五話 悠里、学園に登校する
かつては魔法を使えないと信じていた悠里だが、実際には全く使えないわけではないようだ。レリアとの手合わせの日の夜、彼女は再び訓練場に足を運んだ。基礎魔法から応用魔法まで、魔法の発動に没頭しているうちに、どの系統の基礎魔法でも発動できることが分かった。
カトレアの魔力と多彩な魔法の発動によって、基礎魔法の使い方を身につけた彼女。この異世界では、剣や魔法が主流であり、スキルの発動は最終手段とされている。いつかはスキルに頼らず、幻想魔法のような応用魔法も使えるようになりたいと願っていた。それが、彼女、橘花悠里がカトレア・アールグレイとして成長し、責任を果たすための条件になるのだ。
「起きてください、カトレア様。」
「うぅ…もう少し…五分だけ…」
昨日は体力と魔力を過剰に消耗してしまった。スキルは使用時に体力を消耗し、使用回数にも制限があるが、毎日リセットされる。一方で、魔法は魔力を消費するだけでなく、体力も消耗し、魔力が回復するまでには時間がかかる。
「カトレア様、それを言い出したらキリがありませんよ。」
「眠いなぁ…おはよう、ルピシア。」
「朝食が用意されていますので、学園に行く準備が整いましたら、食堂にお越しください。」
ルピシアは優雅な微笑みを浮かべながら、彼女を起こす手助けをした。
悠里はゆっくりとベッドから起き上がり、学園の制服に着替え始めた。制服はグレーの上着で端正な印象を与え、清潔感のある白いシャツと合わせて、赤いチェック柄のスカートとネクタイが色合いやスタイルを統一させている。可愛らしさと凛とした雰囲気が同時に醸し出されていた。
制服に着替え終わると、通学カバンを持ちながら悠里は部屋を出て食堂へ向かった。今日の朝食は特製パンケーキとフレッシュフルーツ、アロマコーヒーが用意されていた。パンケーキとフレッシュフルーツの甘い香り、アロマコーヒーの豊かな香りが朝の静けさを包み込み、この穏やかなひとときは新しい一日への期待と興奮を感じさせてくれた。
「ルピシア、もうレリアは学園に向かってしまったのかしら?」
「はい、レリア様は朝の風紀委員会の活動があるため、早めに学園へ向かわれました。」
「私もレリアのように早起きして、学園に向かおうかな。」
「カトレア様は朝に弱いので、無理をされない方がいいかと思います。」
ルピシアの言葉に、悠里は返す言葉が見つからず、一瞬考え込んでしまった。カトレアがアールグレイ家の現当主となった後、父である第9代前当主エドワード・アールグレイと母のクレア・アールグレイは、遠方の旅行や冒険に出かけており、長期間不在だった。親の不在という現実が、彼女の胸に少しの不安をもたらした。
朝食を終えた後、悠里とルピシアは屋敷の外へと足を運んだ。
「おはようございます、アメリア様。」
「おはよう!カトレア、ルピシアさん。」
アメリア・アフタヌーンはカトレアの幼馴染であり、唯一無二の親友だ。金髪に金色の眼を持つ彼女は、鮮やかなハニーゴールドの長い髪と、宝石のようなトパーズの瞳で周囲を魅了する存在感を放っていた。金髪の後ろ髪は白いヘアクリップでハーフアップにまとめられ、シンプルでありながらクラシカルな印象を与えている。アフタヌーン家は代々精神魔法を扱い、対象者の意思を自在に操作し、思考や行動を制御できる特異な能力を持っている。彼女の魔法は、心だけでなく、記憶や五感までも操ることができる。
「えぇ、ちょっと夜更かししちゃって…でも、今週も頑張るわ。」
「そうね、一緒に頑張りましょう。」
カトレア、アメリア、そしてレリアは、王都ブルームの王立ブルーム魔法学園に通う学生だ。当校は王都唯一の中高一貫校であり、カトレアとアメリアは高等部に在籍し、レリアは中等部に所属している。明日からは、レリアが悠里の代わりに高等部に通うことになっており、その間に悠里は他にもやらなければならないことがたくさんあるのだ。
カトレアの家とアメリアの屋敷は近所同士であり、通学の朝や放課後は彼女たちと一緒に過ごすことが多かった。学園までは約100キロメートル離れているが、通学方法としてルピシアの空間魔法が使用されている。通常の魔法使いであれば片道の移動でも大幅に魔力と体力を消耗してしまうため、彼女のように容易に二往復も移動できる者は、カトレアの記憶には存在しなかった。
ルピシアの目的地に移動する魔法を使って、悠里とアメリアは王立ブルーム魔法学園の校門に到着した。ここには魔法科と普通科が存在し、二つの学科はそれぞれ異なる教育方針を持っている。
魔法学科では基礎から応用まで幅広く学び、呪文や魔法陣の作成、さらに魔法の応用技術についても習得できる。一方、普通科では一般教育科目を中心に学び、数学、歴史、言語、科学などが含まれている。普通科の生徒たちは魔法の授業を受けることはないが、魔法学校での生活やイベントには参加できる。
「いってらっしゃいませ、カトレア様、アメリア様。」
「いってきます!」
ルピシアに見送られた悠里とアメリアは、学園の校門をくぐり抜け、昇降口を通って教室に向かった。
教室に入ると、悠里はクラスメイトに向かって明るく声をかけた。「みなさん、おはようございます。」
