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4 イエイツ司祭が、神殿のコンサートで狂演する

 翌朝、灰色熊(グリズリー)の襲撃について、サンジャの指揮のもと調査が行なわれた。昼過ぎに、村の集会所で話しあいをするとハイランドの一行が呼ばれた。


 たなびく焚火の煙の向こうに、いかめしい表情の宿神(しゅくしん)が座している。昨夜、宿神は、ウォーケンの力を発揮させたあと体調をくずし、2人の神官に、神殿に運ばれていった。今朝は回復している様子だ。


 9人の酋長が、宿神を中心に車座になっている。その円周の反対側に、ランド、イエイツ司祭、マーシャル公爵、それに通訳のハッサンが座っている。


 話しあわれているのは、誰が、なんの目的で、瀕死の子熊で親熊をおびきよせたかだ。まず疑いの目をむけられたのはヘイガー族だった。灰色熊(グリズリー)の乱入に乗じ、ヴァンナ族の村を襲撃するつもりだったのではないか――。


 それはないとサンジャが発言し、ハッサンが通訳する。


『周囲の森に配した斥候は、村に近づくヘイガー族の姿を目撃していません。集落内にヘイガーが侵入すれば、すぐ目につきます。なにより、昨夜、やつらはわれらの村を襲ってきませんでした』


 そこで、とサンジャが革袋から取りだした短剣をかかげた。


『これは子熊を刺殺した証拠の品です。ご覧のように、薄くて切れあじのいい鋼鉄の刃がそなわっています。この村で一般に使用されている刃物は、黒曜石や骨をくだいて磨きあげたものです』


 ランドは、サンジャの言おうとしている内容がわかりかけた。鋼鉄の武器を装備しているハイランドの一行を疑っているのだ。


「待ってください」ランドは口をいれ、ハッサンに通訳をたのんだ。「あなたが腰にさしているトマホークも鉄製ですよね」


『子熊を殺したのはトマホークではありません』サンジャが反論した。


「製鉄をしないヴァンナ族は、交易商から鉄器を購入していると聞きました。あなたがたは、鉄の刃をもつ武器を使用しないのですか」


『戦士のなかには鉄の武器を装備する者もいます。しかし、鉄は貴重品です。交易のさいには、大量の毛皮と交換しなければなりません。それを熊の体に刺したままにしたとは考えられません』


 ハイランドでなら、安価に購入できるだろうと言いたいのだ。


「ぼくの短剣はここにある」ランドは、さやをはらって見せた。


「このさい」とマーシャル公爵が口をはさんだ。「わたしたちの潔白を証明しておいたほうがいいでしょう」


 自分の短剣を差しだしたマーシャルが、2人の護衛を呼んだ。ハイランドの一行が武器をあらためさせているのを、サンジャが興味なさそうに見つめている。


「ランドくんの仲間の妖精とゴーレムも調べてもらったらどうですか」


 マーシャルの提案を、けっこうですとサンジャが断った。


『あの妖精には、自分の身の丈以上もある短剣を持てません。岩人間の岩の体に、戦槌しか装備していなかったのは知っています』


「ヴァンナ族の戦士のなかに、短剣をうしなった者はいないんですか」


 ランドは、ハイランドの一行以外にも犯行は可能だったと反論した。


『いませんでした。しかし、予備の武器を持参していれば、犯行現場に凶器を残しておいてもかまわないわけです』


 ランドの持っている短剣は、潔白の証拠にはならないというのだ。


「ヴァンナ族の戦士が、予備を持っていなかったと証明できますか」


『いいえ。わたしが問題にしているのは、誰が鉄の短剣を持っているかではありません。誰が持っていないかです』やにわに、『イエイツ司祭、あなたの装備品をあらためさせてください』


「なにを」イエイツがうろたえだした。「わしは戦士ではなく聖職者だ。もとより、人をあやめる武器など持ち歩いておらん。」


『われらの宿神は、儀式用の黒曜石の短剣を携帯しています』


「アトレイ教の祭祀では、刃のあるいかなる品も使用しない。わしは丸腰だ」


 イエイツが怒りをあらわに立ちあがり、黒い僧服の長い両腕を広げて見せた。


「待ってください」ランドは口をいれる。「イエイツ司祭が短剣を持っていたと証明できないかぎり、それをなくしたとは言えないでしょう」


『これは間接証拠のひとつです。ここで証人を呼びたいと思います』


 焚火の前に召喚されたのは、30年配の太った女性だ。女が名乗ったあと、


『わたしは、子熊が死んだ空き家の隣人です。きのう、戦士の宴が始まる日没どきに、空き家の近くをうろついている司祭を見ました』


「ちょっといいですか」ランドは発言をもとめた。「そのとき、イエイツ司祭はなにかを持っていましたか」


 子熊を運ぶには、袋に入れるかしなければならなかったはずだ。


『いいえ、手ぶらでした』と女性の証言を引きだした。


 証人が集会所を出ていったあと、サンジャが続ける。


『空き家のうめき声に気づいたトージャが、瀕死の小熊を見つけました。トージャは宿神に助けをもとめます。その2人で空き家をおとずれたとき、イエイツ司祭と鉢合わせました。またもや、この司祭です』


