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三 かんばせ


 空から降り立った二人。ひとりは濃い飴色で少し癖のあるロングヘアを無造作に束ねた、タレ目で無精髭の中年の男。年齢は緒方より少し上と言ったところだろうか。紫色のサテンネクタイに小綺麗なスーツを着崩し、ジャケットを肩に掛けている。そして、もうひとりは男女の判別が難しい中性的な顔に、長い髪をハーフアップに結んでいる。整えられた襟元には赤いスカーフが風に靡き、品の良いスラックスにヒールのある女物のようなロングブーツを履いている。先の作戦で海掌かいしょうに喰われたはずの少女と、まるで生き写しのような人物だった。


「死んだはずじゃあ……」


 確かに、目の前にいるのは少女と寸分違わず同じ顔をしている。しかし、少女は隊服であるセーラー服を着ていたはずだ。その上、輸送機からの銃撃に巻き込まれ、とてもじゃないが無事なはずもないだろう。いや、そもそもこの二人は輸送機から降りてきたのだ。彼女とは別人なのだろう。何度も思考が行き来し、内心、天手古舞な緒方は、後頭部をがりがりと掻きむしって愕然とする。その足元では開いた口の塞がらない加賀が、怪訝そうに中年の男と赤髪の人物の顔を交互に見比べていた。


「私の断りなく殺さないでくださいよ、本当に勝手な人なんだから……」


 突如として投げられた言葉。声が発せられた方へ、四人の視線は一斉に集められた。音を立てて波を掻き分け、海から這い上がって出たのは、まぎれもなくその少女だった。濡れた長い髪は顔や首に重く圧し掛かり、緞子どんすの生地の隊服は見るからにずっしりとした重みを帯びて海水を含み、とめどなく滴っている。


「びちゃびちゃ!!」


「当たり前でしょ。アンタなにを見てたんだ……」


 納刀された打刀をベルトごと放り投げ、髪を振り乱す少女の足元にはあっという間に水溜まりができていく。そして、躊躇なくスカートとジャケット、シャツを脱ぎ捨て、レオタード型のインナー一枚になった少女に、緒方と加賀はぎょっとしながらも軽やかな足取りで駆け寄った。人目をまったく気にせず長足袋まで脱ぎ散らかし、真っ白な足をさらけ出している彼女にほとほと呆れるが、大きな怪我なども見受けられなく安堵の溜息を吐いた。二人は砂まみれになってしまった隊服をそれぞれ拾い上げ、海水で軽く濯いで固く絞る。


「……それ、今回の御物おものか?」


 加賀は少女が左手に提げているものを指して訊ねた。それは彼女の脚と同じくらいの長さで、剣と呼ぶにはなまくらなほど錆びて腐食しまっているが、原型は残っている。「詳しくは報告書にまとめるので後ほど」と、少女は頷きながら、振りさばかれてほとんど乾いた隊服の中からスカートだけを引き抜き、それを包んだ。迷いのない少女の行動に、せめてもの思いで緒方が自分のジャケットを脱いで腰に巻いてやるが、当の少女は邪魔そうに身じろぎする。しかし、これだけは譲れないとする緒方にだんだんと諦め、結び終わったところで鈍らを乱暴に手渡した。

 

「それで、なんだったんですか、あれ……」


 一瞬にして、それまでの空気が嘘のように張り詰める。肌で感じられるほどの殺気が込められた少女の視線は、やはり、デカルコマニーのように自分と瓜二つの人物に向けられていた。


「やだなぁ~カゴメちゃん、兄妹いたなら教えといてよもう~!」


「面白い冗談ですね、流石です」











「広範囲制圧がコンセプトの最新式の大型多銃身散弾重機関銃……つまるところ、ガトリング式の散弾銃です」


 薄暗い部屋で、壁一面のモニターには海岸で遂行された祟リ討伐任務の一部始終を捉えた防犯カメラと、輸送機内から撮影された銃機の射撃映像が投射されている。規則的に急回転する銃身と、辺りに散乱する大量の空薬莢。音圧に耐えられずに歪んだ激しい銃撃音が広い空間に響き渡る。端に設置されたソファに深く身を沈め、寝そべるように足を組みながら熱く語る中年の男に、低く抑揚のある声で諭すように女性が言う。


「困るのよ。勝手にうちの通信部の記録をハッキングして、無許可で進路を変更、挙句の果てには未実装の最新武器まで使用……私の仕事を増やさないでちょうだい」


「おかげで貴重なデータは取れましたよ。そこの優秀な赤髪ちゃんのおかげで」


 部屋の中央に立ち尽くし、蒼白いモニターに照らされた少女の視線の先では、落ち着いた褐色のダブルボタンジャケットにきっちりとネクタイを締めた女性が、チェアに足を組み、無機質なデスクに広がるホログラムの資料を伏し目がちに確認している。成熟した知性と自信が宿る黒い瞳とは対照的に、雀色の巻き髪に艶のある深紅の唇は若々しい印象を与えるが、実年齢を推し量るのは容易ではない。


