第一話 遅刻の理由
新学期が来て早一か月。永徳高校という学校の2年Cクラスでは新学期になってからほぼ毎日繰り返されている事があった。
学級委員長の女の子が、とある男の子への説教タイムである。
「ねえ、斎藤君。何度言えば分かるのかしら?」
「……ごめん」
「謝る前にまず身だしなみを直しなさい!」
学級委員長の女の子、名前を高瀬希という。希は今説教している男の子、斎藤レンのことをあまり快く思っていない。なぜなら、新学期になって一か月、希がレンにいくら注意をしても彼が遅刻するのを直してくれないためだ。
もちろん毎日遅刻はしていないがそうでなくとも遅刻すれすれ、その上、ネクタイはゆるゆる、シャツは外に出ている。ハッキリいって直すつもりが微塵もないのではないかと思っている。
「どうしていつもいつも……」
「……ごめん委員長。気を付ける」
「またそうやって君は……」
いつもそうだ。こうしてハニカミながら謝り、しかし結局は遅刻をし、服を着崩しながらまた学校に来る。今回はそうはいくかと、強めに注意をしようとして、チャイムが鳴った。
「明日からは気を付けるように!」
希はそう言って自分の席に帰っていった。
「……頑張るよ」
レンの小さな呟きは聞こえぬまま……
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昼休み。
「……32、33、34……」
「いったいどうした、ノン。そんな深刻そうな顔して」
「……美緒」
希のもとにやってきたのは中学からの付き合いで親友の中西美緒だ。
「それは……進路調査の紙か」
「うん。でも一枚足りないみたいなのよ。私はてっきり全部あるかと思ってたのに」
「それ今日まで?」
「そう。今日の放課後まで。昼休みに出しに行こうと思っていたのに、これだと出しに行けないわね」
「まあ、放課後にあと一人の分集めたらいいじゃないか。それよりご飯食べよ」
「……そうね」
希は調査表を机にしまい、弁当箱を出し二人で昼食を取り始めた。しばらく楽しく話しながらご飯を食べていると、美緒が希にとってあまり面白くない話題を口にした。
「そういえば、斎藤のこと聞いたよ」
「……その話題は却下」
「一か月間、ずっと注意しているらしいじゃないか。どうして教えてくれなかったのさ」
「却下だって言ったのに……」
「まあまあ、いいじゃないか。ほら、どうして」
希は不機嫌そうな表情を隠そうともせずに答えた。
「別に言う必要もないでしょ? ただ注意しているだけなんだから」
「なんかこう水くさいじゃないか、私に隠し事があるみたいで。そう思わないか?」
「全っ然!」
「あ、そう。まあ何というか、斎藤に注意したって無駄に終わると思うぞ?」
「え?」
不機嫌そうな表情が一気に吹っ飛び、今は驚いたような表情で美緒を見る。まさか親友に無駄だと言われるとは思わなかったのだ。
「どうして無駄だって思うの?」
「私が一年のころ、あいつと同じクラスだったけど、一年の時からずっと遅刻ばかりだったからな」
「……美緒が斎藤君と同じクラスだったの初めて知ったんだけど」
「いや、これこそ言う必要なんてないだろ」
「そうだけど……」
ついさっき自分が言う必要はないと切り返しただけに何とも言えない。眉根を寄せている希を気にすることなく美緒は続ける。
「たぶんだけど事情があるんじゃないのか? 担任の先生も最初は何か言っていたが、途中から何も言わなくなったからな」
「それってただ飽きられただけなんじゃないの?」
「まあそうかもな。だけどそうとも決まってない」
「でもたとえ事情があったとしても、遅刻していい理由にはならないじゃない」
そう。どんな事情があろうと遅刻していい理由にはならない。希はそう思う。だが、美緒はどうも違うみたいだ。
「てか、理由聞いてないのか?」
「……うん」
なにしてんの、コイツみたいな目で見る美緒。確かに一か月の間、注意だけして事情を聴かないのもおかしな話である。そう思われても仕方がない。希も美緒にこう言われて初めて話を聞いていないことに気付いた。
