9.ロージーと・・・
「そもそも私、どうしてモニカ嬢に嫌われていたのかしら」
ロージーの悪評は悉く彼女の仕業らしい。パトリシアのお茶会での噴水ドボン事件も自作自演なのだろう。でもそこまでして嫌われる理由が全く思いつかなかった。
「そこはガイ・シェリンガム様にお聞きした方がよろしいでしょう。私は失礼しますね」
ヨランダはそう言うと、一礼してさっと部屋を出てしまった。
ロージーは目を丸くする。待ってという一言すら言う暇もなかった。
目で開いた扉を追いかけて、そこでようやくガイ・シェリンガムがすでに控えていることに気が付いた。王家直々の隠密行動を任されるだけあり、気配を消すのは得意らしい。
ロージーは立ち上がり、淑女の礼をする。ガイも歩み寄って礼をした。すかさず王宮の侍女がお茶を入れ直し、その間にガイがゆっくり席に着く。柔らかい紅茶の匂いがふわりと広がった。
「モニカがご迷惑をかけたことをお詫び致します」
「…必要ありません。ここに本人が来ていないということは、私を陥れたことを悪いとは思っていないのでしょう?」
「…」
「聞きたいことは一つです。彼女は一体何者なのです?」
「『どうして嫌われていたのか』ではなくてですか?」
やはりヨランダとのやり取りを最初から聞いていたようだ。
「今ここに現れたあなたを見て、その理由は解決しました」
「?」
「ガイ様、あなたはとても魅力的な紳士ですわ。…モニカ嬢はあなたのことが好きなのね」
ガイは表情を変えなかったが、耳が真っ赤になっていた。赤くなる要素が文の前半だったのか後半だったのかは気になるところだが。
「モニカ嬢に初めて会った時、違和感を感じたわ。彼女の存在はおかしいもの」
「…」
ガイは無言で続きを促す。
「彼女は17歳だと聞いたわ。本当のシェリンガム侯爵家の令嬢なら、私の妹と共に当時第三王子だった現陛下の婚約者候補に挙がっていたはずよ」
そうなのだ。特に伯爵位以上の家で、三人の元王子たちと年齢が釣り合う令嬢は少なかった。
現国王のアレクシスと釣り合っていた令嬢は、ロージーの妹クラーラとエステル・パルヴィン嬢しかいなかったことは有名な話だ。そして二人の令嬢はそれぞれの理由で選考から外れ、結局選ばれたのは没落しかけた伯爵家出身でアレクシスより四歳年上のフィオレンツァだったわけだが、由緒正しいシェリンガム侯爵に王子より年下の令嬢がいたのだったら、間違いなくそちらが筆頭候補になったことだろう。しかし実際には、モニカの名前は挙がらなかった。挙げようがなかったのだ…彼女は当時はシェリンガム侯爵家にいなかったのだから。
「…その通りです。モニカは私の実の妹ではありません。父の再婚相手の連れ子です」
モニカの母は元子爵令嬢だ。しかしあろうことか平民の男と駆け落ちしてしまい、モニカはその末に生まれ落ちた娘だった。母子は出産後しばらくして見つけ出されて生家に帰され、モニカはその家の婚外子として育てられた。
母の実家で隠されるようにして育てられたモニカだったが、顔立ちは悪くなかった。伯父に当たる当主はのちのち自分の養女にし、しかるべき家に嫁がせようときちんと教育も施していたようだ。
転機が訪れたのは一年前で、子爵家を訪れたガイの父であるシェリンガム侯爵が偶然モニカの母を見初めたのだという。シェリンガム侯爵は数年前に病気で最愛の妻を亡くしていた。モニカの母は亡妻に雰囲気がよく似ていたらしい。モニカの母が娘を手放したくないというので、子爵家に相応の金を払って一緒に引き取ったのだった。
モニカの母は長いこと社交界から離れていたことや、一部には駆け落ちのことが知れ渡っていることもあり、モニカの面倒は専らガイが見ることになった。一人っ子のガイは、最初は妹ができたことが純粋に嬉しかった。あれこれと世話を焼き、慣れない社交にも繰り出して妹を紹介して回った。
おかしいと思い始めたのは、モニカが義妹になってから三ヵ月ほど経ってからのことだ。ガイは職業柄、人の顔を覚えるのが得意だ。自分と親しくしていた友人…特に令嬢が細かい周期で入れ替わるのだ。どの令嬢も、侯爵家跡取りであるガイの視界に積極的に入ろうとしていた令嬢ばかりだった。そういった令嬢を煩わしく思っていたこともあり、気にはしても調べようとまでは思わなかったのだが…。
