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巨大な航空艦

「あなたが戻ってからしばらくして、お腹が空いたから昼食を買いに行ったの」

「うん、それでどうした?」

「ラウンジには旅行客があふれていたから、わたし、借りていた毛布を席に置いて確保したつもりだったのよ」

「毛布? だが、そんなものはどかされたら意味がないだろう」

「ええ、そうね――確かに無くなっていた」

「無くなっていた? じゃあ、あの女性がその席にいたのか?」

 いいえ、違うわとアンリエッタは首を振る。

 食事を買って戻ると、確保していたはずの席は空いていたとイブリースに告げた。

「空いていたわ。それに周りの席は誰も座っていなかった。考えてみたら、あそこは一般の客には解放されてなかったのね」

「まあ、そうだな。一応、上顧客用の別席だったはずだ」

「なるほどね。でも、座る人はいなかったわ。まるで誰かが、そうしないようにしていたみたい」

「なぜ、そう思うんだ?」

「だって、他にもあのブースには客はいたのよ。あんな見晴らしがいい席、そうそうないわ」

「ああ、そういうことか。確かに朝方は寒かったが、あの時間帯からなら温かくなるだろうから、人気がある席かもしれない」

「そうなの。でも誰もいなかったの。いなかったというよりは、左右に数席、まるで予約でもしているかのように空いていたわ」

「変な話だ。奇妙なものだな」

 そして、食事をしていると彼女が声をかけてきたのだと、アンリエッタはイブリースに告げた。

 ただし、彼女が座っていた席には誰もいなかったし、自分のこの狼の耳にも鼻にも何も誰もいることは感知できなかった、とも。

 イブリースはその耳と鼻にいくぶん懐疑的な目を向けていたが、アンリエッタの言い分は聞いてくれていた。

「何よ、じろじろと……」

「いや、その耳にしても鼻にしてもあれだ。舌まで敏感になるはずなのに、鈍感‥‥‥いや、何でもない」

「あなた、こんな時に嫌味を言うの? 本当にひどい人。さっきまであんなに……」

「あんなに? どうした?」

「何でもないわ、嫌いよ。イブリースなんて」

「嫌わないでくれ。優れた感覚に慣れて欲しいと思っているだけだ」

「本当に?」

「もちろん」

「納得いかないけど、まあいいわ。それより、彼女よ。乗組員にしても、単なる船員とは思えない」

「同感だ。それにあの時の顔も俺は忘れていない」

「顔? どういうことですか?」

 覚えていないのか?

 これは困ったとイブリースは苦笑する。

 彼としては、あの発言に何か意図があると思っていたからだ。

 しかし、それは誤りだったらしい。

 どうやら、アンリエッタはどこか天然というか。

 たまに記憶にずれでもあるらしい、とイブリースは思ってしまう。

 アンリエッタはいぶかしげに目を半眼にしてにらんでいた。

「どういうことなの……?」

「どうもなにも、アンリエッタ。二回目だぞ」

「二回目? 何が?」

「ラッセルとライオットを間違えて発言したのが。覚えがないのか?」

「えっ。覚えてないわ。一度目はあるけど、あなたがからかうなといった時」

「そう。そしてあの女性船員の前で俺の紹介をしただろう? ライオット、だと」

「あっ……」

「気づいたか? クロエと名乗らなかっただけ、まだ良かったな。ひやひやしたよ。だから、聞いたのさ。その耳はどこまでの音を拾えるか、と」

 あの立ち入り禁止だと言われた場所で、確かに自分は彼をライオットと呼んだ。

 もし、それを聞きつけてあの三人がやってきたのだとしたら。

「ごめん……なさい。わたし、そこまで気が付かなくて‥‥‥どうしよう」

「いいさ。どうせ、遅かれ早かれ、何かは起こるものだ。それよりもその耳だよ。ラウンジの隅々まで聞こえるなら、それなりに範囲が広いことになる。俺もあの場所から円形に結界を張っていたんだ」

「そうなの? 魔法はまったく分からないわ」

「お嬢様があちこちに迷うから、保険はいるんだよ。さて、その結界の外にいた彼女たちが音を拾えているかはなんとも謎なところだ」

「わたしも何も聞き取れなかったわ。臭いは……自信がないけど」

「あまり詳しくはないが、犬の方が耳、鼻ともに優れているとは聞いたことがある」

「狼よっ」

「そうだな、人狼だ。それも、精霊の加護を受けた王族と来ている。血は薄いが、先祖返りをした今なら他の王族にも劣りはしないかもしれん。それでも察知できなかったのに、相手は知っていた。もしくは、気づいた」

「あの場所に誰かがいたと気づいた?」

「そうだ」

 しかし、とイブリースはまた何やら不思議なものを手の中に浮かび上がらせた。

 それは光の球のようであり、中には四棟からなる船のような物が線で描かれていて、まるで何かの設計図のようにアンリエッタには見えた。

「……何よその、緑色の怪しいのは」

「この船だよ、我がアンリエッタ」

「小馬鹿にしないでくださらない? 見ればわかります」

「反応が薄いからな。こんなもの、目にしたことがないだろう?」

「ないけど、あなたがすることだもの。もう慣れちゃったわ。で、それがどうしたの?」

「船の外側にはこんな状態で力場がめぐらされている。その情報を借りたのさ。いま、この船がどうなっているか知りたくないか?」

「船が? だって、帝国に向かっているんじゃないの?」

 航路はそうさ。

 イブリースはそう言うと、空中にその光球を放り投げた。

 光の球は躍動すると身震いでもするかのように瞬き、数倍の大きさに膨れ上がる。

 その中にはさっきと大きさが変わらない自分たちが乗る船と別の何かが映し出されていた。

「船が二つ? 向こうの方が大きいわ」

「そうだな。さしずめ、飛行船か。もしくは航空艦か。そんな規模だ」

「……何なの、これ。どうしてこんな大きいものが――」

「つまり、猫耳族の更に上がお出ましした。そういうことだろうな」

「じゃあ、さっきの三人は? 船内に異常がないかを確認していたっていうことなの?」

「それならいいんだが。もしかしたら、そうでもないかもな。アンリエッタ」

「何?」

「改めて、ラウンジに行かないか? 俺の腹がまだ足りないらしい」

「はあ?」

 渋るアンリエッタを連れて、イブリースはそのまま部屋を後にした。


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