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五 初陣

「……その靴、お前やる気あるのか?」


 時速八十キロで進む無骨な鉄の箱の中で、トウカは向かいに座っているトウヤの足元を見て怪訝に言った。女性でも慣れていなければ立つこともままならないような、ずっしりとした重みが見て取れるハイヒールのロングブーツだ。

 組織が支給する完全フルオーダー製の隊服は、各個人の癖や戦闘スタイルに合わせて設計された靴も含まれる。内部構造はもちろん、見た目重視の隊員は多いのだが、これほど任務に向いていない靴をトウカは見たことがなかった。


「人のこと言えるのか?」


 自分を除いては。トウヤの視線の先には、下駄と呼ぶには奇妙な形の木製ハイヒール。黒の長足袋に編み上げられた赤い鼻緒が映える、黒漆仕上げの高下駄は他では見ない和洋折衷なデザインだ。


「私の靴には意味がある」


「俺の靴にも、意味があるんだよ」


 きっぱりと言い返すトウヤに、トウカは鼻を鳴らし、今回の任務に関する資料が映された窓に視線を移した。


『今回の任務は、水瀬みなせ千聡という少女の保護だそうです。榊原理事長直々の特命なのですが……これだけというのが気になります。トウカちゃんが担当するにしては、内容が簡単すぎるかと……』


 そっけない背景の顔写真。両耳の上から編みこんだ黒髪に白くふっくらとした頬の幼い少女が、小さな口を固く結んでいる。年齢は六歳、内向的で臆病。公営団地に母親と兄の三人家族で暮らす。父親は無し。保護予定場所は自宅、予定時刻は三十分後。対人任務にしては簡潔な資料と、彼女の言う通りトウカの任務にしては難易度は高くない任務内容。ともすれば、トウヤの実践的能力を推し量るために充てられた任務の可能性がある。


「任務内容に誤りがないなら問題ない」


『そうですね。念には念を、という意味でしょうか? そうそう、トウヤさんは入隊したてで位を賜ったばかりなので、専任の通信部員を確保できていません。次回の任務までには新任を配属させますが、今回に限り、トウカちゃん専任である私、白坂結衣が兼任いたしますのでそのつもりでいてくださいね』


「専任がつくのか……よろしく」


『はい、よろしくお願いします!』


 物腰柔らかな結衣と、どこか遠慮がちなトウヤの会話に、トウカは意識の縁をなぞられるような不快感に苛まれた。揺らぐ境界が不安定に表面をかき乱し、輪郭が曖昧になるような。そんな、言いようのない漠然とした不安を振り払うように、落ち着かない足を組みなおした。


「……結衣、目標の位置情報は送信してある?」


『既にお二人の端末に送信済みです。お手隙の際にご確認ください』




 どんよりと重い鉛色の厚い曇が垂れ込める、暗い陰鬱な空。無機質な打ちっぱなしのコンクリートが重圧感のある、五階建てのアパートが建ち並ぶ集合住宅。簡素な遊具が設置されている広場もあるが、人影はなく閑散としている。


「……焦げ臭いな」


「あぁ。しかも、化学的な臭いも混じってる……」


 トウカはトウヤの横顔に一瞥した。生活感のないアパート群を吹き抜ける湿った風に、砂埃や焦げたプラスチックのような臭いに混じり、微かに科学的で独特な甘い臭いが漂っている。トウカは左手で、刀の鍔をゆっくりと撫で下ろした。

 三号棟と表記されたアパートの二階へ上がると、そこには目を疑う異様な光景が広がっていた。共有通路が崩れ落ち、一階の共有通路が覗いてしまっている。それどころか、目的の二〇四号室の玄関は吹き飛び、外壁の鉄筋がむき出している。


「なんだこれ……、なにがあったんだ……?」


 大きな穴を飛び越えるトウカに続き、部屋に入ると砂埃に塗れた女性が床に倒れ込んでいた。薄暗い廊下のフローリングに、血に濡れた髪が張り付いている。トウカはそっと屈み、女性の首元を指先で触れた。


「……期待できないな。だが、体温はまだ残ってるし、硬直もまだ始まっていない。現場もまだ新しい……結衣、なにか情報は?」


『約ニ十分ほど前に、大きな爆発音と銃声音のようなものが聞こえたという通報があったようです』


「二十分も前の通報なのに、未だに警察が到着していない……他には?」


『同時刻、磨墨(するすみ)駅で大規模な爆発があったようで、そちらに人員が割かれている模様です。死傷者多数との報告も上がっているので早くて五分、遅ければ十分ほどで到着するかと……警察の捜査情報伝達は時間がかかるのがネックですよね』


