3 宿神が、ついにウォーケンの力を発揮する
ランドたちハイランドの一行は、あらたな宿神候補者の採血をする〈供血の儀〉に立ちあった。候補者のサンジャと、ウォーケンの血が適合するかどうかの試験には3日かかるという。
神であるウォーケンに、本当に血がかよっているのか。神との血液の適合性をどうやって判定するのか。ランドには理解できない点が多かった。それは儀式のいっかんであり、あまり意味はないのかもしれない。サンジャが宿神にふさわしい、と村人を納得させる手続きなのだろう。
〈供血の儀〉が終わると、サンジャをふくめた9人の酋長が村の集会所にあつまった。通訳のハッサンによると、サンジャを襲撃したヘイガー族に、どう対応するか協議するのだという。
ランドは自分の複合弓を取りにきたついでに、集会所の様子をうかがった。
焚火の明かりに照らされた、窓のない室内はむんと暑かった。天井の穴の下で白い煙をあげる焚火を、9人の酋長がかこんでいる。マーシャル公爵とハッサンも連座していた。イエイツ司祭の姿が見当たらない。気違いあつかいされた司祭の動向が、ランドは気になった。
現地語のわからないランドが協議に参加してもしかたない。話しあいの結果は、あとでハッサンに聞こう。ランドは弓矢を背負い戸口をあとにした。
「おーい、ランド、どこに行くの?」
ぶーんとチビットが飛んできた。
「集落の奥にウォーケンの神殿があると聞いた。それを見に行くつもりだ」
血肉をもつらしい神の正体が、その神殿でわかるかもしれない。
ランドが自分の目的を話すと、チビットも興味をもって同行するという。
「ゴーラはどうしているんだ?」ランドはたずねた。
「戦士の年齢に達しない村の子供たちと隠れんぼで遊んでるわよ」
森で暮すヴァンナ族の子供は、隠れるのが上手そうだ。もっとも、岩に擬態したゴーラを見つけるのは至難のわざだろう。
ウォーケンの神殿は、集落の奥の、森を切りひらいた先の洞窟だった。洞窟前の広場では、樹木に渡したロープに、何枚も干された白い毛皮が風にゆれていた。
ランドとチビットは、木立のあいだのやぶから神殿の様子をうかがった。
あしのすだれを垂らした洞口の前で、イエイツ司祭と2人の神官が言いあらそっていた。イエイツの共通語は通じていないようだ。浅黒い上半身に黒いマントをまとった神官が、断固たる態度で太い腕を突きだしている。イエイツが神殿への入室を断わられているのだろう。
イエイツが甲高い声で神官を罵倒し、憤然と引きかえしてきた。
「イエイツ司祭」ランドは呼びとめた。「神官ともめていたようですね」
「聞きわけのないやつらだ。宗教は違えど、神につかえる身であるのに変わりあるまい。アトレイ神の司祭が、ウォーケン神に拝謁したいと申しでたのに、聞く耳をもとうともせんのだ」
共通語を理解しないのだから、それはしかたない。
「ハッサンに同行してもらい、あらためて神官に願いでたらどうですか」
「もうよい。野蛮人の土着の神になど、わしが表敬訪問するにあたいせん」
そうは言うものの、イエイツの不満はいっそう高まったようだ。長身の肩をいからせ、大またの足どりで、集落に通じる森にわけいり見えなくなった。
宣教の達成は、ほど遠くなってきた。
ランドも今日のところはあきらめた。ヴァンナ族の神聖な場所に無理に立ちいり、村人の反感をかいたくない。酋長のサンジャに口利きをしてもらう手だってある。ランドはきびすを返した。
集落の近くに来ると、複数の子供のあざ笑う声が聞こえてきた。
小屋の前の空き地で、トージャと3人の少年が向きあっていた。その3人はトージャと同じ年ごろのようだが、戦士の年齢の13歳に達していないのが、彼らの短い髪型からわかった。
