一五話 悠里、冒険者登録をする(後編)
「また会おう、愛弟子。」アイリスが言った。「明日、また会いましょう。おやすみなさい。」アメリアが続けると、悠里も頷いた。前夜、アイリスとアメリアはカトレアの家で共に夕食を楽しみ、満ち足りた表情で帰っていった。
食後、カトレアは広々とした浴槽に浸かり、ルピシアに体を洗ってもらった。髪を乾かしてもらった後、彼女は自室に戻った。
自室に入ったカトレアは、心の中にいる悠里に念話で呼びかけたが、返事はなかった。おそらく彼は疲れ切って眠っているのだろうと、彼女は推測した。明日、悠里が冒険者登録をするために、カトレアは手助けをすることに決めた。「私にできるのは、これくらいね。」そう言って、彼女は悠里のために身分証明書を発行した。この証明書は、彼女がアールグレイ家に従者として仕えていることを示すものであった。
「ふわ〜あ。」大きなあくびをしたカトレアは続けて言った。「そろそろ休ませてもらうわね。」彼女は安らぎを求めてベッドに横たわり、睡魔に襲われながらも魔法を唱えた。「施錠!」その魔法が発動し、肉体の主導権が宿主から悠里へと移行した。
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前夜、悠里はいつの間にかカトレアのベッドで目を覚ました。魔王軍幹部ウバとの戦闘についての記憶はすっかり抜け落ちていた。ここに戻ってきたということは、カトレアが見事にウバを打倒したのだろう。肉体の所有権も再び悠里に戻っているし、後で彼女に詳しい話を聞いてみようと思った。
明日、冒険者登録をするためには身分証明書が必要だ。証明書がなければ冒険者登録はできないのは当然であった。
カトレアの記憶は共有されているため、悠里自身でも証明書を発行することが可能である。しかし、彼女の無断で証明書を発行するのは気が引けた。考えを巡らせていると、カトレアの事務机の上に自分の身分証明書が置かれているのを見つけた。「私のために証明書を発行してくれていたんだ、ありがとう。」
翌朝、悠里はカレル村の冒険者ギルドに向かう準備をしていた。冒険者として登録を完了させるためには、カトレアの正体を隠す必要があった。そこで、着せ替えスキルを用いて冒険者風のコスチュームに変身することにした。
まず、カトレア特有の長いライトグレーの髪とルビーの瞳をラベンダーカラーの髪とアメジスト色の瞳に変更した。髪型はナチュラルなストレートに整え、カトレアらしさをできるだけ消すよう心掛けた。服装はパステルカラーのトップスとスカートにレースの装飾を施し、軽やかな印象を与えた。足元には柔らかな素材のワンストラップサンダルを選び、カラーリングで全体に華やかさを添えた。
「これで完璧だね。」悠里は鏡を見つめながら自分の姿に満足し、新たな自分として冒険者登録へ向かう期待感が高まっていった。
緊張と興奮が交錯する中、悠里はどのような運命が待ち受けているのか、心の鼓動を感じながらギルドへと歩き出した。訓練場は広々としたスペースで、周囲には様々な武器や道具が揃い、冒険者たちが日々鍛錬を積む場所となっていた。安全を考慮し、多重の結界が張り巡らされており、その結界はアールグレイ家の訓練場と同等のものであった。なお、この結界はアイリスによって設置され、彼女は物理防護結界や特殊防護結界を展開する魔法を持っている。
悠里は、そんな相手と直接対峙しなければならない状況に内心戸惑っていた。このような局面では冷静に対応することが求められる。その模擬戦はあくまで模擬戦だが、悠里は自らの力を最大限に引き出す必要があると感じていた。静けさが漂う中、アイリスが声をかけてきた。その声はほとんど囁くようであった。
「この模擬戦で、愛弟子は幻想魔法は使わないのか?」アイリスが尋ねると、悠里は彼女の目を見返し、ひっそり答えた。「ええ、私は変身魔法で戦います。」
すると、アイリスは少し意外に思う様子を見せたが、すぐに理解したように頷いた。「愛弟子の好きなタイミングで始めて構わないよ。」
「分かりました。」悠里は冷静にタイミングを見計らい、試合を開始することに決めた。「では、いきます!」その言葉を発しながら、着せ替えスキルを使ってクラシカルなメイド服に変身した。