「そういう所は、本当にノンの悪い癖だよな。悪いと思ったら注意ばかりして相手の言い分を聞こうとしない。こういったらなんだけど、ノンは教師が向いているかもな。まあ、ダメ教師、だけどね」
「う、うるさいな。私もこういう所は直そうと頑張っているんだから」
「ほんとかよ~」
そう言ったところで予鈴のチャイムが鳴った。美緒は最後に「ちゃんと理由聞くんだぞ~」と言いながら自分の教室に帰っていった。
「……ほんと、こういう所ダメだなぁ」
小さく呟いて、次の授業の準備に取り掛かる。
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「進路調査表まだ出していない人は私のところまで出してください」
最後の授業が終わり、クラスメイトが帰る前にそう声を掛けてしばらく。一人の男の子が紙を持って希のところまでやってきた。
「……あなただったの。斎藤君」
「ごめん、委員長。すっかり忘れてた。はいこれ」
レンは希に進路調査表を渡した。他人の進路を本人の許可なしに見るのは良くないこと。それは希にだって分かっている。だが、レンが手渡した際、見えてしまったのは仕方ない。そしてその進路希望に驚いたのも、この学校に通う生徒なら仕方のないことだ。
「じゃあ、僕は帰るよ」
そう言って踵を返し廊下に向かって歩き出すレン。しかし、
「待って!」
希はレンを呼び止めた。どうしても聞きたい事があった。それはこの進路希望の事。昼休みに美緒が言っていたあの憶測。
もしかしたら本当に何かあるのかもしれない……。レンの進路希望を見てそう思ってしまった。
「ごめんなさい、見えたの。……聞いてもいいかしら」
「うん? あぁ、理由?」
「そう。どうして、進学じゃなくて就職なの?」
レンたちが通うこの高校はいわゆる、進学校であり、生徒は進学希望者ばかりだ。希が知る限り、周りに就職をしようと考えている者は誰もいない。
そもそも大学に行かないと決めている者がこの栄徳高校に入学するなんてことはないと言っていいほどない。だからこの高校に通っている者なら、レンの進路希望を見て不思議に思わない生徒などいないだろう。
「そうだね。簡単に言えば、家庭の事情かな」
それから希は彼の家庭環境について少し聞いた。
彼の両親は離婚していて母親に着いたこと。母親は彼と小学生の妹を養うため毎日遅くまで働いていること。そのため、炊事や洗濯、掃除、そして妹の世話は自分でしているということ、母親にこれ以上苦労をかけさせたくないから進学はしないということ、家事を理由に高校は家から一番近い所を選んだこと、など。
「じゃあ、毎日遅刻するのは……」
「朝はちょっと苦手でね。いつも起きるのが少し遅くなってしまって、それから母さんや妹を起こしたり、母さんに弁当作ったりしてたら、学校行くのが遅くなってね……。ごめん」
「い、いや、謝らないで! 私こそごめん。何も知らないのに……知ろうとしないで、私は……」
美緒の言った通りだった。私は私のことしか考えていない。彼の事なんか考えず自分のことばかりだ。私は委員長なんだからと、自分の役割を果たすため規則を守らない彼に詰め寄り、言いたいことだけ言って彼のもとを去る。本当に愚かだった……と、希は自己嫌悪に陥る。
「委員長は悪くないよ。僕が少し、甘えているのが悪いんだ」
「甘え?」
「そう、甘え。実は担任の先生には事情を話したんだ。僕が遅刻ばかりするから、どうしてなんだって。だから話した。そしたら先生が、一限目に間に合うなら問題ないって、そう言ってくれたんだ。だから、一限目に間に合えばいっかって先生の言葉に甘えてるんだ。委員長が注意してくれてたのに、ごめんね」
「……そう、なんだ。先生が……」
「遅刻の原因は僕の考えの甘さにあるから。だから……気にしないで」
そう言ってレンは微笑み、
「そろそろ僕は行くよ」
と、振り返り、「またね」と言い教室を出て行った。
そして、希は何も言えず、しばらくその場に立ち尽くしていた。