ダンジョン暮らしの二周目悪役令嬢ですが、破滅したいのに執事がそれを許してくれません
絶対におかしい。
「そろそろ午後三時です。おやつの時間にしましょうか、お嬢様?」
何かが、確実に間違ってる。
「今日はリンゴのタルトがよく焼けました。直轄農園で取れた最高品質のリンゴの芳醇な香りと酸味が、なめらかなミルククリームと調和して、絶品の仕上がりですよ」
執事が、目の前にケーキスタンドやティーポットを並べていく。
「美味しいお紅茶もございます。お嬢様は、レモンティーがお好きでしたよね」
純白のテーブルの上に並ぶ色とりどりのお茶会セットは見ているだけで心がほころぶほど美しいけれど、背景のせいで台無しだ。
私の目の前にあるのは、すすけた色の煉瓦の壁。
つい昨晩まで私が暮らしていた、ディオナ家別宅の豪華絢爛な内装とはほど遠い。
ほんのりかび臭いし、空気は湿っている。
とても住み心地の良い場所とは言えなさそうだ。
「紅茶の水面に浮かぶレモンが、まるで夕暮れ時に浮かび上がったせっかちな月のようで趣があると。もっともこんな場所では、風情も何もあったものではありませんが……」
「エリアス。私の名前と、肩書きを聞かせてくれる?」
私がドスのきいた声で言うと、執事のエリアスは恭しく礼をしてから高らかに叫んだ。
「はい、お嬢様。お嬢様は名門貴族ディオナ家の長女にして嫡子、いずれは世界を統べる覇者となるべき崇高なるお方! ルシール=ヴィルフィス=ディオナ侯爵令嬢でございます」
うん、間違えてない。
私の『設定』は、記憶と性格に合致している。
だとすると一層、目の前の汚い壁の意味が分からない。
「そうよね。私は高貴で崇高な侯爵令嬢よね。だったらどうしてその私が――――こんなかび臭い部屋の中に閉じ込められているのかしら? 私、何か悪いことをして捕まった?」
「いえまさか。完璧なお嬢様に限って、そのようなことはありえません」
「じゃあ突然革命でも起こって、牢屋に閉じ込められたとか?」
「まさか。世界は至って平穏ですし、お嬢様の未来は未だ栄光と希望に満ちあふれています! 依然変わりなく!」
「だったらどうしてこんな場所に?」
「それはお嬢様が今、ダンジョンの中にいるからです」
世界観を間違えてるんじゃないかと思わんばかりの単語選びに、私は思わず面食らった。
「ダンジョンって何。私そんなもの知らないんだけど」
「ダンジョンと言えばダンジョンです。魑魅魍魎のモンスターや、千変万化のトラップが待ち受ける、難攻不落の地下ダンジョン!」
「いや、そこじゃなくて。なんで私がダンジョンの中に閉じ込められてるのかってとこを教えて欲しいんだけど」
「有史以来、数多くの冒険家がダンジョンに挑み、そして命を落としてきました。それでも、人はダンジョンに潜ることをやめません。なぜだと思います?」
「知らないわよ! というかそんなこと聞いてないわよ!」
「それは、ダンジョンにはお宝が隠されているからです!」
「いいって! ダンジョンの話はもういいから!」
「もっとも、このダンジョンにおける宝物とはお嬢様……貴女自身なのですけどね」
「聞いてないことばっかり次々と答えないで! 質問に答えなさい!」
私が怒っているのは、別にこの場所が臭いからとかじめじめして気持ち悪いからとかじゃない。
かび臭いだけのただの地下牢とかなら、私も別に怒ったりはしない。
私の怒りは、主に焦りから生まれている。
今日私は、別にやるべきことがあったのだ。
そして今日それができないと、今後しばらくの私の計画が大いに狂ってしまうのだ。
いや、もう狂ってる。地下室の中では正確な時間は分からないけど、三時のおやつとか言ってたし多分予定時刻は過ぎてしまっているだろう。
具体的に言うと、今日私は町で猫探しをしている一組の男女のところに突っかかっていって、二人のことを馬鹿にしに行かなくてはならなかったんだ。
私を共通の敵に仕立て上げ、二人の仲を進展させるために!
