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始まりの手紙

 窓の外に見える公国の城。その尖塔のはるか向こうの空に、一隻の飛行船がぼんやりと浮かんで見えた。

 銀色なのか、それとも、金属の外板が反射しているのかは不明だが、時折、キラッキラっと陽光を反射している。

 その光が、いま自分が見ている窓から顔に向けて飛び込んできて、少女は眩しさに目を細めた。

 こちらは、自分の将来に関する決断を迫られているというのに、あの飛行船ときたら雲と並走するようにして、のんびりと大空を渡っていく。

「あれに乗れたら、自由になれるかしら……」

 はあ、と重いため息が口を突いて出た。

 少女は窓から手元に視線をやると、また深い熟考に戻っていった。


 どうするの?

 どれを選んでも、彼の結論は決まっているように思えた。

 少女は新たな岐路の選択を迫られていた。

 目の前に開かれた手紙には、彼なりに気を使ったのかしら? そう思える文体で、彼女の人生を左右する内容が書かれていた。



『我が最愛の人、アンリエッタ。

 遠い戦場で俺はこの手紙を書いている。

 戦況はまあまあだ。しかし、戻れるのは数年先になるだろう。

 このままでは君に幸せを捧げることは難しいかもしれない。

 子供を産む時期が遅くなる。公国には不利な話だ。

 婚約の破棄を提案したい。

 俺は敵国の皇女ラーミアを娶ろうと思う。

 君より若い十二歳だ。どうか、新たな幸せを見つけて欲しい。

 すまない』



「すまない‥‥‥ですか――」

 遠慮がちに書かれた文面をもう何度読み返したことだろう。

 口に出し、耳で聞き、手でなぞり、目で理解する。

 何度もそんなことをして、いい加減に現実を受け入れることのできない自分がいる。

「どうするの、イブリース様、未来の旦那様。あなた、こんな手紙一枚でわたしを疎遠にできるとでも思っているの? 子供を産む年齢を気にするなら、わたしを戦場に呼びつければ済むだけの話なのに‥‥‥」

 なんて頭が回らない人なのかしら。

 心のどこかで彼の思いやりのなさに絶望し、幻滅した。

 と同時にこれまでほったらかしにされていた悲しみの日々が、思い返される。

 ずっと彼だけを思い続けた数年。

 そのためだけに、人生を費やしてきた自分自身が、まるで間抜けみたいだった。

 ただ、彼の無事の帰国を祈っていた自分が、ずっといた。その過去を、自嘲気味に笑ってしまう。

「婚約したのが六年前。それから二年間は恋人のような、それでいて友人のような時間を過ごして‥‥‥あの人が戦場の前線に出て行ったのが四年前、かあ」

 ぼやきと共に、文面に視線が戻る。

 こんなにひどい手紙を受け取った後には、何も残らない。

 アンリエッタの心には、そんな怒りとむなしさだけが、渦巻いていた。

 怒りのあまり、独りの寂しさにも、もう慣れちゃった‥‥‥どうしようかな、とむしろ冷静になれるほどだった。

 手紙を読んだ後に、寂しさが残らない。不思議な感覚だった。むしろ、せいせいするというか、これはなんだろう、と首を傾げる。

「あれ? もしかして、彼に優しくされたあのときから‥‥‥?」

 心のどこかで予感していた? そんな気になってしまうから不思議だった。

 イブリース公子は、半年前にふらりと公国に戻って来た。

 彼が公都にあるアンリエッタの屋敷に姿を現した時、彼は素晴らしい美丈夫に成長していた。

 偉丈夫といってもいいかもしれない。戦場で鍛え上げられた男の中の男。その時の彼は、アンリエッタにとってまさに、その一言に尽きた。

「あの時は、胸がときめいたのよね。これはおじい様の血がそうさせるかもしれない。蒼狼族は戦える者が好まれる種族だから‥‥‥」

 そうぼやいた彼女、アンリエッタは十六歳。

 蒼い腰まである髪に、狼のような切れ長の緑の瞳。獣人族と人間族のクォーター。蒼狼族という、獣人の王国‥‥‥グリムガルの王族の端に連なる少女だった。しかし、獣人の祖父から受け継いだのは、蒼い髪だけだ。

 純粋な蒼狼族のように狼への変身も、魔法も、戦闘に特化した素晴らしい身体能力もない。

 あるのは、人間をはるかに超えた五感だけだ。少しばかり感覚の鋭敏な混血児。

 それが、カールトン公爵家令嬢アンリエッタだった。


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