表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

   悪夢の連鎖          ――大化改新の秘密――

作者: 堀本廣


  






                    訃報


 平成18年10月中旬、喪中のはがきが舞い込む。

 白河清二郎、9月に永眠。差出人は彼の妻、白河冴子。

 城之内敏夫は、はがきを手にして呆然とする。

 ――まさか――

 白河清二郎が死去するとは信じられないのだ。彼は65歳。まだふける歳ではない元気矍鑠とは彼のことを言うのだろう。若い頃から剣道に励んでいる。毎日竹刀を千回振り下ろす。肉体年齢は40代と自負していた。

 彼の住所は奈良県桜井市。三輪山の麓を流れる白河川沿いにある。近くには長谷寺がある。少し足を伸ばせば、名のある神社、仏閣、飛鳥時代の遺跡が点在している。

 今年の4月、城之内は1週間、白川家に滞在している。その時の事を思い浮かべる。

 白河誠二郎は妻と2人暮らし。朝起きてから夜寝るまで、判で押したような生活をしている。

天気の良い日は、自転車で談山神社や室生寺、石上神宮などへサイクリングする。スポーツで鍛えた体だ。疲れを知らない。裸になると筋肉隆々とした体をしている。本人もそれが自慢なのだ。

・・・そんな彼が・・・

 死んだ事が信じられないのだ。


 城之内敏夫はほっと息をつく。

はがきを手にしたまま、応接室のソファーに身を沈める。脳裏を過ぎるのは白河誠二郎との思い出だ。


 城之内は今年50歳。生涯独身。親から受け継いだ財産がある。十数軒の借家もある。贅沢を言わなければ食うに困らない。彼の住所は愛知県常滑市。中部国際空港が遠望できる高台に住んでいる。

 読書が唯一の楽しみだ。主に日本古代史に興味を持つ。20数年前に白河誠二郎を知る。

 新人物往来社発行の月刊誌”歴史読本”が城之内の愛読書だ。書店に行っては日本の古代史に関する本を片っ端から購入する。お陰で八十坪の広さの家の中は本だらけ。

 歴史読本には”読者のページ”という欄がある。愛読者の感想文、歴史に対する自説を述べ合う場である。20年前、白河誠二郎の自説が載った。古代史への疑問というタイトルだ。

 城之内は興味を持つ。手紙で感想文を送る。2週間程して返事が来る。何度かの文通のやり取り。城之内が行楽を兼ねて白河邸を訪問することになる。白河は奈良でも指折りの旧家。莫大な土地を所有している。借地料だけでも膨大な金額になる。

 白河邸は千坪余の邸宅だ。江戸時代の中期に建て替えられている。夫婦2人暮らし。3ヵ月に1度は清掃の専門店に家宅の掃除を依頼している。普段は近所の娘が賄婦として出入りしている。

 初めて白河邸に訪問した日を思い出す。秋の気配が濃くなった日と記憶している。

この年白河清二郎45歳。面長で鼻が長い。唇が薄く締まっている。濃い眉毛が印象的だ。7・3に分けた髪が若々しい。紺色のグラデーションフリームのホームウエアが、長身の身体によく似合っていた。

 妻の冴子は瓜実顔だ。柳眉の下の大きな眼が美しい。白い肌の明るい表情だ。筋の通った形の良い鼻梁。朱に染まった唇が美しい。グリーンのカシミヤのセーターに3枚重ねのスカートをはいている。中肉中背。夫の精二郎より背が低い。35歳。

 城之内は最初に出会った光景を鮮明に覚えている。

 飛鳥という土地柄、古代の息吹きに彩ぞられた風景。その中に浮かぶ2人の姿。服装こそ違えども、古代の王家の風貌を見る思いがした。

 後日知った事実――白河家は千数百年も続く家柄だ。


 城之内は2泊世話になる。屋敷内は清々しいほどに掃き清められている。贅を尽くした造りだ。明治になって、一部洋風に模様替えしている。それ以外は当時のままだ。

「昔はね、皇族の方々もお泊まりになられましてね」

 白河清二郎面長の顔に微笑を絶やさない。

「あなた、昔は昔、今は今ですわ」妻の冴子が釘をさす。


 歴史の重みに圧倒されるが、白河夫婦はそれを感じさせない。暖かいもてなしだ。

――円満な夫婦――城之内は最初の訪問が印象深い思い出となっている。

 以来毎年、春には必ず訪問している。奈良、京都周辺を散策する。2人との親交を深めていった。

 白河誠二郎は生命溢れる人物だ。未来への夢を語る。

・・・その彼が死んだ・・・

 俄には信じられなかった。大病したとは聞いていいない。はがきには死因が書いていない。素っ気ないほどに簡素な訃報だ。

 城之内は書斎に入る。机の前の壁には大きな鏡がある。自分の顔を見る。黒い髪に大きな額。丸い顔に度の強い眼鏡をかけている。

 ・・・家柄か・・・城之内は嘆息する彼は4代目だ。ご先祖様は三河から常滑に流れてきたと聞いている。昔常滑城があった。城の周囲に住んでいた。水呑百姓だ。明治になって、姓を名乗ることになった。城の近くにいたので城之内とした。由緒などあるわけがない。

 白河清二郎にもその事を話している。

――家柄などない方がよろしいのでは・・・――寂しい顔をしたことを覚えている。

 白河清二郎――誠実で思いやりのある人柄だ。細君の2人で静かに暮らしていた。

その彼が・・・

 城之内は訃報の返礼を書く。御仏前に焼香を手向けたいが、訪問しても良いかと書き添える。

 11月初旬、いつでもお越しくださいとの返事が来た。


                     白河家


 11月上旬夜、城之内電話を入れる。

白河冴子の澄んだ声が流れる。城之内はお悔やみの挨拶を述べる。

「ご丁寧に・・・」冴子の声に悲愴が感じられない。事務的で情が籠もっていない。

3日後にお伺いしたいがと問う。応諾の返事。すぐにも電話が切れる。

「おやっ?」城之内はいぶかる。普段なら冴子の明るい声が跳ね返ってくる。白河清二郎が留守の時は、冴子の長々とした声が電話口から聞こえてくる。

 白河清二郎が死んで悲しみに沈んだ声が滔滔と流れてくると予想していた。

 心に引っかかるものを感じながら、受話器を置く。


 平成18年11月13日、午前8時、城之内敏夫は常滑を出発する。車は紺のセドリックだ。知多市、東海市の臨海工業地帯を走る産業道路を北上する。東海インターから伊勢湾岸自動車道に入る。桑名インタージャンクションから東名阪自動車道に乗る。そのまま亀山インタージャンクションまで走る。そこから名阪国道に侵入する。一路奈良へ直行。天理インターで降りる。

 北上すると奈良市街に入るが、南下して桜井市に向かう。

国道169号線沿いは数多くの古墳、天皇陵、神社、仏閣が密集している。サイクリングロードに相応しい地域だ。

 近鉄大阪線桜井駅の高架線をくぐる。すぐにも道はTの字型になる。東に左折する。南、前方に談山神社の山が見える。市街地を抜ける。左側に三輪山が聳えている。その山裾を白河川が流れている。長谷寺の奥に白河邸がある。

 旧所史跡に囲まれた白河邸。長谷寺の横、県道を走る。林に囲まれた広大な屋敷だ。県道と林の間に竹藪が群生している。藪の中に幅六メートルの砂利道がある。竹藪を抜ける。。林の中を進む。玉砂利を敷きしめた敷地に出る。

 車を駐車する。黒い板塀がある。冠木門をくぐる。塀の内側に玄関まで飛び石になっている。庭には池がある。大小さまざまな庭石がある。雑草一つ無い、清々しいほどに掃き清められている。

 屋敷は中二階の入母屋式だ。昭和40年代に入って、窓はアルミサッシに替えている。それまでは昭和の初めころから木枠の窓ガラスだった。建物の構造は江戸時代中期のままだ。

 住まいは生活の場として快適さを求める。和室も改造して洋間にする。風呂やキッチンも近代化していく。

 玄関引き戸は4枚引き。インターホンを押す。玄関戸を開ける。玄関の巾は2間、奥行きは1間半。1間の上がり框。玄関から北へ1間幅の廊下が伸びている。左手は掃き出しの窓がある。2間の広縁の北側が8帖の和室。4室ある。書院造りだ。1間の飾り棚と2間の床の間がある。彫刻欄間が施されている。柱は茶褐色に磨き抜かれた桧材。

 玄関右手は16帖の応接室と10帖のキッチン。奥にはバスルーム、トイレ、洗面室などがある。和室の奥に10帖の個室が8部屋ある。裏庭の奥に蔵が9棟建っている。

 建物はL字型だ。西の方に三輪山が聳えている。山全体が”ご神体”だ。神に対して畏れ多いとして、樹木を植えている。”お山”から家の中が見えないようにとL字の屋敷になっている。

 屋敷内は3ヵ月に1度の大掃除で、磨きぬかれている。掛け屏風の襖の絵は、江戸中期の高名な画家の作品である。

――値段は?――

――億を下らんでしょう――白河清二郎の評だ。


 しばらく待つ事、

「はーい}奥から若い女の声がする。

「城之内と申します」大きな声を出す。

 スリッパを滑らす音が近くなる。3つ編みの女が顔を出す。ワイン色のトレーナスーツを着ている。色が白い。大きな眼をしている。物おじせず、城之内をじっと見る。玄関先にペタンと腰を降ろす。両手をつく。深々と頭を下げる。

「奥様からお待ちいただくよう、申しつかっております」

 はきはきした口調だ。立ち上がると、城之内を応接室に案内する。ソファーに腰を降ろすと、城之内はホッとする。

 ――白河家にきて20年になる――

 いつ来ても贅を凝らした家は見飽きる事はない。

一旦キッチンに引っ込んだ女はお茶を持って現れる。年の頃20.面長で気丈な感じがする。

「あなたは・・・」お茶を飲みながら城之内が問う。

「妙と言います」奥様の身の回りの世話をしているという。

「この度は、ご愁傷様で・・・」城之内は軽く頭を下げる。

 妙は城之内の挨拶を軽く受け流す。奥様は急用で、30分後にお帰りになりますと答える。そのまま奥に引きこもる。


 1人残された城之内は所在なさげに周囲を見渡す。奥に水屋がある。その横に、ガラスケースの食器棚がある。コーヒーセットが入っている。

・・・ここにある品物はすべて1流品だ。本物ばかりがそろっている・・・

 城之内はここに居る事が不思議でならない。自分のような名もない者が、縁あってここに居る。千数百年の歴史を持つ白河家。成り上がりの上流社会とは違った家風がある。

 着る物や身に着ける物、使用する物は一流品ばかりだ。それを何十年と使いこなす。物を粗末にしない。

この応接室のソファー、調度品も戦後間もなくフランスから取り寄せたと聞く。

――この屋敷の中では時間が止まった感じがする――

  城之内はソファーに深々と腰を降ろす。お茶を飲む。


                   談山神社


 程なく、白河冴子が帰宅する。ウールの格子柄のジャケットを着ている。軽装スタイルだ。

白河家は格式を重んじる。彼女が軽装で出かけるのは、身近な人か知人友人への訪問と推察する。

「お友達のお嬢様が急に産気づきましたの」顔が輝いている。

「ぜひ、立ち会ってくれと言われましたの」

 何で私が、と思いましたが、是非と、せがまれましてね、白河冴子は挨拶もそこそこに出かけた理由を話す。

 ソファーに腰を降ろす。大きな眼が城之内を見ている。肩まである、しっとりとした黒い髪。白い肌、朱に染まった唇。55歳とは思えぬ若さだ。体つきも華奢だ。

 表情が明るい。饒舌だ。

・・・おやっ・・・城之内は訝る。先日の電話から、一歩引いた印象を受けた。悲哀は感じられなかった。事務的な響きだった。

 それが・・・、普段の彼女に戻っている。

 哀悼の意を表そうと思ったが間が取れない。

 白河冴子の言葉が途切れる。

「この度が、ご愁傷様で・・・」城之内は立ち上がる。軽く頭を下げる。

 急に白河冴子の表情が変わる。能面のような、取ってつけたような顔つきだ。声も途切れる。

・・・旦那の死に触れたくないのかな?・・・城之内は戸惑いを隠さない。

「主人は・・・」白河冴子の眼が、キリッと城之内を見下す。

「自殺しましたの・・・」形の良い唇が、ぶるっと震える。

 城之内はあっと思った。彼女は感に堪えているのだ。


 妙がお茶を持って入ってくる。

「妙さん、私、すぐ出かけるから、城之内さんを、あちこち案内して差し上げて」

 白河冴子は明るい表情で城之内を見る。

「ごめんなさいね」彼女の口から白い歯がこぼれる。

 主人の弟が奈良の猿沢の池近くに住んでいる。今日昼過ぎに会いたいと急に連絡が入る。昼は向こうで済ますからと言う。お茶を一口、口にすると慌ただしく出ていく。

 後に残された城之内と妙は呆然と白河冴子の後姿を見送る。時計を見ると正午だ。

「お昼、軽い物でも作りましょうか」妙の声は柔らかい。

「よかったら、談山神社の参道のお店で・・・」

 昼食を摂らないかと、城之内は誘いの声をかける。

「わっ!嬉しい」妙は白い歯を綻ばせる。

 城之内は白河清二郎の死について、妙に尋ねようとしたのだ。”自殺”と聞いた時、驚愕した。理由を聞こうとした。白河冴子の唇の震えを見る。一瞬躊躇する。間髪を入れず彼女は、さっと家を出ていく。

