逃亡犯は不敵に微笑む
そして同時に、妙だなとも思った。そううまく命令を下せるものなのか、と。
馬で一か月もかかるような、遠方の地にいながらそれができるものなのか。
何かがおかしいと、イブリースは妙に引っ掛かるものを感じていた。
そんなこととは露知らず、アンリエッタは知らされたことにただ、驚くばかりだ。
「長年仕えてくれた者たちが、今度は刺客になるなんて! 信じられない‥‥‥」
「ま、あくまで俺の推測だ。それで、あなたの結論はどうなんだ?」
「え、結論ってつまり、おじい様がそこまで考えていたかどうかを信じるか、信じないか?」
「いや、そうじゃなくてだな」
「ああ、あなたを信じるかどうか、ですか?」
「そうだ。俺を信じるのか、信じないのか。このままついてくるのか、来ないのか。どうするんだ?」
「‥‥‥わかりません。こんな信じられそうもないことばかり言われると、不信感しかでてこないわ」
「ふん、なるほどな」
「それに、こんなことは言いたくないけど‥‥‥亡くなられた奥様の話も、大きな疑問点があるし」
「疑問点? どこにあると? 俺は真実しか語ってないぞ」
「だから‥‥‥あなた、仇はもう討ったんでしょう? でも、考えてみれば召し上げなのだから。それは、家臣としては名誉ではないですか。それに、上がった先で自害するならば、上がる前にするのが普通でしょ? 冷静に考えたら、どこかに無理があります」
「うーん。それはどういう無理だ、公子妃補様?」
「だって、‥‥‥たった四年かそこらで普通の人間が、賢者になり敵討ちまでしたなら噂にも上るはず。わたしは女ですから、そんな英雄譚があれば吟遊詩人が流しで歌うのを聞いているはずです。悲哀物だとしても、知らない話だわ」
「つまり、俺は嘘つきだと。そう言いたいのかな?」
「そうではないけど。でも、矛盾があると思います。そう考えたら、行動を共にするのも不安しかないわ」
抜けているようで賢いのがめんどうくさいな。
もう一人のイブリースもそう思ったんだろうか?
この奔放でややこしい公子妃補様は、なかなか手懐けられない、と。
「矛盾、か。名誉ある自害、それは本当だ。騎士がやってきたのも、九死に一生を得たのも、賢者の塔で修行したのもな。どれも、嘘じゃない」
「なら、主君殺しは?」
「それも本当だ。嘘は言ってない」
「でも、どこかに嘘があるわ。結婚? 召し上げ? それとも本当はあなたの横恋慕で、国王様とその女性の正式な結婚に邪魔をしたとか」
「なんだよ? 俺が、ミーシャを襲い、自殺させた上に王を殺したとでも?」
「ミーシャ‥‥‥さん、なんですね。奥様?」
「あっ‥‥‥」
イブリースはしまったという顔になる。
余計な情報を与えてしまった。
まあ、知られて困るものはないが。
そう彼が思った時だ。
「お子様はいなかったのですか? イブリース?」
そう、アンリエッタは畳みかけてきた。
勘弁しろと、イブリースは頭を抱えていた。
「無理だよ、まだ十三歳だぞ! その年の貴族令嬢と、結婚したんだ。俺にだって男の意地がある、そんな子供に手を出せるものか!」
「十三歳なら普通の結婚すべき年齢ですよ?」
「だが、子供が産まれるのは十三か四だ。身体が‥‥‥細すぎたんだ。抱けるわけがないだろう? 俺はあれとの結婚が例え家同士の政略結婚だったとしても」
「だとしても? 何か」
「‥‥‥使い古された言葉だが、俺はあれを愛していた。無垢な幼女に手を出すような、そんな薄汚い男じゃあないんだ。待っていたんだよ、せめてあなたくらいにまで成長して、それで産めるようになるなら。だが、あの男はそうじゃなかった」
奴は人間じゃない。
ケダモノだ。
そう、イブリースは過去を悔やみ、うめいていた。
それならば、あなたは単なる復讐鬼ではないですか。
どこまでも冷たく、アンリエッタはイブリースにそう、言い放った。
「主君への恩義も忠義もなく、側室に上がった後は妻ではなくもう側妃なのですから。あなたよりも上なのですよ、なのに下級の者が単なる横恋慕をして、復讐をしたと世間は見るしかありませんよ。ねえ、イブリース。よく、そんなあなたを受け入れてくれましたね、賢者の塔は‥‥‥」
「呆れたように言うのは止めろ」
なら、とアンリエッタは声を重ねた。
真実が知りたい、と。
「真実か、そんなことを知ったところで、あなたに何の得がある? 王族としての矜持か? 他国の王族をその臣下が殺したということに対する怒りか?」
「呆れた。あなたは、そんなことしか考えられないのですか?」
「意味がわからんよ。俺のことよりも、いまはあなたのことだと思うぞ? この空間から抜け出る方法もそうだし、この先どうするかもまだ考えてないのだろう?他人の過去を聞いて詮索するなら、自分の身の振り方を考えたらどうだ?」
「ほら、そうやって誤魔化すから怪しいのです!」
「だからだなあ、本当にそれでいいのか」
現実を理解できているのか、公子妃補様?
あなたの方が、窮地におかれていることを、と。
呆れてしまうイブリースだった。
「だからもなにもありません! そんなにまで誤魔化したいのですか? 真実を話すと言ったのに」
「ああ、めんどうくさい女だな、あんたは」
「神殿」
「は?」
「王を討つときに騎士たちが手伝ったというのも、神殿が加勢したというのもおかしな話です。神殿が何か特別な命令、神託でも出したのでは? それなら、王を討伐する理由に当たります」
「本当にめんどうくさい女だ。勘まで良い‥‥‥」
「では、間違っていないということで良いですか? 神託が下るほどに酷い治世を行ったと、そんなところかと思いました」
「じゃあ、そういうことにしておかないか。大方、間違っていないよ」
「大方、ね。でも、あなたがその任を神から命じられたとしたら、それは勇者に近いということになると思います。でも、それほどには強くない‥‥‥賢者とは魔王と互角に戦うという伝説の勇者に近い存在なんですか?」
「女というやつは話好きだな――確かに、賢者は勇者に比肩するほどに強い。不老不死ではないのが欠点だが‥‥‥」
「でもやっぱりどこかおかしいわ。賢者様が強いとしても、それを理由に神託を出すとは思えない。神々だってそれほどに愚かじゃないはず」
まだ何か隠しているでしょう。腰に手を当てて、さあ、言いなさい。
アンリエッタはイブリースに詰め寄っていた。
真実よりも興味が、興味よりも何か別の勘のようなものが働いていた。
「鈍いのか鋭いのか‥‥‥」
「ほら、話なさいよ」
「昨今、多くの神の現世での代理人。そんなものが増えている。俺の国も例外ではなかったってことさ」
「つまり、あなたの奥様は――」
「もう、それくらいで良いだろう? 王はその代理人を手中にして、神殿すらも取り込もうとしたんだ」
「しかし、自害させてしまった、と? 神の代理人は果たして‥‥‥」
「話がずれているぞ、公子妃補様。もういいだろう? 次はあなたのことを話さないか?」
「わたし?」
「そうだ。世間知らずの公子妃補様がどう生きていくのか、聞きたいものだ」
イブリースに話を振られ、アンリエッタは言葉に詰まった。
世間を知らない自分が生きていくために必要な物。




