イブリースの真実
途端、女性が大好きな恋話がでるかもと気が乗るのは責められないかもしれない。
しかし、イブリースの返事はそのどれでもないものだった。
「城の務めが激務だった。王も代替わりなどをして、その余裕もなかったんだ。隣国とも、揉めていてその機会に恵まれなかった。妻は幼かった。そう、生きていれば、あなたくらいだ」
「ではー‥‥‥奥様は自害を? なぜ、そんなことに? 王宮に上がり、粗相でもしたのですか?」
「いや、何もしていない。あいつは何も悪くない。ただ、俺が愚かだっただけだ」
「イブリース? そう呼んでもいいですか? 他に名前でも?」
アンリエッタの質問に、好きに呼んでくれ。
イブリースはそう答えた。
まだ生きていれば、そう、これくらいだ。
ミーシャ‥‥‥
妻の面影が、脳裏によみがえり胸が苦しくなる。
イブリースは頭を振って、それを忘れることにした。
「俺は、妻を売った男なんだよ。公子妃補様‥‥‥」
「売ったって、あなた。まさか‥‥‥出世のために!」
まさか! ふんっ、とイブリースは鼻先でそれを笑い飛ばした。
「国王がな、妻を気に入ったのさ。そして側室にすると命じてきた。俺はそれを断れなかった」
「そんなっ、そんな‥‥‥むごいことを‥‥‥」
普通だよ。
それが王の権力だ。
蒼狼族でも多くの側室がいるだろう?
イブリースはアンリエッタに問いかけた。
「ええ、それはそうですけど。おじい様はそこまで乱暴にはされなかったはずです」
「なら、良い王なのかもしれんな。まあ、とにかくだ。俺は妻を後宮に入れ、自分は出世した。卑怯な男で、卑劣な夫だったのさ、わかるかな?」
「わかります。でも、その命令は――こんな言い方はしたくありませんが、光栄なことではないですか? 自分の妻が、王族に上がるのですから。あなたも、階級が上がったはず」
階級、か。イブリースは手元にあった草を引き抜くと、いくつかにちぎってその辺りに放り投げた。
つまらん考えだと、そうぼやきながら。
「元の階級が公爵だ。その上にあるのはなんだ、公子妃補様?」
「公爵? あなた、それならば王族ではないですか‥‥‥」
「いや、近いものだがそうでもない。血縁はあるが、没落貴族の末裔だからな。王族に入ることもできない、やっていた仕事は弓矢や銃などの管理だよ。それが結婚し、妻が王族になり、俺はいきなり領地持ちの大公だ。しかし、与えられた領地は、辺境のさらに奥、王都からは数か月かかる山奥に飛ばされた。敵もいない、辺鄙な村が俺の領地だ。情けない大公様だよ」
「では、あなたは奥様とは――そうね、離縁されたということになりますね‥‥‥」
「もちろん、そうだ。それはいい、俺はどうでもいい、問題は妻だ。王に抱かれるくらいなら、と自害したのさ。愛しているのは、俺だけだ。そう言い、しかし実家や俺には迷惑がかからんようにと死を選んだ。本当に、誇りのある女だったよ」
「その自害が‥‥‥認められなかったから反乱を?」
「いいや、認められたさ。俺も妻の実家にはおとがめはなかった。だが、あの男は妻が命を賭けた約束を破った。あれが死んだ時、俺は辺境すぎて妻の死を知らなかった。ある日、数人の騎士が来てな‥‥‥さっきみたいなことになった」
イブリースはしゃべり過ぎだなと言い、自嘲気味に笑っていた。
「王は俺の反乱を恐れて、刺客を放ち殺そうとしたんだ」
そう、アンリエッタに告げた。
「妻を召し上げておき、しかも自害までさせておきながら? そんな非道なことが許されていいの‥‥‥」
「だからだ。俺は剣も槍も、銃もまあ一通りは使えるが、あくまで普通だ。あの夜に生き延びられたのは奇跡に近かった。それからだ、復讐を誓い‥‥‥枢軸の最奥に向かったのは」
最奥?
何があったかしら?
アンリエッタは記憶を探る。
枢軸連邦は南・西・東・北の四大陸に領土を持つ、強大な軍事国家だ。
そして、その名の通り、数百の国が集まる連邦国家でもある。
南の大陸の砂漠地帯から北の大陸の山岳地域の奥に至るまで深く広がっていた。
有名なのは西の大陸にある、太陽神を奉る神殿の統括機関である法王庁と、この南の大陸にある、古代の魔法を研究する機関であるジェニスの塔。
賢者が営むといわれるその塔くらいであり‥‥‥。
「あなた、賢者になりに行ったの?」
「鋭いな。あいにくとなり損ねたが、まあ、一応は賢者みたいなもんだ。魔法の適正はあるが、魔力を集める才能がない。仕方がないから、あの指輪のようなものに溜めて使っている」
「ふうん‥‥‥それでも、一国の王を単騎で討てるほどには有能なのね。一人でされたのですか?」
「いや、仲間はいたよ。かつての同僚や国内の騎士団、それに神殿からも嫌われていたからな、あの国王は」
「神殿? 王が神殿から嫌われるとはよほどですね? 宗教弾圧でも行おうとしたのですか? 枢軸連邦と言えば、聖者サユキ様の臣下たる、太陽神アギト様の信仰が盛んな地域のはず」
「詳しいな? 俺の国ではもう少し古い神を信仰していた。それを改宗しようと弾圧していたのさ。だから、変な言い方になるが――復讐をするには恵まれていたんだ」
「そう‥‥‥良い言い方ではないですが、成し遂げたということですか」
「ああ。主君殺しをしたのが、昨年の春だ――それからはお尋ね者になった。これが、俺の全てだ。あと、イブリースは本名だよ」
どうかな?
嘘か真実か、あなたはどう思う??
そう問いかけられてアンリエッタは悩んでしまうのだった。