《《《《《》》》》》
確か、この世界にやってきたのは前の周回の時だったと思う。
元々、現代日本でOLをやっていた私は、ひょんなことから昔自分がプレイしていた恋愛ゲーム『満ちる世界のユビキタス/リバース・ワールド』(略称:指切り)の世界に転生してしまった。
主人公の少女ポレットの前に立ちふさがる悪役令嬢ルシールに生まれ変わっていることに気づいた私は、待ち受ける破滅の未来を回避するために行動――――
しなかった。
むしろ記憶に鮮明に残る悪役令嬢ルシールの行動を完全になぞり、破滅の未来へまっしぐらに突き進み、ポレットちゃんとそのお相手のイケメン不良少年セドリック君の踏み台になりながら盛大に爆発四散した。
なぜそんなことをしたかって?
それは私がセドポレ推しだからだよ!
悪役令嬢ルシールがポレットの前に立ちふさがるのは、不良少年セドリックのルートだけ。
それ以外の攻略対象のルートでは別の悪役がそれぞれ用意されていて、ルシールの出番はない。
裏を返せば、ルシールがポレットの前に立ちふさがらない場合、セドリックルートは雲散霧消してしまうということになるのだ。
私にはそれが許せなかった!
せっかく生で『指切り』の世界を実体験できるというのに、なんでわざわざ推しじゃないカップリングの成立過程を眺めなくてはいけないのか。
さわやかな男性教師メイナードとか、気弱な後輩デニスとか、口うるさい委員長ジークハルトとか、ひょうきんな幼なじみオスカルとか、いやまあ確かにかっこいいとは思うけど、違うの!
ポレットちゃんとくっつくのは、セドリック君じゃないと駄目なの!
ともかくそんなわけで、セドリック君とポレットちゃんが絆を深めるための格好の踏み台ライバルとして奮闘し、シナリオ通りに破滅の未来を送った私は最後、筋書き通りに崖から身を投げて命を絶った。
……はずだったのだが、なぜか死ぬ半年ほど前にさかのぼって、また悪役令嬢をやっていた。
本編が始まる少し前くらいの時間軸だ。
私は思った。これはひょっとして、もう一周セドリックルートをじっくり見てもいいですよっていう神様のお達しなんだって!
実際前の周回では、慣れていないせいもあって色々と取りこぼしが起きてしまった。
夏休みの花火デートの初キスシーンとか、お膳立てに忙しくて見逃しちゃったし。
でもやり直せるなら大丈夫! 今度こそ、見たいシーンをきっちり私の瞳孔に収めた上で、きっちり悪役令嬢としての責務を全うしてみせる!
なーんて決意を胸に粛々と準備を重ねて、さあファーストコンタクト……と意気込んだ日に、この監禁騒ぎが起きてしまったのだ。
それにしてもダンジョンって……確かに『指切り』のミニゲームにはそういう設定はあったけど、本編に一切出てこないし、一周目でも遭遇しなかったのに。
世界って思ったより奥行きがあるんだなあ。
《《《《《》》》》》
こうしている間にも、セドリック君は頼まれた猫探しのために町中をかけずり回っているし、それを見かけたポレットちゃんが私も手伝う! と乗り気になる。
最初は邪険に扱うセドリック君だけど、泥まみれになっても猫探しを頑張るポレットちゃんのひたむきな姿に少しずつ心を解きほぐされていく。
そんなさなかに私が現れて、泥まみれの汚いポレットちゃんを馬鹿にする。
セドリック君は切れて私に反論する。ポレットちゃんは、猫を見つければ馬鹿にされないとセドリック君をなだめる。
そして猫は無事見つかり、私は捨て台詞を吐いて去って行く。セドリック君とポレットちゃんには不思議な絆が芽生えつつある――――はずだったのに!
私が喧嘩売らないと二人の距離が近づききらないから、せっかくの猫探しイベントが肩すかしに終わってしまうかもしれない。
私は焦りで苛々しながら、目の前のエリアスに文句をつける。
「ダンジョンだかなんだか知らないけど、エリアス。私は忙しいの」
「はい。存じております」
「私にはやらなくてはならないことがいっぱいあるの。だから私を、ここから解放して」
「それはできません、お嬢様」
「なんでよ! 貴方、私の執事でしょ? だったら私の言うとおりにしなさいよ!」
「……お嬢様。私には嫌な予感がするのです」
「嫌な予感?」
「ここ数日、おぞましい未来の予想図が私の頭にこびりついて離れないのです」
エリアスは私の目の前に跪き、すがりつくように私の手を握った。
「どうも近いうちに、栄光と希望に包まれているはずのお嬢様が、なぜか破滅と没落の果てに死んでしまうのではないかと! そういう夢を繰り返し見るのです、お嬢様!」
私は思わずぎくりとした。エリアスの言っていることが、あまりに的を射ているからだ。
確かに私は近々没落する……セドリックルートを正確になぞることができれば、の話だけど。
だけど、どうして? どうしてエリアスがそれを知っているんだろう?