トージャがまんなかの少年に飛びかかり、あっけなく地面に突きたおされた。14歳のトージャのほうが相手より年上だが、やせて体格におとっているので、年相応の男子には見えなかった。
リーダーらしき少年がトージャの前に立ちはだかり、なにかあざけりの言葉をなげかける。他の2人の少年から笑い声があがった。
ランドは止めにはいった。少年の1人ひとりを指さし、「3人で」と3本の指をたてる。つぎにトージャを示し、「1人を」と1本の指をたて、「相手にしてはいけない」と首をふって見せた。
その手ぶりを理解したのかどうか、少年たちが見かわしあっている。
立ちあがったトージャが、強く言いかえして拳をかまえた。リーダーの少年がすぐに反応した。トージャにくりだされたパンチを、ランドは手のひらで受けとめる。その手首を握って、力まかせに押しかえした。
一歩前に出たランドは、トージャに加勢する態度を示した。その場に張りつめた緊張がながれる。最初に臆したのはリーダーのほうだった。なにか捨てゼリフをはき、2人の少年を引きつれて立ちさった。
19歳のランドに、プロの冒険者の気迫を感じたのかもしれない。もっとも、まともに相手をして騒ぎをおこす気はなかった。
ランドとトージャは、緑の枝葉を広げるニレの根もとの岩に腰かけた。
チビットに通訳してもらい、ランドはもめごとのいきさつをたずねた。
『あいつら、ぼくを腰抜けだって笑うんだ』
14歳になっても戦士として認められないトージャをバカにしていたらしい。
『兄のサンジャは立派な酋長なのに、ぼくは情けない弱虫だって。ひ弱な〈妖精のもらいっこ〉だって言うから、ついカっとなったんだ』
ヴァンナ族の生まれでないだけで、トージャはそんなあつかいをうけている。体の鍛錬や、戦闘技術の訓練も受けさせてもらえなかったのだろう。
ランドはトージャの肩に手をおき、背負っていた弓矢を下ろした。
「弓の弾きかたを教えようか」とチビットの通訳で伝える。
とたんにトージャの顔がかがやいた。
ランドの手渡した弓を、トージャがめずらしそうに観察しだす。弦や弓柄などをさわるその手つきから、あつかい慣れていないのが察せられた。
「練習してみよう――」立ちあがろうとしたランドの尻で岩が動いた。驚いたランドとトージャが飛びすさり、チビットがパっと飛びたった。
「うへえ、足がしびれたんだなあ」
かがんでいた上半身をゴーラが起こした。しびれた岩の足をかかえて、半月型の目で愛嬌のある笑みをうかべる。
「なんだよ。びっくりさせるなよ」ランドは抗議した。
「あんた、年少の子供と隠れんぼをしてたんじゃないの」とチビット。
きっと誰にも見つけられないまま、ニレの木の下に隠れていたのだろう。自然にとけこむゴーラの擬態能力に、ランドは舌をまいた。
ランド、トージャ、チビットは森をぬけて草原に出た。ゴーラは隠れんぼを続けて居残るという。誰かが見つけてくれますように、とランドは祈った。
ランドはチビットの通訳をかいして、トージャに弓の弾きかたを教えた。トージャはものおぼえが早く、すぐにこつをのみこんだ。退屈したチビットがどこかに飛んでいった。ランドは身振り手振りで弓術の指導を続ける。
昼下がりの果てしなく広がる青空に、ランドは弓の標的を探した。
「あっ、イヌワシだ」トージャが声をあげた。
ランドは目をうたがった。雲ひとつない空のどこにも鳥影は見あたらない。ほどなく、空のかなたにイヌワシが姿をあらわした。ランドは自分の視力に自信があった。トージャの目の良さはそれ以上だ。
弓をかまえたトージャが片目をつぶって照準をさだめる。翼を広げた白黒まだらの獲物が上空にさしかかった瞬間、矢が放たれた。
イヌワシがひと声鳴き、宙をまって落ちてきた。