 いずれ彼女の口から、旦那の死因を聞くことになる。だが、夫婦間で言いずらい事もある。

妙――この娘なら、何か話してくれるかもしれない。


 城之内のセドリックは白河邸を後にする。妙は助手席から携帯電話を掛ける。奈良の猿沢池の白河清二郎の弟の家という。お客と2人で談山神社へ行く。冴子奥様がそちらを出られる時、連絡が欲しい。

「奥様はね、携帯を持たないものですから」妙は口をとがらす。今どき、携帯電話を持たないなんて、不便で仕方がないとまくしたてる。城之内は苦笑する。


 車は長谷寺の横を抜ける。国道165号線を西に走る。右手に三輪山が見える。桜井市の市街地に入る。JR桜井駅の手前の道を左折する。そのまま南下すると談山神社に行き当たる。白河清二郎と何度も来ている。カーナビを見るまでもない。車で約15分。

 妙はトレーナースーツの上に茶のジャケットを着こんでいる。彼女は浮き浮きしている。外に出るのはそんなに楽しいのかと問う。

 彼女は鬱積を払うかのようによく喋る。四六時中家の中で生活している。奥様と2人切りの生活だ。食事の材料は昔ながらのご用聞が運んでくれる。

 自分は半年前の春に来たが・・・城之内は誘いの水をかける。

 前にいた賄婦は結婚の為にやめた。妙は六月下旬から白河邸に勤めている。妙は城之内の質問にすらすらと答える。

 桜井市に住んでいる事。白河邸に来てからは一度も外出していない。奥様の身の回りの世話と、家の中の掃除、食事を作る事で一日が過ぎる。

 妙は喋る事が楽しくて仕方がないのだ。外の空気に触れる事で、表情が輝いている。


 車は緩やかな坂道を登っていく。

11月.奈良は秋の気配が濃い。談山神社は紅葉が今盛りだ。周囲の山は燃える様に赤い。

 談山神社南にある大駐車場に車を止める。観光客の車や観光バスが駐車している。車を降りる。駐車場の端から、大和平野を一望する。大和三山、葛城連峰も遠望できる。雲一つない天気だ。抜けるような青空が紅葉と溶け合っている。

 妙は車から降りると、解放されたように大きく背伸びをする。城之内は妙を伴って参道へ向かう。

 談山神社は藤原鎌足を祀っている。この場所で、中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿打倒の談合を行ったと言われる。大化改新の発祥地である。


 参道は駐車場の北側の低い所にある。土産物店が軒を連ねている。食事処に入る。店内は6分ほどの客が入っている。注文して待つ事10分程して料理が運ばれる。

「1つ聴いてもいいかな?」城之内は料理を口に運ぶ妙を見る。妙は大きな眼を城之内に向ける。

――何でも聞いて――そんな顔をしている。

「旦那さんの死因ね・・・」

 白河冴子は自殺と答えている。本当に自殺なのか疑問が残るのだ。

 妙は串こんにゃくを口に放り込む。ごくりと飲み込む。一息つく。お茶を飲む。

「旦那様は・・・」妙は切り込むように言う。

 早朝のコーヒーを持って行った時、机にうつ伏せになって死んでいたといううのだ。

「えっ!君見たの?」城之内は思わず膝を乗り出す。

妙はこくりと頷く。正直な娘だ。三つ編みが揺れる。

 白河清二郎のは9月10日に死亡。翌11日に死亡が確認されている。以下妙の話。

白河家での彼女の仕事は、主に白河清二郎夫婦の身の回りの世話と食事である。夕食後、9時まで白河夫婦はお茶を飲んだり、テレビを観たりで過ごす。9時、清二郎は書斎に引きこもる。

 妙は妻冴子と共に食事の跡片付けや雑用で過ごす。11時に就寝。

 白河清二郎は夜中の1時頃に就寝。彼は歳に似合わず頑強な体をしているので、睡眠時間が短い。朝6時には起床。洗顔もせずに机に向かう。妙の1日の始まりは清二郎に眼ざめのコーヒーを運ぶことだった。朝8時に夫婦そろって、応接室で朝食を摂る。

「コーヒーをお持ちした時、旦那様は机にうつ伏せになっておられました」妙の口は食べる事と話す事で忙しい。

 机の上に頭をつけて眠ったいるのかと思った。

「旦那様・・・」声をかける。肩をゆする。身動きしない。

・・・死んでいる・・・妙は驚き慌てる。冴子に知らせる。

「何か変わった事は・・・」城之内は息を詰めて聞く。

「そういえば」妙の表情が曇る。いつも机の上にコーヒーを置く。その日もコーヒーをおいて清二郎の肩をゆすっている。

 机の上に習字用の半紙があった。その上に朱朱と、

――大化改新――と書いてあった。

「あれは血ですよ。きっと旦那様の・・・」

 妙の目がおびえたようになる。


                    大化改新


 妙から知らせを受けた白河冴子は夫の書斎に駆けつける。警察を呼ぶ。親類縁者にも連絡を取る。その時から妙は蚊帳の外に置かれる。警察が来る。猿沢池にいる実弟が駆け付ける。妙はお茶を出したり雑用に追われる。

「この事、奥様には内緒ですよ」妙は人差し指を当てる。

 妙の忙しない食事が終わる。お茶を飲む。妙は首をかしげる。

「あの時、私が奥様の立場だったら・・・」

 最愛の夫が死んだのだ、オロオロして、どうしてよいのか判らない。

「奥様は・・・」まるで旦那様が亡くなるのを予見していたように冷静に、清二郎の死を確認する。

「妙さん、警察に電話して、私が出るから」テキパキと命令していく。そこには夫の死による動揺は見られない。

「死因は服毒自殺と断定されました」死亡時刻は11日の夜10時から1時の間。以上が妙の知る情報だ。


 ・・・大化改新・・・

 城之内は呟く。奇しくも、今大化改新の発祥の地と言われる談山神社の参道にいる。

 妙の言う朱色が血だとするなら、白河清二郎の死は不気味な影を落とすことになる。

彼が服毒自殺する理由は何か。妙の話では、夜9時までは夫婦そろって、応接室でお茶を飲んだりテレビを観たりしていたという。普段と変わりない生活だ。

――指を切って文字を書く――そして、死ぬ。書いた文字が死因を語る事になる。

 ――大化改新――


 「おいしかった。御馳走様」妙の弾んだ声に我に還る。

「談山神社にお参りしていこうか」城之内はにこやかに言う。

 談山神社の権殿、十三重塔、西宝庫は重要文化財となっている。深い山の中の紅葉に包まれている。神廟拝所には多くの観光客がいる。鎌足公御神像や、運慶作の狛犬も拝観する。

 談山神社は11月の第2日曜日に、十三重の塔の下で、蹴鞠祭が行われる。同月二十三日、新嘗祭が行われる。この日皇室より奉幣を受ける。

・・・大化改新・・・城之内の脳裡に去来する。

 西暦645年(皇極4年)6月12日。

 天皇が大極殿に御す。古人皇子が侍す。公式の場で古人が天皇に侍したというのは、彼が皇太子であった事を示している。

 少し遅れて入鹿が座につく。いつもは剣を佩いている。この時は丸腰だ。鎌足が宮中にいる俳優(道化方)に耳打ちして、うまく剣を取り上げたのだ。

 その頃、高句麗、百済、新羅3国の使者が入朝していた。この日、3国の調を進める儀式が朝廷で行われる。

 中大兄皇子は入鹿の入場をみすます。宮中の警護役、靫負ゆげいの司に、宮中の諸門を閉める様に命じる。彼は長槍を持つ。鎌足は弓矢。海犬勝麻呂は佐伯子麻呂と稚犬養網田の2人に剣を与える。殿の陰に身をひそめる。

 石川麻呂が上奏分を読み上げる。それを合図に入鹿を刺殺する。

 殿中に緊迫に気が漲る。石川麻呂が進み出る。上奏分を朗読する。表文は終わりに近ずく。殿の陰に潜む刺客は姿を現さない。

・・・入鹿暗殺計画は露見したのか・・・中大兄や鎌足はどうしたのか、不安と緊張が高まる。

 上奏する石川麻呂は汗にまみれる。声が乱れる。上奏分文を持つ手が震える。

 入鹿が怪しむ。

「何故、そんなに震えるのか」

「天皇の御前なので汗が出るのです」しどろもどろだ。

 あわやクーデターは失敗かと思われた。

 その瞬間、中大兄が先に立って刺客たちが切り込む。子麻呂らが入鹿の威をおそれてためらっていたのだ。

入鹿はたちまちに頭と肩を切られる。足を刺され、天皇の前に倒れる。

「いったい何事か」天皇は中大兄に問う。

「入鹿は皇統の皇子をほろぼし、皇位を傾けようとしています。皇統に入鹿がかわってよいものでしょうか」と上奏した。

 日本書紀には以上のように記してある。


 中学校、高校の日本史の教科書でも大体以上のような記述であろう。城之内もこのように習っている。

 談山神社のガイドマップ以下。

――談山神社は大化改新の中心人物の藤原鎌足を祀る神社。

 舒明、皇極2代の天皇の世に、国の政治を欲しいままにしていた蘇我蝦夷、入鹿の親子を討伐し、政治を改革しようとした中大兄皇子(後の天智天皇)中臣鎌足(後の藤原鎌足)が西暦645年の5月に藤の花咲き乱れる多武峰に登って”大化改新”の談合を行った事から、後にこの山を談い山、談所ヶ森と呼びまた神社の社号の起こりとなりました――。


 後年、大化改新の真実の姿を知った時、城之内は大きな衝撃を受けた。真実の姿を語ったのは他でもない。白河清二郎だったのだ。

 入鹿暗殺事件が大化改新と位置づけられたのは、明治になってからだ。それまでは乙巳いっしの変と言われていた。

 白河清二郎から教えられた”大化改新”は驚愕に値するものだった。


 神廟拝所を出る。御破裂山の方に足を伸ばそうかと考える。この山は談山神社の奥に位置する。自然林の茂る山上に墓がある。藤原鎌足の墓と伝えられている。一節には鎌足の子、定慧の墓とも言われている。

 ここからは大和平野が一望できる。大和三山や遠くには葛城連峰が望まれる。眺望絶景の地だ。


 この時、妙の携帯電話が鳴る。


                    白河冴子


 電話の主は白河冴子だ。5時頃に帰るという返事。城之内は腕時計を見る。まだ3時を回ったばかりだ。

「楽しかったです」妙は明るい顔で礼を言う。

 白河邸に着いたのは3時20分。彼は部屋へ案内される。一番北奥の8帖の部屋だ。西に聳えるのが三輪山、標高467メートル。北に見えるのが初瀬山、標高548メートル。その西隣りの山が巻向山。高さ567メートル。白河川は2つの山の間を流れている。

 部屋の東側は一間幅の廊下。その向こうに、白壁の倉が9棟建っている。

 妙がコーヒーを持って入ってくる。部屋には文机が1つあるだけだ。押し入れは無い。部屋の片隅に手荷物を置く。妙は文机の上にコーヒーを置くと、そそくさと部屋を出ていく。城之内はジャンバーを脱ぐ。手荷物の中からホームスーツを取り出す。着替えるとコーヒーを飲む。

 ごろりと横になる。黒ずんだ竿ぶち天井を眺める。

・・・20年前に来た時もこの部屋だった・・・


 20年前、歴史読本の読者ページが縁で白河邸を訪問することになる。

 読者ページの中で、白河清二郎は歴史は勝者によって創られたものと喝破していた。敗者は鬼、悪人として蔑められる。大化改新の蘇我入鹿は悪人として糾弾される。彼は歴史上の敗者だからだ。

 あの頃、白河清二郎は45歳、妻冴子は35歳。彼女の美しさに城之内は恋心を抱いたものだ。

白河清二郎は初対面の城之内を快く招き入れてくれた。そして彼の歴史の学識の深さに魅了されていく。2泊して、周辺の史跡を案内してくれた。

 以後、毎年春になると訪問することが恒例となる。2泊が4泊、5泊となる。これは白河清二郎の勧めもあった。城之内は彼の行為を甘受する。

・・・敗者と言えば・・・

 大化改新の蘇我入鹿、しかも彼は悪人として登場する。

 城之内が中学、高校で学んだ日本史は大まかすぎる。抜けている所が多い。


 城之内は天井を見上げたまま、思い出に耽る。彼がいつも寝泊まりするのはこの部屋だ。西側と北側に一間幅の肘掛け窓がある。寝具は部屋の角にある。お世辞にもお客の接待用の部屋とは言えない。賄婦の妙と同じ部屋だ。昔は使用人の部屋として使われていた。

