剣より長い槍を突き付けて
「そうね、ごめんなさい。気が動転しているのかも。彼よりはわたしの方が、リーチは有利なはずよね。遠い戦地よりも公国の都にいるし、王国にもここの方が近いもの」
自信がありそうに語り、しかし、アンリエッタは多分、と付け加えた。
「多分ですか、まったく‥‥‥いつものお嬢様らしくもなく弱気けど、私には理解できますよ、可哀想なお嬢様」
と、ヘレンは主人に同情を寄せた。
「お嬢様、どうします? 国王陛下にこのことを伝えるにしても、時間がかかります。決めるなら早くしないと!」
「分かっているわよ。こんな文面で寄越すくらいなら、捕虜になった。助けてくれって書いて寄越した方がまだ良かったのよ」
「公子様が、ですか? それならまだ、合理的かしら?」
ヘレンはどうかしら、と眉間に皺を寄せた。
彼がそうするとは、彼女にはとても信じられなかったのだ。
「だって、それなら、わたしは婚約者として、おじい様に泣きついてでも、王国をこの戦争に引き込んで彼を助けに行くわ」
「それはどうですかねえ」
「なによ。おじい様は孫娘が可愛くないの?」
「たかだか、地方の公国。王国の領土は北の山脈と大森林の全てです。公国の四十倍はある領土ですよ? 見捨てて、さっさと戻ってこい。そう言われるに決まっています」
「いくならお前一人でいけとは……言われそうね」
そうでしょうねえ、と侍女長は深くうなずいた。王妃の故郷だからというだけで、アンリエッタの祖父は孫娘をこの公国に与えた訳ではなかったからだ。
そこには、戦士として希少な存在である、イブリース公子が関わっていた。
「多分、そう言われるでしょうね。イブリース様はその身に、風の精霊を宿した精霊剣士。大陸で数えても十数名しかいない稀有な存在」
「そうねえ、そんな戦士が捕虜になることをおじい様はよしとは‥‥‥しないわよね」
「蒼狼族は、戦士に対して甘くないですよ」
ヘレンはアンリエッタに忠告のようにそう言った。
「その精霊剣士と対等に戦えるのが、蒼狼族の王族だっていうのに。なんの力も持たないわたしは、単なる役立たずね」
現実を見てしまい、アンリエッタは肩を落としてしまう。
ヘレンは慌ててお茶の提案をした。
「あの、お嬢様? とりあえず、ケーキと紅茶を用意して参りますから。それから二人で相談と致しませんか?」
「そうね、お願いするわ」
「では、一度失礼しますね。いいですか、早まった結論はいけませんよ?」
「はーい、‥‥‥頭の片隅に置いておくわ」
ヘレンはにこやかに笑顔を遺して部屋を退室した。
そして外で控えていた入り口を守る同族の騎士に、素早く目配せをする。
騎士は、長い廊下の角にいる衛士に対して、低い唸り声を出した。
この屋敷を固めて守っている過半数は、蒼狼族の騎士か衛士、従僕たちだ。彼は鋭敏なその耳で、室内の会話を聞いていた。
衛士は軽く一礼すると、姿を消した。
「国王陛下にどう申し上げれば?」
騎士は人間には聞こえない、低い声でヘレンに問いかけた。侍女長は、戦士のような光を宿した目つきで静かに答える。
「そうねえ。どうしたものかしら」
「国王陛下は笑顔ではいられないかと」
「そんなことは分かっています。かと言って、このままでは、終わりにできないしねえ」
ふう、と大きくため息をついた。
どこか悩みあぐねている、そんな素振りだった。
騎士もそれを知っているのか、アンリエッタの部屋の扉とヘレンとを交互に見やり、困惑の色を顔に浮かべていた。
「王国は、アンリエッタ様のおばあ様。いまの王妃様に、大きな恩義がありからねえ‥‥‥」
「困ったものですな。緑の髪をした風は、帝国に風向きを変えた。そう伝えるべきかどうか悩む、と?」
「そうよ。あの緑の髪の公子ったら。こんな裏切りをしてくれるなんて、思ってもみなかった」
「前から軽薄そうだとは、思っておりましたがね」
「やめなさい、姫様に聞こえたらどうするのよ」
「すいません」
騎士はしまったと口を閉じた。
「姫様を無事に公国から王国にお連れしなければならないわ」
「なら、今すぐにどうこうはしないほうが宜しいのでは? 公都にいる分には安全が見込めるはずです」
ヘレンは呆れたように肩をすくめた。
辺りを見渡し、窓の外の光景を見なさい、そう騎士に促してみる。
「こんな公都の外にいて? 王国は真反対で、帝国の領土の境は、はるか先の砂漠の向こう側。その手前には」
「帝国と同盟関係にある幾つかの国がありますな」
「つまり、ここは最も安全じゃない。そういうことよ。わかったら、さっさと仕度しなさい」
ヘレンは騎士にそう指示して、お菓子や紅茶類を用意して再度、部屋の扉を叩いた。