 イエイツが、空き家を見張っていたとサンジャは示唆しているのだろうか。ランドはサンジャの言葉の続きも待った。


『ここで、当の宿神の話を聞いていただきます』


 おもむろにうなずいた宿神が、煙の立ちのぼる焚火のまわりを見わたした。


『小熊は胸を短剣で刺されていた。その熊の容態をみようとすると、かの司祭がその邪魔をしようとした』


「違う」とイエイツが声を荒らげた。「わしは熊の手当てを試みようとしたのだ」


『そうです』とサンジャが引きつぐ。『イエイツ司祭は〈治癒〉(ヒーリング)の能力をもっています。司祭は子熊を助けるために子熊を刺したんです』


「なにを。なぜ、わしがそんなまねをする必要がある」


『イエイツ司祭はアトレイ教を広めるため、ヴァンナ族の村をおとずれました。9人の酋長は、司祭の宣教活動を受けいれませんでした。〈神うつりの儀〉では、イエイツ司祭は茶番だとわめきたて、司祭の言葉が理解できない村人の多くに気違いあつかいされました』


 その名誉の回復が、イエイツの動機だというのだ。


『司祭は、アトレイ神の御業で子熊の命を助け、みずからの力を見せつけたかったのです。熊の体に短剣が刺したままだったのは、すぐに失血死させないためです。親熊の襲撃は予想外だったでしょう。その間に、子熊は死んでしまいました』


「バカらしい。さかしらな野蛮人がなにをほざくか」


 立ちあがろうとするイエイツを、ランドは僧服を引いて止めた。


「サンジャさん。いまの説明で、イエイツ司祭が瀕死の子熊を空き家に放置したと証明できたとは思えません。司祭は初めから短剣を持っていなかったかもしれない。司祭が空き家の近くを歩いていたのも、子熊の治療に来た宿神と鉢合わせたのも、偶然だったかもしれない」


『わかっています。イエイツ司祭を断罪したいのではありません。そんな疑わしい司祭から、神の教えをこいたくないとわたしは言いたいのです』


「なにを、あんたはアトレイ神の素晴らしさを知らんから」


『あなたは、ウォーケンの御力を目のあたりにしたではありませんか』


 イエイツが、ぐっと言葉につまった。灰色熊(グリズリー)に襲われて腰をぬかした司祭の目の前で、宿神は熊をかき消して見せたのだ。


『ハイランドのみなさんには、われらの村を出ていっていただきたい。アトレイ神の教えはヴァンナ族に必要ありません。そうは思いませんか』


 サンジャが、宿神と、居並ぶ8人の酋長に問いかけた。


「評決にすればよかろう」宿神がおごそかに告げた。


 ヴァンナ族の意思決定には、9人の酋長による全員一致が必要だと聞いた。ランドは、誰か1人でも反対票を入れてくれないかと願った。


「それでは」とサンジャが賛成の挙手を求めた。


 つぎつぎに8本の浅黒い手が上がった。サンジャも賛成票をとうじる。


『これがヴァンナ族全体の意思です。いますぐ村を退去しろとは言いません。明日の朝に村を出発し、再び村に戻ってこないでください』


 この決定をくつがえすのは無理そうだ。イエイツ司祭がくやしげに腰を下ろす。ランドの耳に、舌打ちが聞こえた。マーシャルの端整な横顔がゆがんでいた。


 宿神が立ちあがったのを合図に、9人の酋長もそれにならった。ランドたちの宿舎でもある集会所を、意思決定者の列が出ていく。宿神を先頭に、年若いサンジャが列の最後尾についた。


 宿神にやどるとされるウォーケンと、アトレイ神とは相いれないのだろう。そして、あと二晩へたあとには、サンジャがつぎの宿神になるのだ。


 ランドは、戸口を出るサンジャのたくましい背中を見送った。


                  *


 日没がせまっていた。村の広場では、〈神うつり〉の宴の準備が進んでいた。イエイツ司祭はそんなバカらしい集まりに参加するつもりはなかった。集会所で讃美歌のおさらいをしようと決めた。


 焚火のくすぶる集会所には誰もいなかった。イエイツは、壁に作られた寝所の棚に腰かけて、讃美歌集をひもときはじめた。


 ばさっ、となにかが投げだされた音がした。


 出入り口の近くに、白っぽい毛皮が置かれていた。イエイツは歌集を閉じて立ちあがった。その毛皮をつかみあげると、狼の皮のうつろの目がイエイツを見返してきた。宿神のかぶりものだ。


