女の価値
「ありがとう。あなたの衛士としての誇りを汚したことは謝罪します。でも、都合よく捨てる気はなかったの。それに、大公様の部下を奪ってやろうって、そんな意趣返しの気持ちがあったことは認めます。すいませんでした」
「あんた‥‥‥まったくもって変な女だな」
「それは失礼ね。でも、王国の騎士として招いたのは本気よ? それを断るなんてあなたこそ、失礼な男性だわ。女から騎士になってくれって願い出るなんて滅多にないことなのに」
「それは俺が選ぶことだろ‥‥‥それに、あんな言い方をした意味がわからん。大公様に俺をくれと言えば、それで済んだだろう?」
「だって、それは上に行かなきゃ会話ができません。その大公様と」
「はあ‥‥‥なあ、知らないのか? あなたが上に行けない理由が何かは知らんが、侯爵以上は最低でも六頭建ての馬車に、騎兵が四騎。侍従に騎士、総勢最低でも八名がいないと上にはあがれん。それはどこの国でも当たり前の宮廷作法だろう? 俺だけを雇ったからといって、上がれる訳がない」
「詳しいのね、あなた。どこかの宮廷にでもいたの?」
「どうでもいいだろう、そんなことは」
そっか、だから大公様からは割ける人員はないと言われたのね。
アンリエッタは上から戻って来た返事にどこか納得がいかなかった。
だが、これで納得がいく説明を耳にすることができたと、内心では喜んでいた。
そして、このイブリンという頭の堅そうな衛士が部下に欲しくもなっていた。
最初の対応を間違えたな。
そう悔やみながら、彼を見ているとイブリンはまだ怒りが収まらないようだった。
「どうでも良くないから聞きました。あなた、元騎士以上の家柄ではないのですか?」
「なんで俺の過去を知りたがる? 例えそうであっても、いまは没落した単なる衛士見習い‥‥‥もうすぐ終わるがな。なあ、こっちも聞いていいか? どうして来るなと言われて、それでも行こうとする? 公子妃補様なんだろ? 黙って公子が戻られるのを待てばいいじゃないか?」
「それはあなたに関係ありません。でも知れば、二度とわたしから離れられなくなりますよ?」
やっぱり、どこか頭がおかしいんだな、この公子妃補様は。
イブリンはそう決めつけると、聞いてやろうじゃないかと思った。
「面白い、なら言ってみればいいさ。そこまで俺を馬鹿にした理由を、聞いてみたいもんだ」
「本当に? 最後まで付き合ってくれるのですか? そうなりますよ?」
「ふん、家臣がいなくなったとか言いながら、本当は見捨てられたんじゃないのか? 言ってみろよ。納得がいけば考えてやる」
「うーん、まあ、それでもいいかもしれない。じゃあ、話します」
「言えよ、聞いてやる」
と、イブリンは自分の人生を変える一言を言ってしまったのだった。
そんな彼の剣幕に気圧されてしまったアンリエッタは、これでも食らいつくのね‥‥‥と、面食らっていた。
提案したのは自分なのだが。
こう言えば、彼は引くと思ったのに引いてくれない。
どうも、殿方の意地を刺激してしまったらしい。
これはどこまで本当のことを言うべきかな?
彼が王国の騎士になってくれてれば、多くを打ち明けられたのだけれど。
「そう、ですねえ‥‥‥どこから申し上げたものでしょうか‥‥‥」
と、上の空でつかみどころのない返事にイブリンは、やはりこの公子妃補様は世間知らずだと思っていた。
しかし、蒼い髪とは厄介だ。そう、心では別のことを考えながら。
蒼‥‥‥王国の王族は獣人だったと記憶しているが‥‥‥、と。
豊かな髪が心の中にいる、とある女性の面影を思い起こさせる。
生きていれば、同年代だな、と寂しさが彼の胸を突き悲しみがこみあげてきそうになった。
「あの、イブリン?」
「は? ああ‥‥‥で、何を申されたいと?」
ついつい過去のつまらない思い出に浸りそうになってしまっていた。
背は、頭一つ低い、か。さて、何を言い出すことやら‥‥‥
「捨てられました」
「誰に? 公国にですか? それとも王国? 家臣?」
「いえ、その、婚約者に‥‥‥」
「嘘ですな。ご冗談は止めて頂きたい公子妃補様」
「ちょっと、なんで即座に否定をするの?」
「貴族同士に限らず、平民も上民以上なら。上民、つまり騎士以下の身分ですが商人以上の名を持つことを許された身分では家と家との婚姻契約が常法。契約が破棄されたのであれば、それ相応の人事もあります」
「だから、あり得ないと?」
「そうですね、これほどの国と国との場合ではあり得ないと思いますよ。失礼だが、そんな話はこの公国にきて二か月足らずですがーああ、なんで丁寧な口調になっているんだ、俺は‥‥‥」
「変な方ですね、あなた」
「あなたに言われたくない。とにかく、そんな大きな話は下まで聞こえてこない方がおかしい。それにあなたは先程、言われたではないか。全員辞めてしまわれた、と。ならばクビにした、という訳でもないのでしょう?」
それは違うとアンリエッタは思った。自分は家臣たちをクビにはしていない。
恩給を与えたという形で帰国させた。それは家臣たちの、身の安全を考慮してやったことだ。だけど、イブリンには詳しい事情は話せない‥‥‥彼を巻き込んでしまうからだ。
最後まで離れられなくなりますよ、と脅していたのに情けないことだと自省しつつ、アンリエッタは返事をためらっていた。
「それは‥‥‥あなたには関係ありません」
「関係ない、か。あんな物言いまでしておいて感心せんな」
「だって、そうしたくないから家臣たちもクビにしたのに‥‥‥」
「それをあなたがすれば、無礼な息子の婚約者だ。さっさと婚約破棄をして王国に戻してしまえ、悪いのは王国だ。公国はそう考えるだろう」
意味を理解しているのかな、この公子妃補様は‥‥‥?
なぜ俺はこんな厄介な存在に関わろうとしてしまったのだ。
イブリンは自分の浅はかさに心のどこかで後悔していた。
女性が何かに困るようなのを見ると、ついつい節介をしてしまう。
過去の‥‥‥あれ以来、悪い癖だ。そんなことを思っていた。