「拘束するべきだ。そいつらは私を攻撃した」


 腑に落ちない表情で言い放つ少女が睨んだのは、隣り合わせにソファへ腰かける二人。特に、だらしなく足を放り投げるような姿勢の男の足を叩いて嗜めている、赤髪の人物だ。年はあまり離れていないように見えるが、少女に比べて肩幅が広く、足を前後に開いた前のめりな座り方からして男だろうか。


「私が呼びつけたのよ。銃撃は予定外だったのだけれどね」


「ほんの試し撃ちですよ」


「そんな寝言が通用するか。こちとらPTSD寸前だぞ、どう責任取ってくれるんだ」


 少女の背後から緒方と加賀が唸るように非難する。それは、例の状況を作り出す一因となってしまった、自分自身にも言い聞かせるようだった。だが、男の顔には能天気なにやけ面が張り付いたまま。緒方には一瞥もくれず、やおら広げた左手で赤髪の頭を遠慮なしに撫でた。


「俺はこいつをここへ連れてきただけ」


 大きな手で顔を伏せられた赤髪は、鬱陶しげな視線を下から男に突き刺す。無神経な返答に身を固くし、いたたまれない赤髪を男はまったく意に介さず、乱れた髪を撫でつける。


「紹介するわ。彼は正真正銘、あなたの兄」


「いやだな真実まなおさん、それじゃあ緒方さん並みですよ」


 思いがけない罵倒に目を丸くする緒方を余所に、表情一つ変えない少女に真実と呼ばれた女性が徐に立ち上がる。バーレーとエキゾチックの香水が混ざった香りを纏い、細身の高身長にハイヒールを鳴らす。彼女こそが少女の保護者であり、緋龍ノ御遣いの最高指導者、代表統括理事長の榊原真実(まなお)だった。真実は自信に満ちた笑みで赤髪の青年に目配せし、少女の正面に立つように指示した。


「冗談ならね」


 おおよそ、まだ子供と呼べる年齢の少女が纏うような空気ではない。彼女の打刀と同じ妖しさを湛えながらも、不自然なほどに澄んでいる。陶器を思わせる白く滑らかな肌に、すっと通った鼻梁。特に辰砂の玉を半分に割ったような双眸は異彩を放ち、じっとりと彼を観察している。腰まで届くほど長い髪は赤毛とは異なり、黄昏の燃ゆる日の色を模した鮮やかな深緋色。まるで、彼岸花を体現したような少女だ。


「トウヤ、十八だ……」


 対し、こちらは少し違う印象を受ける。よく熟れた果実のような危うささえ孕んだ、傾国の美とはまさにこのこと。しかし、どこか幼い。ろくに手入れもせず、伸ばしっぱなしの少女に対し、整えられた前髪とハーフアップは幼さを感じさせる。ほぼ、同じ高さのヒールのある靴を履いた二人の身長差は十センチほどだろうか。同年代の男子と比べると薄く細い体格も相まって、兄妹というよりも双子のようだ。


「本当、カゴメちゃんとそっくり……」


「よくできたクローンだな。悪趣味だ」


 緒方の発言を遮るようにトウカは断言する。彼女自身に降りかかる差別の要因の一つでもある、その厳しい物言いを真正面から受け止めたトウヤは、叱られた子供のように俯く。緒方と加賀にとって萎縮したトウヤの姿は、普段から強気なトウカでは絶対に見られない新鮮さを持ち合わせていた。だからこそ、それと同時に、身内であるトウカが容赦なく突っぱねたことで申し訳ない気持ちが胸に押し寄せ、苦笑いを浮かべるしかなかった。


「そんなわけないでしょう?」


 一方的に険悪になりつつある二人を傍観していた真実は、溜息混じりにその空気を割った。だが、あからさまなその態度に、トウカの苛立ちは増す。上司である真実を、顎を引いた上目遣いで睨みつけた。


