【6】 洞窟の一族
竜の地を通る街道は、むろん街道と言っても整備された道ではなく、遠い昔の道の名残に過ぎぬ。
それを一刻以上も走ったろうか、薄い空気に馬がもはや走れぬようになって、ようやく一行は足を止めた。
騎士たちが低い木立の中に布の幕を張り、目覚めた銀髪の子を着替えさせているらしい。
それまで鞍上で沈黙を続けてきたノスベートとファネリは、路傍の石に並んで腰をかけた。
「あの老人が、名高いシャラムーン師だったんだね・・・」
切り出したノスベートの方を見ることなく、ファネリは頷いた。
「ぼくを育ててくれた人、それから薬草の見分け方とか、山鹿の言葉とか、虚実の力とか、いろいろ教えてくれた・・・」
「そうか・・・」
あのとき、老人が我が身を犠牲にしてヨロイを足止めしてくれたのだと、二人とも理解していた。
ノスベートは、話を変えた。
「僕はノスベート、あるいはル・シュペ、西風とも呼ばれる、まあ吟遊詩人?みたいなもんだ。2日前に、ペテロノールの騎士たちに道案内として雇われて、内海からここまで来たところさ」
その言葉の意味がファネリに理解されるにはしばらく時間がかかった。
「内海って、南の海のこと!? そこから馬で? たった二日で?」
「内海は知ってたかい、そりゃ驚くよね。あの銀髪の少年、ユイラどのはノールの有力者のご子息らしくてね、それがさらわれたって言うんで、そこの騎士たちが捜索隊を組んで追っかけたって話さ」
その時、着替えを終え、細身の体にあった革鎧姿になったユイラが、年配の騎士を伴ってやってきた。ファネリとちょうど同じ年頃で、背も同じぐらいか、少し低いだろうか。
「ノスベートどの。それと、そこのキミ。この度は、二人のおかげで危うく邪神の生け贄にされるところから救ってもらったそうだね。心から感謝する」
そう言って、頭を下げたユイラは、ファネリに向かい続けた。
「ボクはペテロノール最高評議会議員、海将ヨアヒム・イアンの嫡男、ユイラ・ヨアヒムだ。キミは?」
ファネリは小さな違和感を感じながら、挨拶した。
「ぼくは・・・自由都市トールミンの学僧シャラムーン師の弟子で、ファネリ・・・」
「ファネリって言うんだね、本当にありがとう」
先ほどまで囚われの身で、腹を切られ命の危険にさらされていたとは思えぬほどに、しっかりした口調と、強い意思を感じさせる姿だった。
銀色の髪と、それ以上に珍しい銀色の瞳で整った顔立ちのユイラは、まるで先史時代の匠が大理石に彫った少年神のようだった。
「導師シャラムーンどのの高名は内海にも届いておったが、ヨロイの竜を一時とは言え押さえるとは、まさに神通力というにふさわしいお力でしたな。そのお師匠を亡くされ、さぞや・・・」
ヘンクという年配の騎士がそういうのを聞いて、やはり師はヨロイの牙にかかって亡くなったのだ、とファネリはあらためて実感するのだった。
「皆さんはこれから、どうするつもりなんですか?」
「無論、ユイラ様を救出した以上、ノールの陣まで戻るつもりだ。父・海将閣下も心配なさっておいでだからな。ただ・・・」
ヘンクは率直に困った様子を見せた。
「そうだね、ここはまだ竜の地、あのヨロイやケナガは引き離せたとは言え、とうてい野営などできない、しかし、次の城壁のある街はコペルだから、日没までにはとても帰り着けないし・・・」
ノスベートもあてが無いようだったので、ファネリは思いついたことを提案してみた。
「山の民の洞窟に泊めてもらうしかないでしょう」
「山の民? こんな竜の地のど真ん中にも住んでるのかい?」
「ええ、警戒心が強いので、竜だけで無くよそ者の気配がしただけで、洞窟にひっこんでしまうから・・・」
