとめておかねばと、気を急いてしまいました。ご無礼をお許しください」
ガゼボに着くなり、ロブがシンシアに深く頭を下げた。大きな体をきゅうくつそうに曲げて、真摯に許しを請うその姿にシンシアは胸を打たれた。シンシアの許しを得てそろそろと頭を上げたロブは、照れくさそうに頬を掻いて笑った。雄々しい筋肉に目が行きがちであるがこうして近くで見てみれば、長い前髪からは濃い緑色の瞳が覗いていて、ロブは整った顔をしている。
シンシアにじっと見つめられ、ロブは居心地悪そうにしている。
「あっ、不躾にじろじろ見てしまってごめんなさい。ロブ卿を見ていたら、つい先日女王陛下と一緒に食べたチョコレートケーキを思い出してしまいました。ちょうど濃い緑色をしたミントの葉が添えてあって……」
「チョコレートケーキ!? そんなことを言われたのは初めてです」
ロブは顔を真っ赤にして大きな身を縮めている。先ほどの食堂での堂々とした姿とは大違いだ。その可愛らしい姿に、シンシアは自然と笑みがこぼれた。いつもは凛とした侯爵令嬢の初々しい笑顔に、ロブもついつられてしまう。
「我が家は格下の伯爵家ですので、どうぞロブとお呼びください」
「いえ、次期騎士団長と名高い方をそんなわけには。では、ロブ様。同級生ですもの、わたくしのこともどうぞシンシアと」
「そうですね、同級生ですしね」
彩とりどりの豪奢なガゼボから、ロブの快活な笑い声が響き渡った。婚約者探しの第一歩は好調な滑り出しだ。
あの日以来、シンシアの元には次々と男子生徒が訪れた。皆、礼節を守って接してくれる紳士ばかりだ。今までは同格の家柄の令嬢としか話したことはなかったが、こうしていろいろな人と会話をしてみると新たな見識が広がるばかりだ。婚約者云々は置いておいて、他人の考えや想いを知ることはこんなにも胸がわくわくするものなのか、とシンシアは心からこの状況を楽しんでいた。
「危なっかしいな。どれ、一つこちらへ寄こせ。手伝ってやろう」
居丈高にそう宣ったのは、宰相の息子レックスだった。一つ、と言いながらも、彼はシンシアが両手に抱えていた数冊の本を全て奪い取ってしまった。廊下の大きな窓から射す陽に、銀髪のサラサラの髪が輝いている。黒縁の眼鏡の奥から冷たげなレモンイエローの瞳がじろりとこちらを睥睨していた。
「ありがとうございます、レックス様」
「はっ、学園の大切な備品を壊されてはたまらないからな」
彼も侯爵家の子息で、第三王子の幼馴染だ。王城での小さなお茶会で何度か一緒になったことがある。口ではこうして高位貴族らしい尊大な言葉を吐くものの、いつもシンシアのことをか弱い令嬢として丁重に扱ってくれるのだ。
「腕力のない非力なシンシアにこんな仕事を頼むとは、あの教師には一度正式に抗議せねばなるまい……」
そうつぶやくレックスの腕を、シンシアは思わずがしっと掴んだ。レックスがびくりと肩を震わせたので、重なった一番上の本がずれた。上手にそれをキャッチしたシンシアが、きりりとレックスを睨む。
「本日わたくしは日直だったのです。授業で使った資料を片付けるのは日直の仕事ですわ」
まっすぐに見つめられたレックスが、ぷいと顔をそむけた。
「ふん、だからと言って、できもしないことをさせるのはただの自己満足にすぎない。先のことを見据え、事前に事故を防ぐべきだ。……君の腕が折れてしまったら、どうするんだ……」
叱られて身をすくめたシンシアだったが、つれない態度の割には真っ赤になっているレックスの耳を見て、肩の力が一気に抜けた。
「ありがとうございます、レックス様……」
シンシアの口からは自ずと感謝の言葉がこぼれ出た。
「くそっ、出遅れてしまったぞ!」
シンシアの目の前には、ぼりぼりと頭を掻きむしる第三王子メイナードの姿があった。
