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【8】 海辺の誓い

 しばらく前から、単調に繰り返す耳慣れぬ音が聞こえている。

 ユイラはそれは打ち寄せる波の音だと言うが、それがどういうものか?やはりファネリにはわからぬ。


 空には、竜とは違い無害そうな白く小さな鳥が、風に乗りゆっくりと舞っている。


 山の民の洞窟を出て2日、ファネリの知る山の抜け道とノスベートの豊富な知識に導かれ、幸いにも一行は竜に本格的に襲われることなく、エイペス山脈を下りて来た。

 昨夜はコペルの城市~竜の地に人が住まう楔のように打ち込まれた数限られた拠点のひとつ~で夜を明かし、また明け方から馬を駆ってようやく、ついにこの大陸でも限られたヒトの勢力圏へと戻ってきたのだった。


「海だ!」

 先頭に立つ若く背の高い騎士が、岩山の間を抜ける道の先で馬をとめ、大声で叫んだ。もはや竜の勢力圏ではない、そして彼らの故郷とも言える海に生きて戻ってきた安堵の声だった。


 ユイラを救い出すために急遽、ヘンクが率いた騎士隊は2名を失っていた。

 神の住まう大海から遠く離れた山中で仲間の命を失ったことは、彼らの間に暗い影を落としていたが、だからこそ、再びこの海にたどりついた喜びは大きかった。


 騎士らは疲れ切った馬を叱咤して我先に海辺に駆け下りていく。

 その様子を、やれやれ、という顔でノスベートが見守る。その顔にも道案内、と言う名の困難な仕事をなしとげた安堵があった。


「ファネリ、僕らも行こう。キミに海を見せてあげるよ」

 二人乗りの馬を振り返って、ユイラが声をかける。


 そして、器用に馬を操ってノスベートの馬に並べると、

「こっちにおいでよ」

と、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「え?」

「いいんじゃないか、行っておいで」

 ノスベートにも勧められ、おそるおそる馬から馬へと足を伸ばす。

 ユイラが手を引き、飛び移ると言うより落ちかけたファネリを抱き留めた。薄い胸板にぶつかると、一瞬にユイラが顔をしかめる。


「大丈夫?まだ傷が痛むんじゃないの」

「全然平気だよ、海水につかればすぐに治る」

 ユイラはファネリを自分の後ろに回して腰につかまらせると、馬腹を蹴った。


「いいのかね、ヘンクどの?塩水はしみるだろうに」

「わしが言っても聞いてなどくれぬよ。誰よりもノールの剛毅な戦士であり将でありたいと振る舞われる気持ちはわからんでもないがのう・・・」

 守り役の騎士はため息をついて見送った。



「これが、海・・・」

 師父から聞いたり書物で読んだり、知識としては知っていた。だが、眼前に広がる青く果てしない水の原は、ファネリの想像をはるかに超えていた。

 ユイラが馬を下りたのは、岩陰に広がる砂浜の上だった。


「そうだ、ここがボクたちノールの庭、セシリア海だ。この海の彼方にボクらの本国フェニキールの都があるんだ」

「この水の向こうに、人の住む国が・・・」

 ファネリは呆然と立ち尽くすばかりだ。


「さあ、泳ぐぞ、ファネリ」

「え、泳ぐ?」

「当然だ、海に来たら泳ぐもんさ」

騎士たちは既にみな鎧を脱ぎ、下ばきだけか、あるいは真っ裸になって海に入り、この数日の汚れを落としているようだ。


 ユイラはまた、二日前には決して見られなかったいたずらっぽい笑顔を浮かべると、ファネリの来ている学僧のローブと貫頭衣を剥ぎ取っていく。

「わあっ、なにするんだよ。わかったから、自分でぬぐよ・・・」


 ファネリにようやくそう言わせると、ユイラは自分の革鎧手際よく外していく。肌着を脱ぐときに一瞬、手が止まったが、そのまま背を向けて砂浜に脱ぎ捨てる。