「おはようございます!」
担任のジゼル先生は本日出張のため、副担任のラズリー先生が教室にやって来た。
「起立!」
クラスメイト全員が日直の号令に応じて背筋を伸ばし、立ち上がる。
「これからホームルームを始めます。」
日直以外の生徒たちも一斉に「よろしくお願いします!」と返答し、全員が一礼する。朝のホームルームでは、ラズリー先生から本日の連絡事項が伝えられ、あっという間に時間が過ぎ、授業が始まった。
一限目の数学では、数学的手法を用いて魔法の魅力を引き出す方法や、魔法陣、呪文の計算、魔法の効果を数式で表現することが行われ、悠里はその組み合わせに興味を持っていた。二限目の社会では、異世界の歴史や文化、魔法の法律や倫理観について学び、異世界社会の仕組みや魔法使用時の社会的責任について考える機会が与えられた。三限目の魔法薬学では、魔法薬の調合や効能、副作用について学び、その重要性や魅力を再認識することができた。四限目の召喚魔法では、異世界の精霊や魔物の召喚方法や信頼関係の重要性について学び、召喚術の奥深さに感動を覚えた。
四限目の終了を告げるチャイムが鳴ると、お昼休みの時間が訪れた。昼食の休憩時間は50分間であり、生徒たちは楽しいランチタイムを心待ちにしている。学園内には学食があり、カトレアはよく利用していた。アメリアと共に学食の食堂に行き、日替わりランチを注文する。異世界にもお米が存在していることに感心しつつ、この世界に外部の人間が存在する可能性を想像し、戸惑いと期待が入り混じった気持ちになった。
五限目の体育では、魔法の戦闘応用に必要な体力や精神力のトレーニングを行い、魔法戦以外の備えも整えた。六限目の美術では、魔法に関連する美術表現や魔法道具の装飾について学び、自分の魔法スタイルを磨くための創造力を発揮する機会が与えられた。
授業がすべて終了し、帰りのホームルームも無事に終わった。「帰りましょうか、カトレア。」
アメリアが言うと、悠里は少し考えた後に答えた。「ごめんなさい、今日はブルーム周辺を散策しようと思っているの。」
「どこか行きたいお店があるの?」
「ええ、よければ一緒にどうかしら?」
「もちろん、一緒に行きましょう。楽しみだわ。」
悠里とアメリアは教室を出て、昇降口を通り校門へ向かっていた。その時、思いがけない声が聞こえた。「カトレア・アールグレイ。」
アメリア以外の人物からカトレアの本名を呼ばれ、悠里はその声の方向に顔を向けた。そこには茶髪の碧眼を持つ少年が立っていた。清潔感のあるダークブラウンの短い髪と澄んだ青い瞳が印象的で、長身ながらも優美な体つきをしている。
「ローレンス、放課後お兄さんと稽古があるんじゃない?」アメリアが尋ねると、彼女の口から発した魔法、対象の心を操る魔法が静かに発動した。ブリアージュはアフタヌーン家に伝わる精神魔法の一つで、対象の考えや感情を自在に操ることができる。
「カトレア、このあと少し時間いいかな?」
ローレンスはアメリアの言葉を無視して、悠里に直接話しかけてきた。
「えっ!?」
アメリアは戸惑いの声を上げる。「アメリア、残念ながら僕にはもうその魔法は効かないよ。」
精神魔法は、強大な意志を持つ相手には効果が薄まり、抵抗されることが多い。そのため、アメリアの心に浮かんだ疑念はますます重要になってきた。
「アメリア、放課後、妹さんと用事があるんじゃない?」
ローレンスは冷静な態度で言葉を投げかけた。
「そ、そうね。早く家に帰らないと…」
アメリアの態度が急に変わった。まるで、言葉を知られる前に自らの意志を翻すかのようだった。
「ア、アメリア!どうしたの!?」
さっきまで悠里とブルーム周辺を散策する約束をしていたはずなのに、アメリアは突然帰ると言い出した。アメリアがローレンスに魔法をかけたはずだったが、その効果は感じられなかった。結果として、ローレンスは別の方法でアメリアに魔法をかけ、彼女は自らの魔法に捕らえられてしまったのだ。
「あなた、アメリアの魔法を使ったのでしょう?彼女の魔法を模倣したのね。」
悠里が冷静に問いかけると、ローレンスは苦笑した。
「その通り。なかなかいい目をしているね。さすがは幻想の魔女様だ。」
その言葉は、まるで挑戦状を突きつけるようだった。
王立ブルーム魔法学園の校則第一条には、『学園内外で無闇な魔法の使用を禁ずる』と明記されている。この規則は、魔法の使用には慎重さが求められることを示していた。つまり、魔法の行使は軽率に行われるべきではなく、むやみな使用は許されないという趣旨が込められているのだ。
「校則があるにも関わらず、アメリアがあなたに魔法をかけようとしたことについては、心より謝罪いたします。」
悠里はローレンスに謝罪の意を示すため、深くお辞儀した。
「別にカトレアが謝らなくてもいいんだけどな。」
ローレンスは淡々とした口調で応じる。彼の表情には特に怒りや不満は見られず、むしろ冷静さを保っているようだった。その態度は、余裕を感じさせるものだった。
「そう…それで、私に何の用かしら?」
悠里はローレンスの返答に少し戸惑いつつ、気を取り直し、興味を持って尋ねた。彼の反応が予想外だったため、心の中でさまざまな思いが交錯している。