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5.ロージーと絵画鑑賞

 あのお茶会の後、ロージーは社交を一切せずに屋敷に籠っていた。

 王宮で宰相補佐として働いている父によれば、案の定自分の評価は地に落ちているらしい。さすがのロージーも、これは異常だということに気が付いていた。


 スピネット家については数年前の事件でいい印象は持たれていなかったが、ロージーは被害者としての認識が強かった。王妃となったフィオレンツァの友人であることも知られており、これまで面と向かって対立したり貶めたりする者はいなかったのだ…せいぜい行き遅れだと嗤われていたくらいである。

 なのにここ数週間の悪評はおかしい。何者かが意図的に悪評を広めているのは間違いない…しかし、その相手も目的も今は皆目見当がつかなかった。

 

 「ご主人様、お手紙が届いております」


 新聞を読みながらソファでくつろいでいると、執事が盆の上に数通の手紙を持ってきた。どうせ爪はじきにされているロージーを嗤ってやろう、先日の騒ぎのことを面白おかしく騒ぎ立てようという輩からのお茶会や夜会の招待だろう。それでも断りの返事は書かなくてはいけないため、ロージーはため息をつきながら手紙の宛名にざっと目を通す。

 「あら」

 ひときわ上等そうな封筒に、美しい文字が躍っていた。


 ―――クラーク・キャベンディッシュ。


 「キャベンディッシュ伯爵…絵画鑑賞の招待?」

 手紙には、最近出資した画家が個展を開くので、箔付けのために多くの客に来てほしい、協力してくれないかという内容だった。

 ロージーは少し考える。正直人が集まるところにはまだ顔を出したくない。だが、せっかくのキャベンディッシュ伯爵からの心遣いを無にするのも嫌だった。


 「ねえアリア、あなたはどう思う?」

 困り果ててロージーは侍女のアリアに助言を求めた。ロージーが母に邪険にされている令嬢時代から付いていてくれる侍女で、年が近いこともあって仕事以外の会話も多い。

 「そうですわねぇ…。親切にして下さっている伯爵様ですから、お受けしてもいいとは思うのですが…」

 「そうよね?そうよね!!」

 「でも、シェリンガム様のことは本当によろしいのですか?」

 「は?なんでガイ様が出てくるのよ」

 「ご主人様はあの方をお気に召しているのでは?」

 「そ、そんなわけないでしょう!!」

 アリアが言っている意味が分からなくて、ロージーは本気で混乱した。

 「どこをどう見れば、私がガイ様を気に入っているっていう結論に至るっていうの!!?」

 「うーん、…侍女の勘?」

 「アバウト!」

 侍女よ、そこでなぜ首を傾げるのだ。

 「百歩、いや千歩譲って私がガイ様を気に入っているとしても、肝心の彼からは嫌われているのよ」

 「…いえ、ガイ様もご主人様を気に入っていると思いますよ」

 「どこをどう見れば!?」

 「侍女のか「シャラップ!!」」


 何だかやけになったロージーは、キャベンディッシュ伯爵からの招待を受けることにしたのだった。



 招待を受けた当日。

 キャベンディッシュ伯爵は馬車で自らスピネット伯爵家を訪れた。一人で静かに個展を訪れて、そっと帰るつもりだったロージーの目論見はあっさりと崩れる。先触れがあったのは出発の一時間前だったのでどうにもならなかった。


 「女伯爵様、今日はいつもと雰囲気が違いますね。とても清楚で可愛らしいですよ」

 「お、おやめください…。もういい歳なのに可愛らしいだなんて」

 「私にしてみれば女伯爵様はまだまだお若くいらっしゃいます。その髪型も素敵ですね」

 「ありがとうございます…」

 つばの大きい帽子をかぶるため、成人以来ずっと結っていた髪を今日は下ろしていた。


 「では参りましょうか」

 キャベンディッシュ伯爵は優雅な仕草でロージーの手を取ると、馬車へとエスコートする。大きな馬車なのでキャベンディッシュ伯爵の従者とロージーの侍女も同乗し、ゆっくりと馬車は動き出した。

