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心裡留保  作者: 紀野光


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あの方は

 あの方は一度裏切ったこの私をお許しくださった。だから私はあの方のためにここを守り続ける。 

——軍元帥 (おり)忠成(ただなり)


ーーーーーーーーーー


 一年前


 早明浦(さめうら)源次郎(げんじろう)は瓦礫になってしまった街を見渡す。まるでなにもない。遮る建物を失った空は恐ろしさを感じるほど青く美しい。


 一昨日、巨大地震が都市を襲った。建物は崩れ、人々は押しつぶされ、社会は麻痺した。


 そして折忠成元帥の死亡が発表されて一夜が明けた。治安維持を確保することが最重要課題であると判断した、八つの家で構成されている上級貴族、通称八家(はっけ)は、軍第一師団団長である早明浦を兼任という形で元帥代理に任命した。


 そんな出世した早明浦を祝福するようなこの青空が綺麗で憎い。


 そしてもう一つ。街の中心に建つ天守閣。この世界で唯一、瓦一つ落ちることなく、石垣一つ崩れることなく、以前と変わらない姿で(そび)えている。


 あそこに御座す王はこの期に及んでもだんまりを決め込むらしい。 


 早明浦は指示を仰ぐ部下たちに的確に命令を下す。警察権も持ち合わせる軍のやるべきことは手広い。


 下級貴族出身であり、元帥「代理」からの指図をよく思わない輩もいるが早明浦は気にしない。


「事態を収拾しろ」


 それが事実上最上位に立つ八家からの注文。


 くだらない足の引っ張り合いに右往左往している場合ではない。異常事態は次から次へと起こっている。


 昨日、早明浦の師団に百年間所属していた若い見た目をした団員がたった一時間で年老いて死んでいった。老いる速さは()()()()()であるが、ここまで急速に老化が進行することは過去、記録でも今まで無かった。


 他にも転化体(てんかたい)が大量発生している。


 「転化体とは物体が異形へと変化したもの」、と定義づけられてはいるが、具体的な発生原因等々多くが未だ解明されていない。一般論では、山の中、森の深く、海の底、洞窟の奥で転化すると言われているが、今日未明、緊急避難所で避難民たちが一斉に転化したという報告が上がってきた。


 一度転化してしまえば最後。二度と元の姿には戻れない。


 理性を失い、異形の化け物になった避難民たちが新たな被害を出す前に、一刻も早く始末しなければならなかった。


「真面目にやっているのか」


 朝、早明浦を訪ねてきた女はそう尋ねてきた。声は荒げなかったが、その声色から随分とお怒りだということはわかった。


 女は八家のうちの一つ、阜井家。その当主の阜井(ふい)三千年(みちとし)


 一切素肌を見せないよう、通年和服の上に羽織を着用し、さらには頭巾をかぶっている。かろうじて露出している目は奇形で、瞬きの際には完全に目を閉じることができない。声も低いガラガラ声で聞き取りづらい。


 性格は非常に高慢で、八家当主の肩書が無ければ迫害されていたであろうこの長身の女は、先日亡くなった折前元帥が健在だったころから、個人的に軍に対して口を出してきていた。


 八家は王から直々に特権を与えられている。そして八家当主で合議体を成し、行政、立法、司法、軍事、経済等々、様々な分野で権力を独占している。


 これが、王が自ら政を行わない理由の一つである。


 だがあの女、阜井家は軍事についてはなんの権限も持っていない。軍事権は空辺(そらべ)家に授与されている。だがその空辺家も問題である。


 空辺家当主は折前元帥が頼れる人物だからという理由で責任を放棄し、遊びに出かけている。八家が定期的に行っている会議にも出席していない。


 稀にふらっと帰ってくるが、またすぐにいなくなってしまう。因みに今も行方はわからない。


 だから八家不可侵の暗黙の了解を破って、阜井が出しゃばってくる。


 亡き折前元帥は空辺家当主とは昔馴染みという理由から、八家の誰に対しても物怖じせずに対等にモノを言うことが出来たが、そのようなことは下級貴族出身で強力な後ろ盾が無い早明浦には到底許されない芸当だった。


