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後編

「おはようございま――……っ!?」


 ……いつの間に別の世界に迷い込んだのだろうか。

 ここはどこのパラレルワールド?


 いつもの事務所の筈なのに、普段とは違う光景に目を疑った。


「はよ準備しい。さっさと済ませて今日は終わりにするけぇ」

「そ、そ、そ……その恰好、何ですか!? なんでスーツを!?」


 先輩がおかしな恰好をしていた。……いや、おかしくない恰好だった。

“先輩が”、“おかしくない恰好をしている”のがおかしいのだ。


 いつものようなジャージではなく、すらりとした紺色のスーツを着ていて。

 一瞬、別人かと見紛う程に印象が違う。


 髪は刎ねてないし!

 きちんとネクタイ締めてるし!

 ズボンもだぼだぼじゃないし!

 サンダルじゃなくて、革靴履いてるし!!


「わざわざ訪問するのに、いつもの恰好じゃおかしいじゃろ。TPOよTPO」

「ここでのTPOはジャージだったんですか……」


 ……まずその判断基準からして間違っているんじゃ?






「お、おはようございますー」


 電話口でもそうだけど――相手が見えない状態での挨拶というのは、どことなく緊張する。インターホンの向こうから聞こえてきたのは、『――どちら様でしょう?』という、落ち着いた女性の声だった。


 とてもじゃないけど、無茶な苦情を入れるような印象はない。

 ……とりあえず二人で名乗り、市の役所から来たことを伝えたのだけど――


「あのー、届出をいただいたことについて、お伺いに来たのですけど」

「…………」


 ――待てども、沈黙しか返って来ない。

 あれ、この家じゃなかったのだろうか。


 いやでも、事前に聞いていたのは確かにここのはず。

 メモと表札を何度も確認してみるけども、間違いはない。


「座敷わらしを――妖怪の存在を、信じていらっしゃるのですね? 私どもは、これを専門にしている部署です。いま起きている問題の解決を、お任せいただきたいのですが」

「…………!」


 インターホンの向こうから息を呑む音が聞こえた。私も息を呑んだ。


「先輩が方言を使っていない……!?」

「しっ。黙っとり」


 ……先輩がまさか方言を使わずに喋るだなんて。

 スーツ姿といい、外向けの先輩はまるで別人のようだった。


「……どうぞ、お入りください」


 恐る恐る顔を覗かせた女性にリビングまで上げられた。

 ご丁寧にもお茶まで頂いて。とても丁寧で、物静かそうな人。


 家の中は物が散乱とまではいかないまでも、整理整頓が成されていない状態で。これが座敷わらしの影響かと言われても、まだ生活環境の乱れの範疇を越えていない気もする。


「――あの、『この家で座敷わらしを見た』と聞いたのですが……」


 どちらとも話を切り出しにくい空気の中で、口火を切ったのは先輩の方だった。


「姿を見なくなったのは、いつからでしょう?」


 私はまだ疑っているのだけれど、先輩は『ここに本当に座敷わらしがいた』という体で話を進めていくつもりらしい。


「はっきりと気が付いたのは一昨日のことで……。ほら、糸車の音がするってよく言うじゃないですか……子供の気配もあったんですよ? それが先週ぐらいにはぱったり無くなって、数日経ってこれはおかしいと思ったのよ」


 糸車の音? 物がある古民家ならともかく、風の音かなにかと聞き間違えたと考えた方が、幾分か現実的だと思う。


 旦那さんもいるらしいのけ、今は仕事に出ていて。座敷わらしが幸福を呼び、子宝に恵まれる予定だったのにと悲しそうに話していた。なんでこんなことにと、目に涙を溜めている。


 ……そんなに簡単なものなのだろうか。私の目にはこの人が、自分の人生の波の上下を妖怪のせいにしているだけな様にも見える。


「……どうか、座敷わらしを――この家に、呼び戻しては頂けないでしょうか」

「『専門にしてる』と言いましても、できることには限りがあります。座敷わらしは気まぐれな妖怪、呼び戻すのは難しいのですが――」


 そういって鞄から取り出したのは、10cm四方ほどの大きさをした木の箱。薄らと木目が浮き出ており、表面は滑らかで手触りの良さそうな箱だった。中身はわざわざ可部まで行って貰ってきた繭である。


「――その代わりに、家の幸運を守るものをお持ちいたしました」


 ……私は知っている。この繭を入れた木の箱――先輩がロッカーを漁って出てきた、湯呑の入っていた箱なのだと。別に高級なものでもなんでもないのだ。


 蓋を開けて、その中身を見せる先輩。奥さんが箱の中を覗いて怪訝な顔をするのも仕方のないことだろう。そしてそれが蚕の繭だと知ったときには、眉間に皺が寄るのがよく見て取れた。


