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七 救いの手をさしのべて


「目標の子供を確保しました。現在位置にて待機、指示を待ちます」


「…………なんだったんだ……」


 烏の大群が飛び去り、女子高生が教団の指示を仰ぐと、スーツの男が放心したように呟いた。


「役立たず。大体、なんでお前みたいなやつが……っ」


「子供がいるんです……。この任務で成果を上げなきゃ、権限を剥奪されて……」


「うちはライフラインじゃない。家庭が大事ならさっさとやめろ」


 突き放すようなその言葉は、彼女と同じ年齢の娘をもつ男の心に突き刺さった。冷め冷めとした視線を自身の娘と重ね合わせてしまった男は、力なくその場に座り込み、すすり泣き始める。


「ちょっと……こんな目に合うなんて聞いてないわよ!! 治療費出るんでしょうね?!」


 そんな二人を他所に、中年の女が腕のひっかき傷を一つ掲げて女子高生に詰め寄った。女の甲高い喚き声に、深い溜息を吐く。




「見つけた……」


 それは空から降ってきた。先程までの烏とは違い、音もなく風をきって。


「がっ!!」


 空から降ってきた気配を見上げた途端、顔面に走る衝撃。理解する間もなく体が吹き飛び、アスファルトにぽたぽたと垂れる赤い染みが滲んでいく。鈍い痛みが沈み込む鼻を拭い、乱れた髪を払いのけた。


(なに、なにが起きた……)


 ころん、と軽い音を立てて目の前に降り立ったのは、見た目は同じくらいの歳のセーラー服を着た少女。しかし、身を低く屈め、左手で腰の刀を擡げる彼女のじりじりと肌を刺さすような威圧感を纏う眼差しから、嫌というほど伝わってくる実力差。全身に熱が上り、激しく鳴り響く鼓動に体が強張っていく。

 教団内で度々話題に上がる人物像が脳裏を過った。新創世神話の時代に世界を終焉へ導いた者の生き写しが、緋龍ノ御遣いに存在する。危険を顧みず、すべてを賭して成し遂げる。人であるなら化け物だ、化け物なら人ではない――。


(赤髪に、龍の校章……こいつが噂の、”禍ツ緋(マガツノヒ)の幻影”……?)


「離しなさい……っ、私は何もしてないわよ!!」


 いつの間にか、傍らで騒ぎ立てる女と力ない男を縛り上げ、淡々と電柱へ括り付ける赤髪の男。少女ほどの圧倒的な雰囲気はないものの、静止画が連続したような、不自然なほど洗練された動きと、触れれば今にも崩れそうな不安定感が確実に彼の中に混在している。


(こんな不気味なのが二人もいるなんて、聞いてない……っ)


 無暗に手を出せば確実に痛い目を見る。表情一つ変えず、品定めでもするかのように上目遣いで鋭く睨む赤い目が生存本能に訴えかける、苛烈なまでの畏怖に焦燥感ばかりが募っていく。


(……なんだあの靴、下駄か? いや、それよりもあの立ち方……どういうつもりだ……)


 前後に開かれた内また気味の脚はつま先立ちで、踵が完全に浮いている。接地面積が狭く、踏ん張り難い不安定な構えのはずだが、重心が異常なほど低い。彼女の周りだけが何倍もの重力がかかっているような気さえする。


(くそ……っ、私だって昇進がかかってるのに!!)


 肩に掛けていたバッグを叩きつけるように投げ捨て、後ろ手でブレザーの下に装着したベルトから引き抜いたサバイバルナイフを構えた。相手の出方を窺うも、鼻骨や額に走る鈍痛に集中力を削がれ、小刻みに震える冷えた指先には思った通りに力が入らない。さながら、蛇に睨まれた蛙。下手に動けるほどの度胸はなかった。

 張り詰めていた空気に首筋を汗が伝った直後、赤い鼻緒がそっと持ち上がった。時間が引き延ばされたように、ゆっくりと。考えるよりも先に地面を蹴り飛ばし、ナイフを振り翳す。


「え……っ」


 予想の間合いに白銀の切先は肉を裂く感触はなく、なにかが右手首を強打し、乾いた金属音が転がった。神経に直撃した痺れを抑える間もなく、次の瞬間には内臓がねじ切れるような痛みが鳩尾を抉った。口の端から胃液が零れる。


(届かなかった……? どうして……っ)


 朦朧とする視界に映ったのは、ふわりと環を描くスカートの奥で滑らかに引き戻される左膝。そして、その影に隠れた複雑な色を放ってちらりと煌めく刀。

 全身を苛む激痛が意識を繋ぎ留める最中、意外にも冷静な脳内に残った残像が整理されると、常識はずれな映像が鮮明に浮かび上がった。彼女は刀を引き抜いた勢いでナイフを持った手を弾き、左膝で鳩尾を蹴り上げたのだ。左側に流れた不安定な重心を、腰を捻ると同時に流れるように右脚へ移すなど、評判通りの化け物染みたセンスとコントロールだ。

