猫耳と道具屋
アンリエッタの騒動から数日後。
二人は帝国領に近いとある街にいた。
イブリースはラッセル。
アンリエッタは名を短くして、アンリと名乗っていた。
名前と共に、アンリエッタはその外見を変えていた。
蒼い髪はより黒くなり、金色の毛皮に覆われた『猫耳』と、長い赤茶色の尾を持っていた。
虚無から出た後、アンリエッタの外見は元には戻らなかった。
これはプレゼントだと、イブリースは言う。
新しい人生を別の姿で始めることはどこか不思議で、少女は落ち込んでいた顔に少しだけ笑顔が戻っていた。
この日、訪れたのは人通りの少ない裏街道にある、とある工房。
店主が今回は自信作だとある物をイブリースに渡す。
「どう思うよ?」
「ふうむ。前回はすぐにバレたからなあ」
イブリースは二枚の偽造した身分証を手にして、それをにらんでいた。
そこはイブリースが懇意にしている、裏の紹介屋が案内した偽造屋だった。
前回はイブリース、がその高額に呆れはてて値段を値切りすぎた。
そのため偽造されたものだとあっさりバレてしまったのだが‥‥‥。
「今回は、いいな!」
「いいなって‥‥‥あんたが貧乏人みたいに値切るからだろうが? たかだか、金貨二枚だぞ?」
「金貨二枚でもあの時は大金だったんだ」
「何が大金だよ。うちみたいな良心的な業者、どこを探してもないぞ? それを銀貨五十枚に値切ったのはどこの誰だ? 四分の一の値段じゃ、あんなもんだよ」
偽造屋はどこか異邦の人らしい。頭を黒い布で蒔き、豊かなヒゲを腹辺りまで伸ばしていた。
まあ、彼が言う金貨二枚は庶民からすれば大金である。
しかし、とアンリエッタはイブリースをたしなめていた。
偽造するなら、それなりのリスクを背負うのだから、高額なのは当たり前だ、と。
「そう言うなよ、アンリ。あの時は仕方なかったんだ」
「仕方なかったねえ。みんなそう言うわよ。何かあれば、あの時は仕方なかったって」
「小言を言って俺を責めるなよ」
「まあ、いいけど。ところで、ラッセル。彼の腕はその、確か、なの‥‥‥?」
「と、うちのは言っているが?」
話を振られて、偽造屋は面白くなさそうに片方の眉を跳ね上げた。
こんなにも丁寧に仕事をしたのに、なんて言い草だと怒っていた。
「失礼な! 俺の腕は悪くないぞ? なんなら、これを見て行けよ」
「何、これ」
偽造屋はアロンと言う名前で通っているらしい。
アロンは数枚の偽造した贋作の身分証を、アンリエッタに見せてくれた。
アンリエッタはそれらをまじまじと見つめ、中に公国や王国の貴族が持つ身分証を見つけると、自身の持つそれと比較していた。
王国の身分証は特殊なインクを使っていて、それは日光などに照らすと反射する。
それをたまたま知っていたから比較してみたのだが‥‥‥。
「凄い、どこでこのインクを‥‥‥」
「どこででもいいだろ? あんたもいい身分証を持っているな? なんだ、見せてくれよ」
「これは、その亡くなられたご主人様から、その‥‥‥」
「あん? ああ、そういうことか」
彼は片手の指先を曲げて盗んだんだな?
そんな素振りをして見せる。
それは自分のものです、とは言えずアンリは顔を真っ赤にして俯いていた。
「やれやれ、片方はどこかから逃げてきた男。片方は逃げる女、か。しかし、旦那。どこで見つけてきたんだ、猫耳族なんて。その、青黒い髪といい珍しいな?」
「蒼狼族の戻って行った家臣団から買い受けたのさ」
「奴隷、か。確かに半世紀前ほどに、戦争で負けた猫耳族の国があったな。生き残り、ってことか」
「まあそういうことだ」
「ふうん、お嬢さん」
「何です? 奴隷??」
「奴隷だろ、あんた。あんたも国を無くした身なんだな。俺も似たようなもんだ」
アロンは自分の過去とどこか似通ったものを、アンリに見たらしい。
「行く場がない、故郷がないのは辛いよな、お互いに」
そう呟くと、悲し気に頭を振っていた。
奴隷って何?
視線で訊ねるアンリエッタに、イブリースは後で説明する、と返していた。
「で、二人分な? 今回は安くはならんぞ、旦那?」
「わかったよ、正規の料金でいい。それで、いつできる?」
「うーん。そうだな、いまが週明けだから、早くて二週間だな」
「二週間か。どこかで宿を取らなきゃならんな、こりゃ」
「宿なら、この街に取れば良いだろう? ほれ、先払いだ。全額払いな」
そうアロンは手を出すと、イブリースから金貨五枚をふんだくっていた。
暴利だ、そうぼやくイブリースをアンリエッタはなだめてやる。
そして、偽造屋に尋ねられた事柄に応えていった。
名前、年齢は予め決めた通りに、素性や苗字などはわからないとしておいた。
「はーん、アンリにラッセル、な。今回は貴族様名の敬称はなしか?」
「ああ、それなら。あれだ、ルイゼル子爵としておいてくれ」
「ルイゼル? 聞かない氏名だな? まあ、いいか。どうせ、帝国に行けば詮索されることもなかろう」
「それは何故ですか?」
アンリエッタは世間を知らない。
そういうことにしている。
奴隷が他国の状況に詳しくなくてもそれは不思議ではないから、偽造屋は馬鹿丁寧に答えていた。