10歳の時に彼と同じ年頃の貴族子息子女が集められたお茶会があった。その時に気の合った者だけだが彼の親しい友人として認められ、度々王城へ招かれることとなった。黒髪に晴天の海原のような青い瞳の彼は、明るい性格でどんな人にも公平でとても人気のある王子だった。女王の厳しい監視のもと、どんどんと友人たちが次々と脱落していくなか、シンシアはなぜか今も幼馴染の関係を築き続けている。
「まあ、どうしましたの? 殿下」
「どうもこうもない。僕は誰よりも先に、君の婚約者候補としての名乗りを上げなければならなかったのに! 数歩の出遅れどころではない、今や最後方と言っても過言ではない状況ではないか。それもこれも、母上の説教が長すぎるせいで……」
メイナードがぶんぶんと頭を振ってしゃべるせいで、女王がどうのこうの言っていた最後の部分はよく聞こえなかった。シンシアのあの婚約者選び宣言の日の前日から、メイナードは公務があるとかで学園を休んでいた。やっと登校したと思ったら、シンシアを見つけるなり高位貴族専用のサロンへ引っ張りこんでこの有様である。
「シンシア、率直に言う。僕と結婚してほしい」
「で、殿下……」
メイナードの正直なプロポーズに、シンシアは目を丸くした。
だって、シンシアには五年前からバーナードという婚約者がいた。だから、彼には婚約者候補と言われる数人の令嬢の名前が上がっていたはずだ。彼女たちとはどうなったのだろう。
「もしかして、もう決めてしまった……?」
不安そうに瞳を揺らすメイナードは、幼い頃とまったく変わらない表情を見せた。最近はすっかりと大人っぽくなってしまった彼の懐かしい姿に、シンシアは目を細めた。
「いえ、まだですけど……。殿下の婚約者候補のご令嬢たちは、その……いいのですか?」
おそるおそるシンシアがそう尋ねると、メイナードはパッと太陽のような眩しい笑顔を見せた。
「ああ、彼女たちとは何度かお茶会を設けて会話をしたが、お互い楽しい友人止まりだ。今では彼女たちの恋愛相談に乗っているくらいだよ」
「まあ、相談に乗れるほど恋愛経験豊富なのですね」
シンシアが驚いて目を見開くと、メイナードはがっくりと肩を落とした。
「それが、この有様だよ。どうだろう、僕は今から君の婚約者候補として名乗りを上げてもまだ間に合うだろうか」
「そんな……わたくしにはもったいないお言葉でございます……」
「……そんな他人行儀な態度取らないでよ。君はもう女王公認の自由な身だろ」
メイナードは自然な流れでシンシアの右手を取った。両手で包むように、優しくそっと。その心地よいぬくもりに、シンシアの心はゆるゆると融けた。
メイナードはもちろん、女王の3番目の息子である。一番上には次期女王である長女のアグネスがいるので、4番目の子供だ。魔女の魔力は娘にしか受け継がれることは無い。だから、メイナードには魔力はない。
末っ子のメイナードは比較的自由に育てられていた。それゆえ、子供の頃はどの王子よりもやんちゃで、勉強よりも外を走り回ってばかりいた。学園に入学してみると、成績は最下位すれすれ。いつもシンシアのまとめノートのお世話になっていたくらいだ。
彼は将来、曾祖父の持っていた公爵位を叙爵することになっている。そうと決まってからは、真剣に勉強を始めた。それは、公爵領を栄えさせるため、ひいてはその領民のため、その一心であったことをシンシアは知っている。努力の甲斐あって、彼は現在トップクラスの成績を誇るようにまで成長した。
自由の身、か。
シンシアは握られたままの右手にわずかに頬を染めつつ、その言葉を心の底から噛みしめた。
あれからふた月が経ち、最終的に親しいといえるほど会話が弾むようになったのは、ロブとレックスとメイナードの3人だった。