 私だって、未だに蚕と座敷わらしが繋がっているとは思えない。ここからは自分も知らない、先輩の腕の――というよりは口の見せ所だった。


「――蚕。蚕の神様には、“オシラ様”というのがおります」


 さっきまでの濁ったような、停滞したような空気が、まるで幕の上がった舞台のように変わる。もちろん、主演は先輩である。


「はぁ……オシラさま……」

「今はお白様となってはいますが――その昔、お柱様と呼ばれていたのです」


 時が流れるにつれ呼び名が変わっていく、というのはよくあることだと。妖怪を送り返すという仕事をする度に、先輩は言っていた。


「時が経つにつれ、『オハシラ』から“ハ”の字が抜け、『オシラ』となった。柱、大黒柱。家を支えるために無くてはならない、大事なものなのはお分かりですね? それが無くなったとなれば、家が潰れるのも必然というもの――」


『オハシラ様は人々の生活を支える大切な神様でした』と先輩は続ける。まるでバスガイドのように、詰まることなくすらすらと、それでいて聞き取りやすい速度で言葉を紡ぎ続ける。


「カラカラと糸車を回し、繭から生糸を紡ぐ。(いと)(いと)()(あわ)せて幸せに。東北の(まつ)りの場では『(たてまつ)る』のではなく『遊ばせる』と言われています。現地で蚕は“おぼこ”――“子供”の名で呼ばれておりまして。つまりは、やんちゃで気まぐれな神様なのでしょう。座敷わらしと同一、ないし親戚と考えられないでしょうか?」


 ――繋がった。ここでオシラサマ、蚕から、座敷わらしへ。こんどは紙とペンを取り出し、サラサラと何か難しい感じを書き始めた先輩。


「蚕はその昔、『蠶』と書きました――そう、兓(助ける)、日の、虫となっているのがお分かりになられるでしょうか。天蚕糸(テグス)は天を繰る糸とも取れ、手繰(たぐ)る糸とも取れ。繭を作る糸は(ほぐ)せば一本、切れることのない繋がりを示す。どれも吉兆に繋がるものです」


 それらしい木の箱を用意して、中に紫の布を敷いて、その上に繭を並べて。……どれもタダで貰ったものや、その場で間に合わせたものなのに。さも霊験あらたか、神聖な物のように仕立てあげてしまった。


「この繭も、その東北にいるオハシラ様の……」

「…………。ええ!」


 変な間を置いて、先輩がにっこりと笑顔を浮かべて答えた。

 史上類を見ないほどの大嘘吐きだった。


『いえ、車で一時間ほどの田舎で貰って来たんですよ』とは口には出せない。

 ……罪悪感からか、全身から冷や汗が吹き出してくる。


「……っ。すいません、暑かったですか? すぐに冷房をつけますので……」

「えっ!? あ、いえいえ! 大丈夫ですので!」


「…………。自分たちが過ごした思い出の、回顧(かいこ)の念と共に。これを家の四隅に置いてください。これが少しでも、あなたの幸いとなりますよう」


 あぁ……いま一瞬だけ睨まれた……。

 先輩の『なにやっとんねっ』という叱責が今にも聞こえてきそう。


 けれども、実際はそんなこともなく――先輩はすぐに表情を切り替えて、柔らかい口調で箱を差し出す。


「万が一汚れてしまっては、オハシラ様の加護も失われます。代わりの利くものではありませんので、ゆめゆめお忘れにならないよう」


 まるで神様の移り身のように、宝石かなにかのように慎重に手に取る家主。一部始終を見て真実を知っている私でも、その繭が神々しく見えてきたのだ。目の前の彼女は完全にご利益のある、ありがたい物だと信じているのだろう。


 先輩だったら、ただの壺でも高値で売り付けたりできるんだろうなぁ、と。そんな失礼なことが頭を過ぎってしまったのは、一生心の中にしまっておこうと思う。






「先輩……ちゃんと仕事できるんですね……あいたぁ!?」

「どういう意味かいね」


 帰りの車の中。軽口を叩いて、額をばしりと叩かれた。

 ……先輩の普段のだらけ具合を皮肉っただけなのにあんまりだ。


 とはいえ、奥さんはこちらの対応に満足していたみたいだし、すぐには駆け込んでくることもないだろうとは思う。ただ、“幸せかどうか”だなんて、結局は自分自身の主観でしか測れないものだし。そんな曖昧なものを、ずっと維持できるのかが不安だった。


 そう口にすると、先輩は気楽な口調で『まぁ、なんとかなるじゃろ』と答える。


「出る前にちゃんと釘をさしておいたけぇ」

「出る前って――」


『繭の中に悪い虫が入り込まないよう、常に家の中を隅々まで綺麗にしておくこと』だっただろうか。それがどうして幸せと繋がるのだろう。


「普段からいろいろな所に気を配れるようになれば、自ずと生活も向上していくものよ。環境が良くなれば、思考も良いものへと変わっていく」


 結局のところ、正しい環境の中で生活していれば、人は勝手に幸せになるものだと、先輩はそう言うのだった。そんなものなのだろうか。普段から幸福だとか不幸だとかを意識せずに生活している私にはピンとこない。