 それにしても、なぜ確実な間合いで傷つけられなかったのだろうか。彼女が意図して避けたようには見えなかったが、自分自身に不足があったようにも思えない。

 そして、一番に警戒していた刀を使用したのにも関わらず、咄嗟に認知できなかった。これまでに築いた反応速度では追い付かないほどの瞬発力が彼女には備わっている。技術や経験値で埋められるような差ではないことは明々白々だ。


(……絶望的過ぎる。でも、ここで逃げたら子供を収容できなくなる……、どうにか――)


 思案に瞬いた次の瞬間、視界いっぱいに滑るように肉薄する少女の左手に握られた刀の柄頭が下から突き上げられた。明らかに顎を狙ったその攻撃をすんでのところで避けるも、淀みなく振り下ろされた刀の(こじり)が太腿を打ちつけ、膝から崩れ落ちる。痛みに呻く暇もなく、眼前に勢いよく迫る右脚。反射的に大きく仰け反り、脚が鼻先を掠めたと同時に頭の上に手をついて地面を強く蹴り返す。つま先で弧を描いて後方へ着地した。その刹那、黒い下駄が左の耳元を間一髪ですり抜けた。


「顔は嫌か?」


 思考が飛ぶ。もつれる足で辛うじて保っている体勢も、もはや限界を迎えつつある。そんな状況の中、囁くように発せられた、優しく抱き込むように背筋を柔らかく撫でる不思議な低い声と、揺らぐ炎のような瞳が視線を絡め取った。奥歯がカチカチと鳴り、深いところで、底なしの恐怖が溢れる音がする。まっさらな意識の器に、じわりと滲んで広がる。

 先程までの殺気など、夢だったのだろうか。悲しみを湛えているようにも、微笑んでいるようにも見える穏やかな静寂。

 それらすべてを振り払うかのように、風の輪郭に沿う赤髪がしゅるりと波打ち、彼女の能面のような顔が睫毛が触れそうな距離まで滑り込んだ。

 

「……っぐ、ぁあ!!」


 白く薄い掌が吸い付くように肩へ触れた。呼吸をするよりも先に冷や汗が吹き出る。左肩が上がらないどころか、ぴくりとも動かない。肩の丸みが潰れ、鎖骨のすぐ下がへこみ、そこにあるべき骨がないとわかる。しかし、激痛ではあるものの指先の痺れはない。靭帯を限界まで弛緩させ、神経さえ傷つけずに関節だけが外れている。


(ホント……、何者なの……)


 整復する余裕も反撃の隙も与えられず、矢継ぎ早に繰り出される猛攻が全身を打つ。軋む体で足掻くも、その無為な抵抗は虚しく、攻防が繰り返されるほどに完全な掌握感が心臓を焦がした。極限の疲労に霞む視界。しかし、焦点は好機を逃さず。

 乱れる赤髪の隙間で僅かに呼吸を整えた薄い唇。その半拍に直感が叫ぶ。右肘で左手首を打ち付け、深海の幽かな夜光の色を纏った刀が弾き飛んだ。

 右脚の痺れと肩の痛みを噛み殺し、武器を失っても尚、涼し気な表情を崩さない彼女の懐へ沈み込み、左足で肋骨の並びを面で捉え、全身全霊で蹴り上げた。


(浅い……いや、そもそも手ごたえがない……っ)


 軸足が右では力が分散して体幹を崩すこともできない。それどころか、体を宙へ押し上げた力を後方へ受け流し、悠然と身を翻す。袂を蝶の翅のようにひらりとはためかせ、しなやかに舞って見せる姿に眩暈すら覚える。

 そして、彼女のつま先が乾いた木の軽快な音を奏でた時には間合いが潰れ、圧縮されたような空気が頬を包んだ。


(カウンター……、顔……っ!!)


 固く握られた左手が、確かに体の陰に隠れている。本能的に肩を竦め、右腕で顔を覆った。


――その刹那、首の左側面へ奔った局所的な衝撃が脳を穿った。


 世界がめくれ、頽れる。喉から「かひゅっ」と空気が漏れ、脱力感が襲い、遂に平衡感覚を失った。眩い光と煤ける視界の狭間で意識が遠のいていく。


「……危険性があるだろ」


「下手ならな」


 呆れたようなトウヤの指摘に、トウカは鼻を鳴らして答えた。足元に倒れた女子高生の右の二の腕を支え、背中へ這わせた指先がジャケット越しに肩甲骨の影を探る。そして、関節へ迷いなく捻りを加えると、体が跳ね、糸が切れた人形のようにだらりと落ちた。


「ジャケットの下」


 微かな意識はあるものの、呼吸をするのも精一杯な女子高生の状態を確認したトウカはトウヤに吐き捨てるような指示を出す。トウヤはなにも言わずトウカと入れ替わり、女子高生のジャケットの下のベルトを探った。

