目標定義
銀露草の香りに満たされた一週間。
毎日、夕焼けと共に採取した草を寸胴にかけ、魔力の脈動を指先で感じながら「銀の滴」を抽出する。
煮沸の音さえも男に管理されたその空間では、一秒一秒が「完成」へと向かう確かな歩みだった。
一滴、また一滴と、青白い月光が瓶の中に蓄積されていくたびに、男の心は静かに凪いでいった。
七日目の朝、湿地を埋め尽くしていた銀の光は消えていた。
今年分の銀露草は、すべて男の瓶へと収まった。
自然が与えてくれる一時の慈悲は、これで終わりだ。
男は未練を断ち切るように、部屋に戻ると、拠点のワンルームを浮遊させた。
モニターの外には深い森と、そこを跋扈する魔物たちの影が見える。
このワンルームを降りれば、そこは弱肉強食の地獄だ。
人間を捕食するために進化した牙、理性を欠いた咆哮、執拗な殺意。
男はそれらを、水槽の中の魚でも眺めるような冷ややかな目で見下ろした。
寄り道をする理由は、どこにもない。
この「聖域」の外側に、男が求める安らぎなど存在しないからだ。
首都へ向かう数日間の空路。
それは男にとって、蓄積した「過去」を「資産」へと作り替えるための、極上の工期でもあった。
男はクローゼットから、かつての戦場や遺跡で拾い集めた「ガラクタ」をすべて引きずり出した。
圧し折れた魔術師の杖、蛮族の束ねた異形の偶像、焼け落ちた篭手。
それらを「共食い整備」という名の外科手術によって、次々と新品を凌駕する一級品のジャンクへと再構成していく。
クローゼットのスペースが一つ、また一つと解放され、代わりに洗練された商品が棚を埋めていく。
その規則正しい充足感に、男は珍しく、数十年ものの高級な赤ワインの瓶を開けていた。
やがて、ワンルームは首都の端にある「自身の借地」へと音もなく着地した。
周囲を高い塀と魔法的な迷彩で覆った、地図に載らない空白地帯。そこが、男が下界に唯一許した足場だった。
着陸の衝撃と同時に、外界の重苦しい空気が防護壁を叩く。
排気ガスの臭い、他人の欲望が発酵したような都市特有の不協和音。
男は吐き気を堪えるように奥歯を噛んだ。
男はすぐに「鉄の箱」の補充口を開いた。
男は「共食い整備」で組み上げた一級品のジャンク武器たちを、次々と投入口へと流し込んでいく。
――ガタンッ。
――ガタンッ。
商品を飲み込むたびに響く硬質な音が、男に「仕事」の再開を告げていた。
外側では、既に列を成していたであろう冒険者たちが、狂喜乱舞して商品を奪い合っているはずだ。
男はモニターに映る、補充の瞬間に群がる影たちの様子を、ゴミ捨て場の光景を見るかのように一瞥して無視した。
補充口の横から吐き出されたのは、回収されたばかりの、硬貨が詰まった重いずた袋だ。
一ヶ月分の「孤独の対価」。
男は作業台にその金属片をぶちまけ、一枚ずつ丁寧に、指先の感覚でその真贋と価値を確かめていく。
他人の欲望が手垢となって染み付いた金属片。
脂ぎった指や、戦士の血が染み込んだその硬質な冷たさ。
それらを数える作業だけが、男が社会と繋がっている唯一の妥協点だった。
当たりだった、結果は明白だ。
この街の不潔な市場で、無様に治療薬の品質やデザインを競い合うより、僻地で誰にも知られず究極の食料を流すほうが、遥かに合理的だ。
利益も大きい。
男の「正しさ」が、金貨の音によって証明されていた。
だが、男が忌み嫌うもう一つの指標、モニターの奥に溜まった、購入者の声。
それを見る気力は、今は残っていなかった。
翌日。
男は朝の日課を済ませ、山頂の純水で意識を清めると、ため息交じりにモニターに向かった。
「境界の板」を開いた瞬間、新着の通知は雪崩のように押し寄せる。
【 総合評価:☆3.6 】
☆5 ザック
「ポトフ! うま! 野菜たっぷりで脳がバグる、吐血! え? 2個目はまた並ぶのこれ?」
☆4 剣士リド
「数量限定、遠征先の変な箱で見つけた「特級ポーション」、ガチだった。見かけたら買ったほうがいい」
☆1 駆け出しの魔術師
「は??? 補充の瞬間に売り切れ!?!? ずっと待ってたのにふざけんな! 客を舐めてる。☆1にします」
☆1 腹ペコ戦士
「早く、スープ、くれよ……。ずっとアンタを探してるんだ、頼む、全部俺だけに売ってくれ」
男は端末を無造作にスワイプした。
男は不機嫌そうに立ち上がり、玄関へ向かった。
玄関の扉にある郵便受け。
慎重にモニターで外を確認する。
入り口の面する裏街道は、打って変わって誰も寄り付かない「死んだ通り」だ。
男は決心すると、素早く扉をあけ、郵便受けの紙をひったくると、部屋に戻った。
即座に二重ロックをかけ、空気を浄化する。
一枚ずつ、内容を確認してはゴミ箱に捨てる。
役所からの徴税通知、事務連絡。
最後に残ったのは、けばけばしい、しかし異様な魔力を放つチラシだ。
『食道楽の王、アルフォンス公爵主催:至高の食材・素材コンテスト』
男はそれを、即座にゴミ箱へ捨てようとした。
美食家の道楽など、この男の人生において最も縁遠い不純物だ。
だが、チラシの最下段、特別賞の副賞として記された名前に、男の指が凍りついた。
【空詠みの絹糸】
男のモノクルが、その文字を焼き付けるように停止した。
脳裏に浮かぶのは、作業台の上で眠っている、未完成の「十二柱」の円卓。
その【循環の三柱】の一つ。
淀んだ空気を許さず、風を無理やり走らせる「大気の息吹」を固定する、可能性。
かつて空を飛んでいたとされる古代龍の涙を、星の光で紡ぎ出したとされる伝説の素材。
男が数年かけて各地を飛び回り、それでも手がかりさえ掴めなかった「世界の破片」が、今、不潔なチラシの上で名前を晒している。
男は深々と溜息を吐いた。
それは、絶望に近い諦念だった。
自分が愛してやまない静寂と孤独を、一時的にでも、あの喧騒のど真ん中へ売り渡さなければならない。
その屈辱と、素材への抗いがたい渇望が、男の胸中で激しく火花を散らす。
男は再び、集計を終えたばかりの硬貨の山に目をやった。
旅費は、ある。
技術は、ある。
足りないのは、この快適な「引きこもり生活」を自ら壊す覚悟だけだ。
男は無表情のまま、しかし確かな意志を持って、作業台に座り込む。
究極のレシピ、その設計を始めた。
序章(第5話まで)にお付き合いいただき、ありがとうございます。
小さくても密度が高い、その不思議を楽しんで頂けたら幸いです。
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