神に弓引く者
具体案。
そんなものがあれば、もっと賢くやっている。
そう思った時、アンリエッタはふと思いついた。
もしかしたら‥‥‥。
「あなたと出会うことがなければ、わたしは逃げる必要は無かったのでは? 大体、ここに誘ったのも、真実を話すと言ったのもあなたではありませんか! ならっ」
「なら、なんだよ? その全てを俺に託す、とでもいうのか?」
「そんな話はしていません! 王国のおじい様が考えたというそれだって、全部あなたの思いつきかもしれないじゃないですか、馬鹿馬鹿しい」
「馬鹿馬鹿しいだと? 良く言えたもんだな‥‥‥。自分で選んできたんじゃないのか? 臣下もあなたの意思で戻したんだろ? そんな判断ができるのにここで他人のせいにするのか? まあ、誘ったのは俺だが」
「ええ、誘われて来ましたとも! だから知りたいんです。あなたが信頼に見合うかどうかを」
「信頼、ねえ‥‥‥まあ、未来を託すと言えば大袈裟だが。あなたがいまからどうするかを決めても、俺にしかできないからな。ここからの出入りを操作することは。つまり」
距離を置いているイブリースからじろりと睨まれて、アンリエッタは思わず、貞操の危機を予感してしまった。彼も物言いならばなんでも出来そうなことを、暗に示していたからだ。
「何かすれば死にますからね?」
「何を考えたんだ、何を‥‥‥疑念と不安だらけの顔で牙をむかれても俺が困るだけだぞ? 俺が言いたいのは、そんなつまらんあなたをどうこうしようってことじゃない。行き先を自分で選ば無きゃ、なにも変わらんとそういうことを言いたいだけだ」
「だって、あなたがいつ裏切るかなんてわからないじゃない!」
アンリエッタは尾と耳と、心なしか両頬の下にふっくらと出てきた牙をむいて抗議していた。
元気がないときや不安な時は畳まれているその青い三角形の直角な耳。
いまは天を目指すように立っているし、尾なんていいマフラーになりそうなほどに膨れている。
まるで、猫みたいなやつだなとイブリースはくすりと笑ってしまう。
いつ裏切るかわからないなあ? ここは少しでもその気勢を削いでおこうかとイブリースはある事実を、突きつけてみた。
「その一番信頼していた男から裏切られたのはどこの誰だ? 逃げ出してここにいる理由は? お腹の子供を救いたいから、だったんじゃないのか?」
「え‥‥‥っと、それはそうだけど、でもあなたが信頼るかもしれないから」
「俺はここから出すだけだ。さて、もうこのやり取りにも飽きてきた。どこに行く? その前に何か言うことは?」
「うー‥‥‥ッ!」
「狼のように唸るな! お願いします、だろ? まったく、貴族様はこれだから困る‥‥‥
「何よ、その言い方。自分だって元貴族様じゃない。おまけに罪人のくせに‥‥‥!」
イブリースはしてやったと皮肉に微笑んでいた。
もう少し追い込んでおくべきかもしれない。
そう思い、言葉を重ねてみる。
「ついでに、金貨だの銀貨だの。そういったものの使い方は知っているのか? 自分で食事は作れるのか? 逃げ延びた先で生きていく方法は? 偽りの身分を手に入れる方法は? 戦い方も知らない女がどう生きる? その身体を売らなければ、生きていけないときもあるぞ?」
「ううっ!」
「なら、その際はどうする? 自分の貞操優先か? 子供優先か? 誰を頼るのかその宛は? あなたは全部が抜け落ちている気がするのは気のせいかな?」
「くっ、そこまで好き放題言われて黙っているとでも?」
「黙らないだろうな。だが、口先よりも頭を回転させるべきだろ? 言うことは?」
アンリエッタは悔し気に、尾を立ててまで抵抗するがまるでそれは意味を介さず‥‥‥。
ここは黙って頼るべきだとそんな結論が出ていたのを認めたくなくて意固地になっていた。
しかし、頼るべきなのは目の前で意地悪をするこの男しかいないと事実は、理解していた。
「た、助けてください。イブリース」
「ほう?」
「なんて、言うとでも? 言いません。何より、それを言えばあなたを巻き込むことになるわ。もし、可能ならこの公国の端。王国とは逆の場に連れて行って頂ければそれで十分です」
「そうか。まあ、俺も厄介事に首を突っ込む気はないからな。既に突っ込んでいるが‥‥‥で、どこに行きたいんだ?」
「どこにと言われても、そうねえ」
アンリエッタは記憶にある地図をさぐってみる。
あの場所は公国から西にある。
でもここから?
あの場所から歩いてだと一か月は優にかかる距離を歩いていくのはこの格好では無理だと思った。
自分の着ている物、持っている物を確認してみた。
ハンドバッグが一つ。
服の各所に隠し持っている短剣もそう多くはない。
それに比べてイブリースの方は?
こちらも衛士の制服に剣と槍のみ。
彼はどう落ち延びるなんだろ?
ふと、そこが気になった。