「真実さんが言ったんだろ、私に血縁者はいないと」


「あなたを訓練に集中させるための方便に過ぎないわ」


 今度はトウカが溜息を吐いた。真実から顔を逸らし、うんざりした様子で左手を刀の鞘に沿えるトウカの後ろから、緒方と加賀はそっと後退りし、仲良く部屋の隅へと移動した。


「いやぁ、お宅の娘さんは自己紹介もできないんですか!」


 男の軽はずみな発言はトウカの不満をより一層募らせる。


「……私を撃ち殺そうとしたアンタは?」


「撃ち殺そうだなんてとんでもない! 俺はアズマ、はいこれ」


 東は板のようなものを二つ、ぞんざいに放り投げた。一つは、この場の全員が所持している個人ID。手のひらサイズの透明な正方形の板の中央には、赤黒い液体が揺れる環が埋め込まれている。側面には四角い穴が規則的に並び、奥には認識チップが覗いている。そしてもう一つは、赤い紐で無造作に括られた二枚の薄い木の板。それらを掴み取ったトウカは、何の戸惑いもなく自分の端末を抜き取り、スキャナーを起動した。東のIDを挿入すると、画面に表示された東の登録情報と現在の生体情報が流れていく。「すけべ」などと軽率な独り言を発する東に無関心なトウカは、手際よく紐を解き、板を開くと蛇腹折のまっさらな和紙を広げた。まるでメモ帳のようだが、何も書かれていない。和紙にスキャナーのカメラを翳し、読み込むと、端末は組織に登録した情報と許可証が認識した。たしかに、情報の乖離はなさそうだ。そもそも、偽造のしようもないほど確固たるセキュリティで保護している、組織の技術を疑う余地はない。だが、その高い技術力故に、ある事案が発生してるのだ。


「人工血液は開発された。技術部がクローンを造るなんて、そう難しくないはずだ」


 嫌悪感に塗れた彼女の瞳は、明らかに真実へ向けられている。事実、技術部がずば抜けて優秀な彼女のクローンを研究しているという噂を、トウカは以前から耳にしていた。組織の戦力を著しく底上げできる研究を、真実が推し進めないはずがない。毅然とした態度のトウカに、真実はわざとらしい笑みを返した。


「そいつが人間であり、キミの兄貴だって根拠があったら信じるのか?」


 相変わらず、ソファで怠惰に寝そべり続ける東はトウカを挑発するように言う。


「胡散臭いのはネクタイだけにしてくれ。詳細な状況確認もせずガトリングぶっ放す奴を誰が信用するんだ」


「そりゃそうだ」


 東の小綺麗なスーツに緩んだ、安っぽい光沢のあるネクタイに吐き捨てるトウカと、それに賛同する緒方。完全に反感を買ってしまった東は、手厳しい二人に肩を軽く竦め、冷笑にも近いような笑みでそっぽを向いた。


「いずれにせよ、彼は龍牙隊に配属します。これは決定事項です、いいわね?」


「……っ、冗談じゃない」


 余裕の姿勢を崩さず、埒が明かないやりとりを終わらせた真実の言葉に、不貞腐れたような険しい顔で凄んだトウカはくるりと踵を返、床を乱暴に叩きつけるような甲高い木の音は足早に、仰々しい大きな扉を蹴り飛ばして出て行ってしまった。


「ありゃりゃ……なんか、いつも以上に荒れてるなぁ」


「そうですね。そろそろだる絡みもいい加減にしないと、口きいてもらえなくなりますよ」


 トウカの後ろ姿を見送り、誤魔化すように呟いた緒方に加賀は淡々と返した。それが冗談なのか、自分よりもトウカに年齢が近い加賀の言葉の通りなのか、緒方は虚空を見つめて思案し始める。


「東さんのせいで俺達の印象最悪ですよ……っ!!」


 突然、発せられた怒号、それはトウヤの声だった。驚いた緒方と加賀がそちらへ目をやると、壁を壊す勢いで東の耳元へ右脚で蹴りかかったようだ。トウカに詰められていた時とあまりにも印象の違う行動に、呆気にとられる。だが、当の東は顎を突き出して怯む様子もなく、深い溜息を吐きながらソファに座りなおした。


「俺のせいで印象は最悪だが、お前は挽回はできる。兄妹なんだろ?」


 肘掛けに頬杖つきながら、しかし、先程までの軽薄さは感じられない。そんな東の言葉に、トウヤは弾かれたように部屋を飛び出した。その影を目で追う東の瞳の奥には、何が秘められているのか。緒方と加賀は読み取ることができなかった。


「とんだ道化ね」


「それほどでも」






「トウカ……っ」


 世界を呑みこむような日の入りに染まる空が一望できる長い廊下。トウヤが呼び止めた小さな背中はぴたりと立ち止まる。空と同じ色の長い髪を揺らし、トウカは静かに振り返った。なにかを決意したような、緊張しているような表情のトウヤに、また顔を顰める。


(あぁ、本当に……鏡を見ているようで、不愉快だ)


 世の中には、見た者は数日後に必ず死ぬと言い伝えられているドッペルゲンガーなるものが在るらしいが、実際に会ったらこんな気持ちなんだろうか。自分なのに、自分ではない誰かが目の前で自分を見つめている。こんなにも奇妙な状況が、これからずっと続く。突拍子もない事実に眩暈すら覚える。


「俺はお前のクローンでも、俺自身のクローンでもない……今すぐ信じてくれとは言わない。時間をかけて、俺のことを知ってくれたら……っ」


「信用も信頼もできない人間の言葉に、価値などない」


 八つ当たりするように、言葉を封じ込める。睥睨する瞳は、今にも零れそうなほど西日に輝く。酷く美しいそのありさまに何も言えず、立ち去るトウカに引き留める言葉をかける勇気を失ったトウヤを非情な脱力感が襲った。



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