ランドは感心した。弓で標的に狙いをつけることじたい難しい。的が動いていればなおさらだ。動く獲物と、飛ぶ矢のタイミングをはからなければならない。トージャは抜群の視力だけでなく、すぐれた照準センスにも恵まれているようだ。この少年はいい射手になる――。
ランドは少年の背中を力強く叩いた。
ランドの気持ちは、言葉がなくても伝わったらしい。見上げるトージャの表情には、自信とよろこびがあふれていた。
ランドとトージャは、日没前に弓の練習を終え、ヴァンナ族の集落に戻った。村の広場では、昨夜にひきつづき、大きな焚火をかこんだ酒宴が開かれていた。そのなかに酋長たちの姿もある。会議は終わったようだ。
ランドは弓矢を置きに、寝泊まりしている集会所に向かった。トージャもそのあとについてくる。2人は短時間で師弟のような関係になっていた。
集会所には、マーシャルと2人の護衛、それにハッサンが残っていた。ランドは、協議の結果をマーシャルにたずねた。
「話しあいは平行線をたどるばかりで、なにも決まりませんでしたよ」
ヴァンナ族の酋長を襲った報いを受けさせるべきだ。20人以上の犠牲をはらったのはヘイガー族のほうだ。彼らの報復があるかもしれない。その前に攻撃にでるべきか。相手の出方を見るべきか。
「ヴァンナ族全体をすべる族長はいないんですよ」とマーシャルが続ける。
9人いる酋長はチーフに近い存在らしい。武勲や戦功が認められた戦士が酋長に選ばれ、戦闘における小部隊の指揮をとる。なかでも年功の高い者は敬意をはらわれるが、絶対的な権限はないのだという。
「村の重大な決定事は、9人の酋長の全員一致の評議でなされます。全員の意見が一致しなければ、まとまるまで話しあう。まどろっこしいったらありませんよ。絶対君主の一存で即決できれば、何ごとも話は早いんです。森のなかでのんびり暮らしている未開人らしい悠長な制度ですよ」
そうだろうか、とランドは思う。確かに、話しあいに時間はかかるだろう。しかし、村人に選ばれた代表者の協議で決定するほうが、より近代的に感じられた。
ヴァンナ族の使いが集会所にやってきた。宿神の適合試験の結果が出るまで、三夜連続で宴会が開かれる。客人をあつくもてなすのはヴァンナ族の習慣だから、ぜひ宴に参加してほしいという。
ランドは、トージャの様子をうかがう視線を向けた。
トージャは、自分はいいと首をふり、さみしそうに集会所をあとにした。弓の才能に気づいた自信とよろこびはうせてしまったようだ。
ランド、マーシャル、2人の護衛、それにハッサンが宴会の輪にくわわった。トーテムポールの前の火明かりのなかに、サンジャの姿もある。ゴーラとチビットもごちそうにありついている。
イエイツ司祭が見当たらないのが、ランドは気がかりだった。前夜の祝宴で気違いとバカにされ、ふてくされているだけならいいけれど。
ランドは、すすめられた酒の最初の一杯だけにとどめておいた。
ヘイガー族の報復があるかもしれないのに、ヴァンナ族は無防備すぎないか。 〈神うつりの儀〉が行なわれているとヘイガーが知れば、三夜にわたる宴会は絶好の襲撃の機会になるんじゃないか。ランドはそんな不安をいだいた。
葉むらのざわめきにまじって、枝葉の折れる音を聞いた。ランドはハッと身がまえ、耳をすました。木立のなかをなにかが迫っている。
つぎの瞬間、トーテムポールのうしろの森がわれた。炎の明かりに照らされた、身のたけ3メートル近い、黒い輪郭が大きく立ちあがった。
灰色熊だとランドは見てとった。ヴァンナ族の声があがり、混乱した人影が焚火の周囲をあちこち動きまわる。戦士たちは酒に酔ったうえ丸腰だ。ランドも自分の弓矢を集会所に置いてきていた。
灰色熊がうなり、7メートルのトーテムポールを片腕の一撃でなぎたおした。猛りくるっていた。熊は燃えあがる炎をさけ、森の周囲を迂回していく。その足取りには目的がうかがえた。