 女性に手を合わせるトウカを真似て、手を合わせるトウヤを後目に、瓦礫の散乱する廊下から風の吹き抜けるリビングダイニングを見渡した。小綺麗な生活感のある部屋の中央で不自然に傾いたダイニングテーブルの上に、小さな氷が浮かぶ茶色の液体が入ったグラスが二つ、向き合うように置かれている。その傍らには、投げ出されたように散らばっている椅子。そして、揺れるカーテンの奥では掃き出し窓が全開になっていた。


「……なるほどな。結衣、ここの室内記録は残ってる?」


『はい、二分後に送信完了します』


「まぁ、凡その見当はついているがな……」


「どういうことだ?」


 子供用の机は見当たらず、リビングの一角の壁には時間割や元素周期表、月の満ち欠けが記されたカレンダーが貼られている。その下には、黒と水色のランドセルが片付けられた棚があり、一緒に整理整頓されている教科書や筆記用具を食い入るように見ていたトウヤは、ベランダから下の階や地面との距離を目測していたトウカに訊ねた。


「……お前、本当に何も知らないんだな」


 呆れたような溜息を吐く。トウカは振り返り、淡々と話し始めた。


「私達の敵は、祟リと呼ばれる怪奇現象だけではない。守護対象である一般市民も、中にはその限りではない者もいる」


 腕を組み、冷ややかな視線でカレンダーを睨みつけるトウカ。


「我々と対立関係にある宗教団体、”玉輪教団”」


「ぎょくりん?」


「表向きには例の神話を起源とし、月を信仰する宗教として認知されているが……戦闘力となる人員を極秘に確保している上、どういう仕組みか、うちに諜報員でもいるのかは知らないが、我々よりも先んじて行動できる情報を持ち合わせている」


「”The Eye of Night Order”のことか。でも、なんでそいつらが一般人を襲うような真似を?」


「さぁな、私にはわからない。だが、一般人を殺すことも厭わない、厄介な連中には変わりない」


「……それで、室内記録って?」


 トウカは窓の前に立ち、僅かに反射する自分と見つめ合った。


「一見、何の変哲もなさそうな窓硝子だが、これは政府が国民を監視するため、極秘裏に住宅建設基準に組み込んだ透過型カメラ搭載監視システムだ。政府のサーバーに収集されたデータは暗号化され、権限を持たない第三者はアクセスできない」


「プライバシーの欠片もないな……」


「知らなければ無いのと同じだが、無いよりもある方が便利だ」


 トウカが端末に送信された室内記録を再生すると、母親と兄妹がダイニングテーブルで団欒する様子が鮮明に映っていた。どこにでもある、平和な家族のワンシーン。暫くして、チャイムが鳴った。母親が席を立ち、玄関へ向かう後姿を兄妹はそろって目で追った。そして、次の瞬間――大きな衝撃音と共に、「逃げなさい……っ」という叫び声が子供たちの肩を竦ませた。少年は咄嗟に立ち上がり、少女の手を取って画面外へと走り去った。遅れて、一つの発砲音が鳴り響いた。


『水瀬知恵(ともえ)、三十八歳。保護対象である千聡ちゃんと、その兄である万尋くんの母親です。二人の父親とは五年前に離婚、近しい血縁者はなく、同時期にそちらへ引っ越したようですね』


 室内記録の下に表示された戸籍と附票のデータ。結衣の言葉通りの情報が並ぶ中、備考欄に記載された一行がトウカの目を惹いた。


”居住指定者 榊原真実”


 この家族の居住を定めた者の名前である。彼女がなにを考えているのか。眉間に皺を寄せるトウカは、五年前からこの任務が決まっていたように思えて仕方がなかった。


(この家族になにがある? いや、目的は妹の保護だから、なにかあるとすれば妹のほうか……。それにしても、母親が殺されるほど奴らが必死なのは……)


 穴が開くほど窓硝子を観察していたトウヤが、険しい表情で黙り込むトウカの横顔を気遣わしく見遣った。なにか問題でも起きたのだろうか、いや、新参者が安易に口を出すべきではないか。そんな逡巡を繰り返していると、『なにか、不備でも……?』と、結衣が不安そうに伺った。その声にはっとし、意識を引き戻されたトウカは「なんでもない」と、答えて端末をしまった。


「二キロ前後を目安に、周辺の防犯カメラから兄妹の行方を探れ」


『犯人の方はどうしますか?』


「いい、時間の無駄だ」


『了解』


 「警察が到着するまで待機」と、トウヤに手短に指示すると、トウカは教科書やノートが詰まった棚からなにかを探すように凝視し始めた。


「確かに便利だが、それだけのために導入した訳じゃないだろ? 本当はなにに使うために導入されたんだ?」


 トウカはベルトのポーチから黒の手袋を取り出し、両手にはめると、棚の中から随分と使い込まれ、背表紙は白く擦れている青い表紙のノートを引き抜いた。


「私も詳しくは知らないが、警察の事件捜査なんかが難航した場合は、政府に申請すれば人工知能による解析結果を文書で得られる。後ろ盾としては十分だろ」


 ノートをパラパラとめくりながら説明するトウカの言葉に、トウヤは違和感を覚えた。人工知能による解析結果を、映像ではなく文書で得られる。そのプロセスには人が関与する余地は無いのだろう。


