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狂った最適解

男はレシピを見て確信した。

美食家たちの凝り固まった舌をひっくり返し、あの「空詠みの絹糸」を奪い取るための正解を。


それは、希少な龍の火炎で焼いた肉でも、伝説の聖獣の丸焼きでもない。

男の能力と物理法則が織りなす、不可逆的な味の暴力だ。


極限まで「圧縮した食材」を「深海の高気圧」に晒し、構造を崩壊させて旨味を融合させる。

味わう側の味覚を蹂躙する「超高圧煮込みスープ」。

そして、隠し味に少女の「無垢な呪い」。


それが、男が世界へ叩きつける回答だった。


回収口のずた袋を、冷ややかな視線で見下ろした。

他人の手垢と欲望にまみれたこの硬貨が、今こそ「世界の破片」へと姿を変える時だ。


「……この稼ぎを全て、投入する」


いま、揃えなくてはいけない、物は三つ。

耐水性の触媒、食材、深海1,000メートルに耐える魔導装甲。


男は着替えを始めた。

外出用の服は、クローゼットの奥に一着しかない。

仕立ての良い、それでいて存在感を消すための濃紺のフォーマルウェア。


それは男にとって、ファッションなどという浮ついたものではない。

騒々しい他者の群れに紛れ込むための「外出許可証」に過ぎない。


ついに、ワンルームの扉を開いた。


首都の城下町は、吐き気がするほど賑やかだ。

男は顔を伏せ、早足で目的の素材屋へと向かった。


店内に足を踏み入れると、そこには法外な価格だが、世界中からかき集められた素材が整然と並んでいた。

男は迷いなく、水属性の棚に向かう。


品揃えは完璧だ。

特等席、魔法硝子のケースに収められた「人魚の心臓」であれば、深海の高水圧に耐えるには十分だ。

だが、男はその法外な値札を一瞥し、一秒の迷いもなく視線で切り捨てた。


「……飾り物だ」


男が向かったのは、華やかなショーケースではない。

店舗の奥、湿ったカビの臭いが漂う棚。

そこには、水性の魔物から剥ぎ取られた端材や、海から産出された質の悪い魔石が雑然と転がっている。


だが、男の足はそこでも止まらない。

最後に行き着いたのは、いくつもの木樽に押し込められた、用途不明の「ジャンク素材」の山だった。


ここが、彼の戦場だ。


中身はゴミばかりだ。

駆け出しの冒険者が、見栄えを良くするために剣の柄に埋め込む程度の、微かな魔力を残しただけの残骸。

一撃を振るえば大海原の波が呼応したような錯覚を見せるが、二撃目にはただのクズに戻る。

そんな詐欺まがいのガラクタたち。


男は、まるで沈没船の底から遺品を掬い上げるように、ガラガラと樽の中をかき回した。

モノクル越しに、ゴミの中に埋もれた「深海の残酷な記憶」を選別していく。


そうすると、出てくるのだ。

船を深海に引き摺り込む腕から欠け落ちた「爪の欠片」。

大海を数千年にわたって支配し続けた深海の暴君の「風化した鱗片」。

男は丁寧に、それらだけを回収し、カゴに乗せていく。


全ての樽が終わりカウンターに向かうと、いつもの意地悪そうな親父が、こちらを値踏みするように見ていた。


「また樽のジャンクですか。……お伝えしている通り、そこの目利き料は倍額頂きますが。……よろしいですね?」


店主は、この奇人への辟易とした表情を隠そうともしない。

男は一言も発さず、無表情のまま頷いてカゴを置いた。


この男が価値ある物だけを正確に拾い上げていることに、店主も薄々気づいている。

男は黙って倍額を支払った。


たった倍額という端金で、この街の無能な鑑定士を黙らせた。

交渉などという、言葉による時間の浪費は必要ない。


「……触媒は揃った」


次に向かったのは、活気に溢れすぎて耳が痛いマルシェだった。

ここからは、時間との勝負だ。


男は次々と野菜店を回り、特売品の根菜、ハーブ、そして猪肉を、店ごと買い占める勢いで搔き集めていく。


「天幕ごと全部だ。十分後に回収する」


驚く商人たちを金貨を叩きつけて黙らせると、男は人混みに紛れた。


十分後、その区画は物理的に「消失」していた。

並んでいた樽も、天幕も、石畳の上に残ったわずかな埃も。

すべてが空間ごと四角く切り取られたような、不自然な更地がそこにあった。


買い出しの終点、マルシェの出口には、怪しい露天商たちが店を構えている。

ボロ布を被った店主が、不気味な笑みを浮かべながら、用途不明の「呪物」や「毒物」を並べている。

男は、その棚の隅に置かれた、あるものに目を止めた。

それは、美食家たちが決して口にしない、しかし男のスープを完成させるために不可欠な、ある「不純物」だった。


「……毒が必要だ」

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