熊がなにかを嗅ぎつけたようだ。四つ足になり、広場の奥に猛然と走りだした。いけない。女子供のいる集落に向かっている――。
ランドは複合弓を取りに集会所に向かった。
村人の逃げまどう集落では、灰色熊が、木の骨組みと樹皮でできた小屋を破壊していた。粗末な住居のいたるところから、赤んぼうを抱いた女性や、子供が飛びだし、恐怖の叫びをあげている。
ランドは、入りみだれる人なみをかきわけて進んだ。混乱して行きかう村人が邪魔で、暴れる熊に弓の狙いをつけられない。人の流れのなかに、自分の小屋からようやく武器を持ちだした戦士もまざっていた。
「猛りくるう獣よ、静まりなさい。アトレイの神の名のもとに命じます」
イエイツ司祭の声が聞こえた。静まるわけないじゃないか。ランドは人びとのあいだで伸びあがった。灰色熊が筋肉をもりあげた背中の向こうに、イエイツの黒装束が立ちはだかっていた。
イエイツの背後の小屋の入り口には、白い狼のかぶりものをした宿神と、丸木弓を手にしたトージャがいる。
「破壊行為は断じて許しません。すぐに森に戻るのです」
イエイツの説得が、熊の耳に届くはずもなかった。熊がすさまじいうなり声をあげ、太い両腕を振りあげて立ちあがった。
イエイツの長身が伸びあがり、そのまま尻もちをついた。顔に恐怖の表情をうかべ、手足をじたばたさせている。腰が抜けたようだ。
トージャが一歩前に出て、丸木弓をかまえた。
ランドに弓の腕前をほめられた自信が、トージャを行動にかりたてたんだ。熊の急所を一発で仕留めなければならない。手負いの獣はいっそう狂暴になる。つぎの矢をつがえる前に、トージャは殴り殺されるだろう。
「トージャ、のどだ。のどを狙うんだ」
ランドの声をかぎりの叫びは、人びとの声にかきけされた。いや、トージャに共通語は通じないんだ。ランドは、ひしめく村人をかきわけ押しのけ先を急ぐ。
灰色熊の咆哮があがった。ランドがようやく人波から抜けだすと、胸に矢を突きたてた熊が、片腕を振りあげているところだった。その真下に、あわてて矢筒をさぐるトージャがいた。
ランドはすぐさま弓をかまえる。弦がなにかに引っかかった。うしろの女性のケープの房飾りがからんでいた。だめだ、もう間にあわない――。
『ウォーケン』野太い声がとどろきわたった。
つぎの瞬間、腕を振りおろした灰色熊がかき消えた。
頭をかかえたトージャの前に、両腕を広げた宿神が立ちはだかっていた。腰をぬかしたイエイツの見開いた目が、熊のいた虚空を見上げている。
集落をうめつくした村人から声があがった。『ウォーケン、ウォーケン』くりかえし歓呼する。賞賛の叫びはとどまるところをしらなかった。
ランドも、宿神の偉大な力に驚いていた。
「すばらしい」マーシャルがいつのまにか、ランドの横に立っていた。切れ長の目でランドを見やり、「これがウォーケンの力なんですよ」
そう感嘆するマーシャルは、アトレイ神の信者じゃなかったか。アトレイ教を広めるため、ヴァンナ族の村をおとずれたんじゃなかったのか。
灰色熊が向かっていた空き家には、瀕死の子熊がいた。子熊の胸には鋭利な短剣が突きたっていた。それを見つけたトージャが、宿神に助けをもとめたらしい。
そこにイエイツ司祭がやって来た。イエイツは子熊に〈治癒〉をほどこすと申し出た。宿神は子熊を神殿に運ぶと主張した。言葉の通じない2人が言いあらそっていると、親熊が集落に暴れこんできたという。
子熊は手当のかいなく、ほどなく死んだ。
あの灰色熊が、子熊の親だったんだ。ランドはそう思った。子供とその血の匂いをかぎつけた親熊が、ヴァンナ族の村にあらわれた。子熊が親をおびきよせたんだ。その子熊に短剣を刺し、空き家に放置したのは誰なのか――。
続