新たな門出
待っていたのは、店主からのクレームだった。
まあ、無理もない。
予定よりも相当早く、依頼したものを仕上げるように急かしたのだから。
「早いな。二週間はどこに行った?」
「うるさい。これでも丁寧に作ったんだ、感謝しろ。で、どこに行く気だ? この南の大陸は‥‥‥もう、手が回っているだろう?」
ロデムは多くの旅用の食糧だの、衣類だのを買い込んできたアンリエッタを見て、羨ましいと言っていた。
これが弟子なんて、あり得ないとも言いながら。
「西の大陸に行く。太陽神アギトの法王庁なら、亜人も悪い扱いにはしないと聞くしな。俺も、この腕の見せ場があるかもしれん」
「腕ねえ? やさぐれた魔導士風情がなにを言うかわからんが。まあ、頑張って来いよ」
「あの帝国が先代の法王猊下を引きずり下ろした際に、聖者様の見えない塔も崩れ去ったって話だ。もう、神様はいないのかもしれないな」
「ロデム、そうぼやくなよ」
「ボヤきたくもなるさ。ここは枢軸と帝国、公国の境目だぞ? どこにつくかで、何もかもが変わってくる。俺もそろそろ足をあらうときかもな」
「ま、またどこかでな?」
「おじさん、ありがとうございました」
そうあいさつをして、二人は戸口から消えてしまった。
「ねえ、イブリース。一つだけ質問をしていいかしら」
「何だよ改まって」
「あなた、どうして自決しなかったの?」
「理由は話したろ?」
「それが真実だとはどうしても思えないの。あなたがわたしを買わない理由が何かはだいたい分かったんだけど、それだけが分からないのよ」
「何だよ、分かったって‥‥‥」
「負い目を感じているんでしょ? 奥様を守れなかったことに」
「‥‥‥」
「図星ね。でも、敵討ちが終わったのに死なない理由が分からないの。貴族なら、その後を追っても良かったのに。怖かった? 賢者になったことと、関係があるんじゃないの?」
虚空の世界を歩みながら、イブリースは渋い顔になる。
読まれている。
そう思うと、何も言いたくなかった。
「言ってくれないの? これから長い時間を共に過ごすのに。あなた、産まれてくる子供の父親にもなるのよ?」
「なっ‥‥‥勝手に何を」
「結婚はしないわ。妻にもならないし、恋人も嫌。身体だって許してあげない。でも、父親代わりは必要だと思うの。そうは思わない?」
「知らん。どんな役割だよ、まったく‥‥‥」
「なってもらいます。わたしの時間を全部上げるんだから」
「全部? ふざけるな、長すぎる。産まれたら――そうもいかないな。いつになったら迎えに行けるのやら」
「誰を迎えに行くの?」
「それはどうでも良いだろう。だが、子供が育った時に賢者が現れるそうだ。俺以外の‥‥‥そんな奴に心当たりがない」
「じゃあ、長い時間がかかるかもね。で、どうして死ななかったの? なんで賢者になったの?」
質問ばかりだ。
閉口しそうになりながら、それは、とイブリースは口を開いていた。
「国王が新しく引き入れようとしていた神がいる。だが、その神はどう考えても神らしくない教義を広めようとしていた。それに、あの刺客たちだ。まるで死人のように何度斬っても、斬っても、立ち上がってきた。その頃だ、帝国が枢軸にある聖者サユキの住む法皇庁の塔と落としたという噂が回っていた」
「聖者サユキって、神々の王と言われたあの? 存在していたのね‥‥‥」
「それは分からん。だが、俺は考えた。王がいなくなり、魔が好き勝手に暴れ出した。そして、ミーシャが犠牲になったのではないかと。だからだよ、賢者になったのは」
「それで? 敵は見つかったの?」
「‥‥‥数年前。剣聖に滅ぼされた魔王のなかに、似た教義を持つやつがいた。それがどこかに生き延びた可能性がある。ずっと敵討ちだと思ってこの大陸をさまよっていたんだ。それだけだよ」
「探すの? それともいいの、西の大陸に行って? 敵討ちができなくなるかも」
「いい。ミーシャが生きていることが分かった。それだけでも、良いんだ」
そう言い、イブリースが顔をそらすとアンリエッタはありがとうと静かに言った。
彼のあとに続きながら、そっとあることを呟く。
イブリースはそれを聞こえないふりとしながら、行くぞと声をかけた。
「いつか、一緒に討ちましょうよ。その敵を」
アンリエッタの呟きは静かに虚空の狭間に消えていくのだった。