――あなたは庶民ですから――昔、白河清二郎が言った事がある。城之内を軽んじているのではない。そうであるなら毎年、彼を接待などしないだろう。

――戦前は皇族の方々がお見えになった――お泊り頂くのは床の間だ。白河家の最上級の部屋だ。

 今は皇族が訪問する事もない。それでも格式と礼儀だけは昔日の掟を遵守している。

――それに――この部屋の方が気楽でしょう。白河清二郎は笑って答える。嫌味は無い。誠実さにあふれている。その彼も今はいない。


 歩き疲れたのか、うとうとする。

「城之内さん」妙の呼び出し声に、はっと目を覚ます。時計を見る。5時だ。お風呂に入ってくださいと言う。奥様は30分ぐらい帰りが遅くなるとの事。

 風呂場は2坪の大きさだ。脱衣場の同じ大きさ。ユニットバスだ。スイッチを入れるだけで潤沢な湯が出る。昔は木桶の湯舟だった。燃料も薪だった。裏庭に井戸があった。毎日、使用人の苦労も大変だった。白河は幼い頃の思い出を語った事もある。

 台所からトイレに至るまで、今は便利になった。電気とガスだけですべて賄える。


 城之内が風呂を浴びている頃、白河冴子が帰宅する。

「遅くなってごめんなさいね」明るい声だ。冴子は普段着に着替える。城之内が風呂から上がる。入れ替わりに冴子が入る。

 7時。応接室で夕食。

「今日はごめんなさいね。バタバタしてしまって」

 冴子の上気した顔は美しい。髪を後ろに束ねている。化粧気もない。古織柄の長半纏を着ている。白い肌が浮き上がっている。艶めかしい。

「1ついきましょう」地酒の熱燗で乾杯だ。

 妙は引き下がっている。


 城之内は戸惑いを隠さない。乾杯の前に白河清二郎死去の追悼の意を表する。

 白河冴子は唇をゆがめる。

「有難う御座います」声が小さい。起伏にも乏しい。心に引っかかるが、城之内はそれ以上詮索しない。

 お猪口を傾ける。うまい酒だ。ほうと息をつく。改めて応接室を見渡す。床はカーペット、壁は白無垢の一枚板。ソファーとテーブルはロココ様式ときく。渦巻模様に淡彩と金色が見事に調和している。時代ものだが、座り心地は悪くない。

「猿沢池に近くにね・・・」白河冴子の大きな眼が城之内を見据える。

 白河清二郎の弟が住んでいる。白河夫婦に子供がいないので、弟の子供が白河家の跡を継ぐ。その取り決めの為に留守をしたと言う。

「でも、まだ先の事よ」冴子は微笑する。

 城之内は黙って聞いている。しばらくの沈黙。

「お聞きしてよろしいですか」冴子の顔色を伺う。彼女の顔はほんのりと桜色だ。美しいと思った。冴子は何でしょうと眼をむける。

「ご主人はどうして自殺されたんでしょうか」

死ぬ動機が見当たらないのだ。

「私にも判りません。たとえ知っていたとしても、教えられませんわ」睨むような眼つきをする。

 城之内は白河清二郎の死因を知りたくて来ている。

「遺書はないのですか」

 冴子は答えない。表情が厳しくなる。

「大化改新と書かれたメモがあったとか・・・」

 冴子の顔が猫のように優しくなる。

「妙が話したのですね」眼が笑っている。

 城之内は妙を弁護する。彼女が言い渋るので、執拗に問い詰めたと答える。

「別に構いません。秘密ではありませんから」

 冴子の口が軽くなる。酒のせいばかりではないようだ。だが、城之内の顔は固くなる。

 血で書いたとか・・・。

 ここまで来て遠慮する事もない。血文字などとはゆゆしきことなのだ。

白河冴子の目は笑っている。彼女は酒が入ると賑やかになる。口を押えておかしそうに笑う。

「血ではありませんわ」机の引き出しにある朱肉だという。

 急に真顔になる。戦前なら血で書いたという。

・・・朱で書くことが何を表すのか・・・。冴子の大きな眼がトロンとしている。酔った目だ。

「大化改新は白河家のご先祖にとって大きな事件でしたねえ」白河清二郎から聞いたと答える。

 すぐにも彼女の頬がピクリと動く。

「悪夢の連鎖があの時から始まったのです」大化改新の現場に自分が居合わせたような口ぶりだ。


 沈黙が流れる。大化改新にはいくつかの謎があると言われる。中大兄皇子が入鹿に切りつける。入鹿は転がるようにして、天皇の御座にすがり着く。

 頭をふって

「皇位にあられるお方は天の御子でございます。私が何の罪を犯したというのでしょうか。どうかはっきりと答えてください」と願った。

 天皇はひどく驚かれた。「一体どうしたのです。何があってこのような事をしたのですか」中大兄皇子に尋ねられる。

 中大兄は地にふれ伏す。

「鞍作は皇族を滅ぼし尽くして、皇位を絶とうとしています。鞍作の為に天孫が滅びる事があっていいものでしょうか」と申し上げた。(蘇我入鹿は、またの名を鞍作と言った)

 天皇は直ちにお立ちになる。宮殿の中にお入りになった。佐伯連子と稚犬養連網田は入鹿を切り殺した。

 この日は雨が降ってほとばしり出た水が庭にあふれた。人々は蓆障子で入鹿の屍を覆った。古人大兄はこの有様を観て、自分の宮に走って帰る。人に、「韓人が鞍作臣を殺した。私の心は痛む」と言って寝室に閉じこもる。門を閉ざして出ようとはしなかった。


 西暦646年(大化2)皇極天皇退位後孝徳天皇が即位。

正月1日改新の詔が発せられる。詔主文の条文は大化改新当時の文面や内容ではない。元の詔(原語)は復元されていいない。

 日本書紀の改新の詔には編集者が創作、改竄した跡がみられる。

 第1条の”天皇”はこの時期にはまだ使用されていない。大王とするのが正しい。

 第2条の”郡”はコオリと発音するが、当時は”評”と表記されていた筈、郡が使用されたのは8世紀になっ   てから。

 第3条”戸籍を作れ”で最初の戸籍は670年に出来た庚午年籍だ。642年に命令したものが670年ま   でできなかったというのは不自然。


 改新のの詔は主文とそれを説明したり施行上の規則を書いた副文で構成されている。主文と副文は孝徳天皇時代に出されたものではない。日本書記の編集者の創作であると考えられる。政治改革が実地されたのは庚午年籍が作成された天智朝か次の天武朝と推測される。

 ――大化改新は無かった――という説が出ている。


 城之内敏夫は白河冴子を見ている。ほんのりと桜色に染まった肌は美しい。男なら抱きしめたくなる。

”大化改新はなかった”とい説は白河清二郎から聴いている。

 白河冴子は清二郎の自殺を持ち出すと”表情が硬くなる。血文字(あるいは朱肉)で書いたと言われる”大化改新”を取り上げる。表情が柔和になる。城之内は冴子の心の内を推察できない。彼女は何を考えているのだろうか。


                    新嘗祭


 白河邸の夜は早い。遅くとも9時には床に就く。

この夜、白河冴子と2人で鍋をつつきながらの酒宴だ。亡くなった白河清二郎との間には子供がいない。後継ぎは次男の子供が継ぐという。

 城之内は20年前に訪問した日を懐かしく思い出している。暖かく迎え入れてくれた事に、改めて謝する。思い出に花が咲く。

 ご主人のお墓に詣でたいが・・・。城之内の希望だ。

明朝、妙に案内させると言う。9時、ささやかな酒宴はお開きとなる。

 城之内の部屋はL字型の一番北側だ。2つ目の南側の部屋が白河清二郎の書斎。その南側が白河夫婦の寝室だ。賄婦の妙は蔵の側にある離れに住んでいる。


 寝具は自分で敷く。城之内は使用人扱いだ。自分の始末は自分でやれという事だ。寝衣に着替える。疲れている筈なのになかなか寝付かれない。相当飲んだ筈なのに、頭の芯がさえている。うとうとして時間が過ぎる。

 3時間程過ぎた頃だろうか。廊下を歩く人の気配がする。城之内は半醒の状態にある。部屋の入り口の板戸が開く音がする。

・・・泥棒?・・・城之内は覚醒する。聞き耳を立てる。するすると帯を解く音がする。着物を脱ぐ気配を感じる。部屋の中は真の闇だ。起き上がって電灯をつけようとする。

「じっとしていて・・・」白河冴子の声だ。城之内は驚く。声が喉に詰まる。冴子がするりと城之内の側に滑り込む。彼の寝衣の帯を解き、着物をはだける。城之内を包み込んでいく。

・・・冴子さん・・・

「私に任せて・・・」冴子の落ち着き払った声。

――そして2つの身体は1つになる――

 城之内は快楽の中に埋没していく。そのまま深い眠りに落ちていく。


 城之内が目覚めたのは翌朝8時だ。本来は朝6時に起床、賄婦が起こしに来る。これが白河家のしきたりだ。城之内はハッとして眼を覚まして、起き上がる。寝衣を着ている。昨夜の情景を思い出す。暗闇で冴子の顔は見ていない。だが彼の感覚は鮮やかに覚えている。

 彼はすぐに服に着替える。今から冴子に会うのかと思うと、照れくささを感じる。その一方で早く冴子の顔を観たいと気がせく。

 部屋を出る。洗面室に向かう。歯ブラシやタオルが用意してある。顔を洗って応接室に入る。台所から妙が飛んでくる。

「朝食の用意は出来ています」妙は物おじしない声で言う。

「冴子さんは?」

「今朝早く出かけられました」

 妙は盆にのせたみそ汁を差し出す。

「奥様からお渡しするようにと、角封筒をいいつかっています」

「どうして起こしてくれなかったのですか?」

 城之内は一目冴子を観たいと思った。

「お疲れだから、起こさないように言われました」

 妙は白河家の忠実な使用人だ。表情が明るい。表裏のない顔をしている。

 朝食が済んでから、白河清二郎の墓参りに出かける。

――急に多忙になったので接待は出来なくなった。今日は会わずに出かける。これでお帰り下さい――

妙は神妙な顔で白河冴子の伝言を述べる。


 10時、城之内敏夫のセドリックは妙を乗せて、白河邸を後にする。長谷寺を過ぎる。長谷寺温泉を超える。初瀬で国道165号線に入る。西に行くと桜井市の市街地。東に向かう。5キロ程走る。西峠から山に入る。九十九折の坂道だ。2キロ程北上する。鳥見山公園に出る。西に聳える山が鳥見とみ山。標高736メートル。こんもりとした山だ。鳥見山公園の駐車場に車を駐車する。鳥見山の方へ歩く。しばらく行くと小高い丘が見え居る。周囲は鉄柵で囲われている。観音開きの鉄製の門がある。鍵がかかっている。妙は解錠する。鉄の門を開く。中は丘を中心に広大な敷地が拡がっている。丘はかまぼこ型をしている。正面は切り崩したようになっている。

 2間幅の鉄の扉がついている。その前に祭壇がある。城之内の想像する”墓”とはイメージが違う。一見して墳墓だ。それも随分と大きい。古墳と言った方が良い。

 妙は持参した花を祭壇に捧げる。両手を合わせる。城之内も見習う。

 妙は白河冴子から聞いた話だと断って話す。

”墓”の長さは約2百メートル。幅10メートル。白河家の先祖がすべてここに眠っている。火葬はしない。石棺に納められて安置されている。故人が日常使用していた道具類や衣類は捨てられることはない。蔵の中にすべて納められる。

 鉄の扉の所で妙が祭壇に向かって一礼する。外に出る。鳥見山公園の駐車場まで歩く。妙は手に持った巾着トートから角封筒を取り出すと、城之内に渡す。

「奥様がね、家に帰られてから読んでくださいって」

 妙は車の助手席に乗り込む。城之内が運転席に腰を降ろす。

「忘れるところでした」妙の声が弾んでいる。

――今月の23日、午後7時に来てくださいって、奥様が――


 城之内は車を発進させる。

 桜井市の町の中で降ろしてほしい。妙の要望だ。今日1日、お暇を頂いた。友達と思い切り羽を伸ばすの。ヘリボン柄のジャケットを着こんだ妙の顔は輝いている。

・・・11月23日は勤労感謝の日だ。昔は新嘗祭の日、新殻を添えて神を祀る稲作儀礼の日だ・・・


 妙を桜井市の町の中で降ろす。城之内の車は一路常滑に向かう。


                    白河清二郎の遺書


 城之内の気持ちは混乱していた。頭の中は白河冴子の事で一杯だ。車を運転してハンドルを握っている。その手が汗ばんでいる。彼女との一夜の情事が生々しく思い出される。

 白河清二郎のが死んで間がない。それなのに・・・。

・・・自分には女の心は永遠に謎だ・・・

 白河邸を出たのが朝の10時。桜井市で妙を車から降ろしたのが11時半。途中、昼食と休憩をとる。常滑に着いたのが4時。1人暮らしなので家の中は寒々している。書斎に入る。ヒ―ターをつける。11月中旬。少し肌寒くなっている。

 茶色の角封筒を机の上に置く。封を切る。白河冴子の手紙が添えてある。――主人の遺言です。あなたにこの手紙を渡すようにと言われています。11月23日は夕刻7時頃に来てください。この日は白河家の親族が集まります。あなたとお話する時間はないかもしれません。妙があなたに付き添います。――