前の周回の時、エリアスはごく普通の執事だったはずだし、この世界が乙女ゲーであるってことにも気づいてなかった。
いや、それは今も気づいていないのかな? だけど私の未来に暗雲が漂っていることについてはすでに気づいているようだ。
この時点では、まだ私はポレットちゃんに接触すらしていないのに。
「このような妄想をしてしまうこと自体、お嬢様に対する不敬であることは承知しています。全て終わった後、なんなりと罰をお申し付けください。ですが、今から半年間は駄目です」
「は、半年――――……?」
「半年後、お嬢様が通う名門学園の文化祭の後夜祭が終わるまでは……貴方のことを解放するわけにはいきません。お嬢様」
文化祭の後夜祭。
それは悪役令嬢ルシール=ヴィルフィス=ディオナがポレットちゃんとセドリック君の手によって全ての悪事を暴かれ、破滅し廃人と化す約束の日。
そして二人が、正式に恋人として結ばれる日でもある。
逆に言うと、私がシナリオをなぞって二人をくっつけられるよう立ち回れるのはあくまでその範囲内のみ。
文化祭が終わってしまえば、もはや私の仲にセドポレルートの筋書きは存在しない!
まずい。本気でエリアスが私のことを半年監禁しようとしているとすれば、されるがままでは話にならない。
なんとしてでも彼を説得して、ここから出してもらわないと。
「……違うの、エリアス。違うのよ。貴方が見たビジョンは決して妄想じゃないわ。だけど真実でもない。これから起こる未来が破滅なら、私はそれを回避するために行動するわ」
私がそう言うと、エリアスの鋭い目がぎらりと光った。
「嘘ですね。お嬢様」
「……へっ!?」
確かに嘘だ。むしろ私は破滅の未来に向かって全力疾走しようとしてる。
でもどうして? どうしてエリアスにその嘘がばれたんだろう。
「お嬢様は、どういうわけか嘘をついておられる。なるほどお嬢様は私が言ったことを信じてくれたようですし、破滅の未来が起きることも予見されているようだ。だが今のお嬢様にはそれを回避するつもりがない……」
「……っ……!」
気味が悪いくらい見抜かれている。
「理由は深く立ち入りません。お嬢様ほどのお方がわざわざ破滅の道を選ぼうというのです。きっと深遠なるお考えがあるのでしょうし、私には理解の及ばないことでしょう」
「い、いやあ、それほどでも……」
「しかし私は、お嬢様が破滅するなどという道を選ぶことを認めるわけにはいきません」
「……ない……わよ……うん」
おどけて笑って見せたが、その程度でごまかせるような空気じゃなかったので、語気は少しずつ弱まっていった。
「エリアスは、どうして私のことをそこまで構うのよ。私を殺そうとしたり、没落させようとして監禁するなら分かるわ。でも半年後私を解放するとして、その後エリアスはどうなるのよ」
「……」
「こんなことをしたら、私が許してもお父様やお母様は貴方をきっと許さないわ。私の破滅を回避できても、貴方の破滅は回避できないじゃない!」
「……それでもいいのです」
私がそう聞くと、エリアスは少し悲しげな表情になって言った。
「私はそれだけお嬢様のことを大切に思っているのですから」
「エリアス……」
なるほど。大体事情は把握した。
私は『指切り』のメインストーリーについては今でも諳んじられるほど把握してるけど、流石に完全なサブキャラの思考までは把握していない。
どうやらこのエリアスという執事、ルシールに対して並々ならぬ感情を抱いているらしい。
私、前世……はルシールだったから……前々世のOL時代は、全く男に相手にされない非モテ生活を送ってきた。そのせいでどうにも生身の人間の恋心には疎いところがある。
それで今まで気づけなかったのだ。
「ですからお嬢様の考えが変わるか……または約束の日が過ぎるまで、私はお嬢様のことをこのダンジョンに監禁いたします。お嬢様からすればはた迷惑なのは重々承知しておりますが……」
しかし、今更気づいたところでどうしようもない。監禁されてしまったという事実に変わりはないのだから。
「……側近のご無礼を、どうかご容赦くださいませ」
しかし……これは本当に困ったな。
このままだと私は、本当に半年後の文化祭が終わるその日まで、このかび臭いダンジョンの中に監禁され続けることになる。
こんなことをしている暇があったら、私は早くポレットちゃんとセドリック君の間に立ちふさがって、あの二人の絆を強めるアシストをしなきゃなのに!