婚約者はきっとこの中の一人から選ぶことになるだろう、と思いながら、シンシアはベッドに入った。そして、その夜に不思議な夢を見た。
くちばしの大きな鳥が目の前に現れ、何かを伝えてくる。鳥の割にはハキハキとした女性の声だった。
「……シンシア……守って……けして……肌身離さず……」
夢の中ではきちんと聞いていたはずなのに、目が覚めてみたら覚えているのは言葉の一部だけだった。ベッドに手をついて起き上がったシンシアの指先に、こつん、と何かが触れた。
「あら、これは……!」
そこには、ちょうどシンシアの華奢な手のひらにちょこんと乗るサイズの、白い卵が転がっていた。
シンシアが学園を休んでから一週間が経った。彼女の身に何かがあったに違いない、とロブ、レックス、そしてメイナードの3人はそろってシンシアの屋敷を訪れていた。しばらくの間、応接室で待たされていたものの、迎えに来た侍女によってシンシアの部屋へ通された。部屋から出てこれないほど衰弱しているのかと、3人は驚きを隠せない。
「皆様、お待たせしてしまい申し訳ございません」
部屋に入るなり聞こえてきた声は、意外なほどしっかりとしたものだった。深く下げていた頭を上げたシンシアはきちんと昼用のドレスをまとい、髪もきちんとハーフアップに整えている。どうやら寝込んでいたわけではないようだ。顔色は若干悪いけれど、きりりとまっすぐにこちらを見ている瞳には強い光を携えている。
「シンシア、良かった。病気ではなかったのですね」
ロブが大きな手を胸にあて、安心したように息を吐いた。レックスとメイナードもひとまず同じようにほっと息をつく。
「ええ。ご心配をおかけしてしまいましたわね。わたくしにとっても予想外のことが起き、少し悩んでおりまして……皆様にお話しすべきかどうか、……でも、こうしてお三方そろってご訪問いただいたということは、やはりお話しすべきなのでしょう。きっと神様の思し召しなのかもしれませんわ」
シンシアはそう言うと、壁際に控えていた侍女に目配せをした。侍女は小さく頷くと、さっと奥にあるシンシアの寝室につながるドアに消えた。シンシアはそのドアを一瞥した後、3人を応接ソファに促した。
「本当は、すぐに申し上げるべきことでした……隠していて申し訳ありません」
ソファに腰掛けるなり、シンシアはそう謝罪し涙を流した。レックスがテーブルに手をついて身を乗り出す。
「一体何があったんだ、シンシア! まさか、バーナードやあの女に何かされたのか」
「バーナード様? いえ、何も」
どうやらシンシアはバーナードのことなどすっかり忘れていたようだ。では、涙の訳は何なのか。3人はそろって同じ方向に首をひねる。寝室から侍女が戻って来た。その両手には恭しくクッションが載せられている。侍女はそれを揺らさないように慎重に歩き、応接のテーブルにそっと乗せた。
涙をぬぐったシンシアが、優しい笑顔をクッションに向ける。3人はおそるおそるクッションを覗き込んだ。
「これは……卵、か?」
メイナードが自分に問いかけるようにつぶやいた。シンシアが満足そうに小さく頷く。
「ええ、わたくしが産んだ卵です」
「「「はああ!?」」」
3人の叫び声に、シンシアがあわてて卵に両手をかざす。
「びっくりしちゃいましたねー? 大丈夫ですよー。もう、皆様、お静かに。卵が驚くじゃないですか」
「な、何を言っているんだ。シンシア。卵を産んだ、とはどういうことだ」
ずり下がった眼鏡を直しながらレックスがたずねた。シンシアはクッションを持ち上げ自分の膝の上に載せる。そして、愛おしそうに卵を撫でながら、あの朝に見た夢の話をした。