「警察も、存在自体知らないのか……?」


「政治家や官僚も知らないだろうな。いつどこから漏洩するか、わかったものじゃない」


 無表情で吐き捨てるように言うトウカに、トウヤは疑問を抱いた。


「……随分、斜に構えるんだな」


「高額な給料もらってお昼寝するようなジジイ共が知れば、なにが起こるかなんて想像に容易いな。下手したら、反乱すら起きる」


 普段から政治や世界情勢に興味のないトウヤにはぴんと来ない話だが、トウカの言い様からすれば大変な仕事ぶりらしい。


「そういうものなのか……じゃあ、結衣さんは権限を持ってるんだな」


『はい。私達通信部員は、通信部員になるための試験にアクセス権の管理なども組み込まれています。とても厳しい人工知能による心理解析をクリアし、政府に認定された者のみに与えられるのですが、一度でも不適格判定を受けた者は権限所持の許可が下りることはありません』


「流石に、希少性が高そうだな」


『そうですね。通信部の中でも限られた部員しか権限を所持していない上、情報漏洩防止の観点から下位者にその情報を開示することも禁じられているので、アクセス権を持った部員は半強制的に上位者担当のオペレーターとなるんです。中にはこのシステムの存在自体、まだ知らない隊員もいますしね』


「なるほど……そういえば、午ノ位から上位っていうのは聞いたが、下位はどのくらいまでなんだ?」


『明確な区分がされているわけではありませんが、大抵の場合は卯ノ位までを指すことが多いですね。辰ノ位から専属のオペレーターが割り当てられるので。でも、辰と巳ノ位を中位者とはあまり言いませんね……どうしてだろう?』


「役割の違いだな」


 トウカは見つけたお目当てのものを撮影しながら、それまで聞き流していた、首を傾げるトウヤと結衣の会話からふと浮かんだ疑問を拾うように説明した。


「下位者には保護される者、上位者には保護する者という意味が含まれている。自分の身を自分で守ることを要求される中位者には、そのどちらも含まれていない。有事の際、指示区分を直感的に判断させるため、あえて二分化するんだよ」


『なるほど~! 勉強になりました!』


 撮影し終えたノートを元の場所に戻す、愛想のないトウカの言葉。その知識には、十五歳という若さでその地位を築いた彼女の経験則も、少しは混じっているように思えた。

 少し遠くから響いていたサイレンが近づき、敷地内に入ったところでパトカーが停車したのを確認し、部屋を出るよう促したトウカの後ろを、静かに追うトウヤはそっと口を開いた。


「……なぁ」


「しっ」


 その瞬間、鋭い眼光で廊下の先を捉えたトウカは息を潜め、トウヤを制止した。金属音の混じる、バタバタと慌ただしい足音が階段を駆け上がってくる。


「また爆弾か、同一犯か……? お、お前達なにをしている!!」


 大きな穴を目の当たりにし、呆然と立ち尽くす青い制服の男性が二人。そのうちの一人が左肩の無線機に向けて現在位置の状況を詳細に述べ始めたところで、堂々と姿を現したトウカとトウヤを胡乱な目で睨みつける。そして、その視線はトウカの腰に装備された刀へ吸い寄せられた。半歩下がり、ゆっくりとホルスターへ手を掛けた警察官の警戒態勢に、トウカは腕を組んで言い放つ。


「緋龍ノ御遣いだ。負傷者がいるが、後は頼む」


「は、失礼いたしました……っ」


 二人の警察官はトウカの胸元の校章を黙視した途端、蛇に睨まれた蛙のように狼狽え、頭を深く下げた。そして、恭しく敬礼する警察官の態度の変わりようにトウヤは戸惑いつつも、その脇を変わらない様子で通るトウカに続いた。後ろからは「赤髪が二人も……」や、「緋龍ノ御遣いが、なぜ……?」と、小さく話す声が聞こえる。確実に彼女の耳にも届いている筈だが、気にも留めずに階段を下りていくトウカの後姿に、トウヤは先程の疑問を思い出した。


「……なぁ、さっきの俺達の会話も、その監視システムで記録されてるんだよな。それってうちの寮にも採用されてるのか?」


 こだまする乾いた足音が踊り場で止まる。モノクロの薄暗い階段にくっきりとした赤髪がふわりと揺れ、トウヤを真っ赤な瞳で見上げたトウカは無表情で、相変わらず、突き放すような冷たい物言いだった。


「さぁな」




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