主君殺しの男
「長い‥‥‥話になるぞ? それでも良いのか?」
「長いってどれくらい?」
「一時間にはならんだろうが、まあ、数年分はある」
「良いのではないでしょうか」
「本当か? 俺には他にやるべきことがあるような気がするがなあ」
「そう思うなら、端的にどうぞ。でも、わたしは‥‥‥戻りたくないわ。この子供を安全に育てることを一番に考えたいと思います」
「一気に希望の幅が狭くなったな。王国や公国はどうでも良いのか?」
「‥‥‥良くないわ。でも、戻れば殺されるし、それに、イブリース公子に復讐なんて出来ない」
「精霊騎士だからか? それとも、子供の父親だからか? どっちだ?」
「どっちもよ。勝てる理由が無いわ」
アンリエッタは悲し気にお腹をさすりながら、そう言った。
もし、勝負を挑み剣や魔法を使って勝てるとしても、子供の父親を殺すなんて真似はしたくないのだろう。
イブリースから見てもそうだし、この虚無の空間に酔った時に見せた彼女の本音にしてもそうだ。
まだ、心はイブリース公子にあるのは‥‥‥明らかだった。
「そうか。なら――そうだな。場の雰囲気を変える意味でも、昔話でもするか」
「何よ、その雰囲気を変えるって。あなたを信じるために話を聞くのよ?」
「わかった、わかったよ、公子妃補様。それで良いから、聞いてくれ」
「ええ、良いですよ」
あまり深く話してもしかたがない。
イブリースは簡素に伝えることにした。
それまでの間、アンリエッタの蒼い毛皮に覆われた頭部の両耳が彼の目に入っていた。
ピョコピョコと可愛らしげに、それでいて周囲の状況をくまなく探ろうと動くそれは、なかなかに奇妙だった。
それぞれ別の方向に無意識に動いているのを見て、やはりこれが彼女の本来の姿なんだな、とイブリースは密かにうなずいていた。
「面白いものだな、それ。どんな感じなんだ?」
「それ? ああ、耳ですか?」
イブリースが指差したのを見てアンリエッタはそれの意味に気づく。
どうと問われても、返事に困ってしまう。
言葉を選び、感覚を伝えてみた。
「うーん‥‥‥慣れないから、それに勝手に動くし。うまく言えません」
「だろうな、新しく手に入れた力だ。いまのうちに慣れておけば、現実世界にもどった後に自発的に使えるようになるかもな?」
「この耳と尾、ですか? 確かにあれば王族としての価値がでますね。というよりは、半獣でもなく、たんなる人間に近いあつかいを受けていたわたしの待遇が、良くなるかもしれません」
でも、とアンリエッタは続ける。
「もう、捨てた王国。王族として生きたら、この子だって困るかもしれないし」
「捨てた、か。なぜ捨てたと自分で決めつける?」
「だって、公国からは婚約破棄をされて、王国は恥をかかされました。臣下たちには、わたしが暇をあたえました。王国側にしてみれば、わたしが自決か、報復をするためにそうしたか。もしくは‥‥‥家臣を戻し、自分だけ帝国に従うか。それとも逃げるか。そのどれかを考えるでしょう。そして、わたしは――いまここにいます」
「なるほどな。かかされた恥の報復をしてこいと、そういうことか。では、それができないときはどうする?」
「それは、貴族には自分で罪をあがなう方法がみとめられていますから。そうなると思います」
「つまり、自害、か?」
コクンとアンリエッタはうなずいた。
でもそれはしたくありません、とも付け加えていた。
「それは恐怖から、したくないのか? それとも、子供のためにか?」
「子供のためにです。きちんと産まれてくれればの話ですけれど。イブリース公子、彼にはエルフの血も流れています。わたしの蒼狼族の血と人間とエルフの三種、それがどう、作用するかいまから心配‥‥‥」
「エルフ? 森の人の血がなぜ? 当代の大公夫妻は、確か人間だったはず?」
「あの、あまり言えませんが。イブリース様は、妖精によって三歳まで妖精の世界で、そのッ」
「ああ、あれか。赤ん坊を自分の赤ん坊と妖精が入れ替えていくというやつか。しかし、よく人間界に戻れたな?」
「詳しくは知りませんが、いまは亡き宮廷魔術師の方でとても高位の魔術師がいらして命がけで奪い返したとかで‥‥‥だから、あの方は自分の意思で風の精霊を自在に操れる、珍しい精霊剣士なんです」
「だが、それではエルフの血が混じっているとは、言えないだろう?」
「入れ替えにされた理由が、公国の大公家に古く伝わる、エルフの血が混じっていたとかで――それで、イブリース様はさらわれたと聞いています」
「ふうん‥‥‥なるほど」
めんどうくさいものだな。それで人間界に戻れば、精霊をつかい戦争を勝ち抜いてきた、か。因果なものだ、とイブリースはため息をつく。
今度は、俺の話す番だなと。
「なるほど、その心配は産まれてみるまでは分からんかもしれんな? 俺の話だが‥‥‥さっき、自害の権利が出て来ただろう?」
「ええ、話しましたが、それがなにか?」
「俺は枢軸連邦の、はるか北にある小国のまあ、つまらん貴族の家に生まれた。幼い妻を貰った。二十一の時だ。今から‥‥‥四年ほど前か」
「随分と年を召してからの結婚だったんですね。普通は十五、六には奥様をもらうものなのに」
アンリエッタは思案する。
そんな年齢まで結婚できないのは事情があるはずだ、と。
つまり、実家が裕福でなく結婚資金や結納金を用意できなかったか。
彼がどうしようもない問題を抱えていて女性側から嫌われていたか。
もしくは、数度目の結婚か。
さあ、どれだろう?
アンリエッタには答えが見つかなかった。




