一〇話 悠里、魔女と対面する
悠里が目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。知らないベッドに横たわっていた彼女は、ゆっくりと上体を起こし、周囲を見回す。部屋は物が少なく、白色を基調とした家具やインテリアが印象的だった。
明るく見える部屋でありながら、どこか殺風景な雰囲気。悠里は、この状況に特別な意味や背景があるのではないかと考えた。なぜここにいるのか?どうしてこの部屋に来たのか?さまざまな疑問が浮かんでくる。
周囲を確認しながら状況を把握しようとする気持ちが強くなる。ひょっとして、この部屋はカトレアの心の中を反映しているのではないか?彼女の心が整理整頓され、無駄なものを排除した結果、こうしたシンプルな空間になったのかもしれない。
心の奥底にある感情や思いが目に見える形で表れているのかもしれない。そう考えると、この部屋の存在がますます気になった。
「この部屋は一体?」と悠里が呟くと、突然声が聞こえ、振り返るとカトレアに瓜二つの少女が現れた。彼女は銀髪赤眼で、華やかなライトグレーの長髪に宝石のようなルビーの瞳を持っていた。髪型は編み込みのハーフアップで、ふんわり可愛い緋色のシフォンリボンでまとめられている。
「あなたはカトレア?」悠里は思わず尋ねた。
気がつくと、彼女は転生前の自分に戻っていた。
「ええ、そうよ。はじめまして、橘さん。」カトレアは微笑みながら言った。
「悠里でいいよ。」悠里はそう答えた。年齢が離れているわけでもないため、彼女だけが呼び捨てにするのがなんだかむず痺い気がした。
「それじゃあ、悠里。これからよろしくね。」カトレアは微笑みながら言った。
「こちらこそ、よろしく…」その後、少し気まずい空気が流れた。いきなりカトレア自身と対面したため、悠里は何を話せばいいのか分からなかった。カトレア自身もこの状況に戸惑っているように見えた。やがて彼女は何かを閃いたのか、顔の前で両手を合わせて口を開いた。
「立ち話もなんだし、座ってお茶しながら話しましょう。」
「うん、立ち話も疲れるし…何か手伝うことある?」悠里は言った。
「大丈夫よ。好きなところに掛けてちょうだい。」カトレアは優しく笑った。
「では、お言葉に甘えて…」悠里は目の前のふかふかのソファに腰掛けた。このまま魔王軍幹部との戦闘を忘れて、ソファに寝っ転がりたい気分だった。
「紅茶、ココア、コーヒーの中だったら、どれがいいかしら?」カトレアが訊ねる。
「紅茶でお願い。」悠里は答えた。
「アールグレイでいいかしら?」
「うん、お願い。」カトレアは指をパチンと鳴らすと、テーブルの上にティーセットとチョコチップクッキーが突然出現した。ティーポットからティーカップに紅茶を注ぎ、悠里の席の側に置いてくれた。
「どうぞ、召し上がれ。」
「ありがとう。いただきます。」悠里は香りを嗅ぐ。アールグレイのベルガモットの華やかな香りが漂う。
「お砂糖やミルクは入れる?」カトレアが尋ねる。
「うん、でも、ひと口目はそのままいただくね。」悠里は答えた。
悠里は一口紅茶を飲んだ。
「これは絶品ね!優雅な香りで心まで癒されるような気がする。」彼女は驚きの声をあげた。
「あら、良かったわ。」カトレアは微笑んだ。
ひと口飲むと、紅茶の透明感が感じられ、その香りと相まって爽やかな風味が広がる。甘味や旨味もあり、その飲みやすさが際立っていた。喉越しの後には、ベルガモットのフレッシュな香りが鼻を抜け、心地よい余韻を楽しむことができた。悠里は、人生で一番美味しい紅茶かもしれないと感じた。
「もう、褒めても何も出ないわよ。」カトレアが笑いながら言った。
「私、心の声がだだ漏れだった?」悠里は少し恥ずかしさを覚えた。
カトレアは悠里の心の声が漏れていたことに照れながら頷き、少し顔を赤く染めた。彼女は一時的に視線を外し、深呼吸をしてから再び悠里の目を見た。その表情は、一気に真剣なものへと変わった。
「ねえ、悠里。私たち、記憶を共有しているの?」カトレアが尋ねた。
悠里は、自分がカトレアの姿に転生したことを考え、その記憶が共有されていることを理解していた。カトレアもまた、自分の記憶が共有されているのだろう。その事実が、悠里の心に少しの動揺をもたらした。カトレアは自分のことをどう思っているのだろうか。
「記憶を見たということは、私がこの世界の人間じゃないってことは知っている?」悠里が問いかけた。