 事務的な内容だ。情感あふれた文面を期待していた。失望感が先立つ。

 白河清二郎の遺言を読む。分厚い手紙だ。読み終わって城之内はは2度失望感を味わう。遺言だから自殺の動機が書かれていると期待していた。

”何年何月にはあなたからこういう質問を頂いた。それに対する私の答えはこうでした”それだけの事だ。


 白河清二郎と出会って20年になる。古代史に対する疑問を彼におくる。1~2週間後には手紙が帰ってくる。

 城之内は昔日の思い出に浸る。

 城之内が日本史に興味を持つ様になったのは20代前半だ。書店で手にした本が日本史の評論だった。

――歴史は信ずるに足らず、歴史書は勝者の記録だ――我々が学校で習った古代史は嘘の塊だ。

 こんな過激な文面が羅列されていた。若い城之内は大きな衝撃を受ける。以後、日本の古代史に関する本を片っ端から読破する。著者によって、歴史観が随分違う事も知る。アカデミックな学者は、皇国史史観に近い。


 ――歴史は事実の記録ではない。時の権力者によってつくられたものだ。――白河清二郎の歴史観に、城之内は夢中になる。

 数年後、白河清二郎は毎日、日記を書いていると告白している。城之内に送る手紙の内容も逐一記録しているという。妻の冴子はどちらかと言えば自由奔放型。明るくて人見知りしない。好感が持てる。

 それに反して白河清二郎は一見して近寄りがたい風貌だ。何を考えているのかよく判らない。温厚な人物だが、自分から打ち解けようとはしない。生真面目で律儀なタイプだ。

 かれは電話が嫌いのようで、電話口に出るのは冴子だ。彼からの返事は必ず手紙だ。何日ごろ来ませんか。花見がきれいですよ。電話で用が足せる事でもハガキを寄こす。

 城之内は白河清二郎から貰った手紙は日付順に保管している。


白河清二郎の遺言”を丹念に読む。遺言というより、思い出を書き綴っている。何年何月何日には、あなたからこういう手紙を頂きました。

 こんな内容がずらりと並ぶ。日付がはっきりしている。

・・・もしかしたら・・・城之内は疑念にとらわれる。

 冴子は遺書と答えている。

 城之内は整理机の引き出しを開ける。厖大な量の白河清二郎の手紙が入っている。

”遺言”に出てくる日付の手紙を取り出す。すべて大化改新に関係する手紙だ。

 白河清二郎は大化改新はなかったと書いている。大化改新の大立役者中大兄皇子、彼は後に天智天皇として活躍する。

 白河清二郎は中大兄と天智天皇は別人だという。


 ・・・どうして大化改新にこだわるのか・・・

 白河冴子は言っている。大化改新から白河家の悪夢の連鎖が始まっている。とするなら、大化改新はあっ

た事になるのではないか・・・。

 白河清二郎の遺言の最後に、血で書いた文字の意味が出てくる。

 血と言えば日本では血判書がなじみだ。秘密裡に事を起こす。命を賭けて神仏に誓う証だ。だが白河家では古代より、血文字は罪の証という。白河清二郎は”大化改新”で罪を問われた。

・・・もしかしたら、彼は殺された?・・・

 殺したのは・・・。白河冴子?馬鹿な!城之内は一蹴する。

 馬鹿――この言葉は秦に始皇帝の息子、胡亥が鹿を馬と教えられたという故事による、とされる。

 白河清二郎は笑って答える。馬は蘇我馬子、鹿は蘇我入鹿の事。罪を着せられて滅亡した馬鹿な人物という意味。

 改めて大化改新を考える。

大化改新にはいくつかの謎がある。

 1、入鹿暗殺の後、入鹿の父蝦夷は戦わずして自害している。葛城皇子(中大兄皇子)の進軍が早く手勢   を集める暇がなかったとされている。

   しかし何の抵抗もなく自害するというのは疑問である。すぐに反撃できなくても、蘇我氏一族の誰か   が抵抗してもよさそうだが、その形跡さえない。

   一説には葛城皇子側についた蘇我倉山田石川麻呂が抵抗勢力を抑えたと言われている。その石川麻呂   も後に葛城皇子に謀叛の疑いで誅殺されている。この時も大して抵抗せず自害している。

   この無抵抗というのが疑問だ。

   ――奈良県明日香村で次々と遺跡が発見されている。それによると史実とは異なる事実が浮かび上がっ    ている。蘇我氏は都を要塞化していた可能性が出てきた。王権の外敵から守ろうとする蘇我氏の一    面が明らかになっている。

    唐は倭国に侵略の矛先を向けていた。その事を早くから察知していた蘇我氏は飛鳥の防衛網構築に    力を注いでいたのである。

    その蘇我氏がほとんど無抵抗で滅亡したとする日本書紀に疑問が生ずる。

 2、皇極天皇の退位

    この時代、天皇は一度そのくらいに就くと死ぬまで退位しないのが先代からの習わしだった。

   皇極天皇は蘇我入鹿誅殺後、さっさと退位してしまう。皇極天皇は蘇我氏ゆかりの女帝だった。同時   に葛城皇子の実母でもある。退位する理由はない。

    そして皇極天皇の跡を襲ったのは葛城皇子ではない。皇極天皇の弟の孝徳天皇だ。

    この事が後に後継者争いに発展していく。

   事件が起こる以前に皇位継承候補だった古人皇子や孝徳天皇の皇子、有馬皇子が相次いで謀反の罪で   誅殺される。

 3、孝徳天皇死後、皇極天皇が再び皇位に就く。斉明天皇となる。その死後、葛城皇子が称制(皇位に就

   つかずに政治を行う事)し7年の空白をおいて即位する。

   大化改新の大立役者でありながら中大兄皇子が天皇になったのは23年後である。

 4、中大兄皇子という名称は、一般的に古人大兄皇子に継ぐ第2王位継承者という意味と言われている。

   しかし彼以前にこのような継承順位で呼ばれた皇子は存在していない。

   中大兄は葛城皇子の俗称である。日本書紀はこの俗称を多用している。


 以上の疑問から導き出されるのは、葛城皇子は孝徳天皇の実子ではなかったのではないかという事だ。

そして――もっと重要な事実は、蘇我氏こそが当時の倭国の大王ではなかったのではないか。

 ・・・歴史は信じるに足らず、勝者の記録である・・・


 城之内は改めて白河清二郎の”遺書”の角封筒を手に取る。A4の大きさの事務用封筒だ。城之内はその封筒に違和感を覚える。どこにでも売っている安物だ。それに比較して、彼や冴子の手紙は上質な書翰箋を使用している。紙漉き機で濾した和紙だ。町の文房具店で手に入る代物ではない。

 それに引き換え、封筒が余りにも粗末なのだ。しかも分厚い。封筒の中を見る、中にもう一枚白い紙が入っている。2重封筒だ。封筒の入れ口はノリ付けになっている。中にも手紙を保護するためなら、糊付けは必要ない。

 城之内は糊付けの部分を注意深かく剥していく。中の保護紙を取り出す。2枚折りの厚手の紙だ。2重封筒どころか3重封筒となっている。紙を拡げる。新聞紙一面の大きさだ。その中に細かい文字がびっしりと書いてある。虫眼鏡で見ないと読めない。

 城之内は丹念に読む。読み終わって、驚愕の事実に茫然自失する。

――白河清二郎は死を強要された。朱文字で書かれた”大化改新”そこに秘められた白河家の先祖の秘密。

”悪夢の連鎖”彼はそれを断ち切ろうとした。その大罪ゆえ殺された――

 そして、城之内敏夫が知ったのは、大化改新は当時の新羅の国内事件だったことだ。


 先祖祭

 11月22日、昼、白河邸の賄婦妙から携帯電話が入る。明日23日は昼の3時に来てほしいという。城之内は了解する。

 当日23日、午後3時に白河邸に到着、妙が冠木門から飛び出してくる。話したい事があるからと車に乗り込んでくる。

 城之内は休む間もない。白河邸を出て桜井市の市街地を西に走る。耳成山を右に見る。左手に天香久山、畝傍山が聳えている。近鉄橿原線の踏切手前を右折する。そこは中街道という。国道24号線だ。約8キロ北上する。左手に奈良健康ランドの建物が見える。二階堂の標識が出ている。そこを右折する。広々とした庭の一軒家で停車する。建物は新しい。総二階で40坪程だ。

「ここ、私の家です」

 標札には二階堂妙の名前が出ている。彼女は両親と3人暮らし。今日は談山神社で新嘗祭が執り行われる。その手伝いに両親は朝から出かけている。

 妙は城之内を招き入れる。玄関を入ってすぐ左はダイニングキッチンだ。キッチンと食堂、応接室が一体となっている。テーブルがあり、肘掛け椅子がある。

 城之内は椅子に腰を降ろす。妙がコーヒーを運んでくる。彼女は、道々、奥様よりの伝言がある。じっくり話しておきたいという。

 妙は物おじしない顔で城之内を見る。

 彼女は紺の作務衣を着ている。相変わらずの3つ編みの髪だ。

――今日は勤労感謝の日、戦前は大祭日として祝っていた。皇室では新嘗祭として、天皇が五穀の新殻を天神地祇に勧める。自らもそれを食す。その年の収穫を感謝する祭儀だ。宮中三殿の近くにある神嘉殿で執行される――

 新嘗祭は本来は大嘗祭と呼ばれていた。飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まったと伝えられている。

 白河家にとって、今日は先祖祭だ。”大化改新”の昔から、絶えることなく執行されてきた。白河家の親族以外誰もこの式に参加できない。戦後になって、白河家の関係者、お手伝いなどが参加を許されるようになる。とはいえ、式を直接垣間見る事は出来ない。


 「城之内さん」妙はコーヒーを飲んでいる。

今日の式にどうして城之内が招待されたか判るかと尋ねているのだ。城之内は首を振る。

「故清二郎旦那様のご意志だからよ」

 城之内は驚いて妙を直視する。

「私ね、奥様から仔細を聞かされているの」

 20年前、歴史読本が縁で白河清二郎との親交が始まる。一面識もない城之内を暖かくもてなしてくれる。その頃から白河清二郎ははある種の孤独感に締め付けられていた。

 白河清二郎は自殺を強いられた。妻冴子もまた同じ道を歩もうとしている。

「この前、お見えになった夜ね・・・」妙はにこりと笑う。

「奥様と情を交わされましたね」

 城之内はびっくりする。赤面して頷く。冴子さんから聴いたのかと問う。

妙はおかしそうに笑う。こんな事奥様が喋る訳ないじゃない。

・・・あの日、冴子は朝の5時に起床している・・・

「爽やかなお顔でした」妙の表情は澄んでいる。

「女はね、匂いで判るの」

 冴子は朝食も摂らない。吹っ切れた表情だった。城之内に渡す様にと、角封筒を妙に託す。


 妙の表情が改まる。コーヒーカップをテーブルに置く。

今日は夕方から白河一族の主だった者、約50名が集まる。冴子奥様は城之内の相手をしておれない。今日は特別に、城之内の参加を許している。末席から式の次第を見学できる。白河家の秘密をよく見てほしい。

 式は午後11時から午前1時まで行われる。

昔、太陽暦採用以前は旧暦の11月。その月の2回目の卯の日に行われていた。当時はローソクの灯もつけない。闇の中で執行されていた。

 今は明かりを灯して行われる。今日の式は、午前1時が過ぎて式が終わると、出席者は酒を酌み交わす。明かりが消されて、次の白河家当主が誓いの言葉を発する。

・・・次の当主・・・城之内は反復する。

「猿沢池の白河家から、次の当主が選ばれたの」

 あの日、冴子はその同意を伝えるために出かけたのだ。

「奥様は、あなたと情を交わした後、泣いていたの」

 妙の声は淡々としている。夫婦には子供がいない。養子を迎い入れるのが一般的だ。

 古河家の場合、世間の常識は通用しない。ましてや白河清二郎は自殺を強いられた身だ。白河家一族で宗家の当主が決められる。冴子が同意する。

・・・奥様は白河家から追い出されるの・・・

 妙の目に涙が浮かぶ。無念そうに唇を噛む。城之内は驚く事ばかりだ。

「こう言う私も、今年の暮れでお払い箱・・・」自嘲する。


 しばらくに間、部屋の中に気まずい沈黙が続く。


 妙はすぐにも元の明るい表情に戻る。今日の妙の役目は終わったと話す。50人分の接待用のお茶などの準備は済んでいる。昼過ぎからはやる事もないので、昨日城之内に電話したという。

「今、話した事は奥様のお気持ちね・・・」

 城之内は無言で頷く。妙は白河家の賄婦だ。彼女を通じて城之内に知ってほしい。それが冴子の気持ちだ。冴子に心を寄せる者は、白河家一族にはいない。清二郎の死後、彼女は辛く孤独な日々を送っていたのだ。

「ねえ、城之内さん、お腹すいちゃった。何か奢って!」

 妙の明るい声で、外に飛び出す。


                   毗曇ひどんの乱

 城之内と妙が白河家に到着したのが、午後9時。

それまでレストランで食事をしたり、奈良健康ランドで温泉に入ったりする。一旦妙の家に戻り、紺の作務衣に着替える。

――式が終わったら、そのまま帰ってくださいね――

 妙の嶮しい表情。


 白河邸の広大な駐車場は車で一杯だ。高級車ばかりだ。妙に促されて、城之内は白河家の北奥に車を置く。2人は裏口から中に入る。屋敷内は50数名の男女でごった返している。年配者から若者まで、男女とも正装姿だ。男は燕尾服。女はブラウスにスカート。黒一色だ。