「さっさと城下を片付けろ」


 だったら仕事に戻らせろなどとは口が裂けても言えない相手に辟易していたら、文句を聞き流すだけで午前中が終わってしまった。


 それでやっと解放されて、昼食もとらずに午後から再び、その八家から任せていただいた元帥代理の仕事を全うしていたところ、第一師団副団長の花貫(はなぬき)がやって来た。


「早明浦元帥代理、埼村(さきむら)フウリ様がお越しです」


「今度は埼村家か」


 またか…、とつい溜息を洩らし、額に手を当てる。


「お疲れですね」


 疲れもする。また八家の相手をしなければならないのかと。悪意を持って、故意に待たせてやろうかと思ってしまう。


「阜井家も埼村家も、そんなに軍事権が欲しいのか?」


 そうなると、下級貴族の早明浦を代理に起用したこともただの繰り上がりではなく、逆らえない傀儡を選んだという意図があるのではと考えざるを得ない。


「埼村様は空辺様のような寛容な方ではないので、あまりお待たせしてしまうと怒り心頭に発してしまいますよ」


 早明浦の不埒な考えを読んだのか花貫が急ぐようせっつく。


 空辺ミカ。遊んでないで帰ってきてくれないかと早明浦は思う。前回会ったときは少女の姿をしていた、形式上、軍事を掌握している女。


 早明浦は続きの仕事を花貫に任せて、仕方なく会議場に向かう。


 会議場といっても、ほぼ全てが瓦礫の下に埋まってしまったため、ありあわせのもので繕った申し訳程度の粗末なテーブルと椅子が置いてある場所だ。


 そのことに関しても阜井には文句を言われた。今度は一体どのような文句が待ち受けているのか。


 会議場に到着すると、午前中には無かった日よけの天幕が張られていた。その日陰には椅子に深々と腰を掛け、背もたれにどっしりと寄りかかっている白髪白髭の老人。お付きを一人、後ろに立たせている。


「お待たせして申し訳ありません」


 早明浦は思ってもいない謝罪の言葉を真顔で口にして、軽く礼をしてから対面の椅子に座る。


「……」


「ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか」


「……」


 この偏屈爺は高慢女とはまた別の方法で早明浦の貴重な時間を無駄にしようとする。しかし早明浦も下手に口を開くことが出来ず、ただただ時間が流れていく。


「……」


「……」


「早明浦よ」


 埼村がやっと話し出したのは十分後だった。


「今は、前代未聞の過渡期と言える」


「承知しております」


「乗り切れるかどうかは全て、我々にかかっている。…わかるか」


 早明浦は埼村の言いたいことはなにかを予想し、頭の中にいくつもの回答を用意する。


「折が死んだ」


「はい」


「軍設立以降、何千年と元帥の座に就いていたやつが、だ」


「はい」


「代理ではあるが、新しく元帥を任命した我々には責任がある」


 早明浦は簡単にご心配なく、お任せくださいと言わない。


「王は我々に期待しておられる」


 埼村は後ろに控えているお付きに目で指令を出す。


「失敗は許されないのだ」


 お付きがテーブルの上に一枚の紙を差し出す。


「署名をしろ」


 早明浦は手には取らず、文面を読む。ダラダラと長文で書かれているが言いたいことはただ一つ。


「軍は埼村家のもとに」。


(きた)


