衛士の誇り
「いいか、俺は大公様の部下だ。いくら大金を積まれようが、爵位を目の前にぶら下げられようが、主人を裏切るような真似なんて、出来る訳が無いだろう?」
「へえ、そういうものですか?」
「なんだと? どこまでも失礼な女性だ。あんたは現実を何も理解していない。上からは来るなと言われ、それだけでもまともじゃないのに、今度は、大公様の部下である俺に寝返れと言う。それも、公子妃補としてじゃない。王国の王女として、発言している。ふざけるのもいい加減にしろ!」
「ふざけてはいませんが、そう聞こえましたか?」
「聞こえた、だから言っているんだ。これがどれだけ大問題か、理解しているのか? 自分からドラブルを作るような真似なんかして‥‥‥」
と、そこまで叫んでイブリンは、ある可能性に思い至る。
「あんた、まさか、自分から追い出されよう‥‥‥と。それが狙いか?」
「あら、バレましたか? あなたの忠義心とかそんなものを期待してはいませんでした。ただ、こちらに来て下されば、わたしも少しは心強いかなって。そうは思いましたけど」
「あのな、この職に就くのにどれだけ苦労したと思っているんだ? おい、公子妃補? 身分が上じゃなきゃ張り倒してやるところだ。男を舐めるのも、いい加減にしろ‥‥‥!」
そこまで言うと、イブリンは回れ右をして歩き出してしまう。
忘れ物があると気付いたアンリエッタは、帽子がそこにあると声をかけようとしたが、それをやめた。
イブリン思いつめた顔をして、詰所に行こうとしていたからだ。
アンリエッタはどこか彼に申し訳ないことをした気がして、ついつい声をかけてしまった。
「あの、どこに?」
「知るかっ‥‥‥!はあ、もう。あんたは上、俺は下! 格下の人間がこんな暴言を吐いたんだ。自分から辞めると言って去るのが礼儀だろう」
「でもそれだと、あなただけが悪いことになりますよ?」
「仕方ないだろう、それが世間のルールというものだ」
「だって、あなたは何も悪くないのに‥‥‥」
「もう、ほっといてくれ!」
「だって、わたしが悪いのだし」
「ああもうっ!」
また、くるりとこちらに向き直り、イブリンはアンリエッタに詰め寄る。
まだ言い足りないような彼を見て、こんなに怒れる男性に接したことのないアンリエッタは少々、恐怖を感じていた。
「いいか、俺はいま、三つ怒っているんだ。一つはあんたが、男の下らん意地だがそれを踏みにじるようなことをしたからだ。目の前にエサをぶら下げてさあ取りなさいと遊んだことだ。二つ目はようやくありついた、頭を色んなところに下げまくって得た仕事を、己のつまらない怒りでふいにすることだ。ここまで来るまでに少しでも手助けしてくれたそんな人間たちに会わせる顔がない。三つ目は、自分の立場を理解していながら、それでもあんたにのせられてこう文句を言った臣下としての礼儀がなってないことだ!」
まだ言いそうですね‥‥‥
彼の勢いの良さに驚き呆れながら、それならやんわりと断るなり、大公様に言いつけるなりすればいいのにとアンリエッタは思ってしまった。
これほどに不器用な人間、本当にいるのね、と。
「四つ目は? もし、あるとしたらなんですか?」
「それは‥‥‥もう、いい。失礼する」
イブリンは草むらに放り投げた帽子を探す振りをしてやり過ごそうとする。
多分、四つ目。言いそびれたそれが本音なのだろうな。
アンリエッタはなんとなく、それを聞いてみたくなった。
「それはなんですか?言えないなら、わたしにこんな仕打ちを受けましたと。おじ様に、大公陛下におっしゃればいいのに」
「だからだなあ、公子妃補様が上にあがれず、上がろうとすればそれにはいい結果なんて付いて来ないからと‥‥‥。わざわざ、伝えた俺の人の良さというか、自分の節介があまりに愚かだったと思っているんだ。俺はあんたを、最低な人間だと軽蔑しているんだよ、今!」
「そう‥‥‥つまり、わたしはあなたの誇りを汚したと。そう、おっしゃりたいのね?」
「おっしゃりたい、ではなくてその通りだ。だが、謝罪なんぞは要らん」
ああ、ここにあったか。
そう言い、イブリンは帽子のほこりを払うとそれを被り、一礼して踵を返した。
彼はこのまま、辞める気なのかしら?
適当に使える駒にしようと思ったけど、それは間違いだったかもしれない。
どうしてもそれを言いたくて、アンリエッタは彼の前に歩み出た。
「ねえ、聞いてくれません? わたし、まだ言いたいことがあるのです」
「なんだよ、聞かせたきゃ、そう命じればいいじゃないか。自分の話を聞きなさいと、そう言えばいい。お願いなんかされる身分じゃないんだ、こっちは」
「だから、同じ目線でお願いしています」
「同じ目線? あり得ないだろう。あなたは公子妃補で俺は衛士見習いだ。いい加減にからかうのはよしてくれ」
「からかってなどいません。謝罪をしたいのです。同じ目線で」
「賢くない女だな、あんた‥‥‥」
「失礼な人ですね」
「どっちがだよ」
「聞いてくれるの、くれないの。どっちですか?」
切実な訴えを聞いて、イブリンは言葉に詰まった。
変な女だ。
不愉快で、世間知らずでそれでいてどうにも捨て置けない。
まったく、苛つかせてくれる女だ。
ここはさっさと聞いて立ち去ろう。
イブリンはそう決めた。
「ならー‥‥‥聞くよ、聞くから言えばいいだろう?」
そう促してやると、アンリエッタは関を切ったように喋りはじめた。