「婚姻前なのに男性と友好を深めてしまったからでしょう。わたくしは妊娠してしまったのです。最近で懇意にしていたのはここにいるお三方。正直なところ、どなたが父親なのかわたくしにも分からないのです。ふしだらなわたくしをどうかお許しください。この子はわたくし一人で立派に育てます。皆様にはけしてご迷惑をおかけすることはございません」
この一週間の間に、そう固く決断したのだろう。シンシアははっきりとそう述べた。赤い顔をしてばりばりと頭を掻いたロブが口を開く。
「待ってくれ、その、俺は妊娠させるどころか、あなたに触れてさえいない。そもそも、卵を産んだっていうのは……」
「その卵からは、い、いったい、何が生まれるんだ……?」
ロブの声をさえぎるように、レックスがつぶやいた。目を見開いて固まっていたメイナードが、少しずつ震え始めた。
「メイナード様……? 大丈夫ですか? 体調がお悪いのでは」
シンシアが声をかけると、がばっと立ち上がったメイナードがシンシアのそばに跪いた。そして、クッションの上の卵に顔を近付ける。
「パ、パパだよー」
「殿下……!」
「さすが王族。懐が深い……」
「う、受け入れやがった。大丈夫か、この王子」
ロブとレックスが驚く中、シンシアは嬉しそうに顔をほころばせた。跪いたままのメイナードも柔らかくほほ笑む。
「僕はシンシアの手を握った。きっと、あの時にこの子ができたに違いない」
「手を!? くっ、やはり王族。行動が早い」
「本気で言っているのか、メイナード。王家の教育はどうなっているんだ、いろいろと」
大声で騒ぎ始めた3人を手で制し、シンシアは背筋を伸ばした。
「あの夢の鳥は多分コウノトリだったのですわ。コウノトリがわたくしに赤ちゃんを授けてくださったのです。わたくしは毎日この卵を温めています。いつか生まれた時に、赤ちゃんがお三方の何らかの特徴を受け継いでいれば父親がどなたか分かるかもしれませんね」
「待ってくれ……生まれるのは、人間なのか?」
レックスの声に、ロブとメイナードは少し頭が冷えたようだ。眼鏡を上げたレックスが、冷静に言葉を続ける。
「殻を持つ卵生と言えば、鳥類と……爬虫類……」
「うっ」
ロブが思わずうめき声を上げる。そして、3人は思った。もし無事に卵が孵るのならば、かわいいヒヨコちゃんであってほしい、と……。
学園を退学するつもりだったシンシアだったが、もう少しで卒業ということもあって登校することにした。「この卵を守れ」と夢でお告げがあったのならば、自分たちもそうすべきだろう。そう言って、ロブとレックスとメイナードが常に寄り添い、制服のポケットの中の卵を守ってくれている。
心強く優しい父親が3人もいてこの子は幸せ者だ。もう全員が父親で良いのではないか。シンシアはそう思い始めていた。
彼らの事情など知る由もない生徒たちは、不思議そうにその光景を遠くから眺めている。シンシアを巡り密かに牽制しあっていた3人が、今や協力し合って彼女を守っているのだ。
彼らはいったい何からシンシアを守っているのだろうか。
生徒たちが戸惑いつつも、ちらりと廊下のとある一角に視線を向ける。そこには、相変わらず見目麗しいバーナードが、数人の女子生徒に囲まれ楽し気に会話を交わしていた。そこにはテリーサの姿はない。
残念ながら、生徒たちの嫌な予感はすぐに的中してしまった。
放課後、シンシアは校舎の裏にある倉庫へ向かっていた。来週の授業で使う資料を用意するのを手伝ってほしい。先ほど、見知らぬ下級生が教師からの伝言を伝えにやってきたのだ。日直でもないのにどうして自分なのだろう、と思いつつも、真面目なシンシアは一人で倉庫へ向かった。しかし、すぐにメイナードに見つかった。その後、ロブとレックスも合流した。