なお半信半疑の一行を案内して、ファネリは街道をさらに南下し、日が傾き始める頃、低木の茂みの陰に隠れるようにして口を開いている、旧知の一族の洞窟にたどり着いた。
「まさか、本当にこんな所に人が・・・」
「ここで待ってて下さい。先にぼくだけで頼みに行ってきます」
そう言ってファネリが穴の入口をくぐり、真っ暗な、人が住んでいるとはとても思えぬ洞窟に入っていく。と、まもなく暗闇の奥から声がかかった。
「ファネリか」
「バジャ? 山の友よ、今夜、泊めてもらえまいか」
現れたのは山鹿の毛皮をまとい、槍を構えた壮年の男2人だった。
「バジャ、バダン、山の友よ」
ファネリが両手の指を組んで、挨拶する。二人もそれに応える。
「山の友よ、よそ者を連れているな?大勢、鉄の臭いと血の臭いだ」
「竜に追われておったな?」
「うん、竜に追われて逃げてきた。一晩、入口の近くを使わせてもらいたいんけど?」
ファネリは山の民がよそ者を恐れ、嫌っているのをよく知っている。一族のいる、居心地の良い穴の奥でなくても、竜が入れない場所なら十分だ。
「ふむ、ファネリは友だ、マータを嫁にやってもいい」
「バジャ、それは今話すことではない。よそものが問題だ」
男兄弟は、ファネリの幼なじみの少女の父と叔父でもあった。
「うむ、よそものは良くない。だが、ファネリは歓迎する」
「よそ者だが、子ども連れで傷を負っている。夜が明けたら出て行くし、ぼくが見ているから、入口のところを使わせてくれないか」
「ばばさまに聞くか」
「聞くのがよかろう」
バダンが奥に入っていった。
「何人いる?」
バジャが尋ねた。
「ぼくの他に11人、両手の指と、もうひとり」
ファネリが答えると驚いた顔をする。
「沢山の沢山だ、わが一族に近い」
「うん、だから奥には決して入らないよ。食べ物も自分たちで持ってるはずだ」
バジャは鼻を鳴らして気配を探っている。
そこにバダンともう一人、少女がついてきて、姿が見えるなり抱きついてきた。
「ファネリ!」
「マータ、いい年の娘がそれはいかん」
父親にたしなめられ、頬を膨らます。少女の背は頭半分、少年より高かった。
「いいのに、弟も同じなんだから・・・山の友よ」
「山の友よ・・・マータ、久しぶりだね」
「ばばさまは良いと言った。ただし、よそものは柵の外側でと」
「ぼくも柵の外でいいから、ありがとう」
マータは不満そうだ。
「ファネリはあたしの床でいいのに」
「マータ!」
父親がさらに叱りつけるがどこ吹く風だ。
いったん洞窟を出たファネリが、騎士たちに呼びかける。
「洞窟の入口だけ貸してもらう許しをもらった」
「火は使ってもいいのかい?」
高山の夜は冷える。ノスベートが南から来た騎士たちの装備を考えて問うた。
「大丈夫、ただし控えめにね。クロバネを呼ぶと厄介だから」
「なるほど、そうだな」
竜の中では珍しく夜行性のクロバネは、小さいものなら洞窟の中にまで入ってくる。
ヘンクが、ユイラたち一行を連れて来る。馬も頭を下げさせて連れ込む。大体30エルドほど奥に入り入口の光がかすかになった所に、頑丈な木の柵が牢の格子のように取り付けられて、それ以上の侵入を阻んでいた。
「この奥に、一族で住んでいるんだ。特に武器をもったよそ者は警戒されるから」
「うむ、それは仕方がない、寒さをしのげ竜が入れぬ穴を貸してもらえるだけでもありがたい」
ヘンクがそう言うと、ユイラも同意するようにうなずいた。
「キミは山の民と親しいの?」
「小さい頃から薬草を摘むときによく泊めてもらって、山鹿の放牧を手伝ったりもしてたから、家族みたいな一族なんだ」
ファネリの答えに、ユイラは興味をひかれたようだった。