 トウカは蹲る少年少女を取り囲む、無機質な硬さを持ったネットに目を細める。塀に打ち付けられた骨組みの先を蹴り落とし、柄を掴んで引っこ抜くと、それは呆気なくぱらぱらと砕け散って壊れる。どうやらネット部分の装填はできず、一度のみの使用を想定されたものらしい。

 少女の上に覆いかぶさるようにして気絶している少年の体に付着したネットの破片に触れると、途端に粉となって落ちた。服はところどころ縮れ、髪は焦げ、肌には蚓のような線状の火傷が刻まれている。小さな体で過剰な刺激に耐え、少女を守り抜いた証ではあるものの、それはあまりにも痛々しい。

 

「……っうわ!! だれ!?」


 その意識の深さを探るように首筋に添えられた指先のひやりとした感触に、少年ははっと目を見開き、自分の顔を覗き込むトウカに驚いて飛び退いた。


「水瀬万尋と、妹の千聡だな?」


「そうだけど……」


 うつぶせに横たわる千聡を手早く仰向けにし、耳の下あたりに手を伸ばすトウカの手を振り払って叫んだ。


「妹に近寄るな!!」


「生きてるか確認するだけだよ」


 抑揚のない声で諭すように言うトウカに、万尋は顔を顰めつつも慎重に引き下り、優しい手つきで脈をとる様子をじっと見張った。とくとくと規則的な拍動が指先から伝わる。


「問題ないな」


 万尋を宥めるように呟き、徐に胸元のスカーフを解くトウカはベルトから、カラビナで提げられていた傷だらけなアルミ製の瓢箪を外した。中からは冷えた液体のちゃぽちゃぽと揺れる音が聞こえる。


「アンタも俺達を狙ってるんだろ……」


「私は君たちの味方」


「嘘だ……」


「良い警戒心だな……私は今、君達を助けた。だめかい?」


 赤いスカーフを躊躇なく引き裂くトウカの視線の先では、散々、女子高生が道の端に倒れ、中年の女とスーツの男が電柱の根元に座り込んでいる。あんなにも自分たちを追い詰めた大人がそうしている光景に、万尋は目を丸くした。

 ぽんっ、と蓋の開いた水筒に入った透明な液体を惜しげもなく、スカーフにたっぷりと含ませるトウカの足元に小さな水溜まりができていく。


「……それ、なに?」


「傷を早く治す、水みたいなの。怪しいけど毒じゃないよ」


 最後の一口を飲んでみせるトウカに、終始、不安げだった万尋の表情がほぐれ、緊張の糸が切れたように塀にもたれかかった。


「親からなにか聞いてる?」


「そうだ……っ母さん、母さんを助けてください!!」


 思い出したように顔を上げ、飛びついて言う万尋にトウカは僅かな戸惑いを浮かべたが、傷を見せるように促して言う。


「君達の母親のところへは私の仲間が行っている」


「よかった……」


 濡らしたスカーフを手際よく万尋の腕と膝にあてがい、きつく結ぶ。「これで火傷したところ撫でると少し落ち着くと思う」と、濡れたスカーフを万尋へ手渡すトウカは、気を失ったままの千聡の膝にも同じようにした。


「……それで、なにか聞いてる?」


「千聡を連れていく人たちが、来るって……あいつらじゃなかったの?」


「そう。じゃあ、その連れていく人が私達」


 トウカの言葉に万尋は、「千聡とは最後」と譫言のように言った母親の寂しそうな顔を思い出した。


「……っ、やっぱりアンタたちも俺らの敵じゃんか!! 千聡を連れて行こうとするやつはみんな敵だ!!」


 自分たちを助けたのは母親を悲しませた人だった。理不尽にも思える事実が突如として目の前に転がり、万尋は裏切りにも似た行き場のない憤りを吐き出すしかできなかった。


「敵じゃない。私達は水瀬千聡を保護するために来た」


「保護……?」


「君達、あの連中に襲われただろ。あれは子供がどうにかできる相手じゃないし、あいつらが君たちをどうしたいのかわからない。特に、妹の方は」


「おい……」


 子供を相手にしているとは思えない手厳しい言動に、トウヤは背後から制止しようと肩に手を伸ばしたが、トウカは一瞥もくれずに触れる前に叩き払った。

 俯き、自分にはどんな選択肢があるのか、どうするべきなのかと悩む万尋。その思考を断ち切るようにトウカは淡々と言葉を続ける。


「妹だけの予定だったが、君も連れてく」


「え……?」


「君だけなら殺されはしないだろうが、帰る場所あるの?」


 千聡を抱き上げ、振り返りざまに見下ろすトウカの問いかけは、自らの選択では妹を守るどころか、このままでは自分自身の生活さえままならないのだと、幼い万尋には過酷な現実を突きつけた。


「……私が妹を安全な場所へ連れていく。ついて来るかい?」


「……わかった」




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