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どす黒い野望と人質と

 まだ、主人は落ち込んでいるだろうか、多分そうだろう。

 そんな悩みを抱えて扉をくぐったとき、そうでないものを見てヘレンはやられた、そう思った。

「ヘレン、早く荷造りをしなさいな。わたしは残るから」

「どういうことですか、お嬢様。まさか御自身で公子のいる戦場に行こうとか思っておられませんよね? 公国は春先ですが、戦場はまだ冬ですよ」

「ええ、知っているわ。寒いのは苦手なのよ。毛皮を持つあなたたちと違って、わたし、人間だから」

 アンリエッタはあろうことか、さっさと機嫌を直していて、机に向かい書類を作成していた。

 彼女の態度には焦りとか、悩みとか、苛立ちとか。

 そういったさきほどまでこの部屋の中を占めていたはずの感情が、どこにも見受けられなかった。

「ところで、話はついたの?」

「は?」

 頭に両手を耳のようにして突き出して、アンリエッタは扉を見た。

 まるでそれはさっきの騎士とヘレンとの会話を知っているわよ? そう言っているように、侍女には見えた。

「まさか‥‥‥聞こえておられたのですか?」

「まさか! わたしの五感は人間よる少し良い程度よ。まあ、この髪と、夜でも良く見える目以外は」

「じゃあ、なぜ‥‥‥?」

「あなたがこの手紙のインクの匂いと、紙から漂ってくる土地の匂いと、わたしの身体から匂う不安の香り。それをかぎ取ってやることなんて、さっさと王国に全員で戻るようにするくらいでしょ?」

「呆れたものです、そこまでおわかりなのに、どうしてそんなに余裕の表情で椅子に座られているんですか? まるで、ここから動く気はない、なんていうように見えますよ?」

「ああ、それは簡単。動く気がないからよ、ヘレン?」

 侍女長はさらに信じられないと顔を横に振った。

 主人を見捨てていけない。そんな感じにアンリエッタには見えた。

「そんなっ。なりませんよ、お嬢様!」

「でもね、ヘレン」

「でも? どうするのです?」

 ヘレンは眉をしかめた。

 主人の考えがいま一つ理解できない。

「あなたたちは、王国に戻りなさい。自分の意思ではなく、わたしがそう命じた、と言ってね」

「お嬢様‥‥‥そりゃ確かに国王陛下はお怒りになるでしょうけど」

「そうね。婚約破棄をされて、報復もせずに舞い戻ったとなれば、戦士としては不名誉だもの」

「ですが、それは戦士の掟です。お嬢様は戦士では‥‥‥」

「そうでもないわよ。国を代表してここにいるのだもの。戦士だとおじい様には何度も言われてきたから、間違いないわ。だから、わたしは残るの。あなたたちは、主人のわたしの命令で仕方なく帰国を命じられた、そう言いなさい」

「でも‥‥‥そんなこと。できません」

 ヘレンは受け入れられないと、悲しみに両手で顔を覆った。

「だって、そうでもしなきゃ、あのおじい様のすることだもの。全員の首をはねかねないわ。そうでしょう?」

 そう、アンリエッタは言ってのけた。

「……」

 国王の気質を知る侍女長はそれを否定できなかった。アンリエッタは聞き入れて欲しいと更に強く命じる。

「戦士の作法を重んじることは悪くないと思う。でも、‥‥‥大事な家臣を失うなんて、冗談じゃないわ」

「でも、お嬢様。その手紙には書かれていた内容は、王国との同盟破棄もいいところですよ、早くここから逃げださないと。捕まれば今度は帝国に引き渡され、捕虜の賠償金請求に使われます‥‥‥」

 侍女は心配そうに言った。その予感が最悪、外れていることを祈りながら。

「そうね。王国には負担になるでしょう。それでも、わたしにはあなたたちが大事なの。だから戻りなさい」

「お嬢様‥‥‥」

 あまりにもショックだったのだろう。ヘレンはアンリエッタに差し出すべきクッキーを一つ、その口に放り込んでいた。

 それを見て、アンリエッタは苦笑する。

 それから、言い聞かせるように詳しく説明を始めた。

「いいこと、ヘレン。もう泣くのは止めたわ。悔しいし、まだ泣きたいけどわたしは王国の王女だから。イブリース様の意図は明白なの。わかるでしょ、うちの王国の習慣、十倍返しなんて、めちゃくちゃなのだから」

「ですが、それがどうつながるのです、お嬢様」

 だから、とアンリエッタはクッキーを一枚手にして頬張りながら説明を続ける。

「二国が婚約した時、どちらの国の慣習を優先することにしたか。当然、王国よね?だって、公国は王国の庇護下で帝国に対抗して来たのだから」

「ああ‥‥‥なんてこと。あの緑の髪の詐欺師は、婚約破棄の賠償金を払うどころか。お嬢様を帝国の捕虜にすることで、帳消しにするつもりなんだ‥‥‥なんて可哀想なお嬢様‥‥‥」

「ね、ヘレン。そう言いながら、わたしのクッキーを食べるをやめてくれない?」

「ああ、すいません、お嬢様。でも、今日のは、香ばしくて良い焼け具合ですね」

「‥‥‥緊張感が無いのはどちらなの、ヘレン?」

 アンリエッタは呆れてしまう。

 ヘレンはすいません、と悪びれずに謝ったが、その手がクッキーを口元に運ぶのをやめようとはしなかった。

「あなたの食欲を満たせられたなら、コックも満足なんじゃない? それに考えてよ。わたしが公国から与えられた、この離宮から王国まで馬車で約一月の距離。そこを、あなたたち純粋な蒼狼族の戦士なら、二週間はかからないはず。でも‥‥‥」

「でも、なんですか?」

「わたしは人間よ、荷物をまとめて馬車何台になる? その間に公国の軍隊が追い付いてくるわよ。友好国の竜公国にでも、援助を要請する? 飛竜なら三日とかからない、でもなんて言うの? 自国の王女が危険だから、助けてくれ? 王国から貸し与えた部下だけでは不安だから?」

 あのプライドの高いおじい様が許すわけがない、とアンリエッタは心で嘆息した。


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