 部屋の障子が全部外されている。むんむんした人の気配で府屋の中は暖かい。部屋の隅に2枚衝立がある。竹で編んだ簀子作りだ。隙間から部屋の中が窺い知れる。

 1年に1度の対面の者もいるのだろう。話し声が騒がしい。10時50分、初老の男が上座に就く。側に白河冴子が座る。室内は静かになる。

 城之内と妙は秘かに衝立の中に入る。

 11時。初老の男が立ち上がる。白河冴子が手にした掛け軸を取る。床の間に飾る。墨絵だ。髪の長い男の肖像画だ。ゆったりとした服装。眉が濃い。面長で威容だ。

 この男、白河一族の先祖、金春秋、日本名中大兄皇子だ。大化改新は無かったのではない。新羅の国の毗曇の乱として存在しているのだ。城之内は白河清二郎の手紙を思い出す。

 初老の男を先頭に、出席者全員が二拍三拝する。深々と礼を尽くす。初老の男が掛け軸に向かって正座する。一本の巻物を取り出す。千数百年続く白河一族の家系を朗読する。

 妙は眼を凝らしている。初老の男は猿沢池にある白河家の分家、白河清二郎の実弟、一堂に会する人々は政治、実業界などで威を張っている。城之内も新聞テレビで見知っている人もいる。白河家傍流の人々だ。


 ――毗曇の乱――城之内は瞑目する。

 西暦六四七年、新羅の貴族会議で善徳女帝の廃位が要求される。(新羅本記、金庾信ゆしん伝)

 反女帝派、の貴族連合のクーデターだ。これを金春秋、金官(倭)王家出身の金庾信らが未然に防ぐ。逆に反乱の”貴族連合軍”を破って鎮圧する。これが世に言う毗曇の乱だ。

 この後、新羅では貴族政治が廃止される。官僚的な律令制の代わって国力の強化が図られる。

 この事件は大化改新のモデルとなった。毗曇の乱は647年、大化改新は645年、この2年のズレは紀年法に原因がある。

 和銅日本紀が使っていた”顓頊せんぎょく暦と、現行の養老日本紀が使っていた現行暦の紀年法とでは、干支紀年法が異なっている。ここで1年のズレが生じる。その上、天皇の即位の年の起算点の相違により、2年のズレとなる。つまり645年は647年と同年なのだ。


 大化改新と毗曇の乱が同一の根拠

 イ、善徳女帝=皇極天皇

 ロ、貴族連合による善徳女帝の廃位=蘇我氏の天皇以上の横暴

 ハ、毗曇の乱のクーデター=大化改新

 二、毗曇、廉宗らの殺害=蘇我入鹿の暗殺、蘇我蝦夷の死

 ホ、金春秋、金庾信=中大兄皇子、中臣鎌足

 へ、貴族会議の消滅=大臣、蘇我宗本家の滅亡

 ト、新羅の律令制度の導入=大宝律令

 チ、王子の金春秋と臣下の金庾信は正月の午忌日に金庾信の家の前で”蹴鞠(弄の遊び)”をする。庾信は   わざと春秋の上衣の結び紐を踏んで裂いてしまう。(三国遺事、太宗春秋公より)=中臣鎌足、法興   寺(飛鳥寺)の槻の樹の下で打ち鞠(蹴鞠)をする。中大兄皇子の皮鞋が脱げる。鎌足が跪いて奉    る。(皇極紀3年)

 リ、金春秋は真徳女帝を立てる=中大兄皇子は斉明女帝を立てる。

 ヌ、金春秋は金庾信の妹(文明夫人)と結婚。金庾信は金春秋の娘と結婚(金庾信は金宮王家の出自。妹   が姉に代わって結婚=中大兄皇子は蘇我倉山田石川麻呂の女と結婚(蘇我氏は金宮王家の出身。妹が   姉に代わって結婚)


 日本書紀は成立当初”日本紀”と呼ばれていた。平安時代までに幾度か改竄されている。日本書紀と改称される。日本書紀の原本は現存しない。岩波書店版”日本書紀”底本は戦国時代の卜部兼右が書写したとされる。”兼右本”が中心である。それより古い本は1部か残片しか残っていない。


 初老の男の声は朗々としている。ゆっくりと家系図を読み上げていく。日本の真の歴史は天皇家、皇族、白河家のような古い家柄に伝わっている。

 新羅の歴史が日本の歴史に組み込まれる。これを借史という。

 大化改新の原因を作ったのは蘇我入鹿の横専と言われる。蘇我氏と物部氏=崇仏派と排仏派の戦いで、蘇我氏が政治の実権を握ったとされる。

 最初に近畿地方を平定したのは、物部氏の祖、スサノオの子、ニギハヤヒだ。その後、ミマキイリ彦が大王として九州からやってくる。その後にイザホワケ(履中天皇)が葛城、巨勢、平群などの豪族を引き連れて制圧する。大和の磯域郡の磐余イワレで大王になる。その王朝は断絶し、混乱の時期の後に蘇我氏が大王として国家の体制の基盤を確立する。


 城之内は眼を開く。初老の男の声が止む。室内の照明が煌々と照る中、1本のローソク立てが掛け軸の前に立てられる。その和ローソクに灯がつけられる。

 上座に座っていた白河冴子が立ち上がる。彼女だけが喪服姿だ。ローソク立ての側に正座する。

 室内の明るい照明が突然消される。ローソクの灯だけが孤高のように輝いている。明るい光りに慣れた目だ。ローソクの灯に慣れるまで時間がかかる。暗い室内に、淡い光が寂しげに漂っている。冴子の表情も幽霊のように儚い。

「わたくし、白河冴子は、白河宗家を、白河徳子様にお譲り致します」

 白河徳子は初老の男、白河清二郎の実弟の娘だ。彼女が白河宗家の跡を継ぐ。婿養子を迎える。

 白河冴子が席を立つ。代わりに黒のブラウスを着た女性がローソク立ての側に座る。

城之内の目も暗い光りに慣れてくる。彼女は後ろに髪を束ねただけの清楚な顔立だ。張りのある表情が輝いている。

 白河徳子は言葉を発しない。一同に向かって深々と頭を下げるのみ。顔を上げた表情に笑みがこぼれる。

 ローソクの灯が消される。再び室内の照明がともされる。掛け軸が外される。白河冴子の姿はない。一同に朱塗りの盃が配られる。酒がふるまわれる。夜通しの宴会が催される。

 城之内と妙はそっと部屋を離れる。妙は奥の白河冴子の部屋に駆け込む。城之内は勝手口から外に出る。裏には防犯用の照明が点灯している。

 城之内は外に出る。寒気が体をつき刺す。あっと声をたてる。白河冴子が立っている。彼女の表情は晴れ晴れとしている。城之内を見て深々と一礼する。

 これが今生の別れになろうとは、城之内は思いもよらない。彼は冴子に近寄ろうとする。冴子はかぶりを振る。静かに建物の中に消えていく。


                      武烈王


 平成18年12月上旬、城之内は書斎で頬杖をついていた。頭の中を駆け巡るのは白河冴子の事だ。

 この年、城之内敏夫50歳。白河冴子55歳。冴子の方が年上だ。にも拘らず、この20年間、冴子と接していて、城之内の方が年上と錯覚してしまう。

 一夜の情事、衝撃的な出来事だった。11月23日の夜、彼女と膝を交えると信じていた。その予想は覆され、放り出されるようにして家路に就く。

 ・・・20年前に、白河家を訪問する。あの頃から冴子を愛していた・・・その事実に気付いた。

 ――もう一度会いたい――

 今白河家は相続問題で混乱していよう。来年春訪問しよう。城之内は決心する。

11月23日の夜の先祖祭。白河家一族以外の者は立ち入り禁止だった。冴子の強い要望で衝立の奥から垣間見る事が許された。

 掛け軸に肖像画――金春秋、後の新羅太祖武烈王――

 これが白河家のご先祖よ、よく見て――冴子の心の声が聞こえていたのだ。


 城之内の前に幾多の資料がある。

日本書紀――奈良朝の天皇は新羅王がモデル。平安朝は百済王がモデル。――この基本的概念を把握する必要がある。

 武烈王(天智天皇のモデル)は大化3年に来日。

 金多遂、文武王(天武天皇のモデル)大化5年に来日。

以上の事実を、平安期に以下のように改竄する。

 天皇、皇太子としての中大兄皇子、後の天智天皇とする。この人物のモデルとして武烈王の他に百済皇子(架空の人物)余豊璋をプラスする。いわば合成人物とした。しかも平安日本書紀では、余豊璋の弟、隆を天智の子、大友皇子=弘文天皇として挿入する。

 孝徳天皇紀では武烈王は来日と記しているが疑問視されている。短期の来日はあったのかもしれない。

 大化3年は蘇我入鹿暗殺後だ。この時代の国際的背景として、太祖武烈王の在位は654年から662年。大化3年12月に金春秋(後の武烈王)が倭国に連れて来られた事になっている。

 この記事を疑問視するのは、この年、金春秋が文正(子)と一緒に唐の太宗皇帝の元に行っているからだ。その帰路海上で高句麗兵に見つかる。小舟で命からがら帰国する。

 武烈王は即位後唐と結ぶ。660年、唐、百済を滅す。この時、武烈王は金庾信に軍を統率させる。百済に進軍する。663年北村江で倭国の水軍を破る。668年塔を支援した新羅は高句麗を滅す。

 670年から676年にかけて朝鮮半島から唐軍を追い出す。旧領の全土の実権の回復。朝鮮半島を統一する。武烈王が太祖と言われる所以である。

 9世紀末新羅の国力が衰える。百済、高句麗の再興を図る勢力が失地回復を狙う。29代武烈王が朝鮮半島を統一するが37代宣徳王の時代に滅亡する。

 中大兄皇子=金春秋こと武烈王が日本に来たという証拠はない。


 大化改新は江戸時代末期まで乙巳の変と呼ばれていた。

”大化改新”という語は日本書紀には見えない。

 明治21年杉浦重剛著の日本通鑑”に大化改新の造語がはじめてあらわれる。尊王攘夷の機運が高揚する幕末、頼山陽の”日本政記”の説が明治以後を支配する。

 乙巳の変で天智天皇(中大兄皇子)が姦臣を誅する。国家の大権を皇族に復帰させる。大化2年の改之詔で制度を制定。万世のの世を開いたとした。

――書紀には大化改新の言葉はない。改新の詔が乙巳の変の翌年の大化2年の正月条にみえる――


                   天智天皇


 大化という年号は古代には存在しなかったのか。

――686年、倭国の古代年号大化(丙戌)を645年(乙巳)移動している。

 大化年号は新羅の占領下の九州の旧首都で使用されていた。686年の事だ。後世41年も遡上させて645年から使用している。大化とは大和やまとと読む。

大宝以前、大和には九州とは別の年号は持っていなかった。大和には中国や朝鮮半島などから認められるような大王家は存在していなかった。仮に年号が使用されていたとしても、宗主国の九州の倭国のものを借用していたにすぎない。

 中大兄皇子は新羅の武烈王がモデル。天智天皇は大化改新の23年後に即位したと書紀にある。


 城之内の携帯電話が鳴る。白河清二郎の手紙を整理していたのだ。スイッチオンにする。

「河井ですが・・・」きれいな女性の声だ。

「これは、宮司様・・・」

 伊勢の明和町にある神社からだ。毎年この月になると、歳末大祓神事の誘いの連絡が入る。12月の最終の日曜日だ。前日の土曜日の午後から出席する。小さなお宮だ。大祭の準備に人手がいる。

 翌朝、9時より禊を行う。身の穢れを払う。午前11時から火受け神事が行われる。行事はすべて古式に則って行われる。翌日は神宮参拝だ。

 禊は木桶で30杯の水を被る。締めとして”天皇陛下万歳”を三唱する。

 宮司様は女性だ。神宮参拝は必ず禊をしてから行く事。昨今のバスで乗り付けて、酒気帯びでの参拝はもってのほかと厳しい口調で言う。

 城之内は大祭に出席の意向を伝える。後日、祈祷料を郵送する事を約して電話を切る。

・・・今年も、もう暮れか・・・

 城之内は嘆息する。

”天皇”今上天皇の事を思う。美智子皇后とのご成婚は神宮関係者は猛反対だったと河井宮司は教えてくれた。

――平民から皇后など、とんでもない――

 とんでもない成婚を成し遂げたのは、1つには昭和天皇の英断。今上天皇の決意であったと言われる。

 以前、テレビで”桓武天皇は百済とゆかりがあると、今上天皇の発言が報道された。城之内はそれを見て驚愕した。”実に正直な天皇様だ” だが、翌日の報道からそれがすべて封印されてしまった。記者が宮内庁に天皇の発言を問う。宮内庁の役人は言を左右にして不問のままだ。

 ――国民と共に歩まない皇室は滅ぶ――記者の言だ。


 桓武天皇、百済王家を再興させた最大の功労者だ。彼は天智天皇と深く結びついている。

中大兄皇子=天智天皇、この図式は国史の教科書で教えられる。大化改新が新羅の毗曇の乱とすると、この図式は成立しない。

663年(天智2)白村江の戦いが起こる。朝鮮南西部忠精道錦江の河口で行われた。日本軍と唐、新羅連合軍の海戦だ。当時任那問題で、日本は新羅と対立していた。百済とは同盟関係にあった。