下ばきだけになったファネリを首だけ向けて確かめると、低い声で告げる。

「いいかい、ファネリ。ボクはノールの男だ、わかったね?」

 そう言って振り向いた体は、今も包帯が巻かれ多くが覆い隠されていたものの、わずかにはだけた胸はほんのりと膨らんでいた。


「えっ・・・ユイラ、きみは?」

 思わず問いかけたファネリに、ユイラは首を振った。


「ボクはノールの男、キミはボクの友だ、そうだろ?」

 それだけ言うと、ユイラは少年の手を取って渚に引っ張っていく。


「待ってよ、ぼくは泳いだことがないんだよ」

「大丈夫、半刻で泳げるようにしてあげるよ!」

 ユイラは楽しげに笑い声をあげながら、少年を足のつかない深さへと引っぱり込んでいくのだった。


 夜が更け、浜辺の岩陰で焚き火で焼いた魚をつまみながら、大人たちはまだコペルで手に入れた酒をのみ談笑している。

 子ども二人は、疲れたと言って少し火から離れた小昏い岩のくぼみで毛皮をかぶり、眠ったふりをしながら、ひそひそ声で話していた。


 ファネリは、昨日ノスベートに話したように、あの夜、夢の中で師の導きの声を聞いたことを伝えた。自分の本当の名、生まれた国、そしてそこへ向かえと言われたこと。

 大陸の果てまで知らぬ土地はないとうそぶくノスベートと異なり、ユイラはネリウスという地名は聞いたこともないようだった。


「トニス・・・そう、トニスって言うんだね。不思議な話だ。でもキミ自身、ボクにはわからない不思議な術を使ったのをこの目で見たから、キミが言うなら、きっとそうなんだろうね」


 ノールの民はおのが力こそ全て、武断の民であり、あやかしや方力とは無縁と言われている。

「じゃあ、キミはそのネリウスっていう、やっぱり海から離れた遠い国に母君を探しに行くんだね」

 そのユイラも、ファネリに応えるように自分の素性を話した。


「ボクはペテロノールの海将ヨアヒムの子として、いずれ海の男たち、戦士たち、そして陸に上がって戦う騎士たちを統べる存在にならなくちゃならない。ボクには姉がいるから、ノールの貴族の女の役目である政事や外交は、イシュターテ姉上が担う。亡くなった母上のようにね。だからボクは、父上の跡を継ぐ男でなくちゃならないんだ」

 ユイラは自分に言い聞かせるように、そう話した。


「ノールの兵は世界最強だけど、どこと戦うとか、誰を指揮官にするかを決めるのは元老院だ。だから、ボクは父上の後継者として元老院に認められるだけの実績をあげなきゃいけないのさ。今回は危ないところだったけど、メルヴェロイの手の内がいくらか調べられたんだから、きっと手柄になると思う」


 二人はどちらも同じ11歳だとわかり、これからもずっと友達だ、と誓い合った。


 そんな自分と同じ年の、しかも男として生きる、と気を張り詰めているユイラのことが、トニスは無性に心配になった。


「ねえ、ユイラ、ぼくはきみのために祈りたい」

「祈る?」


 首をかしげた男装の少女に、トニスは続けた。

「うん、ぼくは師父から、みだりに術を使ってはならぬって言われた。でも、祈ることはできる。一応は運命神の宿り木のひとつ、として神職の資格も認められているからね。きみの望みがいつかかなうように、そしてきみの魂が何者からも守られるように、祈らせてほしい・・・」


「うん?よくわからないけど、ありがとう」

 そしてユイラも続けた。

「ボクも、キミの旅路が正しい道であることを、ボクの信じる大海の神ケレニールに祈るよ。そして、ボクらの進む道がひとたび別れても、必ずまた会えるってこともね」


 パチパチと焚き火のはぜる音と、低く響く潮騒の音。


 まだ幼かった二人が、ここで交わした誓いと捧げられた祈りの重みを、まだ誰も知らなかった。

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