「無詠唱魔法で、魔力も消耗しないのか?」変身直後、悠里はエプロンドレスの下からナイフを取り出し、音速でアイリスに向けて投げた。アイリスは悠里のナイフが音速で飛ぶタイミングを見計らい、無詠唱で結界魔法を発動させた。結界はまるで目の前に無形の壁が立ちはだかるように、そのナイフの攻撃を無効化した。ナイフは結界に突き刺さったまま、動くことができなかった。
この物理防護結界は、ほとんどの物理攻撃や威力を無効化する非常に強力な結界魔法である。悠里はすぐさま、ナイフが突き刺さった結界に向かって音速の速さで足刀蹴りを放った。幸運にも、その一撃で結界を破壊することに成功した。
再び、悠里はエプロンドレスの下から新たなナイフを取り出し、振り上げた。アイリスは再び同じ結界を張り巡らせてきた。彼女の迅速な反応に驚きを覚えつつ、悠里は結界にナイフを向け、一定の距離を保ちながら次の一手を考えた。
「ンフフ」とアイリスは模擬戦の最中にもかかわらず無邪気な笑みを浮かべた。その様子に、悠里は不思議さを感じ、思わず尋ねた。「師匠、何を笑っているんですか?」
「愛弟子が他にも卓越した魔法を使いこなせることに興味を惹かれたのさ。」アイリスは、まるで自分のことを褒められているかのように満足げに答えた。
彼女は事象そのものを再現できる魔法を巧みに操るため、悠里のスキルが彼女に再現され、魔法ではないと見抜かれるのではないかと悠里は危惧を抱く。
「師匠は私の魔法を再現できますか?」悠里が尋ねると、アイリスはすぐに否定した。「僕にはその魔法を再現することはできないよ。」
「試してもいないのに、どうして分かるのですか?」
「言ったことがなかったかな?実は、僕は未来を読む魔法を使えるんだ。そのため、再現する前に判断できてしまう。」
「ええ、聞いたのは初めてです。」この発言は悠里にとって新たな事実であり、カトレアの記憶の中では触れられていなかったことが確かだった。
「俄然、愛弟子への興味が湧いてきたよ。」アイリスはそう話した。
悠里は一度心を落ち着けるために目を閉じ、深く息を吸い込んだ。静寂の中でゆっくりと息を吐き出すと、自然と溜息が漏れた。「ふぅ…」その声は控えめで、まるで自分を慰めるように響いた。
すると、アイリスの声が目の前から聞こえてきた。「その溜め息はどういうことだい?」
「いや、ちょっとこの模擬戦がいつまで続くのか気になりまして…」悠里は思わず愚痴を口にした。
「模擬戦である以上、決着はつけなければならないからね。」彼女の言葉は、当然のことを告げられているかのように感じられた。
悠里は近づくため、回し蹴りを放ち、結界を破壊した瞬間にアイリスに斬りかかろうとした。一方で、アイリスはすでにロングソードを構え、振りかぶる姿勢に入っていた。
「まずい!」悠里は焦りを感じたが、何とか彼女の一振りを両手のナイフで受け止めることに成功した。斬り合いはしばらく続き、悠里が音速で動いているにもかかわらず、アイリスはその動きについて来ていた。彼女の身のこなしは卓越しており、悠里の動きを瞬時に把握しているかのように見えた。
斬り合いが進むにつれ、悠里はアイリスの技術に圧倒されていくのを感じた。一瞬の隙を突かれ、みぞおちに蹴りを受けてしまう。その瞬間、思わず姿勢を崩し、冷たい汗が背中を流れ落ちた。アイリスの厳しい表情は、これまで以上に鋭く感じられた。
悠里は斬りかかれる前に、音速で空中に移動し、手榴弾の雨を降らせた。手榴弾が爆発すると、訓練場内は爆風にさらされ、周囲に煙が立ち上った。悠里は投げ終えた後、天井の照明にしがみついた。煙が消えると、目の前には結界魔法を発動させていたアイリスと、爆風から守られていたリリアの姿があった。
特殊防護結界は、大部分の特殊攻撃や特殊威力を無効化する非常に強力な結界魔法である。その直後、アイリスが時間を巻き戻す魔法を唱えると、指定した時間に事象が巻き戻り始めた。天井にしがみついていた悠里は、強制的に地面に引き戻される。
時間は、悠里が一瞬の隙を突かれ、みぞおちに蹴りを受けた瞬間に戻った。このままでは、アイリスが持つ魔王軍幹部ウバを超える魔力が宿されたロングソードで攻撃されることになる。悠里は咄嗟に姿勢を整え、ロングソードに向けて音速の回し蹴りを放った。
その時、突然、男が姿を現した。「そこまでだ、君たち!」
彼はアイリスの魔力が込められたロングソードと、悠里が放った音速の回し蹴りを同時に受け止め、その技術は悠里に感心を抱かせるほどだった。
「お、ギルマス、お疲れ~!」アイリスは気軽な口調で声をかけた。
