【3】 闇の儀式
「師父さま、お帰りなさいまし」
「ファネリはいかがでしたか、合格はしたのですよね?いかなる神を」
粗末な板葺きの堂に帰ったシャラムーンは、若い学僧たちのまとめ役をしている弟子らに迎えられた。
「うむ、定めの神であったよ」
「まあ、運命神ですか、めずらしい・・・私はあの子も医神に仕えてくれるかと期待していたのですが」
近在の多くの病人を救い聖女のように慕われているルカだが、医術を専門にする者が少ないことを常に嘆いていた。
「ま、そう言うな、あの子は医術以上にその根本にある生命のことわりや定めに、より惹かれておるのだろう。とは言え、病が流行った折には役にも立とう、・・・ん?まだ帰っておらぬのか」
弟子筆頭のアントンの言葉に、シャラムーンは引っかかるものを感じた。
「はい、師父様と一緒ではなかったのですか?」
「先に帰ったはずだが・・・」
常に無い胸騒ぎを感じた老学僧は、再び扉から外に出ると、目を閉じて精霊の声に耳をすませた。
「不穏な、禍々しい風が・・・昨夜は誰も星読みをしておらなかったか?」
「はい、いえ、たしかウルシカが・・・」
「ウルシカか、やむをえんの」
もとより、星読みは修行の一環として行うには高度なわざだ。たまたま両名のような年長者が番にあたっていたとしても、この高度な結界には気づけなかったろう・・・
「出かけてくる。もし、日のあるうちに戻らなければ・・・」
「師父さま?」
「トールミンの神殿長に知らせてくれ」
「いったい何が?」
弟子たちは未だ気づいていないようだ。
「まだわからん、だが、危険じゃ。・・・これはとてつもなく」
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地響きを立てて、暗闇の中から現れてくる赤く禍々しい巨体。
「嘉したまえ、蘇りたまえ、黄泉し御霊へ、黄泉孵り給え・・・」
儀式を導く黒いローブの男たちの、不気味な詠唱が広い洞窟に反響し、方向感覚を失わせる。
「よみしたまえ、よみがえりたまえ、よみしみたまえ、よみがえりたまえ」
祭壇の下で僧形剃髪の男たちがそれに続いて詠唱し、きつい香の匂いが意識を酔わせ、この世とあの世の境を曖昧にしていく。
そして黒ローブの男らを従えて立つ、鎧の狂戦士が、血塗られた大剣を高く掲げ、赤い巨体に呼びかける。
「ここへ来い、炎の地竜よ!わが贄を受け取り、わが力となるのだ!」
そして大剣を、目の前の新たな石板に手足を固定された、白銀の髪の子の身を包むたった一枚の薄衣に、スーッと走らせる。
気丈にも身動きひとつせずに男をにらみつけていたその子の表情が恐怖に凍り付く、
剣は皮一枚を寸分違わず切り裂き、白い肌に深紅の血がにじみ、広がっていく。
青ざめた唇が震え、声にならぬ悲鳴が漏れる。
ぼんやりと透けた赤い地竜の巨体が、少しずつ不透明に、実体化していく。
「暗い御霊へ、火借りたまえ、喰らいたまえ、怒り給え・・・」
儀式の詠唱が高く低く、こだまする。
「くらいみたまえ、ひかりたまえ、くらいたまえ、いかりたまえ・・・」
祭壇の下からさらに多数の声が唱和する。
狂戦士の剣は、さらに生け贄の薄衣に十字を刻むように走る。
子の体がびくり、と痙攣し、薄衣の下半身に水濡れが広がる。とうとう恐怖のあまり意識を手放してしまったのだろう。
それを見て男はますます嗜虐の恍惚を面に浮かべ、地竜を睨めつける。
その巨体はますます不透明になり、もはやこの世にまことに存在すると言って良いありさまとなっていた。
それが祭壇に近づくよりも先に、少年が巨体の横合いに出られたのは、そこがおそらく、祭壇に供物たる子を運び込んだ通路だったからだろう。
真っ暗な洞窟の中に、転々と光虫の跡が残されていなければ、とても走ることなどできなかった。
そして、洞窟の中にただ一カ所だけ、明かりが残り、祭祀のための様々な道具が置かれた部屋だとわからなければ、たとえたどり着けたとて、なすすべも無かったろう。
広い主洞窟の側面に刻まれた細い通路から、香の壺が投げ下ろされ、炎に包まれ今やほとんど実体化していた、炎の地竜の頭に音を立てて当たった。
割れた壺から飛び散った香液は、鉄すら溶かす竜の火に一瞬で蒸発し、猛烈な蒸気をあげる。
「シャアァー」
と軋むような咆吼をあげ、地竜は横を向く。そこに小さな人影が、山羊の血の臭いをまとって立っていた。
地竜が目の前の獲物に真っ赤な口を向けると、それは、地竜の首より高い所にある通路を、横穴へと逃げていく。
地竜は地響きを立てて追う。
「何者だ!?捕らえよ!」
憤怒の形相で、狂戦士が叫び声を上げた。
だが、高熱の立ちこめる洞窟を、竜の足もとを追える兵など居りはせぬ。
狭い通路になんとか回り込める道はないか?兵らが右往左往する。
ファネリは、横穴に入り込んで追ってくる炎の地竜から必死で逃げ走るが、体の大きさも歩幅も違いすぎた。
そして、ついに真っ暗な深淵を背後に、横穴のへりに立ち尽くした。
真っ赤な竜の口からさらに紅蓮の炎を吐き出しながら、その巨大なあぎとがついに少年をひとのみにした、そう見えた瞬間。
「パリンッ」とガラスの砕ける音と共に、竜の足もとに続いていたはずの地が途切れ、巨体はバランスを失って、眼前の深淵にゆっくりと傾いていく。
その下には、静かな地下水脈が流れていた。
「ギャアァァアァーッ!!」
とてつもない悲鳴のような咆吼と共に、水蒸気が爆発し洞窟を白く満たした。
いったい何が起きたのか?
その時になって、灼熱をものともせぬ狂戦士と配下の兵らが、追いすがってきたが、単なる熱気ではなく沸騰した水蒸気を浴び、もだえ苦しむ。耐えきれずに倒れる者も続出した。
もうもうと立ちこめる白いベールの向こうで、赤い巨体がのたうち回り、さらにねじ曲がり、やがて絶叫が小さくなると共に、赤い光が薄れ、ついには消えた。
ようやく、水蒸気のベールが晴れた。
だが、そこには、たしかに実体化したはずの炎の地竜の姿はなく、少年の姿もなかった。
ただ、少年の姿を映し出していたのであろう、道具部屋から持ち出された大きな鏡のかけらが、地下水脈を見下ろす崖の縁に、割れ散らばって残るのみだった。