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貴族のルール

 しかし、いまはその状況ではないな、とイブリンは思い直した。

 そんな彼の回想は静かに薄くなって記憶の彼方に消えていく。

 彼は言葉を続けた。

「でも、無礼なだけでも相手には怒りを出させることができるではありませんか? それでは、意味を成さないとでも?」

「その前に、要らないと捨てられて終わります」

「捨てられる? 女の意思は関係ないと、そう言いたいのですか」

「ええ、女は‥‥‥いえ、女性は貴族の世界ではモノと言えば失礼ですが‥‥‥家と家の貸借物。そこに意思の介在など許されないのが当たり前。あなたも公子妃補なら、その覚悟はおありでしょう?」

「ありますよ、もちろん。殿方から勝手に婚約を破棄できることも知っています」

「いや、それは勝手にはできません。これほど大きな婚約では、間に介在人が存在する。婚約破棄をするにしても、その人物を間に建てて、段取りを踏まなければ‥‥‥厄介なことになる」

「踏まなければ、どうなるというのですか。国でなく貴族なら、爵位のはく奪くらいは想像できますけど」

「貴族であれば、取り潰しになることもあります。あくまで、上級貴族と下級貴族の間での契約の話ですが。あなたは、公国に潰されたいのですか?」

 イブリンは後方にそびえる、大公城を見あげてアンリエッタを見下ろした。

 それならそれで、実家を頼るべきでしょう、とも付け加えて。

「御実家は王国でしょう? 王国と公国の関係性が今一つ、理解できておりませんが。家柄や格式もありますからな、公国のほうが王国よりも上ということも、世間では珍しくない。それは公子妃補様の方がお詳しいかと」

「そうねえ‥‥‥」

 なんとも歯切れの悪い返事だ。

 あれだけ怒りがあったのが、心配が先にたって霧散していくとは。

 どうにも妙な御人柄をお持ちだ。

 そう、イブリンは思い始めていた。

 アンリエッタからすれば、実家と公国の関係性なんてどうでもよかった。

 ただイブリースを裏切り者、と。

 相手の両親の前で罵倒して気を晴らせれたら、まずはそれで良かったのだ。

 そこから王国の権勢を後ろ盾にして、脅しでも利かせられれば、なんて思っていたがそれは言えなかった。

 イブリンに、考えの浅い、迂闊な女だ。

 そう言われて、全ての会話が終わりそうな気がしたからだ。

 もっとも、彼を怒らせたのだからそれで終わるならそれでも良かったのだが。

「失礼だが、俺はそれだけを聞いてもあなたから離れられなくなるなどと言うことはないな。そうですか、それは不憫な目に遭いましたな、とそれだけで終わる」

「そうですよ、酷い目に遭わされているのです。可哀想だとは思わないかのですか?」

「思わない。自分よりも恵まれた身分の存在がどうなろうが、あなたには俺の苦労はわからん。俺もあなたの苦労はわからん。そもそも、どういう経緯でここにいるのかどうかも、知らんのだから」

「ああ‥‥‥そこ、ですか。今、十六ですが。四年前に公子イブリース様との婚約が成立しまして。輿入れしに参りました」

「四年前‥‥‥」

「何か?」

「四年もいらしてなぜ、結婚されん? いかに公子が前線にいようとも、一夜で済むものだろう?」

「あーそれは、一夜なら半年、いえなんでもありません‥‥‥」

 馬鹿か、この公子妃補は!

 しかし、いま聞いた事情で言えばイブリンの中での貴族の常識では‥‥‥

「一夜を過ごされているのであれば、正式な妻、そう名乗れます。それに時期が時期だ。ご懐妊など‥‥‥はなさそうですな」

「あまりじろじろと見ないでください。失礼な」

「それは悪かったな」

 半年もあれば腹が出るものだ。

 しかし、見た目が痩せすぎているこの公子妃補では、それは考えにくいとイブリンは思った。

「ええ、いいですけど。でもそうなると妻を名乗って‥‥‥いいのかしら?」

「さあ? それは上の方々がお決めになる、しかし先ほど、おじ様と言われてなかったか?」

 は、と思いアンリエッタは不思議そうな顔になる。

 そして、彼は内情を知らないんだと思い返した。

 二週間しかこの国にいないのだから、それも当然だと思った。

「イブリース公子の御父上様である大公閣下は、我が母の弟です」

「なら、いとこ同士の結婚か? ‥‥‥それは特別だな。しかし、戻った使用人たち、よく四年で慣れたものだ。グリムガルとは言葉も慣習も違うのに」

「特別? あの者たちは二十年以上いましたから、この公都に」

「二十年も? さすがに、要領を得ませんが‥‥‥?」

「おばあ様は現グリムガル王妃です。第二子が父親で、この公国のとある公爵家に養子に入りました。そして大公家の姫であった母を妻にして、わたしが生まれた。そういう経緯です」

「なら、あなたも公都にお屋敷があるはずだ。そこに戻られるが宜しかろう?」

 アンリエッタは寂し気に首を横に振った。

 それは無理だ、とでもいうように。

「なぜ?」

「数年おきに、王都と公都を行き来していますから。それが、我が家が公国に仕える理由なのです」

「血族による人質とでもいうわけか。なら、あなたはこの公国で味方一人もいない状況になっている自覚はあるのか?」

「はい、もちろん。そのために、家人に暇を出したのですから」

 暇を出した、か。

 出て行きましたといい、本音は暇を出した。

 そう口実をつけなければ今度は、戻った王国で罰を受けるから、か。

 なんとも、優しいのか、愚かなのか。

 どうして一人で残ったんだ、この公子妃補様は?

 イブリンの中には疑問符が渦巻いていた。

 どこまでも不利な状況をなぜ作ったのか、と。

 アンリエッタはイブリンに質問した。

「先程の、特別な、とはどんなものですか?」

「‥‥‥貴族に最も求められることは家を守ること。領地も家によって受け継がれます。その為には、父親が娘を、娘が息子を、姉が弟を。そういう結婚も辺り前だと、そういうことですよ」

「その場合、介在人がいない。単なる家の中のことだけで書類一枚だけで済む。一夜の契りも‥‥‥意味を成さない、そういうことですか?」

 

 イブリンは静かにうなずいた。

 たった書類一枚だけで‥‥‥、とアンリエッタは衝撃を受ける。

「でも、国同士の契約があるのに。それはどうなるのですか?」

「いや、それは俺に聞かれても困るな。王国と公国、互いに契約の解除について決めたことがあるはずだ」

「あなたはそこまでは熟知していないということですね、それもそうね‥‥‥」

「うーん。あくまで俺の知っている限りの知識で答えた場合だが‥‥‥」

「はい、聞きたいと思います」

 イブリンの知識にすがりつくアンリエッタだが、あいにくその解決策もアンリエッタの期待を裏切っていた。


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