賢者の息吹
どうやら、女王リーゼが真っ先にその真実に気付いたらしい。
なるほど、と片頬を上げて唸るように言うと、イブリースを見て技の正体を言い当てていた。
「賢者の息吹‥‥‥音に聞いた、魔王だけでなく神ですらも従えるという、あれか‥‥‥」
「かもしれませんな、俺はイブリース」
「宿敵の公子ではなさそうだが? イブリース殿、いや、賢者イブリース殿‥‥‥」
「かつての爵位で言うならば、つまらん階位だが。良いのか?」
「聞いておこう。それで誰かが判別できるならば」
「‥‥‥ルゲル枢軸連邦」
「敵ではないな。味方とも言いづらいが」
「主君殺しだ」
「ほう‥‥‥で?」
「アッショリーダ王国はブラム大王が麾下、アーブル地方に領土を持つ。いや、持っていた。バートン大公イブリース。それが俺の名だ」
「アッショリーダ? あのトェダ大森林に広く領地を持つ大貴族ではないか。我らが始祖と契約を交わしたという、深緑の龍帝の孫にあたる金麦の竜王の住まう山脈。そこにも領地を持つ古き血統の一族‥‥‥」
「かもしれんな? 生憎と、俺には祖先のような偉大な魔法の才覚は無い」
「だが、賢者であらせられる」
「最近なっただけの、最下層の存在だよ」
アンリエッタを抱き上げて、自分の膝上に座らせるとイブリースは興味が無いといったように手を振った。
アンリエッタは、故郷で祖父が部下にして見せたような雄大な王としての姿を、イブリースに重ね見ていた。
そして、情報をやり取りするためだろう。
光の薄い板が、リーゼ女王の前に恭しく捧げられる。
彼女はそれを見て、面白そうな声を上げた。
「これはっ! バートン大公様、大地母神ラーディアナの聖女殺しに、主君たる先代ブラム大王の殺害事件まで。その首謀者として名が上がっておりますね」
「だろうな」
「否定はされない、と?」
「もちろんだ。俺は妻を大王に殺されたようなもの。だから復讐を果たした。夫の無念は妻が、妻の無念は夫が晴らす。古き戦士の誓いだろう?」
「‥‥‥ふう。それはそうですが。なぜ、殺害を? 主君殺しは大罪だとご理解されているはず。どうも奇妙な言い訳ですね?」
「あなたには関係ないわっ!」
「アンリエッタ! 黙っていろ」
「だって、あなた‥‥‥」
アンリエッタは仲間を侮辱されたように感じていた。狼は仲間の尊厳を踏みにじる存在を許さない。ただ、この場合‥‥‥あれ? わたしが上。彼が上? そんな場違いな疑問も、少女は抱えていた。
「いいから、話はまだあるんだ。そうだろ、女王陛下?」
「確かに。これは国家の警察機構にしか流れていない内容のようですね。いかが?」
「いかがって‥‥‥」
従者がリーゼに託されたそれを、イブリースに運んで来る。
アンリエッタが見られるようにイブリースはそれを片手に持ち替えた。
「‥‥‥大地母神ラーディアナの天空大陸の本殿より、聖女の自害を認める。自殺理由は先代ブラム大王による、神殿勢力の掌握を看破したため。どういうこと、イブリース?」
「そのままだ。ブラム大王は新しき神を建てようとしていた」
「ああ、それでね。東の大陸に勢力を起こした聖教会はその後ろ盾になった模様。しかし、この企ては逆俗とされた救国の英雄‥‥‥ねえ、これどうなっているの、イブリース?」
「知らん。俺は世俗には興味が無い。第一、あなたに会った時は確実に追われていた」
「それはそうか。救国の英雄、バートン大公イブリース‥‥‥ね。もう国に戻ってもいいんじゃないの、あなた」
「俺は知らないと言っているだろう」
そうイブリースが言った時だ。
リーゼが楽しそうに笑いだした。まるで、事情を知らないものが焦っているのを楽しむかのようだった。
「その通達は、つい一週間前に出たものですよ。ご存知ないのも仕方ありません」
「一週間? しかし、こうも簡単に現実が変わるわけがない」
「そこはなんと言いますか。ある国で。そう、あなたが治めていた領土の下流域に住まれていたある神が、不毛の大地であった大河の下流域を豊穣にするという契約を結ばれたようですね。とある、人の国と」
「だからどうした、と?」
「神の契約が成されたのですから、さまざまな近隣の国々の情勢も多くの神々によって調査されます。結果として、あなたは無実を証明された。大した強運ですね、イブリース様」
「ふっ、なんだよ、神の契約って。フフフ‥‥‥」
「イブリース??」
「いや、すまない。つい、な。今は止めておこう。それで、女王陛下、俺たちをどうするつもりだ?」
リーゼの片手は軽く動く。
それはまるでアンリエッタが被っている魔法を、そのベールを脱がすような仕草に見えた。




