裏切りの真実
アンリエッタは思いつく限りの質問をイブリンに投げかける。
彼は出来る限りていねいに、それに答えていった。
「では、公文書でなく私文書で別れを男性から告げられたら? 公国と王国間の契約があるのに、それはどうなりますか? 有効ですか、無効ですか??」
「いや、それは別途の話になる。あくまで、王国と公国の契約だが、別の誰か、もしくは、それ相応の品物を出せばいい。例えば‥‥‥あなたのご両親のこれまでの公的な移動が今後は必要ない、とか、な。個人間の問題は、男の一存で終わる」
つまり、イブリースが寄越したあの手紙。
あれはあれで、効力があるということだ。
情けない‥‥‥そう思い、アンリエッタは天を仰ぎ見た。
自分は何も知らずに契約、契約と言ってハンナに言い聞かせたのに、こんな結果だなんて。
アンリエッタの心からはため息しか、でてこなかった。
イブリンはさて、それならどうしたものか、そう頭を掻きながら言いだす。
「思うに、公子妃補様。そういう状況なら上にはいかない方が良い、母国に戻るんだな。まだ、家人には追いつけるだろう? 蒼狼族なら変身もできるし、足だって速いはずだ。人の数倍の速度で走れると聞いている」
何も心配する必要なんかなかったじゃないか。
そう、イブリンの中では結論がでていた。
蒼狼族の王族。
なら、魔法も変身も戦いの能力も一流の戦士並み。
このぼうっとした世間知らずのお姫様も、それは見かけだけ‥‥‥。
家臣を先に戻したのも、上に一人で行こうとしたのも何かあれば自力で脱出できる自信があるからだろう。
そう、思ったからだ。
しかし、世間はそう甘くないらしい。
イブリンにアンリエッタは告げてしまう。
「あの、いいかしら。衛士イブリン?」
「何かな、公子妃補様? 俺はさっさと退役して厄介事に巻き込まれるまえに逃げ出したいんだが?」
「その、わたし。実は‥‥‥ただの人間以下なんです」
「は? これはまた、ご冗談を」
「いえ、本当なのです」
「信じられませんな。ええ、信じられない」
「どうして? わたしは普通の人間と変わらないのにッ!」
アンリエッタは本当なんですと、声を大にして叫んだ。
しかしそれは、イブリンには信じられない発言だった。
「まだからかう気ですか、あなたは。俺には信じられん。尾と耳がないだけで、髪は蒼くその瞳も伝え聞く蒼狼族特有のものだ。血が薄いとはいえ、何か特技はあるだろう? 体技に魔法、何かしら秀でているはずだ。そうでなければ、家臣団が何も手を打たずに見捨てて戻るはずがない」
「でも、無いのです。趣味でダガーを投げる程度で、走ったら貴方よりも遅いし、視力だって嗅覚や聞く力だって平均的な蒼狼族以下なのです、わたし」
「おい‥‥‥」
とんだ、無能なお姫様だ。
ああ、いや人間なら普通の話か。
肩を落としてしょぼんぼりとしているこの公子妃補様。
果たして無事に帰国できるのか?
イブリンはおせっかいにもそう思ってしまう。
まあ、無理だろうな。
どこかでさらわれるか、方向だって見当違いの方に行くかもしれない。
「なら、手紙で婚約破棄を通達されたのなら、手紙で返せば宜しかろう。御請け致します、と。その上で、帰国の途につきますから追わないでくれ、と。そうすれば、あなたと公子の関係は悪くはならないはずだ」
「いえ、その‥‥‥明確ではないのです」
「はあ‥‥‥ならなんだと言われたのですか?」
「別の婚約者を迎えると。戦争が長引くから、わたしに子供を授けることができないからと。公国のためにならないから、婚約を破棄して欲しい。そんなふうに、手紙には書いてありました」
「大した物言いだ。どこまで卑劣なんだ、その公子は‥‥‥別の婚約者? そんな存在を求めたら、それこそあなたへの不義になってしまう。体裁を整えるために後日の報告という手もあるが、それにしても彼は戦場でここは公国の公都だ。距離がありすぎる。数がかかることを理解しているなら、せめて公文書で送りつけるべきだ。浮気をすることにしたから別れてくれ、ではどんな神の神殿の司祭でも首を縦にはふらんぞ!」
「では、どうすればいいのですか?」
「いやだから、なぜ俺にそれを問う?」
「だって、あなたしか――いないから‥‥‥」
その知恵だの、後始末をするために家臣がいるんだろう?
そう言いかけてイブリンは黙ってしまう。
彼女自身が追い出したのだから、誰にも後始末をすることはできない。
「教会に。城内にもある教会に行きなさい。この国の信仰しているレダムの神は知恵と炎と軍事と盟約の神でもる。その教会に行き、不義密通で婚約破棄された、これは無効だと、そう訴えなさい。ただ、それが請けいれられて公子側の要求がまったく意味をなさないとなっても、あなたは不幸にしかならんぞ?」
「え、どうして不幸にしかならないのですか?」
「どうしてと言われても、女から婚約破棄は無効だと訴えられたのだ。男からしてみれば不名誉な上に、相手は公国の公子だぞ? 自国の公子に悪くなるような差配をする神殿はないだろう?」
「だから、どうなるというのですか!」
「‥‥‥追い出されて戻されて終わり、それだけだ。多分な‥‥‥」
「そんなっ」
そこまで言うと、イブリンはアンリエッタの雰囲気が変わったのを感じた。