ぞろぞろと四人並んで物置へ向かう途中、バタバタと騒がしい足音がして、校舎の影から数人の人影が飛び出してきた。
「危ない! 下がれ!」
騎士であるロブがいち早く前に進み出た。
「何者だ!」
シンシアを背にかばったメイナードが王族らしいよく通る声で叫んだ。黒い布で顔を隠した破落戸たちの後ろから、テリーサが姿を見せる。
「一人で来なさいって言ったはずなのに! 卑怯者!」
「このようなならず者を学園に呼ぶお前の方が卑怯だろうが……」
じろりとロブはテリーサを睨みつけた。
「あんたのせいで、バーナードが浮気しちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!」
ロブを無視し、テリーサはびしりとシンシアを指さし叫んだ。
ひっきりなしに女子生徒に声をかけられるようになったバーナードは、あっさりとテリーサを捨てたらしい。お見合いという名目で、不特定多数の女子生徒たちと非常に仲良く過ごし、卒業までの残り僅かな学生生活を楽しんでいるようだ。
じりじりと破落戸たちが間合いを詰めてくる。メイナードも数歩前に出て距離をつめ、破落戸たちに牽制した。彼も王族として自分の身を守る程度には戦う訓練をしている。しかし、レックスは武力についてはからっきしだ。丸腰のロブとメイナードふたりでは分が悪い。
「レックス、シンシアを連れて逃げるんだ」
「わかった」
メイナードの声にそう返事をしたレックスがシンシアを抱きかかえるようにして壁際に後ずさる。
「いいか、もしもの時は君だけでも逃げるんだ」
「レックス様……そんなわけには!」
シンシアがレックスの腕を引っ張った拍子に、ポケットからコロリと卵がこぼれ出てしまった。あっ、とシンシアが声を上げたが、卵は地面に落ちることはなかった。そのままふわりと宙に浮いたかと思うと、ピキピキと音を立てて殻にヒビが入る。そのヒビの隙間から、目もくらむような閃光が走った。
「わたくしの卵が……!!」
あまりの眩しさに腕で目を覆いながらも、シンシアがもう片方の手を伸ばす。メイナードたちはもちろん、この場にいる全員が目をかばって蹲っている。刹那の沈黙の後、その一閃からはなんと岩のようなごつい体つきの王国兵団員たちがポーンと5人飛び出してきた。
武装した兵団員たちは、次々と破落戸たちを捕縛していく。シンシアたちは、その様子をポカンと口を開けてただただ眺めていた。
全員の捕縛を終えた兵団員の一人が、メイナードに走り寄り敬礼する。
「殿下、捕縛完了であります!」
自分よりも頭ひとつ分以上背の高い兵団員を見上げていたメイナードの瞳から涙が一筋流れた。
「……ぼ、僕がパパだよー」
感極まったメイナードは兵団員に飛びつき、その顔に頬ずりをしている。
「で、殿下!?」
「頭を打ったのかもしれない!」
「殿下が錯乱されているぞー!」
あわてる兵団員たち。それを真顔で眺めるロブとレックス。ふたりの背後から、シンシアの震える声が響いた。
「あんなに小さい卵だったのに……五つ子ちゃんだったなんて……」
「おぬしらは揃いも揃ってバカなのか」
王城の謁見の間。玉座には深紅のドレスを着た女王陛下が鎮座している。メイナードと同じ艶やかな黒髪を頭の上に高くまとめ上げ、魔力のこもった真っ赤な瞳でこちらを凝視していた。
「あれは、わらわがシンシアに贈った卵だ」
シンシア達4人は膝をつき頭を垂れ横一列に並んでいる。女王の呆れ声に、下げていた頭をさらに深く垂れた。
「婚約者を探すためとはいえ、シンシアと友好を深めるなどと言って不埒なことをたくらんでおる奴もいるかもしれない。だから、わらわがシンシアを守ってやろう。肌身離さずこの卵を持ち歩くように。夢の中でそう伝えたであろう。忘れたのか、シンシア」