 ――これはアトレイ神からの、たまわりものに違いない。


 イエイツは黒い僧服の上から毛皮をまとい、狼の頭をかぶった。


 出入り口から顔をのぞかせると、イエイツと同じ格好をした宿神が、2人の神官をともない、集会所の側面を通りすぎるところだった。イエイツはとっさに戸口の内側にしりぞいた。


 白い毛皮の背中をかがめた宿神が、焚火の炎のあがる広場に向かっていく。これから、〈神うつり〉の宴の二晩目が始まるのだろう。


 狼の毛皮をかぶったイエイツは、集会所の裏側をたどり、小屋の密集する集落にはいった。宵闇にときおり行きかう女も子供も、イエイツを宿神だと思いこみ、敬意をはらって、声をかけたり、近づいたりしなかった。イエイツは本物をまねて背中をまるめ、自分の長身をごまかした。


 宿神の神殿のある洞窟をのぞむ、森を切りひらいた空き地に出た。洞窟の入り口に垂らした、あしのすだれのそばに、半裸の屈強な見張りが立っている。イエイツは勇気をふるいおこして前進した。


 宴会から引きかえしてきた宿神に、見張りが意外そうな表情を見せた。イエイツは狼のかぶりものを目深に引き下ろし、威厳たっぷりにうなずくと、すだれをよけて踏みこんだ。見張りはなにも言わなかった。


 洞内には、幅2メートル、高さ3メートルほどの、でこぼこの岩の通路が続いている。松明に照らされた道は曲がりくねり、その途中に、いくつも枝道がある。イエイツは迷わないよう道なりに進んだ。


 ほどなく、半径4メートルのほど、楕円形の空洞に出た。洞内は2本のかがり火に照らされ、光りの届かない天井の高みが闇にのまれている。


 かがり火のあいだの岩だなに、見慣れぬ金属の物体がのっていた。それは奥行き40センチ、幅60センチくらい。表面に鍵盤らしきものが二列に並んでいる。異境の楽器かもしれない。


 オルガンだったらイエイツのお手のものだ。


 イエイツは楽器の前にひざまずき、試しに和音を叩いてみる。音はしない代わりに、頭上がほんのり明るんだ。ドーム状の天井が金色にかがやいている。


 さらに指を鍵盤に走らせると、それに合わせて、天井の色彩が移りかわり、さまざまに変化していく。イエイツは讃美歌の伴奏をはじめた。天井の色彩がうずまき、めまぐるしく変化する。


 イエイツは歌詞を口ずさみだす。目を閉じ、狼の頭をゆすり、毛皮の体をくねらせ、神をたたえるメロディに身も心もゆだねる。自然に歌声が大きくなっていき、イエイツのカウンターテナーが洞内に響きわたった。


 荒あらしい足音が洞窟にこだました。


 イエイツはハッと目を開き、長身をこわばらせた。そのとき、何人もの神官が飛びこんできて、イエイツのコンサートはいやおうなく中止させられた。


                  *


 ランドは口もとに運んだ酒杯の手を止めた。二晩目の宴が盛りあがりはじめたところだ。はすむかいのマーシャルのそばに、席をはずしていた2人の護衛があらわれた。耳うちにうなずくマーシャルの横顔に、焚火の炎の影がゆれている。


 マーシャルが護衛とともに席を立った。集落をかこむ森のなかへ急ぎ足で入っていく。こんな時分になんの用かとランドはいぶかった。


 ゴーラが、酒杯をあけた大口で笑い声をあげた。チビットが、ハイランドではめずらしいトウモロコシを生でばりばりかじっている。2人とも宴会に夢中で、マーシャルの不審な行動に気づいていなかった。


 しばらくして、慌ただしい様子の神官が、焚火の輪の上座につく宿神のもとにやって来た。宿神とそのつきそい2人の4人で話しあっている。さらに9人の酋長が話しあいに呼ばれた。


 ランドは不穏な雰囲気を感じていた。焚火をかこんだ戦士のなかには、ヴァンナ族の指導者の行動に気づき、歌い騒ぐのをやめた者もいる。


 協議の場を離れた9人の酋長が、ランド、ゴーラ、チビットをとりかこんだ。屈強な戦士でもある酋長のいかめしい顔つきが、3人を見下ろしている。このときには、宴会の場の誰もが異変をさとったようだ。


 ランドにはなんのことかわからなかったが、逃げ道をたたれた状況から、それが自分たちに関係しているらしいと察した。


 おもむろに立ちあがった宿神が、宴に集った100人近い戦士を見渡した。宿神が現地語でなにか言い、その場の全員がどよめいた。


 ランドの横で、まっさおな顔のハッサンがぎょろ目をむいている。


「イエイツ司祭が、ウォーケンに対する重大な冒とくをおこしたそうです」


 宿神の合図で、戦士がランドたちを取りおさえようとする。ランドは反射的に抵抗しようとしたが、すぐにあきらめた。歴戦の強者である酋長と、ヴァンナ族の全戦士が相手では分が悪すぎた。



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