こうなったら手段を選んでいる余裕はない。なんとしてでもダンジョンを抜け出して、自由の身にならないと。
幸い悪役令嬢ルシールは、これでもセドリックルートでポレットの前に立ちふさがる最大の敵だ。
ルートによっては世界を救ったりもするポレットちゃんの、1ルートのラスボスとしてふさわしいだけの力が私には備わっている。
魔法、武術、その他多芸……元の世界の私は凡人だが、ルシールは才気に優れた天才令嬢。なんだってそつなくこなせる生まれついての勝者。
モブキャラ同然の執事が作り出したダンジョンなんて、力尽くで抜け出せるだろう。
待ってなさい、主人公ちゃん。一刻も早くこんなダンジョン抜け出して、貴女のところに踏み台として立ちふさがりに行ってあげるから!
……あと、エリアスがこんなくだらないことでお父様から厳罰を下されるのもかわいそうだから、そこもなんとかしてあげたい。
(一週間程度までなら、まだギリギリ私のわがままで許されるかもしれない。私の自由は、エリアスの身の安全にもつながるのだ)
去って行ったエリアスの背中を目で追いながら、私は頭の中で計画を少しずつ組み立てつつあった。
◆◆◆◆◆
ダンジョン備え付けの洗い場でティーカップを洗いながら、俺はこれからのことについて考える。
「やれやれ……」
妙な夢を見たのは、つい一週間ほど前のことだった。
俺が敬愛し付き従うルシールお嬢様が、同級生の木っ端な女生徒に嵌められ、破滅の道を辿ってしまうという悪夢だ。
そこに至る課程がぼんやりとしていて、どうしてそうなるのかは分からずじまいだったが……最後の最後、お嬢様が通われる学校の文化祭で、お嬢様が自分の境遇に絶望して身を投げるイメージだけは妙に鮮明だった。
あまりにも鮮明だったので、俺にはそれが空想の出来事とは思えなかった。
そしてそれから五日間、全く同じ内容の夢を見た。
俺はそれが、予知夢なのだということに気づいた。
ご主人様や奥方様、その他侍従の誰にも異変は見られなかった。お嬢様にもだ。
この夢を見ているのはきっと俺だけなんだろうと思った。
だから、助けてあげなければならないと思った。だけど、何をすればいいのか分からなかった。
分かっているのは、お嬢様の破滅に二人のご学友が絡んでいるということだけだ。彼らと関わらせないようにすればいいのか?
いや、普段屋敷の中で仕事をしている俺の力では、学園の中のことまで管理できるか分からない。
お嬢様に口頭で伝えても、その通りに動いてもらえるかは分からない……。
だったら、物理的に引きはがすしかない。監禁するしか他に方法はない。
そう思った俺は、密かに用意していたダンジョンにお嬢様を拉致したんだ。
「……ふぅ」
きっとお嬢様は、今頃脱出の計画を練っていることだろう。
なぜか知らないが、お嬢様は自らの運命について気づいた上で、構わず前に進もうとされている。
運命に抗うなという、お嬢様なりの達観なのだろうか? それとも、俺に迷惑をかけたくないという思いやりなのだろうか?
ふざけるな。そんなものどちらもくそ食らえだ。
昔、俺がまだ幼い頃……スラム街で物乞いをしながら暮らしていた俺を、なぜか執事として選んでくださったルシールお嬢様。
世界から必要とされていなかった俺が、誰かのために働けるようになったのは、全てお嬢様のお心あってのことだ。
だから俺は、必ずお嬢様を破滅の未来から救ってみせる。
この半年間、必ずお嬢様をあらゆる魔の手から守り抜いてみせる。
全てが終わった後、俺が代わりに破滅することになったとしても。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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