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作家弟子シリーズ  作者: 古緑空白
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002 スィーツ

千野重興ちのしげおき

永居久子ながいひさこ

高野孝作たかのこうさく

安芸野涼美あきのすずみ

竹井たけい

 永居久子は体重計の前に立っている。

 ある人はいう、体重よりも見た目である、と。

 でも、またある人はいう、体重は嘘をつかない、と。

 どちらも大切である、と久子は判断する。

 けれども人の性で、安易な結果にしがみつくのを誰が笑えよう、と納得させる。

 ゴクリと、唾を飲む。その音さえ頭蓋に響いた気がして、足を体重計に乗せる。

「ほ、ほぅら軽い軽い!」

「片足だけ乗せてれば、そら軽いだろう弟子」

 ひゃん、と犬のように驚いて久子は背後からかけられた声の主をみる。

 背は久子の方が大きい。そのことがほんの少し不満であったり恥ずかしかったりするのだけれども、彼氏に告げたことはない。胸より下の顔を見る。度数の強い眼鏡をかけ、その奥に座す双眸は大きくはないが、意思がはっきりしている。久子はそんなところも好きだったりする。

「し、重やん女の子の部屋にいきなり入るのどうかとおもぅ!」

「ほぉ、弟子、いきなりと申すか。チャイムを十四回押して、恋人の部屋に入るのにちょうどいい数ほどノックをした僕に、そう申すか?」

 うぅ、と久子はうなる。彼氏のいっていることは正論だ。聞こえつつ無視した罪悪感から言葉をなくし、これから行くところを考え戦場にゲームを持って行くような場違い見当違いから恥を覚える。

「安芸野編集から『どうせだったら若い子といってけぇ』ということだったから弟子、トワコを誘ったんだがイヤだったらいいんだぞ? 体重計乗るくらい、その、なんだ、いいプロポーションを維持できない、と思っているんだったらゆかりかそーめん誘う、ぐぁら」

 口をふさぐのに唇を道具に選んだのは、彼氏の口からほかの女のことを話されたからだろう、と久子は思う。奥手な恋人に優しくリードしてあげるのも大人の勤めである、と前歯と前歯がぶつかった痛みをこらえながら久子は恋人の、重興の手を引く。

「わ、私は大丈夫だからぁ、い、いこう、これよりは修羅に入る!」

「花慶か? そんな気張って太ること考えんでもいいだろう」


 久子はダイエットをしていた。

 とはいっても食事制限ではなく、運動量を多くするものだ。

 凝り性で、家庭教師のバイトの帰りにジム通いをするほどになった。

 凝り性がかえって久子の首を絞めた。

 脂肪が筋肉に変わっていい感じに増量し、語弊があるが太ったのだ。

 これから筋肉を落とす、というのは容易ではない。手段的なものでは徐々に運動量を減らし時間をかけて筋肉を落としていかなければならない。

 だから、食べる量を増やす、というのは悪手だ。久子はそれをやっている。

 ジム通いのせいで重興と一緒にいる時間も最近はとれないでいた。

 さらに重興が持ち込んできた取材が久子の興趣を誘った。

「万勝寺センセー(重やんの筆名)の書いた推理とお菓子のスィートな関係、結構評判よかったんで二作目もお願いしたいんで、お菓子描写の強化取材よろー」

 ようするに、デートにかこつけてお菓子も食べれる、というものだ。


 なのに、久子は重興とと手をつなぎながら見るからに肩を落としていた。

「いいじゃねぇか、体重の一キロや二キロ」

「五キロ太ったんだょぉー」

「み、見えねぇけどなぁ」

「重やん鈍感だから……」

「じゃあいいじゃねぇか、勘の悪い男をだます大人な女、ってことで」

 物は言い様、だと久子は思ったが悪くない響きだ、と下がった肩が少しあがる。

「でも、安芸野さんょっく知ってたね、東京が本社でしょ?」

 安芸野涼美という重興の担当編集は敏腕という言葉がよく似合うやり手だ。あまり回数はないが久子も重興の部屋に来る彼女のことを知っている。というよりも少し話したこともあるのだ。