そういえば、あの夢に出てきた大きな鳥の声は女王のものだった。今になって思えば、あのシルエットは鳥ではなく女王だったような気もしてきた。都合の良い思い違いをしていたシンシアは、恥ずかしくて顔を上げることができなかった。
「だからといって、どうして卵なんですか……母上」
メイナードがじとりと女王を睨んだ。
「わらわの魔力を込めやすく、持ち運びしやすく、有事の際にはすぐに割れやすい。良い案だと思ったのだが……よもや、卵を産んだなどと勘違いするとはな。おぬしらの常識を疑うぞ」
まさか最近の若者は皆こうなのか? 学園の教育を一度見直さねば。などと、女王はこめかみを押さえてつぶやいた。その後もしばらくぶつぶつとぼやいていたが、ハッとしたように顔を上げる。
「そうじゃ。して、シンシアよ。もうすぐ卒業であろう。新しい婚約者は決めたのか。視たところ、その3人の中の誰かだとは思うておるが」
そう女王に問われ、シンシアがそろそろと顔を上げた。ロブ、レックス、メイナードは目を閉じてその審判を待った。
「はい、女王陛下。わたくしは……もし許されるのであれば、メイナード殿下と婚約したいと思います」
シンシアの言葉に、飛び上がって踊り出したいのをぐっとこらえたメイナードが胸に手をあてこくりと頷いた。横に並んでいるロブとレックスは表情を変えないまま、きりっと女王を見上げている。
一方、女王だけがあごに手を置いて不思議そうに首を傾げている。
「ふむ。正直、アホすぎてメイナードだけはないだろうと、わらわは思っていたのだが……。なぜこやつを選んだのだ?」
「母上、ひどい」
メイナードが思わず声を上げる。やっと肩の力の抜けたシンシアが、ふふふと声を上げて笑った。
「わたくしが卵を産んだ、と言った時に、一番初めに喜んでくださったのはメイナード殿下でした。殿下はその後もずっと卵を慈しみ、最後まで卵のパパでいてくださいました。その姿形にとらわれず、我が子に愛情を注ぐお姿に、きっと殿下となら温かい家庭を築けるのではないかと、そう思ったのでございます」
「なるほど。でも、アホだぞ? ロブとレックス。おぬしらはどう思う」
「僭越ながら、女王陛下」
胸に手をあてたロブが口を開いた。
「俺は王国の騎士です。我が子のように卵を可愛がるメイナード殿下の姿を見て、俺は……シンシア嬢だけではなく、殿下もまた自分の守るべき存在なのだと、そう確信いたしました。おふたりの結婚を心より祝福いたします」
ロブの返事に女王が満足そうに口の端を上げた。そして、視線をレックスに向ける。レックスはシンシアとメイナードを横目でちらりと一瞥した後、胸に手をあてて女王を見上げた。
「私もロブに同じでございます。卵が割れてもなお、その親であろうとする姿に……これ以上お似合いのふたりはないな、と、ふふっ、思いました。私もおふたりを心より祝福いたします」
真面目な顔を保っていたレックスであったが、堪えきれずに最後は笑ってしまった。その様子に、女王もつられて笑う。
「あはは、確かに。割れ鍋に綴じ蓋、とはこのことか。あいわかった。ふたりがそう言うのであれば、わらわも祝福するしかないであろう。シンシアとメイナードの婚約を許そう」
頬を赤く染めたシンシアが隣のメイナードを見上げ、メイナードもまた嬉しそうにシンシアを見つめた。
女王陛下の治めるこのマキーヴニー魔法王国は、本日も、また明日も、末永く平和だったという。
ちなみに、女性に囲まれることに味をしめたバーナードはその後もふらふらと浮気を続け、気付けば年ごろも家格もつり合うご令嬢は皆結婚してしまい、みごと上っ面だけしか取り柄のない独身中年貴族となってしまったそうだ。
パパだよー、としか言っていないメイナードの勝利でした。