 ある学者曰く、「八家は爆薬庫そのもの。重要なのは「空辺家」ということ。政に積極的ではない空辺家が軍事権を持つことで、現在の勢力均衡を成している」。


 この説を考えると、軍事権の在処の変更は戦火の火蓋を切ることと同一である。


 早明浦は埼村を見据える。今は皺一つ、動きを見逃すわけにはいかない。


「他家が黙っておられないと思いますが」


 とりあえずの様子見として模範解答を口に出すが、


「そうか。お前は知らないのか」


 埼村が鼻で笑った。


「八家は実力主義であり、成果主義でもあるんだぞ」


 特権で守られているくせになにを言うのかと早明浦は思う。それに特権だけでは飽き足らず、己らを優遇する立法をし、公布をし、施行する。


 よくもまあ今まで政が荒れずに済んでいると、そこだけは感心する。


 他家を持ち出しても牽制にならないのならば他の手札を切る。


「埼村様は、王不存在説に立つおつもりですか」


 王不存在説とは一部でまことしやかに囁かれている噂である。


 「『王』とは、八家によってつくられた偶像であり、権力を牛耳るためのまやかしである」。


「その戯言か」


 埼村の目が一気に冷えた。


「軍事権の在り処は王がお決めになることです」


「勿論だ。わしは、全ての事柄は王のご意向に従う」


 ならばこの紙はなんだと言いたいところだが、矛盾を平然と言ってのけるのが、この爺の八家たる所以である。


 早明浦は心の中で天を仰ぎ、呆れる。これだから八家の相手は嫌なのだ。そうほとほと困っていると、


「なにをしている」


 天幕にガラガラ声が反響した。早明浦は顔を、埼村は視線だけを向ける。そこにはいつの間にかいた阜井が埼村を鬼の形相で睨んでいた。


「提案をしていただけだ」


 埼村が答える。


「これが提案だと?」


 阜井がテーブルに置かれたままの紙を手に取り、ビリビリに破いてそこらの地面に叩き捨てた。


「こんなもの、許されるわけがないだろう」


 阜井が埼村に詰め寄る。


「ほう。わしと同じようなことをしていた奴がなにをぬかしておる」


 反対に埼村は視線を戻して微動だにしない。


「私は折に言っていたのだ。軍事権を奪い取ろうなどという不埒な考えは無い」


「わしも早明浦に言っておるのだ。軍事権を奪い取ろうなどという不埒な考えは無い。お前となにが違う?」


 そのオウム返しに阜井が抜刀して埼村に切っ先を向ける。今にも首に突き刺さん勢いで。


 息が詰まるような鋭い殺気が天幕の中に駆け巡る。吹く風が三人の間を通り抜けた。風に吹かれて、刀を握る阜井の袖口から黒焦げたような手が見え隠れする。


「これは反逆だ」


「フッ」


 冷笑(せせらわら)う埼村は平然としている。同じく、お付きもただ見ているだけである。


 空気がビリつく。


「元帥代理!」


 叫び声だった。


 その空気を突き破った助けを求める声のほうを全員が見る。血塗れの第一師団団員が足を引きずりながらこちらに向かってきていた。


「どうした」


 早明浦は手前で力尽き(うずくま)った団員に駆け寄り、懐から水筒を取り出して飲ませた。ここは八家の当主様方がいる手前、形だけでも話し合いの場に割り込んできた部下を諫めなければならないが、私欲に塗れた連中の面子をたてるつもりはない。


「南方より転化体の大群です!」


 団員は息も絶え絶えの容態で報告するが、三人が三人とも動じなかった。


 埼村は奇術師のように袖から小刀を取り出し、それを使って阜井の刀の切っ先をどかしてから立ちあがった。


「それでは、仕事をしに行こうか」


「おい!話はまだ終わっていないぞ!」


 食って掛かる阜井に埼村は凍てつくような目で見返す。


「なんだ? お前が転化体の死体の処理をしてくれるのか?」


「キサマっ…」


 阜井は言い返せないながら怒りに体を震わせる。


「早明浦よ」


「はい」


「前回、運ばれてきた死体の中に生きていた個体があった。とどめはきちんと刺しておけ」


「申し訳ありません。以後、徹底させます」



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