 「突然お訪ねしてしまって申し訳ない。急に仕事が空きましてね、ぜひ女伯爵様をエスコートできればと思ってはせ参じたのです」

 「そうでしたの…。光栄ですわ。一人では心細かったので」

 「ぅぶんんっ…ん、ん…」

 アリアが妙な咳ばらいをしたが聞かなかったことにした。らしくなくて悪かったな。

 好ましい男の前ではなりふり構っていられないロージーである。



 個展の会場はとある商家の別荘を借り受けて行われていた。初日は招待された客しか入れないらしく、ロージーたちはゆうゆうと作品を鑑賞することができた。色とりどりの作品ではなく、ややどんよりとした色が主体の風景画が多い。それでも深みのある表現は素晴らしく、ロージーは夢中になって鑑賞した。

 

 「素晴らしかったですわ」

 「それは良かった。少し渋い作品が多いですからね。飽きられるのではないかと心配でした」


 今回個展を開いた画家は、四十代になってようやく認められた晩年型だ。地道にこつこつ努力を重ねてきたことが分かる、彼の人生が滲み出るような作品が多かった。

 「ほかにもどのようなことに出資されているのです?」

 「芸術家は彼だけですね。あとは気になった商品を売り出している商会に援助していることが多いです。…女伯爵様は?」

 「お恥ずかしながら、そういったことには疎いんですの。先代の父もそういった投資には積極的ではなくて」

 「では少額で簡単な投資から手を付けてはいかがですか?よろしければご教授しますよ」

 「まあ!ぜひお願いしたいですわ」

 「ではそこのカフェで…」

 作品が飾られていた会場を後にし、談笑しながらエントランスへと向かう。


 そこへ丁度会場に入ろうとするカップルに出くわした。

 「あら」

 「おや」

 相手もこちらに気づいたのか一瞬歩みが止まる。それはオクタビオ公子だった。

 金茶の髪をした、フリルたっぷりのドレスの令嬢をエスコートしている。こうなっては挨拶しないわけにもいかず、ロージーはキャベンディッシュ伯爵から手を放してカーテシーをした。

 「ごきげんよう、オクタビオ公子様」

 「こんにちは。閣下もこの個展に?」

 キャベンディッシュ伯爵も礼をして穏やかに話しかける。オクタビオ公子は驚いた表情をすぐに隠し、人好きのする笑顔を浮かべた。

 「ええ、友人が是非にと誘ってくれたので」

 隣の令嬢が目を剥く。「友人」という肩書は不満のようだった。

 「よろしければ後で一緒にお茶などいかがですか?」

 しかも公子は鑑賞後の誘いをかけてきた。デートのつもりだったのだろうに、まさかの仕打ちに令嬢は目が死んでいる。

 「申し訳ない、これから寄るところがありますので」

 「そ、そうですか。…じゃあ行こうか」

 さすがに思うところがあったのか、キャベンディッシュ伯爵が硬い声で断る。オクタビオ公子は食い下がるようなことはせず、そのまま硬い顔の令嬢を伴って会場へと去っていった。

 

 それを見送ると、キャベンディッシュ伯爵は深いため息を吐きだした。

 「あなたに謝らなくては。…公子の噂は知っていましたが、外国ではもう少し節度ある行動をとると思っていました」

 「謝る必要なんてありません」

 「しかし、あなたに彼を紹介してしまって…彼はあなたにも興味を持ったのですよね。噂まで立てられて、不愉快な思いをしているでしょう?」

 「確かに華やかな令嬢に囲まれるのが好きなようですが、ベッドに誘い込むのは慎重なようですし、そこまで嫌悪を感じることはないと思いますわ。あの令嬢とも体の関係にあるとは思えません。…これっきりでしょうけどね」

 「お心が広いのですね」

 「顔の綺麗な殿方に夢見る年頃ではありませんもの」

 ロージーはにっこりと笑う。実際、オクタビオ公子が令嬢を伴っている姿を見ても、全く心は動かなかった。

 キャベンディッシュ伯爵は安心したように微笑むと、ロージーをカフェへとエスコートした。


 天気が良く風もなかったので二階のテラス席を選ぶ。個展が開かれている屋敷とは道路を挟んで向かいの建物なので、先ほどまでいた屋敷が良く見えた。

 「安心しました。オクタビオ公子に心惹かれていたらどうしようかと。あのくだらない噂は信じていませんでしたが、なにせ公子は顔がいいですからね」

 「あの方には情熱的に口説かれましたわ。でも…彼は必ずこうおっしゃるんです『あなたを一番に愛します』と」

 「…なるほど」

 キャベンディッシュ伯爵がにやりと笑った。

 一番愛するということは、二番目、三番目がいるということだ。貴族が愛人を複数持つのは珍しいことではないが、結婚前からこれでは良好な関係を築くのは難しい。特にロージーは潔癖な性格だ。オクタビオ公子と初めて会ったその日から、彼女の中で公子は「ない」のだろう。


