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「なあ、俺と一緒にここから出ないか?」
俺はトモコに持ちかけた。
「え?」
「前に言っただろう。俺は直ぐに家に帰るつもりだって。トモコの話し相手をしていたら何だかんだで長居しちゃったけど、そろそろ出ようかと思ってさ。良かったらトモコも一緒に行かないか?」
「何言ってるの?こんな地下深くの牢屋から出られる訳ないじゃない。この牢から出るだけだって不可能なのに、上の階には武器を持った兵士達が控えているのよ?」
「ん~まあその辺は気にしないでさ、来たいかどうかだけ答えてくれよ。」
「そりゃあ、出られるなら出たいに決まってるわ。本当に出られるの?連れて行ってくれるの?」
まあ確かに普通に考えたら簡単なことじゃないだろうな。
信じられないのも無理はないし、出られると期待して出られなかった時は最初から諦めている時より更に辛いだろう。
俺だってばあちゃんに大好きなケーキを焼いてもらえると楽しみにしていたのに、ばあちゃんの気が変わって作ってくれなかった時には壮絶に落ち込んで拗ねたからな。
「ああ、嘘じゃない。そうと決まればこんなところに長居は無用だ、ちょっと待ってな。」
俺は溜まっていた鬱憤を晴らす意味も込めて全身を全力で強化した。
手足に嵌められた枷を強化された手の力で引きちぎって外し、牢屋の鉄格子は力尽くでひん曲げて悠々と廊下に歩み出た。
そして、トモコの牢の前に立った。
「お前がトモコか?」
初めて顔を見たトモコは微かな明かりしかない暗い地下ということもあるだろうが、ガリガリにやせ細って色は白く、こちらを見るその目にも力がない。
8歳の時からどれくらい入っているか分からないと言っていたが、今現在8歳と言われても何の疑いも持たない位に背も小さかった。
しかも、この目はまるでじいちゃんに死なれて落ち込んでいた時のばあちゃんの時のように力がない。
「ええ、あなたがルイね。一体どうやって牢から出たの?」
よろよろと力ない動きで立ち上がり、鉄格子を頼りにようやっと立ち上がって俺に問いかける。
「簡単さ。ちょっと待ってろ。」
ふらふらのトモコを下がらせるのも可哀想なので、彼女の立つ少し横の鉄格子をぐにゃりと広げて中に入っていった。
「!?」
声が出ないほど驚くトモコに唇に人差し指を当てて静かにするように合図をする。
幸い俺と違って彼女は枷は嵌められていなかった。
流石に憐れに思ったのか、いや、単にか細い少女には不要と思っただけだろう。
「よし、準備はいいか?」
トモコは無言で頷く。
俺はトモコの手を握った。
女性ならではの柔らかさを微かにしか残さない骨と皮ばりに痩せ細った手は、『俺が守ってやらなきゃ』と改めて強く想うには十分過ぎた。
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ルイが魔術を起動すると、目の前に光の壁が広がった。
怯えるトモコを抱き抱えたルイがその光の壁に向かって歩くと、体が吸い込まれるように光の中に消える。
2人が通過した後には光の壁は跡形もなく消え去り、同時にルイとトモコの姿も消えていた。
数刻後に世話係が食事を運んで来た際に2人の脱獄を知って大騒ぎになるのであるが、それはまた別の話。
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「トモコ、目を瞑っていて。」
足腰の弱ったトモコを歩かせるのも酷だと思ったので横抱きにして俺の『マイスペース』へと入る。
『マイスペース』とは俺が創り出した空間で、俺が生きている限りこの世界とは別の次元に存在し続ける俺しか出入り出来ない場所だ。
もちろん、トモコを連れて入ったように俺の意思があれば他の人や物を連れて入ることも出来るが、出るのも俺が一緒じゃないとできない。
俺がいる所からならどこからでも入れるし、出る先も入ったところ以外でも事前に登録された地点になら移動距離関係なく出ることができる。
現時点で俺が登録しているのは森の中の自宅と、森の家から徒歩ニ刻程の温泉の2か所だけだ。
この空間の中も多少区画はあるが、今は一刻も早くトモコを連れて森の家で療養させたいので寄り道はしない。
出口のドアを自宅に繋げて通り抜ければ、慣れ親しんだ我が家が目の前だ。
外は真昼間だったらしく、太陽はかなり高い位置にあった。
雨でなかったのは幸いだ。
こんなに弱った体に雨が当たっては容赦なく体力を奪うだろう。
「っ!」
目を閉じたままでも瞼越しに陽の光が眩しかったのか、僅かにトモコが身じろぎをした。
もしかしたら陽の光も急には毒になるかも知れないので、急ぎ家に入って使わなくなったじいちゃんばあちゃんが一緒に寝ていた大き目の寝台に横たわらせる。
「もう目を開けても大丈夫だと思うよ。」
俺がそう声を掛けると、トモコは恐る恐る目を開いた。
「ここは?」
「ここは俺の家だよ。前に話した今の王女が迷い込んで来た森の中さ。お城までは行くときに三十日くらいかかっていたから、まあ見つからないだろうし、探すことも出来ないだろうね。」
「ベッド・・・汚しちゃう・・・」
なんとなんと、この事態で最初に気にすることがそれか?
何かこう胸がギュっと苦しくなる。
明るい部屋で見るトモコは髪の毛は長く真っ黒だが、汚れでべっとりとしていて、着ている服も『服』というより『ボロボロの布』というのが最もしっくりくる。
顔も服から出る手足も垢だらけだし、服そのものも大変な汚さだ。
だけど、そんなことよりも痩せこけて活力のない自分の体よりも俺の家の寝台を汚してしまうことを気にするなんて・・・
「気にしないでゆっくり休め。今お湯を用意するから、それで体を拭こう。」
涙がこぼれそうになるのをこらえて、俺は部屋を出て『マイスペース』に逃げるようにして入り、大き目の甕を持って出口を温泉に繋げて外に出た。
よく考えれば俺自身もずっと風呂に入っていなかったので、服を脱いでお湯に浸かり簡単に全身を洗って着替えた。
この温泉は冷たい水の流れる川の側を掘るとお湯が沸くという不思議な場所で、何箇所か温泉を掘ってある。
一か所入ってお湯が汚れてもローテーションで入り直すことで古いお湯は川に流れて清潔なお湯で満たされるという寸法だ。
そう言う訳でトモコには悪いけど先に手早く体を清めさせてもらって、その後綺麗なお湯と手拭を持ってトモコの待つ部屋に帰ると、トモコはベッドから降りて部屋の隅で蹲っていた。
「大丈夫、大丈夫だから。」
とにかく俺はそれだけを繰り返し言いながら汚れ切った服を脱がせて裸にし、甕のお湯をたらいに移して手拭を使って体を清めてあげた。
何度も何度も盥のお湯が凄く濁るので、お湯を入れ替えては頭や体を清めていく。
甕一杯に汲んだお湯が無くなる頃にはようやく手拭を絞ってもお湯が汚れない程度には綺麗になったので、ばあちゃんの残した服を着せた。
本人が気にするので汚した寝台のシーツも取り換えて川に洗濯に行く。
庭に干し終わって帰ってきた所で今度はお茶を煎れて今に至ると言う訳だ。