 釘を差されたんだよね、あれ、と思い返して、少し恥ずかしくなる。

「あぁ、その手のサイトで調べたんだと、通販もやっているところらしくて取り寄せて食べてみたらうまかったらしい」

 へぇ、と想像して唾液が生産される。

「最近その手のお話増えたよねぇ、料理プラスアルファの話」

「そんなことないぞ、昔からこの手のジャンルは一定の需要がある。飯を題材にした話はいっぱいあるし、エッセイというのも人気のあるジャンルだ。食という普遍的な価値観が多様化したことによって増えたように見えるだけだ」

 そうだな、と重興は久子に水を向ける。

「トワコも書いてみるか、せっかくだし、飯プラスアルファの話」

「ぇえ!」

「イヤ、そんなでかい声出さんでも。たまに師匠らしく課題出してやらねぇと威厳がでねぇだろ?」

「うぅ、けっこー難しそうなんですけどぉ」

「練習だよ練習。しかも需要のある練習だ」

「ぅふぇ? 面白いこというねぇ」

「求められているうちは華って事だ」


 X県は地方のへんぴな場所である。県庁所在地に着てようやく文化圏であることを思い出させるようなところだ。

 人が出歩いているのも珍しくない駅前にしては、思ったよりも混んでいない、というのが久子の感想だった。『みぃ子のおやつ』と言う看板をぶら下げた店の内装は小さく、十種類ほどのスィーツを並べたショーウィンドゥがあり、試食していくテーブルと椅子の足が三十に満たないほどだった。

「ふわぁ」

 柚子を使ったレアチーズプリンが久子の目をとらえた。透明なプラスチックの容器に入ったプリンは上部に柚子で作ったソースが黄色く、透明感を感じさせていた。

「ここらじゃ柚子は寒くて作れないからなぁ」

 久子の視線に重興は気づいたようだ、と久子は観察する。ポイントをあげよう、と思った。

「漬け物にも柚子を入れると風味がでてうまいんだけどスーパーじゃ売ってないから通販にならざるを得ないんだよなぁ」

「それだったら、スーパーで柚子入りのお漬け物買ったほぅがぃいよねー」

 ポイントは二点あげる、と内心呟く。柚子も漬け物も好きだったからだ。

 結局、レアチーズプリンを、重興はリンゴのタルトを頼んだ。

「あれ? 久子ちゃん?」

 声をかけられ久子は振り向く。

「ぁ、先輩、どもっす」

 会釈して久子は先輩の姿を認める。

 文芸部の一年上の先輩だ、名前は高野孝作。

 部内では書く話の内容も人柄も評判のいい人物だ、と久子は記憶している。容貌も野暮ったい男子の多い中で程良く身綺麗な整ったファッションである。今も緑を基調とした落ち着いた服をまといさわやかに笑顔を浮かべている。