「ギ、ギルドマスター!」悠里はその存在に顔色を失い、取り乱したように戸惑った表情を浮かべた。
「このまま衝突が続いていたら、訓練場だけでなく、この地域全体が破壊される危険性もあったよ。」
「訓練場には多くの結界が張られているので、無用な被害は発生しないよ。」
「それでも、先ほどその子に結界を破壊されたばかりではないか。」グレイズはアイリスの発言に反論した。
「リリアの視覚を共有していたのか。相変わらず趣味が悪いね。」アイリスは彼の言動に驚きを隠せず、視線を向け返した。
「君たちの行動を監視するためだよ。ただし、プライベートには干渉していない。」グレイズはすっきりとした様子で答えた。
「さすが紳士ですね。でも、結界を破られたのは愛弟子が優秀だからです。」アイリスは得意げに言った。
「愛弟子?まさか、その子のこと?」グレイズは悠里の方を見て疑問を呈した。
「この子は愛弟子二号の悠里です。」アイリスは悠里を指差した。
「紹介が遅れました。アールグレイ家の従者を務めております、ユーリと申します。よろしくお願いいたします。」悠里は丁寧に頭を下げながら自己紹介をした。
「僕は冒険者ギルドのギルドマスターを務めるグレイズ・デルフィリムです。こちらこそよろしく。」グレイズも彼女の返礼に合わせて頭を下げた。
「ところで、いきなり割り込んでくるなんて危なすぎるわよ。老い先が短いのに。」アイリスがグレイズを非難した。
「危ないことをさせたのは、誰のせいかな。」グレイズは冗談めかして返した。彼は見た目に反して若々しさを保っており、老い先が短いとは思えないほどの強烈な魔力のオーラを放っていた。その存在感は圧倒的で、周囲に安心感を与えている。鍛え抜かれた筋肉と強靭な体躯は、彼の騎士としての経験と実力を物語っていた。
「アハハ、長い付き合いだから、大目に見てほしいな。これくらいは許してよ。」アイリスは笑いながら言った。
「昔は君も可愛かったが、今は…」とグレイズが続けると、 「ん~?今の方がもっと可愛いって言われると、照れちゃうね。」アイリスは優しい笑みを浮かべて返した。
「まったく、相変わらずポジティブ思考で何よりだ。」グレイズはため息をついた。
「リリア君、悠里君の記入用紙は持っているかい?」グレイズがリリアに尋ねた。
「はい、こちらにあります。」リリアは用紙を差し出した。
「ありがとう。」グレイズはリリアから記入用紙を受け取り、悠里が記入した内容に目を通した。読み終えた後、彼は柔らかい表情で悠里を見て言った。
「君の実力や経験を考慮して、Bランクから冒険者を始めてみないかい?」グレイズが提案した。
「え?」目が点になった表情を浮かべ、異世界に来たばかりの自分がBランクから冒険者になることができるなんて信じられなかった。
「不満だったかな?」
「いえ、むしろ嬉しいですが、冒険者としての知識や戦闘経験がまだ不十分だと思っています。」
悠里は正直な気持ちを表明した。
「それについては心配しなくても大丈夫だ。知識はこれから学べばいいし、戦闘経験もクエストに挑むことで得られる。」グレイズは落ち着いた口調で悠里を励ました。
「でも、愛弟子ならAランクやSランクでもよかったのでは?」アイリスが疑問を抱いた。
「君は他の冒険者の立場を考えるべきだ。いきなり初心者が高ランクで登録したら、どうなるだろう?」グレイズが冷静に指摘した。
「確かに、不満を抱く人もいるだろうね。」アイリスは納得した様子で頷いた。
「その通りだ。興味を持つ者もいれば、嫉妬や不安を抱く者もいるから、バランスが重要なんだ。」上下関係やバランスの重要性は、どの世界においても共通するものであることを悠里は再確認した。
模擬戦が終わり、悠里はBランク冒険者のギルドカードを手に入れた。
「これで、現在の一つ上のランクのダンジョンやクエストに挑戦できるようになる。」とグレイズが説明した。
「つまり、単独での夜鎧討伐も許可されるのですね?」悠里はさらに確認した。
「君の実力は十分に理解しているが、パーティ推奨のダンジョンやクエストでは、単独での討伐は控えてほしい。」グレイズは助言した。
「…はい、気を付けます。」その忠告に対し、悠里は少し躊躇しながらも頷いた。
こうして、Bランク冒険者として新たなダンジョンやクエストに挑戦する日々が、悠里にとってこの日から始まることとなった。