ある時、ガイは見合いをした。相手は子爵家の令嬢だった。
容姿的には可もなく不可もなく、礼儀作法は下位の家出身にしては素晴らしかった。ガイをきらきらした目で見ている様子は初々しく、ガイも彼女との結婚生活を思い描く程度には好感を持った。親同士の思惑も一致したために話はとんとん拍子に進んだが、婚約を発表する直前で相手の家が婚約解消を申し出てきた。まさか拒否されると思わず愕然としたガイだったが、相手側の使者から聞いた解消の理由はさらにガイを打ちのめした。
「―――お嬢様はモニカ嬢に脅されたのです」
モニカはその可憐な容姿と侯爵家の後ろ盾を利用し、いつの間にか王都にいる若い世代に睨みを聞かせていたという。義兄のガイに近づく令嬢たちを調べつくし、弱みを握っては脅して言うことをきかせていた。見合い相手の令嬢には脅すほどの弱点がなかったため、取り巻きを使って嫌がらせをしたり、ふしだらな女だという噂を流し、さらには身を持ち崩した貴族の令息に金を渡して襲わせようとしたらしい。
婚約解消は、娘の身の危険を察知した子爵家当主の判断だった。娘の方も襲われそうになったことが堪えたのか、ガイに会うことなく領地にいる親戚の下に逃げていた。
モニカがそんなことをするはずがない。義妹を信じるガイは使者を睨みつけたが、相手はそれを一瞥すると書類の束を投げてよこした。そこにはモニカが脅した相手の名前や、脅迫を証言する内容が書かれていた。
証言者は家も派閥もばらばらで、敵対する家がシェリンガム家を追い落とそうとしたということも考え難い。事態を把握し蒼白になった父侯爵は、相手の子爵家や令嬢が不利益になる話はしないという書類に進んでサインした。
呆然としたまま部屋に戻ったガイをモニカが訪ねてきた。
「婚約が解消になったと聞きましたわ。…お可哀そうなお兄様。でも相手のご令嬢は…お友達に聞いたのですけれど、奔放な方だったそうですわ。それにお兄様には今まで言えませんでしたが、あの方にいつも意地悪をされたり暴言を吐かれたりしていましたの。きっとこれで良かったのですわ」
ガイが黙っていると、モニカは手を握って胸を押し付けてきた。
「お兄様、私達は本当の兄妹ではありません。だから、…だから私を選んでくださいませんか?」
「モニカの狙いは侯爵夫人という肩書でした」
ガイはモニカの話に曖昧な返事をしつつ、以降はずっと彼女を監視していた。父侯爵もモニカの動向に目を光らせ、彼女は以前ほど好き勝手出来なくなっていたようだ。彼女の社交の場を減らしつつ、結婚して受け入れてくれる家を必死で探していた。しかしモニカの悪行は一部には知れ渡っており、難航を極めることになった。モニカは必ずや自分がシェリンガム侯爵夫人になれると信じ、かなり強引なことをして顰蹙をかっていた。
「そんな時、私はある女性に心奪われてしまいました」
それは罪を犯した前国王と前王妃を拘束するための兵に加わった時のことだった。
ガイは友人のために白い鎧を纏い、戦いに来たその人に目を奪われた。
「やめてそれ。忘れたい記憶なの」
「でも美しかった」
「…やめてよ、もう」
ロージーとガイはあの夜会の日より以前に出会っていた。
ガイがロージーに高圧的な態度を取っていたのも、モニカに目の仇にされることを恐れてのことだった。しかし彼の努力虚しく、モニカは女の勘ですぐに義兄がロージーに惹かれていることに気づいた。あとはご存じの通りだ。
「別に彼女には大したことをされていないから怒っていないわ」
ロージーの悪意ある噂はガイと接触する前からあった。実の母と妹の暴走でうっかり死にかけたこともあるロージーにとってみれば、モニカの攻撃は可愛いものだった。しかし前の婚約者候補を襲わせたこともあるということだから、いなくなってくれたことについてはほっとしている。
「最後にモニカ嬢と会ったの?」
「…いいえ。会いませんでした。これ以上誤解されるのも迷惑でしたし」