「ま、半分ぐらいは本当よ。蚕の神様は、東北で信仰されとる」

「凄い虫なんですね……蚕って」


 絹糸を出す虫っていうのがぼんやりとした認識だったけど、絹が高級なものであったことぐらいは常識として知っている。やっぱり、そのあたりも関係しているのだろうか。


「そりゃあねぇ。今となっては代替品が出て規模が縮小してしもうたけど、昔は日本を支えた大切な生き物よ。まぁ、そうなんじゃけど……。悲しいのは、人の手が無いと生きていけないことかね」

「……え?」


 蚕は弱い生き物だと先輩は言う。この世で初めて、そして唯一。人に飼われるために産まれ、そして死ぬ。種が人の手で歪められた生き物なのだと。


 ……人間は強欲だ。自分達の都合のいいように種を歪めて、そして飼いならしていく。この世界の理に触れられるほど強く、あまりにも強く――そして、それらナシじゃ生きられないほど弱い生き物だった。


 ――人に生み出され、人に縋られ。

 妖怪も同じようなものなんだろうな、とぼんやり思う。


 これらは――人がいなければ(、、、、、、、)成立しない存在(、、、、、、、)なのだから。






「眠たいなぁ、もう……」


 夏の暑い時期も、そろそろ終わりを迎え。寝苦しさもどこ吹く風、一度目が覚めても布団に逆戻りしてしまう季節になりつつあった。


 運転中は流石に気を張らざるを得ないけど、こうして降りてしまうと眠気がまたぶり返してきて。まだどこか寝ぼけた状態の頭で、他の人が使うことの無い、狭く照明の寿命が怪しい廊下を一人歩いていると――曲がり角のところで子供が飛び出し、危うくぶつかりそうになる。


「わっ!?」


 謝ることなく、そのまま駆けていこうとしたので、流石にこれは私も注意をしないといけないだろうと振り返ったのだけれど――


「……あれ?」


 その姿がどこにも見えない。まさか、身を隠したなんてことはないだろう。そもそも、そんな隠れられるような場所もないし。かといって、次の曲がり角までは距離がある。


 ……そこまで寝ぼけていたのかな。そんな馬鹿な。


 そこまで呆けてはいなかったはずと、不安になりながら事務所の扉を開ける。先輩は椅子の背もたれに体重を預けながらテレビを見ていたので、私は向かい側の席に座った。


「……先輩」

「んー?」


 ……なんというか、こんな感じで仕事をしていてもいいのかな。


「今回の件、やっぱり自分達が動く必要なんてなかったんじゃないです?」


 気のせいで解決するのなら、その程度のこと。自分達がわざわざ動かなくても、なにかのきっかけで気持ちが回復することだってあるだろう。未だに妖怪なんて存在を信じ切れてはいないけれど、それでも今回の件は違うような気がした。


「頼まれた以上は、なんとかせんといけんじゃろ。クレーム処理ぐらいしとかんと、周りがやいやい言ってくるじゃろうし」


「だって……上手くいかなかったときは、自分達の責任になるかもしれないんですよ? こっちには損しかないじゃないですか」


「万が一、不幸が起きたときにはきっと繭もダメになっとる。『原因が自分の怠慢にある』ということが目に見える形であれば、本人も納得できるじゃろ」


『事故にあって怪我をしたのなら、それぐらいで済んだ。死んだら文句を言う奴はおらんじゃろ』なんて黒いことも呟いていた気がするけど……私はなにも聞いていない。そういうことにしておこう。


「……人の強い願望っていうのは、何を起こすのか分からんものよ」


 そう言って、手に持っていた何かを指先でくるくると回している。……糸の束だろうか。……糸……絹糸……?


「あ――」


 ――その先輩の表情はどことなく嬉しそうで。


「そ、その! さっきそこで子供とすれ違ったような気がしたんですけど――」


 そもそも、まだ正面入り口の鍵さえ開けていないこの時間に、子供が入り込んでいるのが土台おかしな話だった。服装は不思議と覚えていないけれど、洋服だったろうか、それとも着物だったかな?


 そう熱を持って先輩に尋ねるのだけども『ふぅん』とか『へぇー』だとか、曖昧にしか返してくれない。けれど――その普段はしない返しが、なにがあったのかを如実に物語っていた。


 ……最近、気が付いたことがある。確かに、歴史の中で人が変えていったものも沢山あって。それらと人は、折り合いを付けながら上手くやっているらしい。


 それは、妖怪についても同じことで。当事者である私が言うのだから間違いない。やはり人も妖怪も変わらず、“何かをしてもらったら『ありがとう』”なのだ。なにより今回の件で一番驚いた事は――


「覗きにきただけならまだしも、元気な(ワラシ)を無理やりに住み着かせたんじゃ、可哀そうじゃけんね」


 ――先輩も案外、子供好きであるということだった。


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