百済が唐、新羅軍によって滅びる。百済の鬼室福信が百済再興を画策。日本は唐、新羅と戦うが完敗。以後百済は唐、新羅の支配下となる。

 天武5年(676)壬申の乱の4年後、新羅が朝鮮半島を統一する。白村江の戦いで敗れた天智は朝鮮半島からの攻撃を警戒。九州を中心に各地に城を築く。白村江で敗戦して帰国した天皇は内政に手を付けたとする。近江に遷都、庚午年籍を作る。近江令を編纂、強力な中央集権国家を確立。

 以上の天智天皇の業績は書紀、後の天智系王朝(桓武天皇)の手による文献の中での解釈だ。

 白村江で敗戦、半島からの攻撃を恐れて、各地に築城していた天皇に、内政が可能だったのだろうか。

 

 天智4年(665)唐より257人の使節団が来日、敗戦処理の使節団である事は言うまでもない。

書紀は使節団が筑紫に入った事を銘記している。しかし大和に入った事には触れていない。この時期天智天皇は筑紫で敗戦処理に駆けずり回っていたと推測される。

 天智6年都を近江に遷す。当時都と言えば大和の飛鳥を言う。白村江敗戦以後、天智は一度も大和に入っていないのだ。入りたくても入れない。敗戦処理に民衆を酷使する。怨嗟の声が国中に満ちていた。

天智7年、天智は近江で馬を飼う。軍事演習を行う。石炭などを集める。蝦夷の地の民を手なずける。

 天智は半島からの攻撃を恐れていたので、九州北部、中国地方に城を築いていた。ところが畿内に一か所、城を作っている。髙安城だ。この城の特徴は兵糧の蓄えを主としている。兵糧を蓄えた直後、法隆寺が火災に遭う。高安寺から法隆寺まで約7~8キロメートル。法隆寺は聖徳太子が建てた城だ。聖徳太子は実在の人物ではない。蘇我馬子、あるいは入鹿を投影した人物だ。

 蘇我氏は新羅から倭に派遣された金官だ。倭の大王として君臨していた。天智方の兵はその寺を焼いたのだ。

 天智は大和に入りたくても入れなかった。そこには新羅から派遣された駐留軍が存在していたのだ。

 法隆寺焼上の年(天智8)朝鮮半島では唐と新羅が衝突していた。半島独立戦争だ。このチャンスを天智が見過ごす筈がない。河内直鯨を唐に派遣。唐から2千人の使節団がやってくる。新羅が半島の統一を目指している。唐はそれを排除しようとしている。日本の協力が必要だった唐は、天智天皇と手を結ぶ。昨日の敵は今日の味方だ。

 天智としては新羅系勢力に支配されていた大和を取り戻したい。唐の協力を要請したのだ。

 天智10年(671)11月。唐の使者として、郭務悰ら2千人が来日する。翌年、天武元年5月に帰国する。

 天智10年12月天智天皇崩御。

 唐と天智との協力による百済再興は成立しなかった。唐の勢力は半島から駆逐される。新羅武烈王による半島統一が成功する。


 白河誠二郎が主張するように、中大兄皇子と天智が別人とするなら、天智は一体何者なのだろうか。

 奈良紀(原書日本書紀)では中大兄皇子(天智)のモデルは新羅の金春秋(太祖武烈王)だった。平安期(現行日本書紀)に余豊璋が付け加えられる。余豊璋は百済最後の義慈王の子で百済滅亡の時、高句麗に逃げていった人物だ。

 白村江の戦いの後、新羅は唐の信任を得る。占領地日本国の統治に乗り出す。ここに百済系、天智天皇の活躍する余地はない。

 壬申の乱は、天智天皇崩御後、大友皇子と天武天皇(大海人皇子)との戦いと言われている。天智10年、唐の郭務悰が2千人の兵を引き連れて来日。彼の名は”善隣国宝紀(相国寺の僧瑞渓周鳳の外交史)”によると――唐、務悰(とう、かまそ)――となっている。この人物こそが後の藤原鎌足かまそだ。大化改新で活躍した中臣鎌足とは別人だ。

 天智10年、朝鮮半島を統一した新羅は唐の追い出しにかかった。藤務悰、彼は新羅の金押実であり、壬申の乱の仕掛け人である。壬申の乱は百済の公州、熊津都督府の反乱がモデルだった。

 百済を滅した新羅が強大にならないように、唐が百済最後の王義慈王の王子、扶余隆を立てた。百済のかっての王都熊津(公州)に唐の熊津都尉(唐の官僚)として存続させた。だが結局は新羅によって完全に滅亡させられる。新羅王はこの事実を、唐に遣使して謝罪する。この事実が壬申の乱のモデルとなるのだ。

 新羅の謝罪に対して、唐は黙認する事になる。天智の息子大友皇子の即位は扶桑略記、水鏡などにもみられる。これは唐によって百済王になった扶余隆がモデルとなっている。

 唐の半島支配から脱却する。完全な新羅の支配体制が整う。天智天皇=新羅文武王から大和支配を委託された高市王子、金霜林による独裁体制が始まる。

 なお、白村江敗北後、唐の侵攻を天智は恐れていたといわれる。各地に城を築いたとある。事実は新羅による築城だ。平安期の書紀の改竄による。


 城之内は白河清二郎の資料を読み漁る。

――歴史は信じるに足らず――

 城之内は虚しさを覚える。自己の経歴を正当化するために、歴史を改竄する。

――大化改新――悪夢の連鎖がここから始まった。白河清二郎はその悪しき因縁を断ち切ろうとした。だが結果は自殺へと追いやられた。


                    白河冴子の死


 平成18年も暮れとなる。城之内は12月上旬に年賀状を書く。大きな仕事をしているわけではない。仕事上の付き合いも少ない。名簿から白河清二郎の名を消す。白河冴子の名を記入する。

 年始年末はやる事がない。例年、知多半島の師崎にある小さな温泉宿に宿泊する。2階建ての宿からは篠島が遠望できる。約1週間の滞在だ。師崎は港町だ。名所観光がある訳ではない。宿の主人とは知友だ。日長のんびりと過ごす。宿泊客は約10名。正月や暮れにはそれなりの催しがある。

 1人暮らしの城之内にはこういった宿は有難い。退屈しないで済む。

 平成19年1月5日、常滑に帰る。1時間もあれば帰れる。郵便受けには年賀状やその他の郵便物がごっそりと入っている。白河冴子からの年賀状はない。例年、白河清二郎からの年賀状がきていた。寂しい気持ちになる。

 1週間ぶりに帰った我が家だ。家の中の掃除をする。本を整理する。家の近くの喫茶店でコーヒーを飲む。家で本を読む。だらだらした日が続く。

 借家賃は銀行振り込みだ。家賃に滞納者はいない。時折借家の補修の事で談話が入る。雨漏りが多い。


 白河清二郎の手紙を整理する。

――天武天皇=新羅の文武王=金多遂――

 天皇の称号は天武天皇の頃から使用される。それ以前は使用されていない。日本書紀(奈良時代は日本紀と呼ばれていた)は天武天皇(文武王)による新羅史の倭史改竄がおこなわれている。

 持統天皇は天智天皇の娘と言われている。この天皇は架空の天皇。持統帝は大津皇子。白河清二郎の持論だ。

 奈良朝、天武天皇を頂点として、新羅系天皇が燦然として光り輝いた時代だったのだ。

半島の新羅滅亡。奈良朝最後の天皇、称徳暗殺。藤原百川の裏切り。百済系天皇による平安遷都・・・。

 大化=大和、当初は太、太祖武烈王の太を冠して、太和。太祖武烈王によって、改めて支配する倭=和。

 白河清二郎は白河家の長男でありながら、清二郎と名乗る。太郎は太祖武烈王。

 大化改新――新羅系天皇家の栄光の倭国支配だった。皮肉にも、大化改新は中大兄皇子、百済系天皇の天智とされる。天武天皇は天智の弟として格下げされる。天武系天皇の中に、天智の娘として持統天皇が系図に載せられる。

 平安朝、万世一系を謳う百済系天皇による日本書紀の改竄。天照大神の孫が天下り、日本を支配していたとする。この時から新羅系渡来人の苦難が始まる。栄光の的だった”大化改新”が悪夢となった。悪夢はやがて次なる悪夢の連鎖を呼ぶ。


 平成19年2月下旬。夜、二階堂妙から電話が入る。

「冴子奥様が亡くなられました」妙は寡黙な女だ。必要以外の事は喋らない・

「どうして!」城之内は思わず聞き返す。どうして死んだのかと尋ねたつもりだった。言葉が出ない。咄嗟に出た言葉だ。

「自殺されました」妙の声は妙によそよそしい。側に誰かいるのか。”殺された” 一瞬城之内の心を駆け巡る。

「奥様から遺書を預かっています」こちらに来れないかという。

「遺書?」城之内はオウム返しに言う。妙は何も言わない。こちらに来いと繰り返すばかり。

 

 3月3日、城之内は二階堂妙の家に向かう。彼女を拾って白河家の墓地に行く。冴子は夫の清二郎と同じ棺に葬られているという。墓地内には入れない。外から両手を合わせる。3月とは言え、飛鳥地方は山の中だ。肌寒い。桜井市に戻る。料亭に入る。

 妙は麻のジャケットを着ている。若いのに渋い服装だ。髪が短い。別人のようだ。表情が明るい。ショルダーバッグから1通の封筒を取りテーブルの上に置く。

「今、読みますか?」妙は早く読めとばかりの表情だ。何が書いてあるのか興味津々なのだろう。

 料亭は8帖の個室だ。壁が朱塗り。南側に窓がある。庭の中の柿の樹が見える。

 城之内は封を切る。

昨年、城之内と情を交わした。女として、最後の情欲を満たして嬉しかった。心置きなく白河宗家を夫の弟に譲る事が出来る。夫の後を追う決心がついた。以下謝辞の言葉が続く。

 城之内ははぐらかされたような気持になる。自分への気持ちが書いてある。そう期待していたのだ。

遺書を妙に見せる。遺書を見た妙は頷く。

「奥様に良い事をなさったわ」大人びた顔で言う。

 城之内は驚く。以下妙の言葉。

白河清二郎の死後、冴子は悩んでいた。後継は実弟の子供となる。それには異論はない。だが自分が死んでも、白河清二郎の妻として葬られたい。

 白河清二郎は白河家親族の期待に叛いている。

――大化改新――この悪夢の連鎖を自分の代で断ち切ろうとしたのだ。その為に自殺を強要されたのだ。本当ならば白河家先祖代々が眠る墓地に葬られることは許されない。ましてや白河冴子は白河家から縁を切られる。”赤の他人”として白河家から追放される。

 白河清二郎が白河家の墓地に葬られる。冴子も妻として清二郎の側に葬られる。その条件として、冴子も清二郎の後を追う事だった。

「冴子奥様は悩み抜かれました」

 妙の話を聴いて、城之内は身震いする。気まずい思いで料理を口にする。

「もう1つ、奥様からの遺言があります」妙の明るい表情に救われる。

 白河家を継いだのは、白河清二郎の実弟の娘徳子だ。

「この後、徳子様にお会いになってください」

「会ってどうする?」

 白河清二郎に代わって、彼の思いを吐露しろという。白河清二郎は自殺したとは言え、無念の死を遂げている。生前の彼の思いを、城之内が吐き出す。清二郎の霊魂は慰められる。


                     桓武天皇


 3月3日午後1時。城之内敏夫は二階堂妙と共に白河邸の座敷にいた。白河徳子の慇懃なもてなしを受けている。彼女は白装束姿。髪の毛を後ろに束ねている。巫女姿だ。清楚な顔立ちだ。眼だけがしっかりと城之内を観ている。

「私は何をしたら良いのでしょうか」城之内は物腰柔らかく尋ねる。

「白河清二郎になったつもりで・・・」生前彼が世に出したいと願っていた日本の歴史を言えという。

「あなた方にとって、不都合ではないのか」

 城之内は床の間を背にした徳子を直視する。彼女は大きく頷く。我々を苦しめる事で、白河清二郎の霊は慰められる。怨霊と化しては困るのだ。


 大化改新――新羅の毗曇の乱。中大兄皇子、天智天皇、天武天皇、飛鳥。奈良朝の日本の歴史は新羅の歴史がモデル。

 天武朝最後の天皇、称徳は藤原百川の裏切りで暗殺される。藤原氏は、唐、新羅連合軍が百済を破った時、唐の任官として日本にやってきている。

 唐と新羅が半島の支配権をめぐって抗争する。新羅の半島統一、倭を大和とし、日本と名付けたのは天武天皇、新羅文武王だ。唐の任官だった藤原氏は、新羅の官僚として天武朝を支える。半島の新羅が滅びる。それに連動して、天武朝も弱体化する。半島内の百済残党が勢力を盛り返す。日本国内に雌伏していた百済亡命人が暗躍する。

 藤原百川が新羅系天皇家を裏切る。次に皇位に就いたのは光仁天皇の皇后と言われる井上内親王。次に早良親王の即位。よって光仁天皇は桓武天皇の投影で、武王の前に文王があるという始祖伝説のモデルに過ぎない。

 井上内親王は東大寺修中過去帳に井上いがみ親王の名で出てくる。親王とは男性の名だ。井上皇后は光仁天皇を登場させるために作られた名なのだ。

 井上天皇、早良親王(後の天皇)は藤原百川によって殺される。ここに新羅系天皇は滅びる。新羅系渡来人は東北に落ちのびるか、百済系渡来人の奴隷として生きのびるしか方法がなかった。

