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賞味期限

電子書籍化が決定しました。

詳細は活動報告を参照ください。


 どうしようかと思いあぐねてばかりいると、精神というものは、難問と同じように難しくなり、心は強張っていくものらしい。

 それを吹き飛ばすように、夜明けの寒さが染みわたるその場で、青年は声を発した。


「使えない女など、もう要らん。婚約破棄をするか」

「はへ?」


 胸元で声がした。幼い声だ。起こしてしまったか、とその頭を撫でてやる。


「婚約破棄だ」

「それはどういう……?」

「賞味期限が切れた食材を大事に持ったまま、腐らせる者はいない。そういう意味だ」


 国を救うためだ、そう青年は少女に言い聞かせるようにして、叫んでいた。

 帝国と王国の間に挟まれて、細々と生きることを許されてきたこの国は、何世紀もの間『自由』というから最も遠い場所に存在している。


 リオナール公国の次期国王とも呼び名が高い、公子イブリースはそんなことを考えて不満の狼煙を挙げるように、片手を開いた。

 すると、その手の中に、緑色の風が生まれる。

 しばらく手のひらで渦を巻き形を取ったそれは、黒い宝珠のようなものだった。


 それはイブリースの瞳の色と同じほどに黑い。

 それを使えば、歩いて数か月かかる距離をすっ飛ばして、婚約者と声を交わすことができる、そんな代物だった。

 だらしなく涎を垂らしたまま、それを見た少女は、嬉々として声を上げた。

 二人の間で大きな差異があるとすれば、少女のその瞳には裏切りという名の感情を宿していないことだ。


「イブリース様! それでは、ようやく?」

「やり方を考えている。おまえはまだ寝ていろ、ラーミア」

「また、あの使えない婚約者のことですか? あんな獣の血が混じった女なんて……イブリース様に相応しくないわ」


 十二、三歳ほどにしか見えない少女は、どこか不機嫌な口ぶりをして、眉尻を下げ、頬を膨らませた。

 彼女は辺りを大きく見回して、「早く帝国に来られれば宜しいのに」と付け加える。

 ここは少女が住むエルムド帝国の中心地から遠く海を隔て別の大陸にある。

 そして、帝国と公国は戦争の真っ只中だった。

 王国を同盟国として、公国はいま二人が寝所を共にする戦地で、矛先をかわしている。公国の連中はそう思っているだろう。

 そう考えると、イブリースは間抜けな国民どもめ、と自分の臣下たちを欺きつつ、その手綱を握っていることに快感を覚えた。


「まだ、だな。成果がいる。例え、いまここで帝国の皇女殿下を抱いているとしても、だ。俺の婚約者殿を人質にするくらいの手土産がないと、喜ばれない」

「……おばあ様は、皇帝陛下はイブリース様の才覚を望んでおります。大陸でも稀有な風の精霊をその身に宿した精霊使い。そして、次期大公閣下」


 早く私と一緒に西の大陸に来てください、と皇女は潤んだハシバミ色の瞳でそう願った。口元を寄せ、彼と熱い口づけを交わす。

 それは誰が見ても、熱愛をはぐくむ恋人の仕草だった。

 イブリースはまだ春先で夜は寒いこの時期に、彼女が羽毛布団の下から肌を晒すのはよくない、と育ち切らない胸元にそれを掛け直してやる。


「その皇帝家にも獣人の血が混じる家もあるだろう。そうそう、悪く言うものではないよ、ラーミア。お前が王になった時、彼らは優秀な盾になってくれるのだから」

「だって……。おばあ様だって、喜んでいません」


 と、彼女の心酔するエルムド帝国の女帝の名を出され、イブリースは困ったような顔をした。


「女帝殿にも我慢の限界がある、か?」

「物事は手早く。邪魔な華はどんなに美しくても手折るように。それが我が帝国の意向です」

「恐ろしい娘だな、おまえは。将来どのような苛烈な女になるか楽しみだ」

「……あなただけのラーミアになりますわ、殿下」


 二人は再び熱い抱擁を交わす。

 イブリースは手の中にある黒い宝珠にどんなことを囁けば、自分の婚約者が受けいれるものか、とラーミアの肉体を貪りながら考えた。

 南には、彼の祖国がある。そこには、皇女ラーミアが言うところの、彼の婚約者が待っている。

 そのさらに南には、公国と同盟を結ぶ、蒼い耳とたてがみ、尾をもつ狼の獣人の国、グリムガルがある。


 イブリースの父母、現大公夫妻は王国との縁が深く、婚約者もそうやって送られてきた。しかし、もはや王国の支援は薄く、公国には戦う力はほとんど残っていない。

 そして、帝国は帝都のある西の大陸の大半に、東の大陸を手中に収め、今度はこの南の大陸へと足を伸ばしてきた。


「この南には、あいつらの祖国もあるの! 大嫌いです」


 事を終わらせて荒く息を吐くラーミアは、開口一番にそう言った。

 帝国の二大勢力の片方には、猫の獣人の血が入っている。

 その一族の根拠地は、グリムガル王国の近くにある。

 そして、狼と猫の獣人は会ったら殺し合いをするレベルで仲が悪かった。


「よしよし。おまえの気持ちは分かったから、すこしお休み」

「はい……」


 イブリースはラーミアに魔法をかけた。眠りの淵に誘う、軽いものだ。起きた時には昼になっているだろう。

 それまでに話を済まさなけれならない。

 朝陽が白い天幕に遮られ、錆色の光をその場に運んでくる。


 公国の首都はここより数時間早く、朝が訪れるはずだ。

 執務机の上にある置時計を見て時間を確認すると、彼は宝珠に向かい何か指示をだした。



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