「重やんこちらはーー」

「ーー悪い久子さん、ちょっと表で待ってる」

 孝作を紹介するのを遮って重興はみぃ子のおやつから立ち去った。

 ぽつんと、二人きりにさせられて久子は気まずくなって慌てふためいてしまう。その様子に気分を害したというより困った様子になった孝作は問いを投げる。

「弟さん?」

「ぃ、ぃぇ、こっ、恋人、です、ハィ」

 ずいぶん若いね、と驚いているのか社交辞令なのかわからない声で先輩は感想を口にする。

「何か、気を悪くさせちゃったかな?」

「たぶん、重やん照れてるんだと思います」

 恋人は人見知りをする、出会った頃が懐かしいように浮かぶ。

 重興は待っている、といった。待たせているという関係を思い出して久子はプリンを持って立ち上がる。

「じゃ、じゃあ、私はこれでーー」

「君の恋人」

 先輩がいう。


「お待たせ」

「ーー悪い」

「謝ることないよ」

「久子さん、あの先輩に平手かましてたけど、何で?」

「ーー失礼だったから」

「そぉ」


「ーー醜いね」

 言葉がリフレインして感情が怒りを伴った敵意に凝固していくのを久子は感じた。

 感じたから、害意を放つ。

 食らってくれた、と久子は判断する。よけることも受けることもできたのに、と。

「気に障ったのなら、謝るよ? 久子さん」

 痛みを意に介した様子もなく、また困ったような顔をする。

「何で、いったんですか?」

「感想だよ」

 孝作は笑う。

「醜いという自覚をしている、醜いままでいることを自覚している、守ってくれる堅い鎧を手にしても、助けて助けてと泣き叫ぶ様はずいぶん不様で醜いーー」

 今度は受けた。

「さすがに僕よりも背が大きい君の平手を何度も食らうほど、被虐趣味はない」

「ーー何で、そんなこというんですか?」

「より高いところにいけるアヒルの子だからだよ、もったいない、と感じた」

 だから、孝作は呟く。

「君は君の恋人を助けられるがーー導いてあげなきゃダメだよ」

 そうしないと、孝作の言葉がどういう物なのか、久子にははかりかねた。

 ーーいずれくる終わりに悔いしか残せないから。


「イヤだっただろ?」

 恋人の投げた言葉に先ほどの暗示的な先輩の言葉が対比的だった。

「僕は逃げた」

 重興は両の手で頬をつねったりこねたりして顔をいじり回す。

「久子さんの先輩は悪くない、カッコいい人だと男の俺でも思う。だからよけいに僕はカッコ悪い僕が惨めになる」

 久子さんは綺麗だし可愛い、眼鏡の奥で重興が泣いているのを久子はみる。

「いっそ俺なんかすてーーひゃ?」

「ステータス、だねっ重やん!」

「ふぇ? ひぃ、ひしゃこしゃん?」

「重やんはレベルの割に基礎ステが低い感じだね!」

「ひゃ、ひゃのーー」

「私の恋人さんは、カッコ悪いし、人見知りだし、ご飯にうるさい、わぁ、ほんとにステが低ぃ」

「ふぃしゃこーーぷは、な、なんだよ久子!」

「でも、大事な恋人よ」

 だから、道具を使う。

 使った後瞳に写った重興は頬が暑そうだった。

「えへぇ、元気でたぁ?」

「う、ぅるさぃ」

「なんかー、私みたいな言葉遣いだょ?」

「黙れ、ボケ弟子。そうだな、今ここでそのプリン使って面白いこといえ」

「ぇえー、む、無茶ぶりだよ!」

「とにかくいってみろ!」

 うーん、久子は腕を組んで五分ほどして呟く。

「一字足りないゆずと私と重やんの関係とときます」

 その心は、と重興はいわなかった。久子は自分で恥ずかしがりながら言葉にしようとする。

「わかった、弟子。わかったからいうな、それこそーー」

 俺が譲れないものだ、と答えを奪った重興は久子に背を向ける。

 そして、ようやく二人は手をつないだ。


「ふん、仲直りしたか」

 みぃ子のおやつの窓側の席で高野孝作はチョコレートムースを食べながら顛末を見ていた。

「安芸野姐さんに連絡しなきゃなぁ、姐さんも過保護というか心配性というか」

 いいながら孝作は自分の言動を省みて恥ずかしい思いをしていた。

「中二病だなぁ、俺。久子さんも乗ってくれて助かった」

「悔いしか残せないから」

 うわ、と孝作は店員の言葉に驚く。

「た、竹井。お前ここでバイトしてたのか?」

「醜いことを自覚している、醜いままでむごーー」

「わ、わかったよ、わかったから黙って俺お客さんだよ!」

「あれが万勝寺宗重ばんしょうじむねしげ先生ねぇ、サイン書いて貰えばよかった」

「人見知り激しいらしいからね、いやがるかも」

「いずれくる終わりに、ね。どうして中二系男子って終焉だの幕引きだの終わりが好きなの?」

「あわわ、わかったから、で、マジレスするとかっこいいのとーーぜったいに必要なものだから」

 私たちの関係にも、浮かべた疑問に孝作は答える。

「そうだよ。ずっとは続かない、永遠なんて言葉は知らない、だからーー」

 俺たちは進むために終わらせなきゃならなかった、孝作は苦い思いで語る。

「でもこの話は彼らの物だ、俺らの物語の出る幕はない」

「それも中二?」

「さてね」

「久子ちゃんもずいぶん大変な思いをする羽目になるのね」

「でもだいぶ緩いよ、キスまでは認める、っていう姐さんの釘差しを物ともせずキスしてるからなぁ」

「中学生の恋愛レベルだけどね」

「じゃあ大学生の恋愛する?」

「私はもう社会人だ、学生」

「そうっすね、先輩」


 ーーんで、どうなったか、というと。

「は、八キロ」

「ぁ、すまない、そういえばちょっとしたいたずらで体重計ずらしてたんだはぁ」

「さ、最低ぃい!」

 ダイエットは終えました、とさ。

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