 そのままオクタビオ公子の存在は忘れ、二人で様々なことを話し込んだ。主に投資の話だったが、キャベンディッシュ伯爵は自分が若い頃の話や、外国に行っていたときの話もしてくれたので全く飽きることはない。

 そんな中、他国の衣装について話していたキャベンディッシュ伯爵が突然言葉を切った。

 「あれは…シェリンガム侯爵令息じゃないかな」

 「…え?」

 ロージーは伯爵の視線を追った。すると、通りの向かいに、確かにガイ・シェリンガムが歩いていた…一人の女性を伴って。

 「エスコートしている女性は誰だろう…妹君ではないようだ」

 つばの広い帽子をかぶっているのではっきりと顔は見えないが、濃い茶色の髪をした、若い女性のようだ。立ち振る舞いからも、貴族令嬢であることは間違いないだろう。

 

 「シェリンガム様が…女性を…」

 

 ロージーの視界が歪む。

 何故だかものすごくショックだった。

 オクタビオ公子の時は平気だったのに…。

 ―――ご主人様はあの方をお気に召しているのでは?

 先日のアリアの言葉が頭を過る。


 「ロージー様」

 いつの間にかキャベンディッシュ伯爵にファーストネームを呼ばれていたが、ロージーは気が付かなかった。

 「ごめんなさい、わたくし…」

 「彼のことが好きなのですか?」

 「いいえ。わたくしは」

 ロージーの瞳からぱたぱたと涙が落ちる。一瞬クリアになった視界に再びガイ・シェリンガムと女性の寄り添い合う背中が映り、また涙があふれた。

 「彼は…『今日は失礼する』と。だから、次があるのかと、ひそかに期待していたのだと思います。…口では嫌だと言いながら」

 「…」

 「お、おかしいですわよね?で、でも…!でも私、そうなんです!いつも思っているのとは別のことを口走るんです」

 「知っていますよ」

 「シェリンガム様はお顔が怖くて、つまらなくて、何を考えているのか良くわからなくて…でもいつも真っすぐに私を見つめて来て…。きっともう一度話すべきだと、話したいと心のどこかで思っていたのです」

 「…彼のことが好きなのですね」

 「…そう、でしょうか」


 そうかもしれない。「愛」というよりは「期待」が近いだろうが。

 ガイは常に高圧的で、言葉足らずで、ぶっきらぼうだったが、ロージーは本能で彼が心優しい人間だということを感じ取っていた。会う度にモニカ嬢に近づかないように警告してくるが、その警告に付随する感情は「嫌悪」ではなく「真摯さ」だ。ロージーとモニカ嬢が一緒にいると、妹…あるいはシェリンガム家全体に何らかの不都合があり、それを真剣に心配しているのだろう。

 貴族の陰湿さにさらされ続けてきたロージーは、彼のその真っすぐさが心地よかったのだ。それもこれも、彼に懇意にしている女性がいると判明してから気づくのだから、恋愛不感症もいいところである。


 そんなことをつらつら考えていたロージーは、気が付くとキャベンディッシュ伯爵と共に馬車の中にいた。

 自力で座れないほど落ち込んでいたのか、キャベンディッシュ伯爵が優しく隣に寄り添ってくれている。頬には涙が伝っていた。 

 「泣かないで、ロージー。あなたは素敵な女性だ」

 そんなことはない。

 大事なことに気が付かず、いつも空回りして、友人を心配させてばかりいる駄目な女だ。


 「あなたの価値は、私が誰よりも分かっていますから」


 キャベンディッシュ伯爵の言葉はいつも優しい。

 それにうずもれてはいけないと分かっていながら、ぼろぼろの今のロージーはそれに縋るしかなかった。




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