 平安朝は桓武天皇を始祖とした百済系渡来人が支配した時代だ。

 桓武天皇――父系、母系とも百済亡命民間人だった。彼らの故国は海の倭人(南倭、中倭)を倒したアジア遊牧民(北倭)なのだ。

 桓武天皇の父、光仁天皇は百済王文鏡。母は百済武寧王の王子(純院太子=聖王明=用明大王のモデル)の末裔だ。

 桓武天皇の母(光仁天皇の妻)の高野新笠の元の名は、大和やまと新笠。新笠が光仁天皇夫人となる。高野朝臣の氏姓を賜わる。彼女の亡父まで遡って和=ヤマトの姓が用いられる。渡来系を隠し、天孫降臨の神話を既成事実とするために系図の作為が行われる。

 新笠の家系は百済王直系の名家であった。8世紀前半、新羅系奈良朝では百済の亡命として、下級官史に甘んじていた。彼女は皇室の出ではない。本来は光仁天皇の皇后になる資格はなかった。その子、山部も天皇(桓武)になれる筈がなかった。仁徳天皇と磐ノ媛、聖武天皇と光明皇后(2人とも皇室の出ではない)などの架空の話を正史として作為した。その意図は高野新笠の皇后としての前例作りだったのだ。

 ――日本において、桓武天皇は父系、母系共に、百済系民間人に過ぎなかった――

 平安朝は百済系天皇の支配となる。本来海洋系伽耶(南倭、中倭)=新羅が倭国(日本)を支配していた。百済(北倭)は敵だった。

後年、平将門の乱、藤原純友の乱、出羽、元康の乱など十二におよぶ大騒乱は、百済系に奪われた”倭王権の奪回”だったのだ。反乱と呼ぶのは間違っている。

 新羅と百済、同じ朝鮮半島の住人でありながら、互いに激しく憎み合う。新羅が百済を滅ぼす。百済の生き残りが高句麗人と組んで新羅を滅ぼす。この傾向は現在の韓国内でも引き継がれている。

 平安朝になると古くからある古墳荒らしが多くなる。平城京周辺、新沢509号墳(橿原市),二塚古墳(御所市)、石光山19号墳(同)、切丹34号墳、36号墳、43号墳(榛原市)、藤山1号墳(桜井市)、石上北A号墳(天理市)、その他まだ多数ある。古い死骸が暴かれる。死骸を曝す。鞭打ち、胴と頭を切り離す。新羅への怨念を晴らす。百済人の過酷な仕打ちが行われる。


 城之内は白河徳子を直視する。徳子も城之内を瞬きせずに見ている。妙が城之内の側に寄り添う。彼女は城之内の手を握っている。

 城之内は天皇家が新羅系から百済系に代わったと話す。彼の口調は始めは弱々しかった。声も小さい。喋っている内に、白河徳子の眼に魅入られる。

――新羅――と書いて、普通”しらぎ”と発音します。

 城之内は妙に手を握られている事を忘れる。自分が喋っている事も感じなくなる。

「この呼び方は蔑称ですね。しんら、あるいはしるら、しらの奴等という言い方です」

 平安朝になる。新羅系倭人への締め付けが厳しくなる。各地で暴動や抵抗が起こる。

大化改新――新羅滅亡、この時から白河家の悪夢の連鎖が始まったのだ。奈良朝で栄華を極めただけ、平安朝以降、地獄絵図さながらの圧政の日々が続く。


                      復活


 白河徳子は上座から城之内を見据えている。

澄んだ目で彼を観ている。催眠術にかかったように、城之内の知性は喪失していく。何を喋っているのか判らない。口調が白河清二郎に似てくる。彼は無口だ。めったに喋らない。初めの内は城之内が話すのに耳を傾けている。城之内の会話が途切れてくる。しばらくの沈黙の後、白河清二郎の声が雨だれのように、ポツリ、ポツリと漏れてくる。やがてその声に熱が籠る。もはや誰にも止められない。心の深層に鬱積した怨念が迸る。

 彼の思いは、千数百年続いてきた先祖の悪夢の連鎖を断ち切る事だった。しかし彼の思いは叶えられなかった。平成の時代、新たな悪夢の連鎖が始まろうとしていた。現天皇家に取って代わる。先祖の怨念が息を吹き返す。白河家を頂点とする新羅系の勢力が動き出す。それが白河清二郎を激しく突き動かす。清二郎は拒絶する。白河家の当主の座を追われる。自殺の強要だ。

 清二郎の怨念が城之内敏夫の乗り移る。喋っているのは城之内ではない。白河徳子は奥の深い眼で見つめている。

 二階堂妙は”旦那様”と囁く。

――新羅しんらが復活する――

 源頼朝が鎌倉で幕府を開く。新羅勢力の復活だ。

源氏=秦氏=新羅だ。源義家の弟は源新羅三郎義光と名乗る。彼は大津の三井寺の新羅善神堂(新羅神社)で元服している。ここは後に源氏の棟梁となった足利尊氏によって造営されている。この新羅善神堂の祭神は新羅大明神像(絹画)だ。この新羅神(新羅王)の下に、小さく日本の高官(王、天皇)皇子達が描かれている。

 寺伝によると、束帯姿の高官(日皇子=天皇)は新羅大明神に社地を献じた人(大友皇子=百済義慈王の王子、抹余隆がモデル)という。百済系の天皇達を新羅大明神(新羅王)が睨みを利かせている図式なのだ。

 源義家は八幡太郎義家と称する。宇佐八幡に本拠を持つ八幡神(ヤハタ=マレーシアのバハン神)を氏神とする。幡=ハタ=秦で源氏が秦氏(新羅)の出自である。

 源氏が歴史上初めて登場するのは藤原氏の家人(奴隷)としてである。

 政治の実権は新羅系秦氏の源氏によって復活する。

天皇の血筋としては、弘和3年(1383)6歳で即位した後小松天皇になってからだ。後小松天皇(幹仁、義満の次男、貞成さだふさの義弟)は、足利義満の室日野康子との間の子である。

源氏=秦氏=新羅系天皇(北朝)として復活する。

 皇統譜では、後小松天皇は皇后の藤原(三条)厳子いずこと北朝方、後円融天皇との間の子としている。これには疑問が呈示されている。

 藤原厳子の死後、足利義満は帝に対して、諒閣(天皇が父母の喪に服して1年間謹慎すること)の必要はないと命じている。

 厳子の亡くなったその夜に、臣下である足利義満の本妻日野康子を准国母(天皇の母に准ずる地位)を贈位する。その上で”北山院”の院号まで与えている。

 應永13年、後小松天皇は”従二位藤原朝臣康子は朕の准母なり・・・”勅書を発する。

自分の妻が国母になる。夫たる足利義満は太上天皇(准国父)となる。義満の死に際して、臣下に対して太上天皇を贈位している。

 称光天皇崩御後、伏見宮家に猶子として入り込んでいた貞成親王を介して足利義満の血が天皇家に入る。(椿葉紀)(看聞御紀)重ねて、源氏=秦氏=新羅系の後花園天皇が誕生する。

應永23年(1416)伏見宮家の栄仁親王死亡。直後治仁親王死亡。ここに伏見宮家の実子2人が変死。

貞成親王の母を西御方と呼ぶ。これは将軍家の母を意味している。

 應永18年(1411)伏見宮家の猶子(居候)の貞成が伏見宮家を相続する。

 伏見宮家の治仁親王の具足の中から貞成を養子にするという御書が出てきたと言って、強引に貞成を相続者に仕立て上げた。このような足利義満の謀略を人々は知っていた。

――めでたさも世の不思議なれば天下の口遊にて侍る。椿葉記――

 應永8年(1401)足利義満は明国に対して”日本准三后道義書を大明皇帝陛下に上る”という国書を提出。

 應永9年(1402)”爾日本国王源道義”の明国皇帝の書を拝受。

 應永10年(1403)”日本国王臣源表す”の文書を明国に提出。

ここに足利義満(新羅)は天皇より上位の日本国王となる。北朝はこうして江戸幕府末期まで永続する。


 北朝(新羅)の復活。白河家の栄光も続くと思われた。応仁の乱後、戦国時代。織田信長の出現まで皇室は衰微する。江戸時代、幕府から幾多の制約を課せられる。それでも皇室は平安を保つことが出来た。

 幕末、皇室は時代の荒波の飲み込まれる。北朝最後の天皇孝明天皇の暗殺だ。


                     明治維新


 城之内敏夫の声は白河清二郎に変わっている。少々甲高い声。神経質で律儀な性格だ。白衣姿の白河徳子は大きな眼を見開いている。瞬きしない。

 白河清二郎の声は感極まってきている。城之内は眼を瞑っている。体が揺れている。妙は城之内の手を固く握りしめている。

 そんな城之内の姿を、白河徳子は冷たく見つめている。


 ――太祖武烈王の子孫は、奈良朝で滅んだ――

 朝鮮半島で新羅が滅ぶ。その後ろ盾を失う。百済系移民の復活。白河一族は秘かに九州に遁れる。

源氏、北条、足利、新羅系勢力が皇位を奪うものの、武烈王の直系の子孫、白河一族が政治の表舞台に出る事はない。


 慶応2年(1866)孝明天皇暗殺。

――御九穴より御脱血、実に以って恐れ入り候(中山忠能日記(明治天皇の外祖父)――

 九穴=九竅とは、眼、耳、鼻、口、前陰、後陰から出血して死ぬことを言う。一般に言われている天然痘の死因ではない。

 孝明天皇は徹底した”攘夷派だった” 外国との交流を一切否定していた。それで外国との交渉が進展しない事を恐れた、朝廷側の岩倉具視によって暗殺されたのだ。

 孝明天皇亡き後、明治天皇のすり替えが行われる。薩長による睦仁親王の暗殺。長州、麻郷の大室寅之祐(16歳)が明治天皇にすり替わる。

 睦仁親王は右利き、大室寅之祐は左利き。明治天皇の利き腕が突然右利きから左利きにすり替わる。睦仁親王は馬にも乗れないほどの貧弱な体だった。ある日突然、人前で馬を迅速に乗りこなす。強健な体つき。

 大室家は南朝の子孫、伊藤博文によって担がれて、明治天皇にすり替わる。孝明天皇の暗殺と明治天皇のすり替えは同一グループによって仕組まれた陰謀なのだ。

 北朝(新羅系)から南朝(百済系)に入れ替わった事件。これが明治維新だ。

百済系の天智天皇(架空)の息子大友皇子(架空)が弘文天皇として追諡された所以だ。

 南北朝の正当性について国論を二分して論争が生じる。

――南朝は正統、北朝を閨統、即ち不正統と勅定けり――

 明治天皇は文部大臣小松原英太郎に勅している。

 5百年前に滅んだ南朝第七代の尊秀自天皇の墓がある。明治以来、今日に至るまで宮内省が管理している。

 皇室のシンボル、単弁菊花紋は後醍醐天皇以来、南朝の紋章シンボルなのだ。

 平安神宮は、1895年に平安遷都1100年を記念して建てられたと言われている。主祭神は桓武天皇。毎年4月13日には桓武天皇祭が行われる。昭和15年(1940)に孝明天皇も祀られる。

 明治の元号は易経の”聖人南面して天下を聴き明に嚮いて治む”からとったとされている。文面から判るように天皇親政を強調している。


 明治維新――大化改新を意識して作られている。桓武天皇によって改竄された日本書紀。日本は昔から百済系天皇によって支配されていたとするものだ。

 悪人蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子(天智天皇)、その娘鵜野皇女を、弟の天武天皇に嫁がせる。彼女の産んだ子孫が奈良朝天皇家を支配する。

 大化改新は新羅による朝鮮半島の統一のきっかけを作った事件だった。

 平安朝になる。大化改新は百済による日本国王支配のきっかけを作った事件にすり替える。

 源氏による日本国の支配。大化改新は乙巳の変と変えられる。

明治維新で大化改新が復活する。新羅系の人々に悪夢が襲い掛かる。明治天皇を取り巻く貴族の大半が百済系の人々だ。

 第2次世界大戦、日本の敗戦。百済系天皇家はかろうじて生存する。


 白河清二郎は昭和51年(1976)35歳で結婚した。妻の冴子は当時25歳。結婚式は身内だけで行われている。披露宴、新婚旅行はない。両親と3人の兄弟、おじ、おば、合わせて15名。床の間に飾られた太祖武烈王の掛け軸の前で三三九度の盃を交わすだけ。神主はいない。

 深夜のローソクが点される。花嫁の豪華な角隠しの衣装はない。花婿の紋付き袴もない。普段着のままだ。花嫁の両親や家族は呼ばれない。いつ式が始まって、いつ終わったか判らない。誰も声を発しない。

 三三九の後、太祖武烈王の掛け軸に向かって柏手を打つ。ローソクの灯が消される。清二郎の両親が席を立つ。それから3人の兄弟とおじ、おば達が1人1人足音を忍ばせる様にして消える。

 後に残った清二郎と冴子はその場に寝具を敷く。衣服を脱ぐ。寝具に横になる。一夜を過ごす。

数日して、2人は清二郎の父に呼ばれる。それも深夜だ。

――子を成せ――灯りはない。闇の中からおどろおどろしい声が響く。

――お前たちの子供は、いずれ先祖新羅系天皇として、世に出る――


                  悪夢の連鎖


 白河清二郎は闇の中で父の声を聴く。

――悪夢か――清二郎は身震いする。冴子がしっかりと手を握る。 天皇家乗っ取り計画!

