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【1】 異界の扉

(承前)

 いつのこととは知れぬ。

 ただ、数える者とて無い昼と夜が、傷ついた惑星を通り過ぎた後のことだった。


 ヒトは生き延びていた。

 自らの傲慢と浅慮が引き起こした大いなる災厄によって文明の一切が崩壊し、世界の支配種の座から転がり落ち、惨めな獣の一種にすぎぬほどの境遇に陥っても、それでもなおヒトは細々と生を営み、その中のごく一部の者たちは、遥か遠い繁栄の記憶をかろうじて語り継いでさえいたのだった----

<序>


 暗闇の中に詠唱が響く。低く地底からわき上がるような不気味な詠唱は、しかし何十名もの声がまるで一つの楽器であるかのように一糸乱れず、恐ろしげではあるけれどある意味で美しい共鳴を起こし、韻韻と闇の中を波動になって広がっていった。


 突然、青白い閃光と共に、地響きが、そして激しい空気の振動が闇をふるわせた。


 勝ち誇った笑い声が響きわたった。

「やったぞ、われは遂に成し遂げた。いにしえの伝承はまことであった!」


 元の色彩のわからぬほど血塗られた、しかし高位の身分であることを伺わせる豪奢な甲冑が、その男の大柄な体躯を際だたせていた。それ以上に、その全身から発する強烈な、しかも禍々しいエネルギーが、戦士の体をより一層大きく見せ、周囲を圧していた。


 男の足元の石板の上には、あわれな銀毛の山羊が、深紅に変わった亡骸を横たえていた。

 周囲には真言を唱え続ける黒いローブの男たちの一団と、剣の柄に手をかけてさらにそのまわりを固める兵たち。

 祭壇の下には、何十人もの僧形の者らがひれ伏して、壇上のローブの男らが唱える真言を繰り返していた。

 そして、壇上の男らの視線の先には、暗い深淵の彼方にもやもやとした赤い光が浮かび、形を取りつつあった。


 竜の眷属であろう。しかし、この地では誰もが良く知る「クロバネ」や「ケナガ」ではない。恐るべき「ヨロイ」でさえ、このような圧倒的な巨体ではない。しかも、赤い光はそのもの自体が発しているようだった。

 呼び出そうとしているのはこの世の竜ではない、竜に似た竜ならざるもの、竜を超える存在だった。


 人里から遠く離れた深山の森の中に、このような古代遺跡が残されていることを誰が知ろう。その祭壇の奥には、ただ切り立った断崖があるだけのはずだった。しかし、今宵なにか、この世界とは全く質の違う異世界がゆっくりと扉を開けつつあった。


 ゆっくりとこちらに向かってくる、それは赤い炎に包まれた途方もなく巨大なトカゲのような存在だった。だが、その巨体は未だおぼろで、体の向こうの景色が透けて見える、夢ともうつつともつかぬ有様だった。

 その目のような位置にある四つの縦筋が開かれると共に強烈な光がはなたれ、その口から低くきしんだ咆吼が轟くと、祭壇に地響きが起こった。


「・・・供物をここへ、山羊などでは無い、真の禍つ神を虚から実へとめざめさせるのだ。供物をここへ連れてこい!」

 大柄な戦士は、まだ遠く離れているにも関わらず、見上げるほどのその邪悪な獣に、しばし圧倒されたかのようだったが、再び狂ったように笑い始めた。



-----------------------


 キラキラと燐光を放つ光虫たちが、西風にのって山肌を流れていく。


(明日の朝には、また多くの木々や虫たち、ひょっとしたら鳥たち獣たちさえ、物言わぬ結晶に姿を変えているかも知れない・・・)

 ファネリはその夕空を見上げながら、小さな体に不釣り合いなほど長い、曲がりくねった樫の杖をつき、蔓を編んだかごを背負って斜面に沿って歩いていた。


 きょうの勤めとされた薬草はとうに集め終わっていたが、ついでにキノコやキイチゴを少しばかり集めて、(キイチゴの方は、育ち盛りの空腹に耐えきれず、いくらかその場で食べてしまったりして)いるうちに、こんな時刻になってしまったのだ。


 クロバネの竜が舞い始める前に堂に戻らないと、兄弟子・姉弟子の説教さえ二度と聞けなくなってしまうかもしれぬ。


 急ぐ斜面から山鹿ヤカを追う山人の姿も消えた黄昏の頃、少年は馬車の音に気づいた。

いったい何者だろう。


 そもそも、このあたりでは馬車自体珍しい。

 ヤカにつないだ荷車のゆっくりとした轍の音と違い、軽快でずっと早いリズムを奏でる馬車は、何度か師父につれていってもらったトールミンの市街ではよく見るが、街道とは名ばかりの山道しかない急峻なアルフ山脈には、あまり向いた乗り物とは言えない。馬たちもすぐにへばってしまうだろう。


周囲を固めた騎兵らは、さらに、それこそ竜とでも一戦交えようとしているかのように重武装だ。長槍と石弩とを背負い、全身を隙間無く鎧兜で覆っている。


 そして、まるで馬の疲れなどお構いなしの鞭の入れようで視界に入ってきた四頭立ての馬車を見た途端、今度こそフェネリは帰路を急ぐことさえ忘れてしまった。


 灰色の布を全面にかけられた四角い大きな荷台。檻車だ・・・そう気がついたのは、風が吹き付けているこちら側の布面に、くっきりと檻の格子模様が浮き上がって見えたからだ。トールミンの街で一度だけ見たサーカスの猛獣達があんな檻車に入れられていた。


 なにか珍しい獣を運んでいるのだろうか?しかし、それにしてもこんな危険な黄昏時に道を急がなくてはならないのだろうか。峠を越える前に、比較的大きな山の民の洞窟があったはずなのに。

 

 好奇心にかられた少年は、まわりに当然人の目など無いことを無意識に確かめてから、師父に禁じられている方力を少しだけ使った。

 強い風の中では見ている者がいても誰も気づかないだろう。突風が不意に不自然な方向に渦を巻き、すっぽりと荷台を覆っていた灰色の布を止めていた紐を引きちぎり、あたかも手でつかんだように、下からめくりあげた。


「・・・子ども」 

 檻の中には、たったひとり、ファネリとおそらく同じ年頃の子どもが、足に大きな鉄球をつけられて転がされていた。


 その子は、子どもだというのに、甲冑のようなものを身につけ、横たわっていた。それがなんらかの傷によるのか、あるいは薄い高山の空気のためかはわからぬ。物心ついたときから、この高地で育ったファネリには、後者はそもそも思い至らぬことだった。


 ただ、ファネリの目を最も引いたのは、短く切られたその子の髪が、薄暗い黄昏の光さえキラキラ反射するほどの美しい白銀色だったことだ。


 そして、全力で石を投げても到底届かないほどの距離にありながら、その子は突然、ファネリの存在に気づいたように、その髪とそっくりな銀色の瞳を大きく見開き、こちらを見つめていた。

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