再び相見えんときも、あなたの傍に
合戦場に鬼神が舞い降りた。
群雄割拠せし戦国時代、数あまたある田舎の小国どうしの合戦に、一人の勇猛なる若武者の姿があった。
去勢をせぬままの気性の荒い雄馬「風起」を見事な手綱さばきで乗りこなし、戦場を縦横無尽に駆け回る。
彼が馬上でひとたび槍を振るえば敵の首が飛び、彼が鬨の声をあげれば味方はどんな戦況にあっても奮い立った。
彼の家はもともと身分の低い家であったが、此度の戦の働きにより殿の覚えもめでたく、隣国との戦に勝利すれば家臣団に引き立てられることはほぼ間違いないと噂されていた。
しかし、そんな彼に悲劇が訪れた。
勝利を目前にした幾度目かの合戦であった。
敵軍に撤退ののろしが上がり、勢いにのって追軍をしていたときである。
一瞬の油断であった。
弓矢の大群が横手から追軍部隊に襲い掛かったのである。
見れば敵の援軍が高台より、追ってきた若武者たちの一群を狙っていた。
不意をつかれた騎兵、歩兵ともに多くのものが弓矢に倒れた。
追軍は総倒れとなった。
若武者も槍にて襲い掛かる弓矢を払い落としたが、落とし損ねた何本かが腕に、そして愛馬「風起」の前足を貫いた。
馬は痛みに耐えかねて棹立ちになり、そして地響きを立てて若武者ごと地に倒れた。
幸いなことに敵軍は、殿の撤退が終わると同時に援軍も引き払ったため、若武者が大地に投げ出されたときには弓矢の攻撃もやんでいた。
若武者はうめきながら立ち上がり、そして叩きつけられた痛みに身体を引きずりながら愛馬の元へと歩み寄る。
愛馬は立ちあがろうともがいていた。
しかし弓矢の刺さった脚が体重に耐えかね、再び地に倒れてしまう。
「もう良い、もう良いのだ…」
若武者は思わず声をかけ、そして腰の刀を抜いた。
脚に怪我を負った馬の末路は、名馬であろうと駄馬であろうと同じである。
ならば、早く楽にしてやるべきだ。
馬はつと若武者へ首をめぐらせた。
そして刀をかざした姿を眺め、悟ったように座り込み大人しくなった。
そんな愛馬の姿に、若武者の胸は熱くなった。
元服を済ませたばかりのときに殿よりいただいたこの馬。
気性も荒く、なかなか乗りこなすのに苦労をした。
しかし若武者をいったん主と認めてからは、一心同体となり戦場を駆け回った。
若武者は震える手を伸ばし、最後のときを待つ愛馬の鼻面をそっと撫でた。
そして語りかける。
「そなたは我の半身であった。今こそ今生の別れである。来世でもそなたとめぐり合わんことを!」
馬は返事をするようにひとつ顔を震わせると、頭を垂れて瞳を閉じ、首を差し出した。
「去らばである!」
若武者は刀を振り下ろし、愛馬に引導を渡した。
戦場に、愛馬の首をかき抱いた若武者の慟哭がむなしく響いた。
それから数日後、隣国より降伏の知らせが届いた。
悲しき勝利であった。
十数年の時が経ち、世は徳川の下に天下統一された。
そんな中、訪れる人も居ない寂れた廃寺に、一見浮浪者のようなみすぼらしい姿をしつつもどことなく気品のある男がいた。
かつての若武者はあの合戦後、暇を願い出て世捨て人となっていた。
その姿にかつての鬼神のような猛々しさはなく、いまだ歳は三十路ごろであったが頬はこけ、燃え盛る炎のようであった若者は、今では静かな森のような青年となっていた。
毎日写経を行うことで己の手で屠った馬を弔い、戦のない世に思いを馳せていた。
そんなある日のことであった。
「やっとお会いできました!!」
一人の幼い少女が廃寺へと、いや正確には世捨て人となった男のもとを訪ねてきた。
庭に散らばる落ち葉を掃いていた男に、少女はあどけない笑顔のままいきなり抱きついてきた。
食事も極最低限しかとらず、毎日を写経のみで過ごし体力の落ちていた彼は少女の勢いに負けてそのまま押し倒された。
「い、いきなり何を…」
自分にのしかかりながらも更に抱きついてくる少女に、久しぶりに感じた人肌のぬくもりに鼓動が早くなるのをごまかしながら彼は上ずった声で問いかけた。
そんな彼に、少女は夢を見るような声で叫び返した。
「あぁ、私は覚えておりますとも! かつてあなた様は戦場にて私にまたがり、鬼神もかくやという動きで(敵を)蹂躙しておられました! 私はあなた様をこの身に乗せることを至上の喜びとし、あなた様の手綱捌きにて嫌がるこの身を無理やり支配されることに快楽すらも覚えていました!!」
「ちょっと待ってくれぇえええええ!!」
彼はこんないたいけな少女にそんな無体なことをした覚えは全くない。
というか、自分にそんな趣味はない。
必死に否定する彼の顔に、少女は落胆することなく笑顔で頬ずりした。
「覚えておられないのも無理はございません。わたくしはかつてあなた様の馬でございました!」
「…は?」
彼は間の抜けた顔で、己の無精ひげだらけの顔に頬を擦り付け続ける少女を見た。
「私は戦場にて命を落としました、『風起』にございます!」
「はぁっ?」
「あなた様の刃にかかる瞬間、次に生まれるときは人の女子となってあなた様の側に寄り添いたいと思いました。その願いが叶ったのでございます!!」
彼は呆然と少女の語るのを聞いていた。
そして無意識に手を伸ばし、少女の頭を撫でた。
少女の髪は愛馬「風起」のタテガミの固い感触とは全く似ても似つかない、サラサラとして絹のような手触りであった。
だが、撫でられるたびに気持ちよさそうに眼を細める仕草は、確かに言われてみればかつての愛馬に仕草が似ているかもしれない、と思った。
考え込むうちに撫でていた手が止まっていたようだ。
少女が物足りない表情で彼の顔をのぞきこんでいた。
「信じていただけませんか?」
そのつぶらな瞳に、風起の瞳が重なった。
「いや…」
彼はゆっくりと少女を抱きしめ返した。
そしてゆっくりと息を吸いこむ。
かつて草原のような匂いであった愛馬は、今は花畑のような匂いのする少女になっていた。
「…私を探していたのか」
「はい!」
「そなたの父母は?」
「子供が多かったので捨てられました!」
「…捨て! …そうか……」
固く抱きついていた少女は男から少しだけ身体を離すと、男の顔を上目遣いでのぞきこんだ。
「…奥方を娶られていないとお聞きしました。…私はすべてを捨ててまいりました。どうか、わたくしを側においてくださいませ!!」
少女の必死な様子に、男はふっと笑った。
それは愛馬を戦場で失ってから、久しく忘れてしまっていた笑顔であった。
「ふふっ、来世でめぐり合わんと思うておったが、まさか今生にて叶おうとは…」
「我が主さまぁ!!」
そして二人は固く抱き合った。
二度と、もう二度と離れることのないように。
徳川の世になって数年後、田舎の村に見たことのない年の離れた夫婦が住むようになった。
男は礼儀正しく、妻は馬車馬のようによく働いた。
二人は仲睦まじく、戦のない平和な世で末永く幸せに暮らしたという。
「うふふ、旦那様は馬並みに凄うございました…」
「お前、それが言いたかっただけだろおおおおお!!」
―― 完 ――