 この恐るべき計画は昭和の初期から始まっている。白河家とその一族は数百年かけて、着々と財を築き上げてきた。戦前、政治家、財閥、軍人などを財力で籠絡してきた。

 平安神宮は当初桓武天皇のみを主祭神としてきた。昭和15年、孝明天皇も祀るよう、圧力をかけたのは白河家だ。

 天皇家乗っ取り計画は終戦によって挫折する。というより一時延期のやむなきに至る。昭和30年頃から、綿密な計画が練られる。


 白河清二郎が聴いた計画は、まさに悪夢だった。皇太子が天皇になる。皇太子が生まれる。成人される。皇太子妃を白河家から迎い入れる。親王が生まれる。生まれたばかりの親王を密かに白河家の子供とすり替える。子供が成人する。皇太子妃を白河家から入れる。


 数年して白河清二郎の両親が死亡。清二郎は冴子と1つの事を誓い合う。子供を産まない・・・。この誓いは夫婦生活にも影響を与える。清二郎は白河家が秘匿する古代史に没頭する。彼はそれを書物として世に出そうとした。その意図に気付いた白河家の一族と関係者の妨害に会う。どの出版社も拒否する。彼は止む無く新人物往来社の歴史読本の読者のページに投稿する。城之内敏夫の眼に止まる。城之内は白河清二郎の古代史論に心酔する。交友が始まる。


 昭和天皇崩御、元号も平成に代わる。皇太子や秋篠宮に親王、内親王誕生。

白河清二郎に子供が生まれない。他の白河家の人々から、意図的な避妊と非難される。平成18年、猿沢池の白河家を通じて断固とした決意が申し渡される。

 白河清二郎、妻冴子は白河宗家を追放とする。”追放”とはこの世から消えてなくなる事だ。毒殺は新羅、百済の人々の常套手段なのだ。

 ただし・・・、脅迫じみた決意の後に出る言葉だ。自らこの家を出る(自殺する事)ならば、白河宗家の大黒柱として先祖の墓に葬る。

 申し渡されたからには否とは言えない。

白河清二郎の死後、冴子も後を追う。死に行く者の最後の望みが叶えられる。

――先祖祭を城之内敏夫に見せてやってほしい――

 ここには白河冴子の秘かな意図が隠されていた。夫白河清二郎の果たせなかった夢――大化改新の秘密を世に出す事で、白河家の悪夢の連鎖を断ち切る――

 この夢を城之内敏夫に託そうとしたのだ。冴子の意図は見抜かれていた。

 白河清二郎の無念、これが怨念となって白河宗家に憑りつく。このような例は歴史上数多く存在する。怨霊の魂鎮めは、憎い相手の前で無念の思いを告白させる事だ。


 ――私は弟や、お前たちが憎い――

 城之内敏夫の口から吐き出される激しい言葉。白河清二郎の声は徳子に罵言罵倒を浴びせる。徳子の顔が蒼白になる。彼女の眼からははらはらと涙がこぼれ落ちる。畳の上に身を伏す。嗚咽が漏れる。

 二階堂妙が城之内の手を握りしめる。

「あなた・・・」

「冴子か・・・」清二郎の声は悲しみに変わる。妙の両手を握りしめる。

「一緒にな・・・」後は言葉にならない。声が途絶える。城之内の身体から力が抜けていく。だらりと妙の手を放す。


 城之内は、ほうっと息をつく。ぼんやりした眼で白河徳子を見る。彼女は姿勢を正している。眼がうるんでいる。口元がほころび、表情が明るい。

「ご苦労様でした」徳子は深々と頭を下げる。

 電燈が点灯される。ローソクの灯が消される。時計を見る。午後4時。白河邸の和室は奥が深い。昼でも光が入ってこない。

 城之内は虚脱状態にあった。魂が抜けた感じだ。妙に促されて席を立つ。応接室に入る。白河徳子がお茶を持って入ってくる。厳しい表情はない。

「お願いがあります」無駄口はきかない性格なのか、徳子は柔和な表情で言う。

「妙さんをあなたのお嫁さんにしてやってください」

 驚いたのは城之内だ。藪から棒だ。妙を見る。彼女は相槌を打っている。

「妙さんの気持ちを確かめないと・・・、それに、私、もう歳ですが・・・」

「妙さんがお嫌い?」

 言われて、城之内は好きですと答える。妙は破顔する。

 白河徳子は妙との結婚に条件を付ける。毎年白川家の先祖祭と墓参りには必ず出席する事。

それから――厳しい顔になる。古代史の研究は認める。財政的援助も惜しまない。しかし、古代史の研究成果を世に出してはならない。

「妙さんは、あなたのお目付け役です」

「私、城之内さんが好きだから、申し出を受けたのよ」妙の眼は秋波を送る。

 城之内は頷く。大化改新の秘密を世に問うたところで、誰にも相手にされないだろう。白河家から財政的援助を受ける。妙との生活に浸る。好きな古代史に没頭する。その成果を白河清二郎の霊前に捧げる。

――清二郎さん、それでいいですね――城之内は胸の内で呟く。


                    蘇我と物部


 白河徳子は満足そうに2人を観ている。

・・・不思議な女だ・・・まだ20歳そこそこの年齢だ。それなのに白河宗家としての貫録を身に着けている。

 来年、彼女は婿養子を迎えるという。

「結婚式には来て下さいね」徳子は楽しそうに笑う。

「ところでね・・・」白河徳子は真顔になる。

「新羅とはシラ、シンラ、シルラと呼びますね」

 何を言いたいのかと城之内は徳子の清楚な顔を見つめる。

 新羅本紀、670年12月の条――倭国が国号を日本と改めた。自ら言ううには、日の出る所に近いから、これを以って名とした――とある。

 日本の国号はもともと金官加羅を日本府と言った事に始まる。これは新羅側の要求によっている。

新羅しんらの国名はフィリピン語で日の出を意味する、”シラヒス”に由来している。東大寺文書のアイヌ三族のなかに、”日のもと”と名乗る。民族があったととある。これは半島の荒吐族即ち新羅の朴姓なのだ。

 670年、倭国が日本と改めた時、新羅(天の王朝)の天武の即位が定まった。

「新羅とは即、日本と言う事なの」

 城之内は背筋の寒くなるのを感じる。新羅系天皇の復活を諦めていないのだ。妙ははしゃいでいる。城之内と結婚する。二階堂家は財政的に保障される。白河徳子様様だ。

 城之内は複雑な気持ちで2人を見守る。


 城之内と妙は白河家で一泊する。

 翌朝九時に白河家を出る。妙の家に行く前に、大神神社に立ち寄る。ここは現在三輪明神と言われている。三輪山をご神体としている。摂社、末社三九社を数える。日本一の超大型神社だ。主祭神は大物主奇甕玉饒速日尊。一般にニギハヤヒ尊という。スサノオの子供で、古代、初めて日本を統一した人物だ。物部氏の祖という。大神神社の真北に石上神宮がある。一名布留社という。彼が日本に来た時の本名ともいわれている。

 JR桜井線三輪駅の北東に1の鳥居がある。西に向かって参道がある。2百メートルも歩くと2の鳥居に到着。その奥に拝殿がある。拝殿の奥に3ツ鳥居がある。三輪山を拝む形となる。拝殿を中心にして、数多くの摂社、末社が建ち並んでいる。

 城之内は紺の背広を着ている。白のワイシャツにネクタイ姿だ。妙はシルクのジャケットを着ている。髪が短い。城之内の腕をとって歩いている。夫婦気取りだ。

「私、二階堂の家の為ばかりじゃないのよ」

 参道を歩く。朝の空はヒンヤリとして気持ちが良い。今日の妙はよく喋る。城之内が優しいから、自分から白河徳子に願ったのだという。城之内は妙の肩を抱きしめる。拝殿で二拍二拝する。2人が末永く幸せになれる様にとの願いを込める。

 大神神社を後にする。桜井市内の喫茶店に入る。妙との今後の事を打ち合わせるためだ。いったんは二人は別れる。二階堂家にとって妙は一人娘だ。城之内も1人暮らし。妙が城之内家に嫁入りするか、城之内が二階堂家に養子にはいるかを決める。

 城之内は自分はどちらでも良いと答える。妙は大きな眼で城之内を観ている。

「その事は私に任せてくれる?」

城之内は大きく頷く。

「1つ、聞いてももいい?」妙の眼がキラリト光る。

 大化改新が新羅の毗曇の乱として、蘇我氏と物部氏は結局どうなったのか、というものだ。城之内は白河清二郎の説だよと断る。

 ニギハヤヒの姓フルは沸流名と言われている。物部氏は古くはインド、コーサラ国の釈迦族の出だった。中国、朝鮮半島に移動する。沸流百済系の昔氏である。昔氏は日本に渡来して、関、瀬木などの幾多の変名となっていく。

 物部氏は本来は崇仏派だったのだ。その理由は藤原氏が華厳教を国家仏教化する。そのシンボルとして聖徳太子(蘇我馬子、入鹿合作人間)を造り上げた。結果として、新興勢力の蘇我氏を崇仏派とした。物部氏を排仏派に仕立てた。

 大化改新は架空の話なので、大臣としての蘇我(菅=金)氏の宗本家を消すことになる。その前に仏教論争という架空の話を造り上げる。大連のボスの物部氏を消す。

 平安朝日本書紀の改竄で、百済系の物部氏を善、新羅系の蘇我氏を悪とする。

 次に蘇我氏。

蘇我馬子、入鹿、蝦夷――と蘇我氏3代に付けられた名前は異常だ。当然本名ではない。平安朝(百済系天皇家)によって改名させられたのだ。

 厩戸皇子(聖徳太子)=蘇我馬子と同一人物を暗示している。後に聖徳太子は蘇我入鹿を含めた合成人間となる。

 古い史書に蘇我馬子は有明子と言われていた。

蘇我氏(金官王、倭王、蘇=ソ=金、鉄、金比)は海峡国家連合の王だった。古くは対馬海峡の両側の支配者だった。当然九州も支配下の拠点の1つである。

 有明海に倭の大王として、蘇我有明子の名前が付けられていた。

――有明子=アリアケ――は倭国の表玄関の名となった。

 有明子=ウ、メイ、シ(コ)から馬=ウマ=ウメイ=有明――馬子と表記された。蘇我馬子は天(アメ=ウ、メイ)王朝の直系の子孫だった。蘇我氏は悪人ではない。倭国の偉大な王として慕われていたのだ。

 聖徳太子が蘇我馬子と入鹿をモデルとした架空の人物とすると、推古天皇は男王で倭王の大伴望多となる。

――隋書によると、倭国には近くに阿蘇山がある。大王の名を、阿毎あめ多利思比狐たりしひことしている。――ひこは男に付ける名、当然男王だった。


 ――歴史は作られるもの――

これは日本だけの事ではない。朝鮮半島、中国、ヨーロッパ、世界各地に同じような現象が生じている。

 民族の興亡には戦争がつきものだ。戦争に勝った側は、負けた側の歴史的事実を抹殺する。勝者の歴史を造り上げていく。


 二階堂妙は神妙な顔つきで聴いている。コーヒーも冷めている。

城之内は妙の顔を見る。

「妙さん・・・」

 2人で幸福な家庭を築こう。城之内と妙だけの歴史を作り上げていこう。

 城之内は妙の手を握る。

「私・・・」妙は呟く。

 今日、一緒に城之内と常滑に行く。

「さあ、出かけましょう」妙の眼は生き生きとしている。

城之内敏夫は引きずられるようにして、喫茶店を出る。


                           ――完――



 参考資料

 天皇系図の分析について、 藤井輝久  今日の話題社

 古代日本正史  原田常治  同志社

 歴史  鹿島昇  新国民社

 裏切られた3人の天皇  鹿島昇  新国民社

 日本列島史抹殺の謎  佐治芳彦、吾郷清彦、鹿島昇  新国民社

 異形の天皇家、南朝秘史  歴史読本  新人物往来社

 倭王たちの7世紀  小林恵子  現在思潮社

 白虎と青龍  小林恵子  文芸春秋

 白村江の戦いと壬申の乱  小林恵子  現在思潮社

 伽耶を知れば日本の古代史がわかる  高濬煥  双葉社

 失われた日本  古田武彦  原書房

 天武と持統  李寧煕  文芸春秋

 すり替えられた天皇  小林恵子  文芸春秋

 抹殺された古代日本史の謎  関裕二  日本文芸社

 倭と王朝  鹿島昇  新国民社

 倭人大航海の謎  佐治芳彦、吾郷清彦、鹿島昇  新国民社

 逆説の日本史  古代黎明編 井沢元彦  小学館文庫

 陰謀大化改新  小林恵子  文芸春秋

 天武天皇隠された正体  関裕二  KKベストセラーズ

 古代史謎解き紀行  ヤマト編  関裕二  ポプラ社

 ヤマト国家成立の秘密  沢田洋太郎  新泉社

 古事記と天武天皇の謎  大岩岩男  六興出版

 聖徳太子の正体  小林恵子  文芸春秋

 ――その他参考資料に載せない資料があります――


 お願い――この小説はフィクションです。ここに登場する個人、団体、組織等は現実の個人、団体、組織と     は一切関係ありません。

     なお、ここに登場する地名は現実の地名ですが、その情景は作者の創作であり、現実の地名の情     景ではありません。


 





















































評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