其ノ三 恋患いと少女と彼女
コンスタントに投稿出来るように頑張ろうと思う今日この頃ですφ(`д´)
「――私を崇め敬い奉り媚び諛い給いたまえ!」
歌舞伎役者もかくやの大見得を切り、先生が懐から徐ろに取り出したのは札束であった。
「おお!! な、ななな、なんだとっ!」
動揺と感嘆と涎が私の口から漏れた。
「頭が高い! 控えおろう!」
「ははぁー!」
私は即座に平伏した。
◯
「先生、それは一体どこでどうされたのですか?」
私の疑問の声は届かず、先生は優しい声で言う。どうやら大分自分に酔っ払っているらしい。
「昨日は流石に私も君には悪かったと思っているよ」
「いえ、全然大丈夫ですよ先生、私と先生の間柄ではないですか!」
もう二度と元には戻る事はないと思われていた私の堪忍袋の緒は、たった今奇跡の完全復活を果たした。
「そう言ってくれるか、ありがとう。いや、全くもって良い助手である、君って奴は。もう私を殺そうとはしないかね?」
「勿論じゃないですか、先生!!」
私は先生と暑苦しい抱擁を交わした。
◯
仲直りが済んだ所で本題に入ろう。事の顛末はこうである。
――なぜ私が半日も勾留されていたのかというと、あの少女に捜索願いが出されていた事が原因である。
危うく私は、強盗の現行犯及び未成年者略取という『凶暴なロリコン』のレッテルを貼られる所であった。
主役が迷惑防止条例違反で逮捕されれば、たちまちの間にこの物語も打ち切りとなりかねないのだ。
先生は「ひいひい」言いながら笑い転げているが、断じてこれは笑い事ではないので、無言で横腹に蹴りを入れた。
先生は「うぐう」と呻き「いや、悪かった悪かった」と呟き、腹を押さえてクスクスしている。
――次に、なぜ先生が大金を持っていたのか。それは、あの少女がかなりの資産家の御令嬢であったという事だった。
なんでも『超』が付く大金持ちであるらしく、先程の黄門様の印籠よろしく私が平伏したあの札束はこの一件への口止め料であるのと同時に、もう首を突っ込むなという警告をも含まれているものであった。
――彼女は一体全体何者か。
考え込む私に向かって先生が言った。
「君! 久々の仕事である。彼女は患者だ。」
先生が久しぶりに生き生きしだした。
◯
――藪診療所強盗未遂事件(誤認逮捕)から二日後――
彼女は家へと連れ戻されていた。
診療所からは電車で三駅程離れた街の郊外にその家はあった。
その家の景観は来る者を拒み、それでも立ち入った者は帰さず、また、吸い込んだ空気すら逃がさない。そんな雰囲気を漂わせていた。
彼女は頬杖をついて、窓外を眺めると溜息を吐いた。
「どうしよう…」
胸が苦しい。今のこの気持ちも、最早自分のものなのか、それとも『あの子』のものなのか分からなくなっていた。
この部屋の窓と、硝子一枚隔てた向こう側は別の世界であるかの様に思われた。
頼りない世界の常識の範疇では、何も変わらない日常を少しずつ退屈が満たしていくだけで季節は巡って、人はずっと同じ所で立って居られると信じている。
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きは確かにあったのだ。
私はただ、胡蝶の夢に漂って変わらないと思っていた毎日にただ酔っていただけだった。
急に空が割れて世紀末の大王が降りてきたりとか、地底人が地上を乗っ取りに来たりとか、転寝している間に不思議の国に迷い込むとか。
そんなものは全部、御伽噺だと思っていた。
でもそれは違っていた。
また胸が苦しくなっていく。
「ダメだ、堪えきれそうにないよ…」
私はぽつりと呟いた。すると、硝子に映った彼女が言う。
「無理は身体に良くないゾ! さあ、アタシと早く交代しちゃおうよ!」そう言って彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「ダメだよ、やっぱり出来ないよ…。」
そう言いながらも私はまた、あの感覚を思い出していた。
――甘くて苦くて、溶けたチョコレートの様に濃厚なものが、生温く流れ込んで苦しい胸の奥を満たしていく。
――得体の知れない不安感や虚無感が消えていく度に、それが満足感に変わっていく。
――私は恍惚として、その時だけはこの世の全てから解放された様な気になるのだった。
◯
――時は少し遡る――
彼女がその少女に出逢ったのは一年程前の事。
彼女の父が他界した少し後であった。
彼女は子供の居なかった叔父夫婦に引き取られた。そしてその日から彼女の生活は変わってしまった。
「これからはお前に一円も無駄に使う金は無いと思え。」と叔父は言い放った。
彼女は、朝早くから屋敷の掃除を、夜は晩御飯の支度を、洗濯を。
作業が早く終われば別の仕事を際限無く課せられた。
眠る暇さへ無く働かされる彼女を、この家付きの家政婦達は憐れんだが、誰一人として叔父に意見が出来る者も無く彼女の味方は一人としてこの家には居なかった。
父の死を嘆く暇さへも彼女は与えてもらえなかったのである。
母は彼女が産まれてすぐに他界している。元々病弱だったと父から聞かされていた。
彼女は自分のせいで母が死んだと思っていた。だからこれは、父から奪ってしまった報いが今自分に戻って来ただけだと思った。
それでもやはり、辛いものは辛かった。
でも、泣けば叔母に殴られた。
叔母の折檻は一度火がつけば、それは業火の如く燃え上がり、彼女は何度も何度も殴られた。酷く歪んだ愉悦に浸る叔母の顔は怖くて仕方なかった。
一度キッチンで「その顔が気に食わない」とフライパンで殴られた時には、このままここで殺されてしまうとさへ思った程であった。
それでも、彼女は逃げようとは考えなかった。何処へ逃げようが一緒だったから。
叔父とこの家の権力で黙殺され、連れ戻されてしまう事など分かりきっていた。
次第に彼女は自分が心の奥の方へと消えていく様な感覚を覚える様になった。
そんなある日、彼女はお見合いをさせられる事となる。
勿論、それは彼女が叔父に金で売られた、もとい、ゴミであったものに価値が付いたので売っぱらったと言うだけの事であった。
ゴミから商品となった。それだけ。
そもそも、彼女の意思などは初めから関係などなかったし、その時既に彼女の心は何も感じなくなっていた。
お見合いは近くのホテルで行われた。
そこで彼女は初めて『もう一人の彼女』に出逢ったのである。
やっと物語が動き始めました( ´_ノ` )