モニカは降って沸いた結婚話に最初は抵抗したようだが、相手が公爵家であることや、再婚とはいえ子供がいないことを聞くと大人しく嫁ぐことを決めたようだ。彼女もガイに疎ましがられていることに気づいていたのかもしれない。
十数年後の話になるが、モニカが嫁いだ隣国の公爵家は謀反の疑いをかけられて取り潰しとなった。
子供のいなかったモニカは母国に戻ろうとするも、国境を超える直前で野盗に襲われ命を落としたという。
夕方、事情聴取を終えたロージーは父と共にようやくタウンハウスに戻れることになった。
父のスピネット卿は、当たり前だが何も聞かされていなかった。昼間に行われたロージーへの事情聴取に訳も分からないまま同席させられ、ようやく娘がとんでもない事件に巻き込まれていたことを知り、そしてキャベンディッシュ伯爵に激怒していた。
父から愛あるお小言をたっぷり頂戴しながら馬車寄せに向かっていたロージーだったが、その先に見知った人物が立っていた。
無視したい…。気づかなかったことにしたい。だが相手は大きな薔薇の花束を抱えており、それはもうすごく目立っていた。
「スピネット女伯爵…。おお、スピネット卿まで!丁度良かった」
「まあ、オクタビオ公子様ではありませんか。ご機嫌麗しゅう」
仕方なく、父のエスコートの手を放してカーテシーをする。相手はずんずん近づいてきて、あっという間に強い薔薇の香りに包まれた。
「この花束を女伯爵様に…。あなたを想って選びました」
「…有難く頂戴したいところですが、公子様を慕う女性に恨まれたくありませんの。受け取ることはできません」
ロージーの言葉に、オクタビオ公子は大げさに仰け反った。
「何と!!女伯爵様に敵意を向ける令嬢がいるのですか!?どこの誰です!?」
言えるわけがない。この公子、馬鹿なわけじゃないと思うのだが、色々と残念過ぎる。
「…公子様、はっきり申し上げます。私はあなた様の求婚を受けることはできません。したがってその花束も受け取れません。どうぞお引き取りを」
「何故です!!?女伯爵…いいえ、愛しいロージー!あなたをお慕いしています。一番に愛すると誓います!ですから…」
「だからです」
「?」
「あなたは『一番愛する』とおっしゃいましたわ。つまり、二番目やら三番目がいらっしゃるのでしょう?」
「それは、その…」
「責めるつもりはありません。それがあなたの愛し方なのでしょう。ですが、私には無理なのです…。どうか、二番目の方を一番にして差し上げてください」
ロージーはもう一度礼をすると、ぽかんとしたままの父の手を取る。颯爽と立ち去るその背中を、オクタビオ公子は呆然と眺めていた。
次の日、ロージーは日課になった新聞を読んでいた。一面はキャベンディッシュ家の前当主が国境で逮捕されたという記事、そして二面はモニカ・シェリンガム侯爵令嬢がバザロヴァ王国の筆頭公爵家に輿入れしたという記事だった。さらに小さな記事に、ザカリーが今回の捜査の褒賞で騎士爵を与えられ、国王から紹介された婚約者を与えられたというものも見つけて思わず笑みがこぼれた。
ヨランダは婚姻したと言っていたが…まあその辺の誤差はどうとでもできるのだろう。尻に敷かれること間違いなしのカップルだが、なんだかんだでヨランダはザカリーを幸せにしてくれそうな気がする。
「ご主人様、お客様がお見えです」
侍女のアリアの言葉にロージーは顔を上げる。
「随分お早いお着きね」
「はい、お約束の時間より二時間は早いです」
「困った方ね。…そうね、待たせておくといいわ」
「よろしいのですか?仮にも次期シェリンガム侯爵ですが」
「いいのよ。着替えを手伝ってちょうだい」
ロージーは艶やかな笑みを浮かべると、新聞を置いてゆっくりと立ち上がった。
一年後、ロージーはスピネット伯爵位を有したままシェリンガム侯爵家に輿入れした。どうせすぐに離婚するだろうという周囲の思惑をよそに、侯爵家は一男一女に恵まれることになる。
さらに時は流れ、シェリンガム侯爵位は長男に、スピネット伯爵位はロザリンドと名付けられた令嬢に渡されるはずであった。
ところがロザリンドは時の王クラウスに望まれ、王妃に据えられることになる。
スピネット伯爵家が復活したのは、ロージーが輿入れしてから三十年以上経った孫の代のことだった。