「ええ、まさか向こうの世界で亡くなって、私の肉体に転生するとは思いもしなかったけれど。」カトレアは苦笑いしながら答えた。
「その点については本当に申し訳ないと思っている。カトレアには取り返しのつかないことをした。」悠里は心から謝罪した。少なくとも、赤ん坊として転生していれば、彼女には迷惑をかけなかっただろう。
「私以外の人間なら、この状況を決して許せるとは思えないわ。今の私とあなたの関係性はフェアじゃないと思うの。こちらから条件を出してもいいと思うけど。」カトレアは真剣な表情で言った。
「確かに…カトレアが言っていることは正しい。」悠里は彼女の言葉に頷いた。カトレアは自分の抱える罪悪感を和らげようとしているのだろう。
「条件って何?」悠里は問い返した。
「そうね、例えば、一時的に私に肉体の主導権を譲ってもらうとかかしら?」カトレアは提案した。
肉体の主導権を譲ることに対する懸念が、悠里の心の中で渦巻いていた。このままでは魔王軍幹部に勝てない。果たして、彼女に頼るべきなのかと迷った。
「あなたが手に負えない案件や、私から交代するように言葉を発したときは、私に肉体の主導権を譲ってほしいのよ。」カトレアが説明した。それは、面倒な事態が発生したときに、彼女が代わりに対処してくれるという申し出だった。
「分かった。主導権の変更の仕方について教えてもらえる?」悠里が尋ねる。
カトレアは優しく微笑み、穏やかな声で答えた。「外側、現実の世界で『解錠』と唱えることよ。」
「カトレアから悠里に主導権が戻るときも、似たような原理なの?」
「ええ、もちろん。唱える言葉が異なるだけよ。」カトレアは頷いた。
「それなら、ちゃんと覚えておく。面倒なことはカトレアに任せるから、お願い。」悠里は自信を持って言った。
カトレアは一時的に厳しい表情で悠里を睨んだが、すぐに穏やかな表情に戻った。「聞き捨てならない言葉が聞こえたけれど、今回は目をつぶっておくわ。」彼女は少し考え込むように視線を落とし、次の言葉を選んでいるようだった。
「もう一つ、条件をいいかしら?」カトレアが提案した。
悠里は、条件が一つや二つ増えたところで何の支障もないと思った。こうして二度目の異世界ライフを送れているのだから。
「どうぞ。」悠里は躊躇いなく彼女に言葉を向けた。
「私を向こう側の異世界に連れて行ってもらえないかしら?」カトレアの問いに、悠里は彼女の記憶を共有しているため、彼女が前世に興味を持っているのだろうと感じた。カトレアが異世界に対して抱く好奇心は、悠里の経験や思い出を通じて培われたものに違いない。
「私にはそんな力はないよ。」悠里は即座に答えた。
「でも、あなたは向こう側の世界の出身だし、手段があればいつかは帰るつもりなんでしょう?」カトレアは続けた。彼女の言葉に、悠里は驚き、目を大きく開いた。その可能性を思い描くことすら、悠里の心にはなかった。
カトレアの目には、未知の世界への探求心が宿っていた。悠里は前世の世界について何も考えずにいたことが少し恥ずかしく感じた。
「そんなことを考えたこともなかった。」悠里が認めると、カトレアは微笑んだ。
「まぁ、いいわ。心の片隅に置いておいてもらえればそれでいいから。」カトレアの言葉には少し余裕が感じられ、悠里は彼女が自分の気持ちを理解し、気遣っていることが伝わってきた。
悠里もまた、カトレアの気持ちに応えるべく何か行動を起こす必要があると感じた。しかしながら、少しの違和感を覚えたため、彼女に素朴な疑問を投げかけることにした。
「どうして向こう側の世界に行ってみたいの?」悠里が尋ねると、カトレアは不思議そうな顔をした。
「それって、そんなに気になること?」カトレアは答えた。この件についてはあまり詮索しない方がよさそうだと、悠里は感じた。「この世界に嫌気を差したのかと思ったんだけど。」
「別にそんなことはないわよ。この世界も好きだけれど、それ以上に向こう側の異世界の背景が気になるの。」カトレアはしっかりとした口調で言った。
彼女の言葉には、単なる好奇心以上の深い探求心が感じられた。カトレアは悠里の前世にいた世界について、何があるのか、どんな文化や歴史が存在するのかを知りたいと思っているのだろう。その姿勢は、彼女自身の成長を求める意欲の表れであり、悠里は少し触発される感覚を覚えた。
こうして、二人の会話は互いの思いを確認し合う大切な時間となった。カトレアの興味と悠里の無関心が交錯する中で、少しずつお互いの理解が深まっていくのを感じた。