「こんな洞窟に住んでるのにも驚いたけど、山鹿まで飼っているんだね」
「うん、幾つも抜け穴があってね、竜がいない時は外で草を食べさせて、見つかったらすぐに逃げ込む、気が休まらない暮らしだよ」
「そうなのか。ボクたちノールは海の民だから、こんな山の中で暮らす人の生活を見るのは初めてだ」
「そうなんだね、僕は逆に物心ついてからトールミンの城市と山しか知らないから」
「じゃあ、一緒海を見に行こう!海はいいよ」
生い立ちは大きく異なる二人だが、互いに気が合うようだった。
そんな少年たちの様子をあたたかく見守りながら、騎士たちは傷の手当てをし、野営の支度を始めた。
そこに柵の奥から、先ほどの少女が姿を見せた。
「ファネリ、ばばさまが直接話を聞きたいって、ファネリだけ」
ユイラがついて行きたそうなのをマータが制し、にらみつけた。
「ユイラ、あとで聞かせてあげるよ」
そういってマータについて、奥へ入る。入口から離れ一瞬真っ暗になるが、二人とも目をつぶっていても歩ける洞窟だ。
香草の匂いがして、ゆるやかにひとつ角を曲がると、一族の住まいが眼前に開けた。空気穴が開いている下で小さな火が焚かれ、赤子を抱いた女が鍋をかけていた。
「山の友よ、ようこそ」
「山の友よ、一族に幸を」
鍋をかき回す手を止め声をかけてきた女に、ファネリも返事を返す。槍を手入れしているバジャとバダンのさらに奥、洞窟の少し高くなった所にむしろを敷いて、真っ白な髪の老婆が目を閉じて座っていた。
「よう来たね、ファネリ」
「おばばさま、お加減は?」
「いつも通りじゃわえ、いつお迎えが来てもよい」
目が見えぬ老婆は、それでもしわだらけの笑顔を見せた。
「珍しい者たちを連れてきたようだね」
「はい、海の民、ノールの騎士だと聞きました」
ファネリは遺跡で目にした恐るべき出来事と、先ほどノスベートから聞いた話とを順をおって話した。
バジャとバダン、そしてマータとその兄マハンも近くに来て耳を傾けていた。
「ノールってどこだ?」
「黙っておれ、あとで教える」
マハンが聞きかけたのをバジャがたしなめる。もとより、山の民は外の世界のことはほとんど知らぬ。
話をすべて理解しているのは、若い頃、街で暮らしていたという、おばばだけかもしれなかった。
「あの遺跡で、そのようなおぞましい儀式がのう・・・メルヴェロイの者たちはこの世をなんとする気か」
ため息をつくおばばに、さらにつらい話をしなくてはならぬ。
「そこから逃れるときに、師父が・・・」
シャラムーンがヨロイから一行を逃がすために身を捨てたことを、言葉につまりながら、嗚咽に耐えながらファネリは伝えた。
それをおばばは、ただ慈しむように見えぬ目で少年を見据えていた。
「そう悲しむでない、山の子よ。シャラムーンはわしと同じほど長生きした。老いた者が、若い者より先に逝くは悲しいことではないわえ。涙を流してくれる若い者が生きておる、それは幸いぞえ・・・」
おばばは手探りで少年の手を取った。
「それにのう、シャラムーンは消えてはおらぬ、そう感じるがのう・・・」
ファネリは不思議そうに、おばばの顔を見つめた。
「まあ、ともかくあたたかい乳でも飲んでゆけ。心の痛みは、時が癒やしてくれよう。それでもなお残る痛みなら、それはもう忘れずともよいものじゃ」
洞窟で暮らすのは、おばばの2人の息子と1人の娘。そして息子2人の3人の妻とその子ら5人、あわせて12人の一族だった。
山鹿の乳で木の実を煮たシチューの器が行き渡り、ファネリにもマータが持ってきてくれる。
山の神にきょうの命の感謝を捧げ、口にする。
その味は素朴で懐かしく、心を癒やしてくれた。