テルドララ4
額にあたる冷たい感触に意識が呼びさまされた。
ぼんやりかすむ瞳に、人間の女性の浅黒い顔が映っている。身を起こそうとしたわたしを、彼女の細い手がやさしく制した。
女性が現地の言葉で語りかけてくる。その発音にはどこかなつかしい響きをおぼえたが、彼女がなにをしゃべっているかはわからなかった。わたしはリストバンドの自動翻訳装置を入れた。
『まだ動いてはいけません。あなたは安全な場所にいます』
そのような意味を翻訳機が、わたしの脳に伝えてきた。この翻訳機には、テルドララで知られている、あらゆる言語がおさめられている。それらの語彙を駆使して、未知の言葉を解読してくれるのだ。
わたしは頭だけを動かして、周囲の様子をさぐった。
わたしは池のほとりの木陰に横たわっていた。わたしが気をうしなった場所から、だいぶ離れている。彼女ひとりでここまで運んでくれたのなら、ずいぶん苦労しただろうと申しわけなく思った。
わたしと似た顔の小動物が、わたしの首の匂いをかいでいる。この動物は彼女が飼っているのだろう。わたしの姿に驚いた彼女が、いまは警戒をといているのは、この相似によるのかもしれない。
しばらく休んでいると、ずっと気分が良くなった。わたしと彼女は、頭上に大きく緑の枝葉を広げる樹の下で、翻訳機を通じて会話した。直接、頭に語りかけてくる声に、彼女は最初のうちとまどっていたようだ。
『あなたの名前はなんておっしゃるの?』彼女がたずねた。
わたしには『名前』の意味がわからなかった。翻訳機によれば、それは個人を識別するものらしい。わたしは自分の社会識別番号を現地語に変換する。
『92347……』11桁の番号を、わたしは最後まで言えなかった。
『ウォーケン、ウォーケン』彼女が声をあげたのだ。
自動翻訳機が、『数えきれない、無限の』と翻訳した。
彼女の社会では3桁以上の数を必要としていないらしい。おそらく自供自足の生活をしていて、日々の必需品しか生産していないのだろう。余剰物資を交易し、より豊かな暮らしをする文明の段階には達していないのだ。
彼女は名前を『マリス』と発音した。
マリスは、生きのこった人類の子孫かもしれない。そんな彼女の衣食住についての話は、考古民俗学者のわたしの興味をかきたてた。いつしか、彼女そのものに関心をいだくようになっていた。
マリスとの会話はつきなかった。気づくと、頭上の木が落とす影が池のふちにまで達していた。わたしとマリスは、翌朝、同じ場所で会う約束をして別れた。
スペースシップが押したおした木々をよじのぼり、わたしは船内のコクピットに戻った。確かめたいことがあった。宇宙百科事典に精神アクセスし、わたしの記憶にある、マリスが飼っていた小動物のイメージを送信する。
ディスプレイに『いぬ』と表示された。サムネイルの何十種類もの犬種のなかに、わたしそっくりの犬の姿を見つけた。
やはり、そうだった。マリスが連れていたのはテルドララの祖先種だ。
人類は核戦争によって滅亡し、放射能をあびた『いぬ』の一部に突然変異が起きた。それがテルドララの先祖だ。われわれは人類に代わって支配種族となったが、荒廃がいちじるしいその惑星は放棄せざるをえなかった。われわれは移民惑星を求めて旅立ち、見つけた惑星にテルドララと名付けた。
思えば、新兵器の開発に失敗し、ブラックホールにのまれたテルドララは、人類と同じあやまちをおかしたのだ。
つぎに、マリスを襲った大型獣の脳内イメージを検索にかけてみた。
『おおかみ』と表示されたディスプレイに、あの獣と同種の画像が映った。その説明を読んだわたしは驚いた。テルドララの祖先である『いぬ』は、『おおかみ』から分岐した亜種だというのだ。
『おおかみ』は肉食で、ふだんは野生の動物を捕食している。えさが足りなくなると家畜を襲うため、人間とは敵対していた。『おおかみ』はその進化の過程で分岐し、人間と親しむ亜種も生まれた。それが『いぬ』だという。
その夜、この星で体験した出来事に興奮してなかなか寝つかれなかった。わたしは、テルドララの祖先の『いぬ』に出会い、その始祖とされる『おおかみ』があの恐ろしい野獣だと知った。わたしは大きな衝撃をうけ、生命維持カプセルのなかで何度も寝返りをうった。
薄暗いカプセルで目覚めた。外光の入らない船内では時間がわからなかった。コクピットに移り、船外モニターに切りかえたとたん、明るい木漏れ日があふれだした。――しまった。寝過ごした。
わたしはスペースシップのハッチから茂みに飛びおりた。いくすじも光りのさしこむ森のなかを、約束の湖畔に急ぐ。やぶとあしに囲まれた湖のほとりに、マリスが背中をまるめて座っていた。
『マリス、遅れてすまない。昨夜は不眠におちいってしまった』
ハッと立ちあがったマリスが、わたしに突進してきた。思いきりぶつかってくると、『バカ、バカ』とわたしの胸を激しく叩きだした。
わたしが約束をやぶったと思ったのだろう。よほどマリスを不安にさせたようだ。もうしわけない気持ちと同時に、愛おしい思いがこみあげてきた。いつまでもマリスのそばにいて、彼女を守りつづけたい――。そう心から望んだ。
わたしを打つマリスの腕ごと彼女をかき抱いた。マリスがしがみついてくる。彼女の震える体を、わたしはしっかりと抱きしめた。




